序章

葉の揺する日々・前

老婆が話したお告げを聞いた日から、随分と経った。


「戻った」

「お帰りなさい、ハヤトさん」


その日、颯音は願われて森へ赴いていた。山菜を含んだ食料調達と同時に、病や怪我の薬になる薬草採取のためである。


閭里の門番を任せられた簡素な槍持つ若者が、颯音に走り寄ってきて出迎えた。村の中でもまだまだ若者だが、腰を低く据え、人目を窺い、常に丁寧な口調が印象的な青年である。その物腰柔らかな接し方を常に保つ振る舞いは、他人からの印象を決して悪くはさせないだろう。


颯音と彼との歳差は五本の指も要しない。その為、顔を突き合わせる度に話をするほどに、仲が良くなるのも自然であった。


ひょいと成果を期待した若者が、颯音の背負う深篭の中身を覗く。


篭には目的の薬草以外にも野草や山菜、木の実や茸、薪木などが沢山詰め込まれていた。どれも有って困ることのないものだが、しかし若者は中身を見て少し残念そうに眉を下げる。


「あれ…今日は肉なしですか…」

「文句言うなよ。食える飯があるだけまだいい」


折に触れては獲物を狩って大量の肉を持ち帰っていた為に、村人が外遊の度に颯音へ向ける期待は常に一入である。


故、その成果がその日の村の晩飯の豪華さを決めると言って過言ではなかった。戻り際に期待を込めて成果を検めるのが、門番である若者の密かな楽しみだった。


しかし、見た通りの成果だ。


願望通りでない残念な内容にあからさま落胆するのは贅沢であるが、前例を顧みれば仕方のないことであろう。


血塗葉シュブ管対実クペドに…これは包実草エーガ幽木サタヌマですか?」

「幾つかの根管ロジュ虚茸マーメゥも採れた。打兎ルベ幹角鹿ズァベルヴが居れば狩れたんだが…毛蜘蛛チャガトラに髪の毛を喰われたぐらいで、ほかに獲物は見てねえんだ。今日のところは獣狩人の連中に期待するしかあるまいよ」

「ですか…」


素直に喜べない成果に若者は溜息を吐くが、それでも納得したようだった。それから夕日に顔を顰めて「そろそろ門閉め準備かな」と呟く。


昼前には出たというのに、空は夕暮れに差し掛かっていた。空の端では青紫の帳が侵食を始め、茜色の光が山脈の輪郭で淡く輝いている。気の早い一等星が見える頃合いだ。


「そういえば昼頃に行商が来ていたと思うが、四腕の熊フィベルグの毛皮と鋭爪は売れたのか?」


村を出た先の街道で行き交った行商の獣引車じゅういんしゃを思い出して問う。


「ええ、ノエルのお父さんが随分ご機嫌でしたよ。引き換えに果房酒ヴィグを樽で貰ったそうで」

「そりゃいい。売値から経費差っ引いてもそれなりの銀にはなりそうだ」


あの顰めた髭面がご機嫌な顔を浮かべるとは想像できないが、村人がそういうのならそうなのだろう。


「でしょうね。いつも通り、行商人は宿屋に泊まるそうです。獣引車の荷台には結構な量の積み荷がありましたし、入用があれば訪ねてみては?」

「そうする」



現在、颯音は宿舎住まいである。


無論、素寒貧で異世界に連れてこられた颯音に最初から所持金など一切なく、宿代などとてもではないが払えなかった。その代わりとして何かしらを提供するしかない中、颯音は山菜や獲物を持ち込んでいる。しばしば颯音が外遊に出かけるのは、これらの理由が多分を占めていた。


ユグリに辿り着いた当初、ともかく腰を据えて考える時間が欲しかった颯音は、薄い希望に賭けて持ちうる目先の問題を解決すべく、旅人宿にまっすぐ向かい頼み込んだ。


しかし、行き成り来て「住み込みで働きたい」と交渉する者をあっさり受け入れる者など居ない。困ったことに宿の主人は頑固で、そもそも宿代が払えないと分かると「手狭な村の宿に人手は要らん」と納得の理由で跳ね除けた。面倒事を抱えていると見抜かれた形である。


此処で断られたらどこへ行っても同じであろう。野宿しかないと諦めた矢先、何を思ったのか後払いという形で手を差し伸べてくれたのが、宿舎を経営する主人の娘であり、他ならぬノエルの計らいだった。以来、彼女には頭が上がらない次第である。


しかし、仕事を探そうにもあっさり見つかるほど、村には他者を必要とする仕事がこれと言ってない。加えて言うのならば、そこに必要な技術や経験をさして颯音は持ってもいなかったのだから、敢えて手を借りようとも思わない。


どう足掻いても日銭を稼ぐのは至難であり、辛うじてありつけた所で小銀貨三枚という宿代には到底届かないのも目に見えていた。


さてどうしたものかと困り果てた折、はたまた知恵をくれたのがノエルだった。彼女の談では食べものがあれば宿代の代わりにできると思う。だから採ってきてはどうか、とのことだった。


それを聞いた颯音は納得すると同時に軽く衝撃を受けた。先進した時代で生き、そこでの常識に倣って過ごした中で、買うのはともかく持ち込んで売ることは面倒な手続きを要したからだ。


そこ発生する面倒や手間が障害となり、物を売って金を得るという方法そのものが、まず発想として湧いてこない。


颯音は生産者ではない。故に前時代的ではあるがノエルからの提案は、まさに天恵めいた名案であった。が、子供の思いつく発想程度で上手く運ぶほど現実は甘くはなかった。


まず道具はもとより狩猟技術も経験も無いので、獣を捕らえ肉を得ることは前提をもって不可能である。次に可能なのは野草類の採取だった。


しかし、此処は異世界である。見慣れぬ植物が繁茂する中とあっては、何が食い物で何がそうでないのか既存の知識で判別などできない。その為、それらしいものを勘に従い摘んで戻るしかない。


無論、こうした方策は幾度も食べ物にならない、またさして用途もない代物ばかりを持ち込むことにもなり、宿の主人から遠慮ない罵声が飛んだ。終いには皿や包丁も飛んだが、そうした結果に損害を被るのは宿の主人だった為、颯音には『役立たず』の烙印を押される以外に被害はなかった。


更にその程度で萎縮し滅入る颯音ではない。悪びれもなく恥にも思わぬ厚かましい鉄面皮でもって、あれもこれも差し出すと、あまりにも図々しい振る舞いに宿の主人も流石に呆れて諦めた。


とはいえ、中には食料となるものが、他に用途のあるものが、毎度のこと含まれてもいた為に、確かな知識があれば役に立つはずだと諦めの末に気付いた。


閭里の外に出ることの危険性を宿の主人は知っている。一方で、颯音は平気な顔で出かけ、どういう訳か何事もなかったかのように無傷で戻ってくる。であれば、殊更知識を与えるほうが一等上手い具合になる筈だと考えたのだ。彼を招き入れ、逆に追い出そうとする父親に断固反対する娘のノエルを説得するよりかは、幾分建設的な考えだった。


平然と外と内を行き来できる理由も知りたかったが、当初は下手に口を突っ込まないほうが障りがないと割り切って流した。


その後、颯音は宿主とノエルから山菜や香辛料になる植物の情報と知識を得て、言われるがままに採取を繰り返した。目論見通り颯音は覚えはよく、後は希望すれば手頃な量を見事に調達した。


当人にしてみれば少しでも知識に沿うものがこの世界にあれば、これほど苦労はしなかっただろう。だが、颯音自身の現状を鑑みれば分かってもらえる相手も居るはずがなく、そこで嘆いても仕様もない。


ある時、いつものように採取から戻ってきた颯音が、斧牙猪イジババの死体を引き摺って戻ってきた。


森の恵みをたらふく腹に収めたのか、よく肥えた毛並みのよいそれは颯音の身丈も重量も超えており、とても一人で運べるものではない。


村が騒然となる中で真っ直ぐ宿に戻った颯音が、いつも変わらずの口調で「採れた」と宣ったときは、宿の主人も心の臓を引き抜かれた気持ちであった。どのように狩ったと訊いて「蹴り殺した」とほざかれた時は、顎が落ちるかと思った。証拠に斧牙猪イジババの額には何を叩き付けたのかと疑うような窪みが出来上がっていたのだから文句も言えない。


これが初めて颯音が誰にも頼らず宿代に相応しい対価を持ち込んだ折である。その後の騒動は言わずもがな。


無論、これは左腕と伴うような自身の異常な膂力に気付いたが故の結果である。たまさか振るった左腕が、巨木の幹を事も容易く打ち抉ったのが切っ掛けだった。件の斧牙猪イジババでは、更に試しとばかり挑んで呆気ない結末を得たことで確信した上の話である。


この遅ればせながらな経緯は、その暫くの間は自身の境遇の異常さに思考を割かれていた為である。在るはずのない左腕が爬虫類めいて面妖極まりない変貌して居たが、眼前の問題が難解極まりなく、身の内に向けられなかったのだ。


以後、颯音は心得たとばかりの調子で宿で飯となる山菜や獲物を納めた。宿代も早々払えるだろうという目論見は、しかしそう都合よく行かない。


山菜であれ獲物であれ、食い物にするには各種毎に手間暇を要する。だから手間賃も取る。宿の主人はそう言った。


要するに手数料を素材の価値から差し引くということだった。言い分は理解できる為、颯音はこれを了承した。ノエルに窘めてもらっている手前、異議も申し立てにくい。


結果、告げられた解体費などの諸経費を差し引いた額は小銀貨三枚程度だった。一日分の収穫で、である。苦労した割に漸く一泊分の宿代を払えられるのが現実だった。


差し出した物を総計すれば、価値観のない颯音でも宿代以上の価値があるのは明白である。本来ならば抗議するべき事柄ではあったが、文句をつけた後に口論する面倒くささが勝った為に黙っている。


加え、ノエルの計らいがあればこそではあるが、身元も不確かな面倒事を抱えた浮浪者に、寝床も食事も提供し、代金も後払いで構わないという、いっそ厚遇と言ってよい扱いを受けたのだ。


そう考えればこのような横暴も許容できる。


とはいえ、心境は不明だがその見返りとばかりに採った獲物は、確り朝昼晩に美味い膳として出されている。


他に汗を拭う湯を焚くのも、洗濯を頼むのも、娘が居るとはいえ宿の主人は一人で宿を切り盛りするというのに如何いっかな気にしないようだった。その様は、どうにも金ばかりに意識が向いているように見受けられる姿だったが、藪をつつくこともあるまいと流した。


一方で飯にはならない化物魔物の毛皮などの素材は介して行商人へ捌かれている。その際にも諸々に経費が引かれるが、少ないながら幾許の金が颯音の懐に入ることになっていた。


しかしこの分前は宿の主人が多分にしてもある。半上利が宿の主人、対して颯音が半下利である。


これは颯音の望みであったがためだ。


無論、素材をがめつく買い叩く宿の主人も、このような仕打ちの後にしては妙に気前良すぎる振る舞いを不審には思ったようだった。颯音は理由を問われたが、恩返しを兼ねた譲歩でしかなく宿主が決めた割り振りを固辞するだけで説明はしなかった。宿の主人は納得しなかったが、それで良いならと受け入れた。


とは言え、化物魔物の素材は品質次第だが基本的に良い値で売れる。そのお陰で宿代も経費も差し引いて、さらに半下利でも余裕を持って宿代が賄えるほどであった。


譲歩とは宣ったが、この思惑の根底には機嫌伺いの意味以外には理由がない。宿へ留める時に一時的にとはいえ娘と口論して口を利いてもらえなくなったこともあった。堂々と居座る颯音は今でこそ役に立っているが、前は目障り極まりない人物であったのだ。


機嫌を何時までも損ねられていては、飯も洗濯も湯焚きも雑にされてしまう。しかもそこでノエルに頼めば、また睨められるだけだ。それは自然と口論に発展して悪い空気が宿内に漂うことになる。


颯音がまともに物を採って帰ってこられるようになるまで、それが幾度となく起きた。原因であり厄介になってる身の上としては、なんとか口を挟んで仲裁すべきだが、入ったところで種火に息吹である。「お前の所為でこうなっているんだ。どの面を下げて口を出しやがる」と言われ、鎮火どころか勢いを増すばかりであった。


そう言われてしまってはどうしようもないから、何かの拍子に解消されるまで傍観を決め込むしかない。


よって颯音が行ったのは実利を与えて、ご機嫌伺いするという方策である。ノエルにも迷惑を掛けたくはなかったから、手っ取り早い方へ付けたという訳だ。


この颯音の振る舞いが結実したのか、最近は夜更けに古い安酒で晩酌する間柄には成れた。颯音が肉を大量に獲ってこれるから、塩漬け肉という肴もある。


…正直なところ塩漬け肉のほうに気が入っている様子だが、些末なことだろう。


ここに来て颯音は腹を割った。身の上事情を打ち明け、急な訪問で働きたいと願いこんだ経緯を語った。自身の境遇、故郷、そして自身の肉体のこと、今の状況をどのように認識しているかも含めて吐露した。


聞き終わった宿主の開口一番は信じられない、と至極当然の応えだった。


この頃の颯音への印象は、相談相手になるおかしな不審者だということで村中に知れ渡っていた。言葉を交わしたこともない者に指差されて噂を誇張され、年嵩から文句の絶えないような時期もあった。その振る舞いの歪さには世界の違いがあったなどという答えは、又聞きならば鼻で笑える理屈だ。


だが、しかし宿主はそれで得心がいった。こちらと噛み合わない考え方や勝手に覚えるはずの常識のない振る舞いの理由が、よもや異世界人だからだという訳の分からない理由であるなど思わなかったのだから、疑念の目を向けるのは必然であったのにだ。


よく分からないが事情は分かった、と宿主はそこで初めて颯音に理解を示した。理解不能な自体に陥ってまともな状態ではない、ということで事を汲んで、とりあえず納得した形となる。


そして宿主は収穫や狩りができる内はこの宿に置いても良いとの条件で、漸く颯音を正面から迎えた。また、落ち着いて考えが纏まれば、話してくれとも言った。行き詰まれば相談しろという不器用な男らしい良心である。


まだ老婆と知り合ってもおらず、まともに知識が無かった頃の話だ。真っ当な話し相手ができることは、その時点では重畳と言わずして何であろうか。苦労した末の成果にしては割に合わないが、ここは異世界である。仕方のない事だと、颯音は割り切った。


とは言え以後の宿主との付き合いには、これまで通りで格別な変化はなかった。


外に出て日々の糧を収集し、宿で精算、手間賃を差っ引かれた銭を受け取り、或いは村では使い道のない品を行商で売って、半下利の微々たる収益を得る。


気安く言葉を交わすようになったが、既に恩は受けている。同情でこれまでの遣り取りが緩むほど、宿主は甘くはなく、それは颯音も望まなかったからだ。


とは言え、現状維持が可能になった為、目下の問題が一先ず落ち着いたのは確かだ。颯音は次の問題に目を向けた。


次なる問題は一般的な常識、中でもまずは金勘定に目をつけた。


ここにきてまだ颯音はこの世界の金銭感覚を知らない。得られた収益が良い金額か悪い金額か、それらを比べて判断する材料が颯音の手元にはない。


手に入れた品がどの程度の価値なのか。手に入る銀や銅の数が果たして半下利の真っ当な数なのか。


こればかりは宿主に訊くしかない。娘のノエルは宿で雑用をこなすだけで金勘定はできないし、商い相手ができる教養も経験もない。


それまで事情を話していなかったから訊くに訊けなかったが、改めて訊くとやはり宿主は渋い面を見せた。それは颯音が収穫した代物に手数料だの処理代だのを吹っ掛けたことを示してもいたし、素材の価値を誤魔化して騙していたことも現してもいた。


無論、ここで怒る颯音ではない。そんなことは既に承知した上だ。こちらが事情を隠して腹を割らずに居たのも原因だ。


どう誤魔化そうか、或いはあしらおうかと口を噤んだ宿主に、颯音は「小さなことは気にすんな。見てりゃわかる」と嘯いてから、「俺に物の価値を教えてくれ。それであいこにするから」と寛大な提案をした。


「そういうことなら」と宿主は長い沈黙の末に応じた。そしてこれまでの罪でも白状にするように颯音に価値観という常識を教えた。それは聞けば聞くほど、知れば識るほど呆れるような内容となったのは予想通りである。


本来、半上利とは現世で言う割合で示せば全体の六割から七割、半下利は四割から三割である。これは商人が用いる大体の配当で、半上利を商品へ卸した者が、半下利を販売した商人が受け取る。そういう絡繰りである。


颯音と宿主の場合、これが逆になっていた形だ。


ところがこの宿主、とんでもないことに半上利と宣いながらほぼ全て横領していたのである。金貸しや詐欺師どころか、あるもの全部寄越せと言わんばかりな野盗如し傲慢さであった。割り振りの話も建前だけで、最初からこうする腹積もりであったのだろう。


心を構えていなければ颯音も殴り倒していた話だ。甚く銭にがめついとは思っていたが、ここまでの固執さともなれば気味悪いとしか言いようがない。


また、直接取り引きしてきた外遊での収穫でも同じだ。諸経費と宣った挙げ句に最低限宿代の小銀貨三枚だけを払っていたのだ。宿代は毎日払う必要があるから、颯音がいくら頑張ろうとも手取りは無いに等しい。


街で暮らす市井での小銀貨三枚の平均価値は凡そ三日分の飯代である。宿代として見るならば、良質の宿に相応しい値段だ。宿主の性格は別とすれば、振る舞いは悪くなく良い宿であろう。


一方、狩ってきた斧牙猪イジババは丸ごと売り捌こうなら肉だけでも銀貨十五枚、そこへ売れるという毛皮や骨や牙を含めれば、行商の相場でも銀貨二十五枚は堅いとされる。山菜などはそこまでの価値はないが、量や物によっては小銀貨三枚以上の価値にはなる。


両者の配分は先の通りであるから、宿主を介して颯音の手元に入った銭は銀貨一枚にも満たない、銅の山に銀の粒が残るような有様であった。


聞き終えてみれば無知が罪とはよく言われたもので、知識の無い颯音が宿主に騙された間抜けな構図である。


「良かったな宿主。俺が知ってた上でも面倒くさがってなけりゃァ蹴り殺してたぞ」


話し終えた宿主に颯音はそう返答をした。


このときばかり、顰め髭面の宿主は顔筋を歪めて冷や汗を掻いた。


斧牙猪イジババ咆え鳥クォーロブを蹴り殺し、首を捻り潰し、その巨体を引きずれるだけの力を持った颯音の言葉である。これまでの成果を成し得た理由を認識した後であるから、宿主を蹴り殺すことなど容易な仕業だ。


そして恩を売った娘のノエルにも感謝した。


もしノエルに恩義がなければ確実に颯音は実行していた、と宿主は声色から察したのだ。これがなければ、颯音は早々宿主の頭を砕いて、金目の物を奪い村を去っていただろう。力を認識する前だから大人しくしていただけで、彼は自身の為だけに力を使うことにそも躊躇がない。


そうでなければ、力を認識した後も目立つことに臆し斧牙猪イジババを引き摺って帰ってきたりしない。現状から進歩できる少ない選択肢の中で、一等早めに効果が出る方策を選んだだけなのだ。


通常、颯音が持ち帰ってきた斧牙猪イジババは、この村の腕利きの獣狩人達が、罠なり策なりを巡らせてどうにか狩れる獲物だ。


それをただのなんの技術もない流浪の若者が一人、罠も狩猟具もなく頭蓋を蹴砕けくだいて持ち帰ることが当人にとって、いかに顕著な状況と異質な印象を生むかは、誰の目から見ても明らかである。


颯音がそれを予測していない筈がない。自身の起こす行業が面倒事に発展するのは知っていて仕出かしたのだ。


全ては自分にとって良いと思った手段を選んだが為だ。その結果が現在の状況を生み出した。


颯音はそれを上手く操っている。周囲からの疑念の目を得た信頼で逸らし、ふと向けられればのらりくらりと別の話にすり替えて躱す。


無論一時凌ぎだ。以前から颯音は公言している通り、この村をいずれ発つことは知れた話だ。これまでの己の不審な所作を誤魔化し、最後の時までそれで通すことは誰もがなんとなしに分かっている。


故にもう気にする問題ではない。


村に貢献しているから惜しくもあるが、結局出自も分からない浮浪の奴輩でしかないのが颯音だ。腰も据えず何処へなりと消えるならそれで良いし、悪さは起こさないとの信頼がこれまでの行いが土台として築き上げられている。


不安要素と考えるのを村人達はめたの形だ。誰も追求しなくなった現状、考えて立ち回った颯音の勝利と言えよう。


話を終えた後、金の払いはどう言うわけか当初取り決めた通りに改善した。


自責の念に囚われた訳では無いだろうが、颯音はその事について考えることはしなかった。きっと心に何らかの変化があっただけなのだから。


以後、銅貨は銀貨となり手に入る金は以前に比べれば驚くほど増えた。先立つ路銀を蓄えられ、自身も行商から必要な品を得られるようになった。


準備は恙無く進んでいる。


旅立ちの日は近かった。



若者の言葉を聞いて宿主の機嫌が良いと判断した颯音は、売値がそれなりのものであったことを確信した。


「首無しとはいえ四腕の熊フィベルグの毛皮は中々人気があるそうですから…あれじゃ毛皮だけで金貨一枚はするんじゃ?」

「大袈裟だ。精々その半値…銀貨三十六か足元見られて銀貨十八の小銀貨三〇枚ってところだろ。爪とか骨とかは小銀貨一五枚の銅貨四〇枚か、良くて小銀貨二〇枚か。俺が分前は銀貨と小銀貨かまあまあ、銅貨がそれなりって感じだろーさ」


颯音の低めの予想は四腕の熊フィベルグの毛皮が夏毛への変わり目だったことに起因する。毛皮と言えば防寒衣に用いるものだ。夏毛混じりでは保温性に欠け、なまじに通気性が良くなり防寒には向かず良い品とは言えない。精々敷物として扱われるだけであろう。


爪や骨のほうの用途は颯音には分からない。売れるということは何かしらに用いることができるのだろうが、思いつくことと言えば粉にして生薬にでもするか、気味の悪い装飾品にするという程度の発想だ。


加え、四腕の熊フィベルグの肉は臭いばかりで食いでがない。塩漬けにでもして冬備えの一つにするしかないだろう。食料にもならず値打ちになるのが、人気らしい毛皮や爪しかないのなら、品質良し悪しでの高望みはできない。


現代的な観点が前提である為、颯音の中ではそのような評価であったが、門番の若者は気に食わなかったようだった。


「下手に出すぎじゃないです?毛皮も爪も傷が殆どなかったって話じゃないですか。いい値で売れてますよ。それに、あんまり自信がないと買い叩かれるって、うちの父が言ってました」

「別にお前の親父みたいにぼったくられてるわけじゃァねえんだ。分前は俺が望んだ通りにしてあるし、ノエルの親父もそれで満足してる」

「なら良いんでしょうけど…」

「欲しいのはある程度だ。贅沢な金があるのは余裕を持てることにはなるが、楽観の心持ちにもさせる。いつも何か不足している方が満たされ易くていい」


じゃあな、と言い残して颯音は村へ続く跳ね橋を渡る。


閭里という規模には似つかわしくない、人一人が余裕で入れるかなり深い堀でこの生活圏はぐるりと囲われている。


加えて堀の内側には壁がこれまたぐるりと囲んでいる。野生動物が越えられないような柵といった簡素な代物でなく、先を尖らせた丸太を差し込んで隙間なく並べた立派な外壁である。その様相は宛ら砦めいて錯覚させるに余りあるが、これらの造りは必然であった。


原因は言わずと知れた化物魔物である。あれを相手にして柵程度が何の役に立つのかと問われても誰も答えられないだろう。


故、堅牢な壁を築く以外に外敵から被害を抑えるのは不可能でなのである。一般的に住まう場所に於ける守備の脆さは破滅への一歩なのだ。


よってこの世界での人類生存圏の拡大は現世とは比べられない、多大な危険や出費が伴う。未開の地に開拓民を送り込む程度では、化物魔物に鏖殺されるが結末だ。これほどの設備を構えなければならないなら、開拓村の一つを作ることは大変な一大事業である。


同時にそれは開拓事業を携われる者にとって将来的に利益の見込みがなければ、新たな地平の開拓は中々手を出し辛いとも言える。投資に見合う見返りが確実となるわけではないからだ。


しかしユグリには目立って特産物などない。長閑な辺境の村と言い表して差し支えない場所だ。


一方で周辺には森林地帯、奥に行けば山岳地帯がある。


ここに村を興そうとした支配者は、おそらく林業や貴重な植物の発見、鉱山の開発を目論んでこの地を切り拓いたのだろう。


それが実を結ぶのはまだまだ先にように思える。少なくとも数世代は先だ。


村の生い立ちを知らないのだから、ここが他所から流れてきた移民が作った場所であるとも言えなくはなかった。


村に入るとまず目抜き通りが目に入る。地面は舗装はされておらず土は剥き出しだが、脚に伝わる感触は不自然なほど硬い。舗装資材が調達できず、また技術者が存在せず、施工の資金も工面できないこともあり、こういった剥き出しの地面が本来は一般的である。


しかし便利な魔法がこちらにはある。


主に雨の日に泥濘みを防ぐ為、地面は村人達が定期的に魔法をかけて固めている。足の裏に帰ってくる石畳めいた硬質さはその為だ。お陰で通りには草も生えない。


両脇には家屋が並び、その造りは殆ど同じ様式である。


石積みの土台に木材の骨組みは剥き出しで、その隙間を原材料不明の白と濁った茶色の壁材が埋め、切妻屋根という風体だ。現世でも見たことのある様式だが、似たような構造になるのは何故だろうか。


屋根から突き出した煙突からは煤色の煙が立ち上っていた。微かに香る香辛料の匂いが夕餉の支度を思わせ、嗅いでいるこちらの腹も空いてくる。


宿の主人が出す飯は何になるだろうか、と思い馳せながら、足早に向かうのは老婆の家だ。此度の依頼が彼女からだからだ。


口の悪さが際立つが老婆は何かと物知りであった。


どこで知り得たのか、魔法の扱いや農業、野生で採れる山菜や薬味になる香辛料類の知識、生息域を知っていた。特に薬用植物に関する知識が豊富であり、調合や処方方法などに驚くほど詳しい。怪我、病に対する薬を作れる者はとても貴重な人材だ。村人にとって老婆はいなくてはならない知恵の袋であり、とても有難い存在であろう。


かくいう颯音もそれに与った身だ。今回の主目的であった薬草採取も、老婆からの得た知識があればこそ行えた仕事だからである。


老婆の住まいは村の外れ…外壁に近い場所だ。泊まっている宿からはやや離れている。


この世界では外壁に近いということは、実のところ嫌われる立地である。いつなりと襲撃が起こり、外壁を崩されれば一目散に襲われるのはその近辺だからだ。


故、身分の高い者、重要な者が中央付近に住まいを置く。街では領主や行政で重役を担うものがこれに当たる。


老婆も知恵者として珍重される存在ではあると思われるが、今もそこに住んでいるということは何らかの理由があるのだろう。


知る気もないので聞かないが、聞いたところで大した理由で返ってくるとも思えない。


「婆ァ!採ってきたぞ!」


戸口に向かって吠えつつ、颯音は玄関扉に向かう。


「うるさいねぇ。聞こえてるよ」


反応するように扉が開き、老婆が姿を現す。片手には調理用の刃物を提げているあたり夕餉の支度の最中だったか。


肩から深篭を下ろしながら颯音は近づき、中身を見せびらかすように差し出した。老婆がそれを覗き見る。


「どれ……おや?肉はないのかい?」

「草毟りに行ったのに、肉があるわけねーだろうが」

「ついでで穫れるってほざいてたじゃないかい」

「ついでなんだから穫れてねーんだろうが。欲しけりゃ自分で狩れ、魔法が得意なんだろ?びゅーん、ひょいってよ」

「あん?なんだいそりゃ?半日で呆けたのかい?」

「昼間お前が言ったんだろーが痴呆婆ァ…!」


軽口を叩いてから揃って家に入る。漂うのは腹を空かす仄かに甘い匂いだ。


竈を見れば釣られた鉄鍋の中で湯が煮だっている。沸騰するそれには長青菜クェイナが浮かんでいた。老婆が裏庭で自家栽培した臭い消しにもなる野菜だ。


似たような野菜である現世の葱と元来の姿はまるで似つかぬが、斧牙猪イジババなどの野生生物が持つ主張の強い野趣味を消すなど、その用途に大した違いはない。


ここらでは汁物によく入れられている。野菜特有の甘みが溶け出して香りを与え、煮れば噛まずに飲めるほど柔らかくなるからだ。そのまま焼いても美味いが肉がある場合だけであまり好まれない。


ちなみに長青菜クェイナは花菜類である。


名の通り茎よりも長く青く長い花弁が食用になる菜だ。開花と蕾の状態では味が変わる野菜でもある。


味付けは基本的には塩のみである。老婆曰くだが、この地域の山菜は独特な風味を持つものが多く、調味料が混在すると味の均整が損なわれると言う。個性が別々になりすぎて相性が悪いのが多いのだ。


塩というが塩木と呼ばれる海岸に生える木が原料である。煮出して湯に塩を溶かし、その湯を全て蒸発させると塩分が凝固して見知った結晶が得られるのだ。そのまま舐めると塩辛さと共に苦味…木を齧ったような味がする代物でもある。


無論、陸に海水を引き込んで溜めた海水の池を天日干しにして塩の結晶を作ったり、海水を大釜で炊いたなどの過程を経て既に精製された良い塩もあるのだが、内陸で産出地から遠方にあるこの村では基本、塩木が好まれ自分たちで塩に変える。火を焚く燃料は森の際を歩くだけでも手に入るからだった。


精製塩は他にも単に値が張る、という理由もあるが、田舎暮らしは質素な生活が求められる。辺鄙な田舎で良い品質を求めるのは贅沢を意味するし、贅や便利を求めることは愚かだという風習がこの村の根幹にはあるのだ。自分たちでできることは自分たちで行うのだ。


それに塩は食に置ける用途が広い調味料である。故、多少の雑味はなど気にしてられず、問題にあげることなどない。


あれば良い。これが主なのだ。


左様な粗雑さ加減には現世の我儘な人間なら辟易することだっただろう。だが、颯音は野趣のある村の料理を「これはこれで味がある」と納得できていた。腹に納まれば濃いだの薄いだのでは、がたがた文句も言わぬ貧乏舌なのである。どのような味でも、異国情緒な風情があると考え籠められる姿勢があるのだ。


贅を凝らして無駄に高値になった料理などを、漫然と「美味い」としか評せない性格である。繊細な味の具合など、些末でしかない。


塩木は束ですら銅貨で買える非常に安価な代物である。入手方法を行商人に問えば、塩木は低木であり雑草の如く海岸に茂る為、枝なら幾らでも手に入るという。旅の最中でふらりと海岸に寄って行き、自分で拾えば元手は只である。


木材自体が塩をよく吸うので、煮て精製される量は海水を焚くより多い。しかし、とても多いというわけでもない。掌の上に小山が堆くなるぐらいを得るには、塩木の小枝が五本ほど必要なのだ。


海水を吸った木片を齧らされたような味を思い出していると、鍋を眺めていたからか老婆がこれ幸いと口を開く。


「丁度いい坊主。飯喰わせてやるから、虚茸マーメゥを鍋に刻んで入れとくれ。あたしゃ根婦森ロッコの首根っこをひん抜いてくるよ」

「首を捥ぎ取る?何だ急に…穏やかじゃねーな」

「頼んだよ」


考え事をしていてあらぬ聞き間違いした颯音に修正の言葉もくれず、素知らぬ顔で老婆は乱暴に調理刃物を投げよこした。颯音はそれを左手で刃先を掴み取る。老婆は表に出ていった。


見送りつつ颯音は先の言葉を考える。


誰の首がこの鍋に加えられるのだろうか?老婆に殺意を抱かせるほどの理由を与えるなど、とんでもない奴も居たものである。いや、それ以前に人の頭を夕餉として他人に供するとは流石は魔女ということか、夕餉の献立は恨み辛みの闇鍋と名乗れるに違いない、と盛大に馬鹿な勘違いしながらも、颯音は仕方なく深篭から虚茸マーメゥを取り出し、湯気の上で刻み始めた。食わされる側なのにまるで動揺しないあたり、今の颯音は思考力すら失した阿呆であった。簡単に言えば疲れているのだった。


肉でも野菜でも山菜でも茸でも、ここらでは刃物で刻んで鍋で煮込むものである。手で割いたりはしない。


以前、今と同じように調理の手伝いをした時、手で千切って鍋に投じていたのを老婆に貶された。


曰く「調理もできないのかい」である。料理で調理道具を使わないことは、どうも野蛮人と見做されるようなのだ。現代技術を使えない懐古的な老人を貶す若者のような言い分である。


その割に麦練焼ヌレ(この世界で言う発酵過程のない麪包パン)を埃だらけの食卓にそのまま置くのだから、颯音にしてみれば得も言えぬ気持ちである。


とは言え、それは颯音の感性だ。


固形の麦練焼ヌレを、汁物でもないのに皿の上に態々乗せる理由がない。固くて美味しくもない口の水気を奪うだけの腹に溜まるが精々な、付け合せ程度の食い物には贅沢な待遇なのだ。



外遊で得た収穫は、実質的に颯音の財貨であると言える。


本来ならば手に入った素材諸々は宿に納めたり、村人と物々交換で何かを手に入れるのだが茸の一つぐらいは問題ない。


寧ろ茸一つで晩飯にありつけるのだ。安いものであろう。


と言いたい所だが、今回は老婆のお使いである。化物に襲われる危険を背負っての草毟りの対価が、一食と考えると割に合うと言えるのだろうか。いや、言えない。


便利に扱われることだけは避けなくては、とは思うものの、しかし世話になってる手前、高慢に振る舞うわけにはいかない。正確には老婆に対してではなく、厚意を与えてくれた老婆の孫であるノエルに、だ。


ノエルと老婆は傍目見ても仲が良い。度々(冗談も含むとしても)喧嘩すると頬を膨らませて怒るのだ。年相応な人物故に、宥めるのも大変な相手である。


それに大変な恩義があるから、彼女の不信を買うことは好ましくはない。もし何らかの理由で拗ねて宿に泊まる口実が取り払われれば、余りにも痛い失態である。


颯音は水蒸気で蒸れた手を気に障りつつ、鉄鍋に虚茸マーメゥを刻み入れ終わる。


虚茸マーメゥは名の通り倒木の虚に束生する、四から五の柄と小振りな傘をもつ茸だ。全体的に柄まで茶褐色で大概は掌の大きさのものが多い。


賽の目に刻まれた虚茸マーメゥは、沸騰して激しく泡立った水面の上で揉まれている。それをじっくり見ていると、出汁が染み出したのか、鉄鍋から香る微かな甘い匂いに変化が起きた。


大概の調味料には味などを察せる匂いがある。しかし、これは食欲を唆る匂いだ。俗に言う旨味である。


虚茸マーメゥはこれがあるからいい。ほぼ主食と言ってよい汁物に虚茸マーメゥ長青菜クェイナが入っているだけで質素に見える食卓も上質さが浮き上がる程である。更に肉が入っていれば、尚の事文句もない。


今の所、この異世界で美味い食べ物といえば咆え鳥クォーロブの咽喉嚢と首肉を颯音は挙げるだろう。その次辺りに虚茸マーメゥが好みな味を持っている。斧牙猪イジババ長青菜クェイナですら野性味が強く残るので、肉をがつんと食べたい時にしか好めない。


「…」


良い匂いを嗅いでいると、体が空腹を一層強く主張してくる。胃の当たりが収縮したような感覚が胸に表れるのだ。


料理の完成が待ち遠しい。


しかし飯を食わせてもらえるとはいえ、老婆は一人暮らしだ。鉄鍋は一人用である為、食べても大した量にはならないだろう。ここで多少食べたとしても、育ち盛りな颯音の腹は然程も膨れはしない。


もとより宿に戻って夕餉にするつもりだったので、足しに食べさせてもらえるだけで充分である。


少しして老婆が戻ってきた。手に下げているのは土を落とした根菜のような何かだった。


無数に絡まった根の先に肥大した凹凸の多い地下茎があり、細かい毛のような根が更に多く生えている。


見た目は馬鈴薯に似ている。


「刻んだぞ婆ァ…それでそれはなんだ?首を捥いでくるんじゃァなかったのか?」

「あん?なに馬鹿なことを言ってるんだい」

「首根っこを引き抜いてくると言って出ていっただろう?」

根婦森ロッコの首根っこって言ったんだよ馬鹿垂れ」

「そうだったか?まあいい、どうするんだそれは」

「こっち来な」


老婆が手招きしつつ、調理台に足を向けた。颯音は付いていき隣に立つ。


「土は洗っておいたから、これの皮を剥いておくれ。生えている根も除くんだよ」

「なぜだ?」

「腹がくちくなるさね」

「へえ…」

「なんだい?」

「いや、何…似たようなものがこの世界にもあるんだなと思ってな」

「ふうん?坊主の世界にもあるのかい?」

「あぁ、寒い土地でも痩せた土地でも育つから、各地で飢饉を凌ぐために他所から持ち込まれて栽培されたものだがな。地下だから病気にも罹りにくい。今じゃ誰でも食えば好物だ」

「ほお、不思議なことさね。根婦森ロッコはここら北の寒がりな地じゃ麦穗セーテより大事にされる。ここいらは土の力も強くないから、花咲の頃から青葉の頃にしか作物が育ちにくいし、稔穂の頃は短いくて雪重の頃は長いからね」

「似たような環境では似たようなものが生まれるということかも知れんな…いや、俺の世界の代物は寒冷地が出自ではなかったかな?覚えてないな」

「ま、人がこんな辺鄙な場所に住んでいるのなら、草木も然りじゃないかい?」

「うぅん…」


颯音は視線を馬鈴薯…根婦森ロッコに目を向けた。


姿形に差異は殆ど無いように思える。現代の精密な機器を用いて解剖し、解析してみれば、成分、構成物質などが同じが同じでないか、似ているかそうでないか、事細かく解明できるのだろう。が、それにしても異世界なのに似たような物があることは不思議としか颯音は捉えられない。


しかし老婆は話した。異なる理があり、異なる筋があり、異なる常理でこの世界は在る、と。


であれば、似通っているようなものが在ることは不思議であるが、また当然でもあるのかもしれない。経緯は違えど通ってきた筋が似ていれば、同じような姿になるのやもしれない。


この世界の自然は現世の世界に似ている。それは颯音が過ごしていて、共通する点がいくつも見受けられるからだというのもあるし、こちらの常識がここの常識に通じうる部分が多少なりともあるからである。


そも、颯音の眼の前にいる老婆は、この世界の常識を前提にしたとしても、現世の世界に置ける老婆と呼べる姿形に全く差異はない。


曲がった背筋も、見にくくなっている目も、低く嗄れた声も、皮膚垂れで皺塗れの顔も、老化による肉体の衰え方も、経験を積み上げた年嵩者な雰囲気も、何もかもが変わりない。


「(魔法があるだけで、違う経緯があるだけで…この世界は俺の世界とは全く別物ではない。不思議だ…なんでこんな世界が在り得たんだろうか?いや、木っ端個人が考えても仕様もないことか)」


誰かが考えることは誰かが思いつくように。今在る世界の他に、別の世界が存在することは不可思議ではないのだろう。


それこそ神とやらの采配の領域なのだ。

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