第十話 転じる展開

  菊乃は、頻繁に入退院を繰り返すようになった。

静養のために、しばらく療養地で過ごすよう、尚哉が提案する。

と、思いの外素直に話を聞き入れ、菊乃は温泉のある療養地へ滞在することになった。


 「三か月ほど、療養して参ります。」

そう告げて発った菊乃を見送るや、尚哉は追家へ連絡し、帝を連れてこさせた。


 「帝さん、今後三か月間、ここに住むと良い。」

帝は、突然の提案に驚くも、初代工氏郎は。

「もう、お前さんの荷物は持ってきてある。」

と、片方の口角を上げた。


 「旦那様、帝様のお部屋。支度が整いました。」

「ご苦労。」

「客人が泊まる際に使用する離れを、帝さんの部屋として用意したから。」

「あ、ありがとうございます。」


 桃院家は、敷地こそ広いが、家屋そのものはそれほど大きくない。

だが、それはあくまでも外側からそう見えるだけだ。

桃院家の屋敷の中枢は、地下にある。


 桃院家の地下には、膨大な量の文書を保管するスペースがある。

核シェルター並の堅牢な造りになっていて、防火防水対策済みだ。


 外部からの侵入を防ぐため、常に見張りが付いており、休憩可能なスペースがそばにある。

飲食ができるエリアを制限し、交代制で隙なく管理している。


 それが地下三階に相当する部分だ。

地下二階は、中央制御室があり、機器類が集中している。

地下一階部分には居住区画が配置されており、公苑の者達は主に地下一階で生活している。


 出入口は、離れの一つだ。

日常生活を送っているように見えて、地下への出入り口を常に警備している。


 公苑の一族は、忍者を祖としている。

忍術以外にも、あらゆる武術をとりいれ、桃院家を守るために尽くしてきた。


 地下一階には、公苑家が主に使用する訓練場もある。

広場のような場所もあり、地下の閉そく感を感じにくい設計だ。


 地下一階の一角には、桃院家が使用する部屋や、隠し通路がある。

内田家も使用する、実質地下牢のような部屋の他に、当主の書斎や、仮眠室があるのも、地下一階部分だ。


 来客用の離れは、独立しているが、地下にも部屋がある。

桃院家は、いつ襲われてもおかしくない家であるが故、目的はシェルターだ。


 二階建ての家屋よりもかなり広い。

地上に全てが露出したら、大豪邸と言うより、要塞に見えるだろう。


 帝には、この機会に桃院家の全てが明かされた。

ただただ驚くばかりの様子を見せる帝に、尚哉は。

「今後、菊乃が暴挙に出た場合に逃げ道を把握しておいてほしい。それに、菊乃が在宅時にでも、抜け道を使えば桔梗と会うことが出来る。」


 「…あの…」

声から困惑があふれ出ていた。

「どうした?」

「ご当主様は、本来、桔梗様と私を会わせたくないお立場なのでは?」


 「そうだな。だが、名家には名家なりの生き残り方がある。」

「旦那様、その話は…」

公苑大山が、尚哉を制止した。

「ああ、わかっている。…とにかく…私は、桔梗と帝さんの味方だ。何があっても。」


 「何があっても、ですか。」

「ああ、そうだ。」

「ありがとうございます。ご当主様。」


 帝は、あちらこちらのお宅に、長期、短期でお世話になっているため、もはや人様のお宅に滞在することに抵抗がない。

寝具が変わっても、洗剤の香りが違っても、問題はなかった。


 狭い範囲ではあるが、放浪生活を送っているようなものだ。

一所にずっと続けて居続けたことがない。


 その点で、帝は恵まれているのかもしれない。

本当の家、と、呼べるような、生まれ育った家がない者は、人が家になる。


 自分のことを。

「おかえりなさい。」

と、迎えて欲しい人間のいる場所が、家。

どこにいても、自分自身の心が安心しているその瞬間が家にいる時間だ、と、考えられる。


 桔梗は、自宅で過ごす時、一日一回は、庭を散歩した。

運動不足にならないための日課だ。

来客用の離れから庭が最も美しく見える設計になっているから、近くにあるベンチに腰掛け、庭を眺めるのが好きだ。


 母が家を発つ日、見送らなかった。

病気を持って産まれた自分のことを、育ててくれたことは感謝している。

しかし、桔梗の人生は桔梗のもの。


 たとえ、家を捨て、生きたいように生きると言っても、それは桔梗の自由だが、母はそれを許さない。

そんな母から、解放されたい、と、願っていた。


 「桔梗、話がある。」

「…はい。」

「庭を歩きながら話そう。」

「わかりました。」


 尚哉の後をついて行くつもりでいた桔梗だが、尚哉に促され、桔梗がいつも歩くように歩き、尚哉は半歩下がって桔梗について行く形で歩いた。


 「私は、桃院家の当主として、次期当主であるお前に、継がなくて良いとは言わない。」

「…はい。」


 「だが、私は、お前が会いたい人に会う事を、止めはしない。」

「はい。」

桔梗は、尚哉のこれまでの言動で十分にわかっていた。

改めて言葉にされると、目頭が熱くなる。


 「我が家は人の出入りには過剰なくらい敏感だ。」

「ええ、そうですね。」

「例え、当主の妻であっても…。いや、当主の妻だからこそ、突然帰宅して乗り込むことは不可能だ。」


 尚哉が言い終わるのとほぼ同時。

来客用の離れの前に辿り着いた。


 話し声に反応して、帝が部屋の中から顔を出した。

「ご当主様、桔梗様。」

お辞儀をする帝に、桔梗は驚き、振り向く。


 「私は仕事に戻る。」

尚哉は微笑み、踵を返した。


 桔梗は、大学に在籍しているが、自分の身体のことを理解しているから、最初から通信教育課程を選択して受験した。

大学の勉強はほとんど家で行っている。


 桃院家としての役割は、今後、不要になる可能性がある。

絆師の数は年々減っていて、内田家としては家業を廃業するような状態だ。


 桃院家には、元々、表向きの事業がある。

大店だったから、人脈もあり、絆師の管理を担うようになったのだから、商売の方が先にあったのだ。

絆師としての仕事がなくても、絆師達を支えられるだけの財力があったから、桃院家は絆師を取りまとめる存在になった。


 今後、絆師の数が減って、絆師の仕事を請け負う機会が減ったとして、公苑家の面倒を見る役割がある。

桔梗は、桃院家の事業をより安定させ、自分が桃院家を離れても生きていけるよう、新たな事業を立ち上げようとしていた。


 桔梗は、積極的に人と会って交流をはかることが出来ない。

商談は対面が基本だから、桔梗にとっては不利になる。

だが、見方を変えるとどうだろうか。

自分に出来ることはないか。

むしろ有利に働く可能性はないだろうか。


 桔梗は、ずっと追求してきた。

家の中で、世界を相手に仕事をする方法。

何より、桃院家だからこそ、公苑家の者達がいるという強みがある。


 桃院家の当主と言う立場に縋る気はないが、責任は果たしたい。

桔梗は持病と、運命の絆を抱え、常に可能性を探し続けていた。


 そして、その道筋に、常に障害として立ちはだっていたのは、母だった。

桔梗にとって、尚哉が示した行動は、”帝と会える”に留まらない、大きな意味がある。


 「ありがとうございます!」

尚哉の背中に、桔梗が大きな声をぶつける。

尚哉は、振り返らず、手を上げただけ。


 崩れ落ちそうになった桔梗を、帝が慌てて支え、離れの中へ。

それからしばらく、桔梗は感極まり、帝の膝枕で涙を流し続けた。


 帝の滞在している離れは、桔梗が入っても問題ないよう、徹底的に清掃され、温度管理もされている。

だが。

「帝、すまない。足が冷えてしまっただろう?」

ずっと同じ体勢で、血流が悪くなるうえ、桔梗の涙にぬれた衣服。

太もものあたり、どれほどの範囲で涙がしみ込んだかはわからないが、太い血管のある位置まで濡れていれば、全身が冷えるはずだ。


 「風呂を沸かそう。」

客用の離れとは言え、他の離れと構造は似ている。

桔梗は、迷いなく行動した。

「これを膝にかけておくと良い。」

浴室から戻ってきた桔梗は、厚手のバスタオルを手にしていた。

「ありがとうございます。」


 風呂で身体を温めた後、桔梗がどうしてあれほどまでに泣いたのか、その理由として桔梗の考えを聞いた帝は、ますます彼に惹かれる。

ただ、その思いが、絆に引きずられているものなのか、本当に自分自身の心からの思いなのか、わからない。


 帝が桃院家に滞在するようになってから、二週間。

クリスマスの日。


 帝は数日前から冬休みに入り、桔梗と一日中共に過ごす毎日を送るようになったが、それでも、夜になると、桔梗は自室へ戻っていた。

朝はあまり体調が優れない日が多い桔梗の部屋へ、帝が朝食を運ぶ。

すると、桔梗はそれまでに比べ、格段に調子良く一日をはじめられた。


 周囲の者も、つられて表情が明るくなる。

菊乃が不在の影響もあった。


 菊乃は、常に眉間に皺を寄せ、朝から不穏な空気を蔓延させていた。

帝のおかげで、雰囲気が明るく、桔梗も好調。

ずっと、こんな毎日が続けばいいのに、と、感じた者が多数いた。


 春芽は、菊乃が発った直後に生家に戻り、時折菊乃の様子を見に行く、と、尚哉と桔梗に伝えていた。


 八家の者は、頻繁に桃院家を訪れ、桔梗と帝の間にある絆が強くなりすぎないように調整している。

それでも二人の関係は変わらない。


 ある日、爰広ここひろ少吉が。

「芯のある絆は、芯の内側に本質があると思わないか?」

と、一緒に作業をしていた宗広に問いかけた。


 周囲にまとわりつく絆の糸をいくら取り払っても、二人の関係性に変化がないという事は、そう考えるのが自然だ。

「そうなのかもしれませんね。」


 桔梗と帝の間にある絆は、それぞれの命の絆と呼ばれる絆に癒着している。

その絆を切れば、命を落とす。

ふみが最初にその絆を目にしたとき、どんな心境だったのだろうか。

と、八家の絆師は皆感じているが、実際に訊ねた者はいなかった。

 

 「あの、塚本さん。」

「はい、なんでしょうか?」

「クリスマスには、大切な人に贈り物をする、と、聞きました。」

「ええ。」

「私も、桔梗様に、贈り物をしたいです。」

「なるほど。」

「それで…何かを買いに出かけるのは難しいと思うので、クリスマスケーキを作りたいのです。」

「それは素敵ですね。」

「私は、料理は多少したことがあるのですが、お菓子作りは未経験です。」

「では、料理担当者に、手伝ってもらいましょう。」

「はい、それで…」

「はい?」

「塚本さんも、一緒に作りませんか?」

「え?」

「ケーキは大きいです。二人で食べきれません。」

「そう、ですね。」

「だから、ご当主様と、塚本さん、桔梗様と私の分です。」

「…。」

「だめ、でしょうか?」


 塚本は、これまで、尚哉に何か贈り物をしたことはない。

妻と別れて以来、息子を育てるのに、料理はした。

環境としてはしなくても何とかなる。

公苑家の者がやってくれるからだ。

しかし、親が子供のことを思って作る料理は、こんな環境だからこそ、大切だと考えて、不器用ながらも出来る限り作った。

菓子作りにも挑戦した。

時折、尚哉も一緒に食べていたが、それを、とんでもなく嬉しそうに食べていた事を思い出す。


 「わかりました。作りましょう。」

「ありがとうございます!」

帝は、桃院家に滞在するようになってから、急速に表情が豊かになった。

『花が咲くような笑顔』は、本当に存在するのだな、と、感じながら、自分の口角が上がっていることに気が付く。


 すぐに材料を買ってきてもらい、菓子作りに取り掛かる。

その間、台所に尚哉と桔梗が近づかないよう、公苑家の者達に伝達した。


 帝は、想像以上に手先が器用で、呑み込みが早い。

初めてだというのに、スポンジケージがふんわりと焼き上がり、その場にいた他の公苑家の者も、感嘆の声を漏らした。


 「すごいですね! 帝様!」

「美味しそうです…」

と、思わず指を差し出した一人を。

「こら! 突くな!」

塚本がたしなめた。


 作ったのはショートケーキだ。

何個か失敗すると思って材料を多めに頼んでいたが、なんと一個目で成功してしまった。


 「あとの材料は、公苑家のケーキにすると良い。」

「はい。ありがとうございます。」

「良かったら、手伝わせてもらえませんか? 作るの、楽しくて。」

帝は、本心から素直にそう言っている。


 「はい! 今度はチョコレートケーキを作ってみましょうか?」

「是非!」

一個目のケーキは冷蔵庫にしまっておき、二個目三個目を作る。

そこで、塚本は初めて気が付いた。

最初から、残ったケーキを公苑家の者達で頂けばよかったのだ、と。


 帝にそんな気はなかったかもしれないが、塚本が尚哉へケーキを作るという行為を、塚本自身がやりたいと思っていたこと。

その想いを引き出されたような気がして、無性に恥ずかしくなる。

そして、恥ずかしいと思ったことが、更に恥ずかしくなった。


 年を取ったからなのか、立場上の問題なのか。

無邪気さが与えるものは、貴重な宝のよりもはるかに貴いのかもしれない、と、小さくため息をついた。


 夕食の時間、居間へと呼び出された尚哉と桔梗。

帝が滞在するようになってからと言うもの、ほとんど別々に食事を摂っていたから、父子がなんだか気まずそうに、照れ臭そうにしているところへ、塚本と、帝が料理を運んでくる。


 ケーキを作った後、クリスマスのごちそう作りも共に手伝っていた。

塚本と帝の昼食は、料理の途中で出た端っこの部分などを、適当に食べて済ませた。


 二人が台所に籠っている間、尚哉は塚本を、桔梗は帝を探していたが、公苑家のガードは鉄壁だった。

当主と次期当主と言えど、行きたい場所に行けるとは限らない。


 「君たち、ずっと台所にいたのか?」

「「はい」」

二人同時に輝く笑顔で返事をする。

尚哉と桔梗は、まだ酒を一滴も飲んでいないのに、一気にあおったような気分になった。

桔梗にいたっては、酒は飲まないのに、である。


 大山へは家族と共に食事を摂るように告げ、居間での食事は四人だけ。

料理を作ってくれたのだと思っていた尚哉と桔梗は。

「二本目のシャンパンを取ってくる。」

と、席を立った塚本と帝が、ケーキを持ってきたのを見て、大層驚嘆した。


 「帝が作ったのか!?」

「はい、塚本さんに教わりながら、一緒に。」


 「塚本…」

「帝様にお誘いを受けまして。桔梗さんに何か贈り物をしたい。塚本さんも、一緒に旦那様へケーキを作りませんか? と。」

酒も手伝ってか、尚哉はその場で堪らず塚本に口づけた。


 「ちょっと! 尚哉さん! なんてことを!」

塚本の動揺っぷりに。

「もう、今更良いですよ。追家で相当見せつけられましたし。」

しばらく顔を真っ赤にして、尚哉の胸元に顔を埋めていた塚本は。

顔を上げるや、やけになってグラスいっぱいのシャンパンを煽り。


 「旦那様、私にケーキを食べさせてください。」

と、座り目で要求し、尚哉を驚かせた。


 「帝、食べさせてくれる?」

「はい。」


 暖かいクリスマスディナーの時間の後、桔梗は帝が滞在している離れを訪れた。

既に布団が敷かれ、寝る準備が済んでいる様子の帝。

既に部屋の電気は消されていて、枕元に置かれた灯りが薄暗く灯っていた。

桔梗も母屋で入浴を済ませ、寝る支る度を終えている。


 「今日はここで一緒に寝ても良いかな? ただ、手を繋いで横で眠るだけ。…だめ、だろうか?」

「…だめ、じゃない、です。お布団、もう一組敷きますね。」

「私がやるから、いいよ。」


 帝は、桔梗が布団を敷く様子を見ていて、胸の内側がざわざわするような、不思議な気持ちになった。

ところどころ手伝い、布団を敷き終わると、桔梗はすぐに布団に入った。

帝も続いて布団に入る。


 「あ、電気。」

「そのままだと眠れない? 帝の顔を見ていたい。」

灯りは二つ並べて敷いた布団の真ん中あたりに置かれていて、互いの顔を照らしている。


 「大丈夫、です。」

布団の中で繋がれた手がひんやりした。

けれど、すぐにあたたかく感じるようになった。


 「あの…桔梗様…」

「ん?」

帝は、恥ずかしそうに横になったまま頭を下げた。


 「今日、ご当主と塚本さんが…き、き…」

「キス?」

「は、はい。」

「してたね。」

桔梗がクスりと笑う。


 「ちょっと、ビックリしました。」

「ごめんね。うちの父が。」

「いえ。…素敵だと、思ったんです。」


 「帝は、キスしたい?」

「…はい。キス、したいと思いました。」


 「…誰と?」

「桔梗様です!」

掛布団ごと、もぞもぞと帝に近付いた桔梗は、帝と間近で目を合わせ。

「目、つぶって…」

と、囁き、応じたのを確認してから、ゆっくりと細胞一つ一つが触れ合うくらいの速度で、互いの唇全体を重ね合わせた。

離れる時は、一瞬。


 離れていく桔梗の唇を、帝は反射的に、少しだけ追いかけた。

「もっと?」

桔梗が問いかけ。

「…はい…」


 帝が答えて口を開いたところへ、桔梗が唇を挟み込む。

口内に他人の舌が入り込む感触は、一瞬、不快に思った。

だが、すぐに心地よくなり、身体の表面が泡立つ。

桔梗は、自分自身の昂ぶりを抑えられるギリギリのタイミングで唇を離した。


 上気した熱い息を短く履き続ける帝の目は涙ぐんでおり、煽情的。

桔梗は煽られないよう、帝の額に口づけをして首元へ頭を引き寄せた。

それから、ゆっくりと髪を撫でる。


 「桔梗様…」

「うん。…おやすみ。」


 それからの二人は、わかりやすく距離感が縮まり、時折、人目も憚らずに口づけを交わした。

人目はなるべく避けるように、と、注意を受けてからは、帝が人前でするのを躊躇うようになった。

そんな変化も、愛しく感じながら、日々を過ごしていると、予定の期間があっという間に終わりに近付いていた。


 療養中の菊乃は、恐ろしいくらいに静かで、桃院家に自ら連絡をすることはなかった。

しかし、帰宅予定よりも一週間早い一九八九年三月三日。


 その日は、春芽の両親が桃院家を訪問することになっていた。

門の前に止められた車から、春芽と両親の他に、降りてきたもう一人の人物。

それは菊乃だった。


 公苑は大慌てで帝の部屋へ行き、帝と帝の荷物を全て公苑家の地下入り口から地下へ退避させた。

客用の離で、それまで桔梗と帝が使用していた布団を撤去し、予備の布団を設置。

その他、必要なことを早急に済ませる。


 桃院家では、入り口で可能な限り消毒をする。

桔梗の持病故のことだから、春芽や、その両親も当然理解していた。

菊乃は、外出から帰ると、真っ先に浴室に向かう習慣があるが、今日は客人と同行しているから、客人と同様に玄関で消毒を受けている。


 桔梗はその時自室にいたから、特に何かをする必要はない。

ただ、帝がこの家から居なくなってしまうという現実を、苦々しく感じていた。


 菊乃は、この三か月弱、慎重に事を進め、春芽の両親と接触していた。

春芽の両親は、この日。

『速まった娘の結婚式の日取りを相談するため』に、来訪したのである。


 元々は、春芽が二十歳になってから結婚することを前提として、十八歳から二十歳の間に子供が産まれる可能性について話し合う予定だった。

こうなってしまっては、後戻りのしようがない。


 桔梗はまだ大学生だから、大学を卒業し落ち着いてからが最速のタイミングだとして譲らなかった。

菊乃は、すぐにでも式場をおさえて、式を挙げてしまおうという魂胆だったが、桔梗が最大限の抵抗をした形だ。


 無情にも、結婚式の日取りが一九九〇年一〇月某日と決まった。

春芽は、話し合いの間、一言も言葉を発さなかった。

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