最終話 誓い

 帝は、すぐにその決定を聞かされた。

後で、変なタイミングで、望まぬ人物から聞かされるよりずっと良いだろう、と、いう尚哉の判断だ。


 帝は、何故だかわからないまま、泣いた。

そうなることはわかっていたはずなのに、どうして泣くのか理解できないまま、子供の用に泣きじゃくった。


 その時、帝についていたのは、塚本だ。

桔梗は、駆け付けたくとも、不可能な状況だった。


 泣き疲れて眠ってしまった帝。

夜中に、菊乃が睡眠薬を服用して就寝したことを確認してから、公苑塚本がそっと連れ出し、追家へと送り届けた。


 「帝様、どうか、桔梗様の言葉を、信じていてくださいね。」

塚本は、目が覚めてからも呆然自失としている帝へ、それだけを告げて、桃院家へ戻って行った。


 それから二週間後、菊乃が帰宅したことや、結婚が決まったことから、桃院家の中は慌ただしく。

桔梗は、卒論を書くために多忙で、追家での調整が中止となり、帝は桃院家を訪問した。


 「あら、今日はあなたがいらっしゃる日だったのね。桔梗さんの結婚の準備で忙しい時に。本当に困ったものね。」

菊乃は、尚哉の想像通り、桔梗の結婚のことをこれ見よがしに帝へ話した。


 「お邪魔して、申し訳ありません。」

帝は、決して反抗的な態度を取らない。

そのことが余計に菊乃を苛つかせていた。

「…早く済ませて頂戴ね。」


 桃院家当主の妻が、絆師に対して取ってよい態度ではない。

しかし、挙式が済むまでは、桔梗の母親としての務めを果たしてもらわねばならない。

尚哉は、そう考え、裏で妻の非礼を詫びて回った。


 特に帝に対しては、詫びたいこと、話したいことが山ほどあった。

だが、帝が桃院家に居る間、菊乃が度々目の付くところに現れるようになっていた。

そのため、尚哉は、帝と顔を合わせないようにするしかなかった。


 帝の孤独感は増すばかり。

桔梗とも会う事が出来ないまま、誕生日を迎えた。


 その日、追家に八家が集まり、追家の家族と共に帝の十四歳の誕生日が祝われた。

「「「「「「「「帝さん、お誕生日おめでとう。」」」」」」」」

「帝、誕生日おめでとう!」


 「由己ゆうきよ、こういう時は、揃えるもんだぞ。」

初代工氏郎が茶々を入れる。

「ん-、はいはい。」

由己は、どうにも機嫌が悪そうだ。

「ヤキモチか?」

旬が無遠慮に由己の腕に痛くない肘鉄を入れる。


 「違うよ。違うけど…あー、もう! ほら、プレゼント。」

由己は、落ち込んでる人間にとっては、こういう雰囲気が反ってつらいことがあるんじゃないだろうか、と、帝の表情を見て、感じていた。

しかし、それを言葉にすれば、せっかく集まっている人たちの気持ちを踏みにじることになる。

それで、憮然とした表情をしていた。


 「…あ、ありがとう。」

「開けてみろよ。」


 包装を解くと、四角く薄い透明ケースに入った軟式野球ボールが出てきた。

由己はバスケットボール部だ。

野球を一緒にやろうというのでもないだろう。

帝が不思議そうな顔をしていると。


 「じゃあ、あっしらの番だ。」

「目を瞑っていてくれる?」

冬己とき言うと、帝はすぐに応じた。


 大人たちは何かこそこそと話をしながら動き回っている。

隣の部屋に置いてあったかごを慎重に運ぶ。


 「はい、どうぞ、目を開けて。」

「…わんっ!」

「…え…」

帝が目を開けると、かごの中にちょこんとおとなしく座っている、真っ白で、もこもこな犬がいた。


 「さっきのボールはこいつと遊ぶ用。」

白い犬は、自ら帝の膝に乗り、懸命に背伸びする。

帝が恐る恐る抱き上げると、イヌは帝の顔を舐めた。

「わん!」


 「かわいい…」

久しぶりの帝の笑顔に、その場にいた全員がつられて笑顔になった。

「名前を付けてあげてね。」


 白くて、もこもこで、ふわふわで、あたたかい。

晴れた日の雲を思い浮かべた。

日干しした布団を思い浮かべたら、初めて桔梗と交わした口づけを思い出した。


 「クゥン?」

「早くしろってさ。」

旬がおどけて言うと。

「そんなわけあるか!」

由己が遠慮なしに返した。


 ふわふわのホイップクリームは、クリスマスに作ったケーキ。

すべてが、桔梗に結び付いた。

「綿菓子みたい。」

帝がそう言うと。

「綿は英語でコットン。綿菓子はコットンキャンディー。」

と、善が教える。


 「コットン」

「わんっ!」

「返事、したね。」

「決まりだな。」


 コットンの散歩や世話をしているうちに、帝は元気を取り戻していった。

それでも、桃院家に行く前の日には夕食を食べなかった。

当然、当日の朝ごはんも食べずに出かけるから、訪れた桃院家の客間で具合が悪そうに横になることが続いた。


 二週間に一度では追い付かなくなっていたから、一週間に一度のペースになり、一九八九六月、ついに帝は桃院家の玄関先で倒れた。

公苑家の者がすぐに医者先生を呼び、客用の離れで診てもらうと。

「貧血と軽い脱水。それから栄養失調もありそうですね。」

「この子、ずっと食欲がなくて。」


 「…無理にでも食べさせないと、身体がもちませんよ。点滴を打ちますが、あくまで応急処置ですから、おかゆでも何でも、食べられるものを食べさせてください。」

近くで見ていた塚本は、門倉に状況を桔梗へ伝えるよう言いつけ、自分は尚哉に報告へと向かった。


 報告を受けた桔梗は、まっすぐに台所へ向かった。

近くにいた料理担当の公苑の者へ声をかけると、既に帝用に料理を始めていた。

「私が作りたい。続きを、どうすればいいか、教えてもらえないだろうか。」

「はい。もちろんです。」


 尚哉は、菊乃の行動を抑えるべく、公苑に指示を飛ばし、自らは居室に向かった。

菊乃が居室に居れば、自らその場で抑えるつもりだった。


 しかし、菊乃は居室に居ない。

どこにいるか、報告では春芽の部屋にいるということだった。

どうやら、帝が倒れた事には気が付いていないらしい。


 「菊乃を春芽さんの部屋から出すな。絶対に、だ!」

そこへ菊乃が顔を出す。

「奥様、お部屋へお戻りください。ただいま危険物が持ち込まれた可能性があり、屋敷内を捜索しております。春芽様と共に、こちらでお待ちください。」

大山と、門倉が菊乃の視界を遮るように立ちはだかった。


 「まあ、大変! お義母様、奥へ参りましょう。」

春芽は結婚の日取りが決まって以来、菊乃をお義母様と呼ぶようになっていた。

菊乃は、春芽にそう呼ばれると機嫌が良くなる。


 「ええ、そうしましょう。」

と、素直に応じた菊乃。

春芽は菊乃をいたわるように、背中に手を添えていた。


 桔梗は、料理担当の者が作りかけていたおかゆを引き継ぎ、完成させると、帝がいる離れへ自ら持ち運んだ。

「帝!」

医者先生は、公苑家の血縁者だ。

桔梗と帝のことについても承知している。


 「桔梗様、もしかして…」

「教えてもらいながら、作った。」

「帝様! 起きてください!」

塚本が帝を無理に起こそうとするのを、医者先生は止めない。

「いまこの子に一番効果のある薬は、間違いなく桔梗様がお持ちのそれですから、どうぞ、食べさせてあげてください。」

と、点滴の速度を緩めた。


 「帝!」

「…桔梗…さま…」


 帝は、桔梗に食べさせてもらうおかゆを、ゆっくり噛みしめ、最後まで食べきった。

「偉かったな。」

そう言って、桔梗が頭を撫でると、帝は。

「ありがとうございます。」

と、弱々しく微笑んだ。


 「桔梗、部屋へ戻りなさい。」

尚哉がやってきて、桔梗へ告げた。

「帝、ご飯をちゃんと食べるんだよ。」

「…はい。」

桔梗は帝を抱きしめた耳元で。

「ただ一人、愛しているのは帝だからね。」


 帝は、怒りを抱えて自室へと戻って行った。

この時二人が対面したのは、二十分弱だ。


 桔梗が自室へ戻ったことを確認すると、大山は足早に帝のいる離れへと向かった。

「あとは私が。お前は、旦那様に。」

「はい。」


 「帝様、車へお連れします。」

「すみません。お手数おかけします。」

「点滴は?」

「持って行きましょう。」

帝が桃院家を訪れていたのは菊乃も知っていたが、帝が倒れた後のことだけを、まるで何も起こらなかったかのようにしてから。


 「奥様、安全確認が取れました。」

「それで、なんだったの?」


 「カラスが落としていったゴミの残骸だったようです。」

「それだけ?」

「何があるかわかりませんし、不審物を一つ見かけたら、屋敷全体を確認する決まりですから。」


 「それもそうね…。なんだか変な汗をかいたから、お風呂に入りたいわ。」

「支度が整いましたらお呼びいたしますので、お部屋でお待ちください。」

「お願いね。」


 その後、桔梗と帝は、手紙のやりとりをするようになった。

互いに見つからないよう、読み終わった手紙は必ず処分する。

公苑家は書類を抹消する際、燃やさない。

燃え残りがあると面倒だからだ。

必ず、煮溶かす。


 帝にも必ず煮溶かすよう、方法を丁寧に教えた上で、手紙のやり取りを行うようにした。

そうでもしないと、また帝が倒れるかもしれない。


 桔梗は、一時期大学の単位をわざと落とすなり、大学の卒業を先延ばしにする方法を検討したりもした。

しかし、それは菊乃の神経を逆なですることになる、と、尚哉が制止した。


 桔梗は、卒業に向けての課題を済ませる度に憂鬱になった。

卒業確定後は、挨拶回りに明け暮れることになる。

帝と会えないままで式を迎えることにだってなりかねない。

それだけは絶対に避けたかった。


 今年、祝うことが出来なかった誕生日を、来年は祝いたい。

十五歳、中学卒業の年だ。


 帝は、倒れた時、痩せすぎて痛々しい状態だった。

元々細身だったし、食べないままで活動は通常通りだったから、短期間でみるみる痩せていた。


 桔梗と手紙をやりとりするようになり、以前よりも食事の量は増えている。

コットンの散歩も続けているから、体重の戻りは緩やかに戻っている。


 特に最近は、桔梗の手紙に。

『脂肪がついていて柔らかい感触の方が好きだ。』

とか。

『抱きしめた時に、少し反発があるくらいがいい。』

だとか、暗にもっと太れ、と、書かれているものだから、帝は一生懸命に食べている。


 桔梗は、読んだ後に処分されることがわかっているから、手紙の内容に遠慮がない。

『あのクリスマスの夜に交わした口づけを思い出して、唇に触れている。』

だとか。

『一緒に眠った時、繋いでいた手の感触が、ふと蘇る。』

とか、読んでいてくすぐったくなるようなことばかりだ。


 帝は、読んでいても書いていても恥ずかしくなる。

言葉として発することには抵抗がないが、文字として目に入るとどうやら恥ずかしいようだ。


 帝の手紙の雰囲気からそのことを察しているのか、桔梗は執拗に、帝が恥ずかしくなりそうな言葉を選んで書いている。

と、帝は感じていた。


 過去に起きた出来事の話が尽きてくると、今度は未来の話が始まった。

帝は、キスの先にあることを、知らずにいたから、初代工氏郎に訊ねる。

と、実に懇切丁寧に教えてくれ、おかげでその夜は一睡もできなかった。


 二人が次に会う事が出来たのは、一九九〇年三月三一日。

帝一五歳の誕生日だ。

何としてもその日に会うために、桔梗は他の日を犠牲にした。


 帝は、未知の行為に過剰反応してしまい、終始、ギクシャクしていた。

そもそも、まだ一五歳の帝に対して、まだ早い、と感じていた桔梗は、帝を落ち着かせることに徹した。


 「いまここに存在していてくれて、ありがとう。」

桔梗が心から伝えたその言葉は、帝にとってかけがえのないものだ。


 桔梗の誕生日には会えないことがわかっていたから、帝は自分の誕生日の時に、桔梗を言うと決めていた。

もし、桔梗が求めるのが、自分と交わることならば、それを叶えたい、と、考えていた。


 けれど、桔梗は。

「帝が大事だから、いまはまだ『その時』じゃないと思う。」

「『その時』って、いつですか?」

「それはね、私の為にそうしたいというのではなくて…本当に、心から帝自身が望んで、そうしたい、と、感じた時だよ。」

と、言った。


 「桔梗様は、いま、したくないですか?」

「それを聞かれると、少し困るな。」

「本当は、したい、ですか?」

「う~ん…。したいけど、帝が心から望んだ時にこそ、したい。伝わる?」

「なんとなく、わかるような気がします。」

「うん。なんとなく、で、いいよ。」


 桔梗が求めたプレゼントは。

「満足するまで「好き」と、言い続けて欲しい。」

何度も言っているうちに、帝は顔が真っ赤になり、恥ずかしくてたまらなくなった。


 そうなったら、帝が一度落ち着くまで待ってから。

「もう一回。」

と、桔梗は要求した。

帝は、『可愛さ余って憎さ百倍』を少し理解できたような気持ちになった。


 十五歳と二三歳になった二人が次に会えたのは二か月後。

五月の下旬だった。

その時には、ほとんど時間がなく、ほんの数秒抱擁を交わしたのみ。


 その次は、八月の上旬。

春芽の両親が菊乃をお茶会に招待した日で、不在のタイミングに、尚哉が帝へ急いで来るよう連絡した。


 その日は、とても暑くて、薄着で汗ばんだ服が透けていた。

桔梗が、煽られて飛びかけた理性を取り戻した時には、帝が身体を震わせ、下腹部当たりをおさえていた。


 「ごめん…俺が、するから。」

そう言って桔梗は帝の恥部を露わにして、優しく解放へ導いた。

身体を拭いてきれいにすると、背後から帝のことを包み込んだ。


 帝はそのまま寝てしまい、桔梗は湧き上がる愛しさを持て余し、ため息には聞こえないほど長い吐息を漏らした。


 あと二か月ほどで、結婚式だ。

桔梗は逃げ出したい気持ちに駆られている。

帝を連れて、どこか遠くへ…


 いや、きっと他に何か方法がある。

桔梗は、常に可能性を追求してきた。

探し続ければ、きっと見つかる。


 桔梗の結婚式の一週間前。

桔梗が夜中に桃院家を抜け出した。

追家にいる帝を連れ出し、普段使われていない桃院家の別荘を訪れた。

 

 海の近くにある別荘は、波の音が聞こえる。

日付が変わった十月十日。


 「いまからずるいことを言う。」

「…はい。」

「結婚する前に、帝と繋がりたい。」

そんな言い方をすれば、断れなくなる。

本当に望んでいなかったとしても、望んでいるふりをするかもしれない。

それがわかっていたから、桔梗は『ずるい』と表現した。


 「同じ気持ちです。」

帝の目はまっすぐで、迷いがない。

けれど、桔梗は不安になる。

「本当に?」


 「八月のあの日…私は、情欲を知りました。」

桔梗は驚きで声が出ない。

「桔梗様が言う『本当に望む』の意味を…、あの時、知りました。」

「帝…」

「だから、いま、心から望んでいます。」


 布団からはぎ取った真っ白いシーツを帝の頭にかぶせる。

それは花嫁のベールの役割。

口づけを交わし、桔梗が告げる。


 「私は、春芽と結婚する。だが、それは形式上のことだ。私が本当に愛し、人生の伴侶と思うのは、帝…あなただけだ。」

「はい、桔梗様…」


 桔梗は、帝をぐしゃぐしゃのシーツごと布団の横たえると、存在そのものを確かめるように、指で触れては唇でなぞった。

髪、額、眉、瞼…

見つめ合い唇を重ねる。


 鼻筋、頬、顎、耳…

首筋、鎖骨、肩。


 そうしていくうちに、互いの心臓の動きが速まり、体温が上がる。

交わす口づけが熱を増し、一人の境界線が曖昧になっていく。


 そのあとは、ただ熱くて、愛しい想いが部屋全体に溢れているような感覚の中を、二人揺れていた。


 同性同士、帝はまだ十五歳。

実際には結婚することなどかなわない二人。

けれど、絆の繋がりも、心の繋がりも他の誰よりも強い。


 まだ、本当の幸せではないかもしれない。

それでも、桃院桔梗と内田帝は、互いの全てをかけて、共に生きる、と、この時、確かに誓いを交わし合った。


~誓い編~

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呪われた一族出身者が幸せになるまで~誓い編~ しろがね みゆ @shiroganemiyu

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