蛇足編

10年後

2018年03月27日 =要人警護社・医務室=


 「ということで、悠を引き入れたの。あのときは資質として不十分なところが多かったけど、見事に育ってくれたわ。」


 社の医務室で凩緋彩は言った。



 10年前とは髪色を変えて、ハーフアップにしている彼女は、今でも変わらず白衣を着こなしている。


 「そうだったんですね…。悠くんはあまり話してくれないので、聞けて嬉しいです。」



 事務員の遠山雛は入社して4年が経とうとしている今、初々しさも抜け、初期のリクルートスーツではなく、所謂、オフィスカジュアルの服を着ている。普段から悠についている事務員だ。


 医務室では要人警護社の"女子会"が開かれていた。

 最も、今や女性社員の数も増え、全員が集まっているわけではない。ただ、男子禁制を謳っているだけだ。


 「…糸瀬さんの話を聞けたのは収穫でした。一緒だった期間短くて、よく存じ上げなかったので。でも、いいんですか?」



 もう1人の参加者タチバナはニヤッとおもしろそうに笑いながら凩に問いかけた。


 「私はともかく、遠山さんが知ったと知れば…」


 「…ふふっ、面白そうでしょう?」


 「えぇ、えぇ。」


 2人は意味深に笑い合った。


 「タチバナも随分と変わったね。」


 「そりゃ、もう。変わらざるを得なかっただけです。」


 実家に暮らし、普通の人として生きた月城光橘は戸籍上既に死亡した。

 今は、立花光として大学に通いながら警護社にも勤めている。


 彼女は真面目な顔でも無表情でもなく、いつも不気味に笑っている。


 「…そこまでですか?」


 ひとり取り残された遠山は首を傾げるが、2人は楽しそうに笑うのみ。


 「落ち込んだ話とか、失敗とか、恥ずかしいしかないでしょ。」


 「黒歴史以外のなにものでもない、それをよりによって…、ふふふ。」


 そして、しばらくして医務室の扉がノックされた。


 「はい、どうぞ。」


 「…ここに遠山さんがいるって聞いたんだけど。」


 巻かれた模造紙よりも大きな紙と本を持って医務室に入ったのは悠だ。


 「あ、悠くん。」


 凩とタチバナはニヤニヤしながら動向を見守る。


 「遠山さん、伊藤さんが呼んでる。あと、次の仕事なんだけど…」


 悠は淡々ときた理由を説明しながら視線を近くの机に向けて固まった。


 「これって…」


 机の上には、悠が警護社に入ることになったきっかけの事件の写真が散らばっていた。

 その中には…ショックで泣いている写真も混じっていて…。


 「遠山さん、これ…」


 「あの、これは…」


 遠山が答える前に、ぬるっとタチバナが立ち塞がり説明し始めた。


 「緋彩さんがねぇ、悠さんのことをたくさん教えてくれたんですよぉ。たとえば、なんで泣いてたのかなぁとか、いろ〜んな恥ずかしい過去とか?すっごく面白かったんですよ。お聞かせできなくて残念です。えぇ、本当に。遠山さんもかわいいって言ってましたよ。他にも、失敗して怒られちゃった話とか、色々。ねぇ、どんな気持ちですか?教えていただけると、とーっても嬉しいです。あぁ、嘘ついたりとかはいけないよねぇ。少なくとも…」



 悠はタチバナをちらりと見て言った。


 「タチバナさん、風見さんに似てきたよね。」


 タチバナ、数秒固まる。


 「えっ…、嘘でしょ、あの尊敬してるけどクズみたいな師匠に?えっ、まじで?…」


 ブツブツと呟きながら、自分の世界へと引きこもっていくタチバナ、彼女はまだ道化になりきれていないようだ。


 居た堪れなくなったのか、遠山は勝手に人の過去を聞いてしまったことを謝罪しようとした。


 「あ、あの…。」


 「いや、別に隠していた訳ではなくて。でも、その…」


 目を逸らしながら、悠は言った。


 「幻滅…しなかった?」


 「へ?」


 「俺は、家族を見捨てたんだ。見捨てて、縁を切ったんだ。当時はそうするしかなかったけど、軽蔑しない?」


 縋るような、不安で仕方ない目をして遠山に聞いた。

 遠山は小さく驚いてから、いつも話すように笑顔になった。


 「そんなことしませんよ。そもそも、他人をどうこうできるものじゃないんですから。悠くんは悠くんです。」


 悠は驚いたが、ほっとしたように笑った。


 「そっか…。」


 「はい。」



 遠くから見守っていた凩は微笑んだ。


 (本当に大きく成長したわ。もう、悠は大丈夫ね。)



 「陽菜ちゃん、タチバナ、お開きにしましょう。私は社長に用事があるから、ここで抜けるわね。」



 ♦︎♢♦︎


 「失礼します。凩です。」


 「入れ。」


 社長室に立ち入った。


 「なにか用でもあったか?」


 「急ぎではありません。悠の件です。」


 「あぁ、あの。」


 凩は社長とその秘書の前に立ち、要件を述べた。


 「問題ないと?」


 以前から打診されていた件だ。

 悠が十分に成長したら、という条件で凩に相談していたのだ。


 「はい、今の彼なら問題ないでしょう。…ただ、」


 「何か懸念点でも?」


 「いえ、そういうことでは。ただ、遠山雛を随伴させてはどうかと。」


 「ほう?」


 社長は片眉をあげた。


 「…少々過保護ではないか?」


 「失礼ながら、社長も大概かと。」


 「…ふっ、そうか?」


 「引き継ぎのために、部下を盤石にしておこうとタチバナを含め、修行に出すとは。」


 「あれは、清廉潔白、清濁を併せ呑むような人間ではない。組織の長としてそれは不適格だ。だが、そこがいい。だから、それを支えられる社員が必要なのだ。」


 「…やはり、過保護かと。」


 呆れたような目線に咳払いをしてから言った。


 「兎も角、それでいいんだな?」


 「はい。」


 「手続きをしておく。明日には辞令を出せるだろう。ご苦労だった。」


 社長の労いの言葉に頭を下げてから退出した。




 翌日、社長に呼び出された悠と遠山はそれぞれに社長の言葉を待つ。


 悠は適度に体の力を抜きながら、遠山は無駄に力をこめながら、背を向けた社長が何をいうかに耳を傾けた。彼の秘書も退室しており、不穏に思えるが、悠は特に気にしていなかった。


 「さて、君らをここに呼び出した理由だが、期間は未定で出向してみないか、という誘いだ。」


 「出向…??」


 これには流石の悠も驚いて、目を何度か瞬いた。遠山はなぜか左遷などという悲観していた。


 「…最近、タチバナさんが忙しいようですが。」

 それに関連しているのですか、と暗に問うた。


 悠が驚いて硬直したのはほんの数秒で、すぐに思考を取り戻した。彼の思考能力や回転速度は年月を経るに従い成長しており、思考回路を形成する知識も貪欲に増やしてきた。


 「相変わらず鋭いな、悠。出向先は民間のシンクタンクだ。」


 「シンクタンク…??」


 遠山は出向の理由にも思いいたれないまま、新たな情報を追加されていささか混乱していた。彼女は決して頭の回転が遅いわけではない。むしろ、勉学という面においては特筆すべき点があり、国立大を卒業した巷で云ふエリイトというものである。勉学と思考力、そして努力と才、というのは混同して考えていいものではないが、考える頭がないわけではない、という立派な証拠にはなるだろう。


 「シンクタンクって…あの頭脳集団ですよね??」


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シンクタンク

種々の分野の専門家を集め、国の政策決定や企業戦略の基礎研究、コンサルティングサービス、システム開発などを行う組織。頭脳集団。 

(出典: goo辞書)

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 「ああ。民間だからな、企業の戦略が主となるだろうが、全く政策の依頼がこないわけではないぞ。これでもうちは面倒なしがらみも多い。わかっていると思うが…。」


 「はい、俺たちが政治に関わることは許されない。」


 「そうだ。政府系のシンクタンク程度なら問題ないだろうが、わざわざ灰色な部分に突っ込む必要はない。」


 異能力者含め、人外の力をもつ者たちは正しく国民と認識されていない。故に、参政権(投票権および被参政権)を持ち得ない。

 そして、それらを扱う組織もまた、政治に関わることをよく思われない。表立って存在を正しく信じられていないが、最悪、国際問題になりかねない。


 「…なぜ、今? タチバナさんは、もっと早かったと思うけど。」


 「ん? 出向先がシンクタンクである理由はいいのか?」


 首を傾げながら驚いて、一拍置いてから理由を話した。


 「別に、特に理由はない、と言いたいところだが、そういうわけでもない。これは緋彩の見立てだ。お前がもう大丈夫だと、次に進んでも問題ないとお墨付きをくれたぞ、昨日な?」


 「昨日!?」


 なんか、気恥ずかしいような、むずむずとした温かい気持ちが心の奥底から湧いてきた。


 「あぁ、もう大丈夫だと。とっくのとうに自分の足で立ってはいたがな、まだ危うさがあった。結局は緋彩に判断してもらうのが正しいと判断した。…ということだ。どうする?一応、出向なんてことはタチバナを含めたお前たちが初めてだ。社の方針上、無理強いをするつもりはない。」


 だって、うちの方針は…とそう言った。


 自由で気ままで、マイペースで、そして、我が強い。それが社の特徴で方針、それは理解している。


 「…それが俺に成長を促すなら、俺は行くつもりです。」


 「そうか。まぁ、そういうと思っていたから打診したのだが。さて、遠山、君はどうする?」


 彼女は急に話を振られて慌てた。完全に油断していた。

 話を聞いていなかったわけではない、むしろ聞き入っていた。そう、傍観者として、この場合は傍聴者か?


 「えっ!? その、悠くんはわかるのですが、なんで私まで? だって、シンクタンクなんて、私には…。」


 「そうか? 大学をいい成績で卒業していると聞くが?」


 「そーいうのは、本当に日本で一番の大学とかをトップの成績で出ている人とか、そうでなくとも悠くんみたいな思考回路がある人とか、私には…。」


 そんなはずはない。

 荒くれ者の類、個性の塊と呼ぶべき要人警護社がまともに会社たりうるのは数人で事務を含め、経営、渉外、営業、掃除に雑務、総務などといった、現場での警護以外のそれら全ての仕事を片付けているからである。それらを当たり前のようにこなした上で、悠のサポート、並のものにできることではない。


 「過小評価はときに悪い結果を招く。明るいところは素晴らしいが、明るく後ろ向きに過小評価する部分は今後気をつけたほうがいい。」


 苦笑いしながら言った社長も同じ気持ちだろう。


 「遠山、きみもとても役に立てると思っているが、それ以上に悠のサポートを頼みたい。悠について自らも仕事をしてくれ。」


 悠のサポート、ならば、と一気に明るくなった。


 「それならば!! 承知いたしました。その業務、完璧にこなしてみせます!!」


 「適度に肩の力抜けよ?」


 またも苦笑いしながらいった。

 空回りしながら、周りの空気を明るくする、間違えなく彼女の才だ。


 暫し雑談してから2人は社長室を後にした。



 「俺と一緒に来てくれるんだ。」


 「はい。2人で頑張りましょうね。」



 休憩に来てもいいし、この会社を辞めるわけではないから、案件によってはここで働くこともあるだろう。

 しかし、当分は別の職場で。


 寂しくもあって、でも行先は明るい。

 隣には遠山がいて、悠は真っ直ぐに歩ける。


 春の光が道を照らす。


 嗚呼、今日も桜が綺麗だ。

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