第九話 恋路を阻む者

 桔梗と帝が追家で、一か月に一度の絆の調整をするようになってから、四か月が過ぎた。

「恋」と言われてから、帝は桔梗のことがまともに見られなくなり、他の人と話すように話すことも出来なくなってしまった。


 そんな様子の帝のことを、桔梗はたまらなく愛しいと感じている。

帝のペースに合わせるため、桔梗は、帝の希望をなるべく聞いた。

追家も、可能な限り協力した。


 追家は、二階建ての日本家屋。

来客用の居間は、八畳間が二間続きになっていて、間のふすまを取り払えば十六畳の部屋として使える。


 一階には台所、ふろ場、洗面所、家族専用の居間、来客用の居間、客間がある。

二階には六畳間が四部屋と、四畳半の部屋が二つ。

トイレは、一階と二階に一つずつある。


工氏郎の部屋は、元々、二階にあったが、体調を崩して以来、一階にある六畳の客間に移動した。

元使っていた二階の一室は、今は空き部屋になっている。


 二階は、階段すぐ横の四畳半の部屋が帝に当てがわれていて、その隣の六畳間が元の工氏郎の部屋だ。


 階段の正面にあるトイレ真横にある、四畳半の部屋は物置と化している。

二階の部屋は廊下を挟んで三部屋ずつ並んでいて、物置状態の部屋の隣にある六畳の部屋が冬己ときの夫の書斎。

その隣の部屋が夫婦の寝室だ。

夫婦の寝室の向かいの部屋が由己ゆうきの部屋。


 帝が、同じ部屋にいるのが無理だと言えば、話だけは出来るように隣同士の部屋で、戸を開け放して会話をした。

元工氏郎の部屋と、帝の部屋だ。


「桔梗様の顔は見たいけれど、自分が見られるのは恥ずかしいです。」

と、言った時には、叫びそうになるのを堪え、悶絶した桔梗。


 一回につき、どんなに急いでも一時間は必要だから、一日の中でも変化はあった。

隣同士の部屋での会話から、同じ部屋で距離を保ったまま背中合わせで話をするようになった。


 帝の部屋は大して物が置かれていないが、いつも使っている部屋だ。

特にここ数か月は、ほとんど自宅と化している。

その場所に、桔梗が入るのは、抵抗があるということで、元工氏郎の部屋で話すようになり、徐々に距離を縮めていた。


 桔梗は全く動かない約束で、帝だけ桔梗の顔をこっそり見る時間があった。

桔梗にとって、それはそれは複雑な心境になる時間。


 背中合わせだと、帝が動く範囲が広くて明らかに動いているのがわかるのだけれど、気になってそちらを見るわけにはいかない。

動かない約束だし、目が合うと、帝が驚いてしまう。


 そうして、桔梗が細心の注意を払い、だんだん距離が縮まり、密着した背中合わせで話をするようになった。

ある時、ふと置いた手が重なり、帝は飛びのいた。


 また距離が少し開いて、話をして。

そんな一進一退を繰り返していた。


 近くで見守っていた大人たちは皆やきもきしていたが、特に善と旬の二人は顕著だった。

「まだ、手も握ってないんですね。」

絆が見える絆師は、例え違う階に居たところで、二人の距離がわかる。

一階の居間から、二階の帝に与えられた部屋を見上げるのは、首が疲れるため仰向けで絆を操作している旬が不満げに言う。


 「君ね…集中しなさいよ。」

よそ様の家で寝転がるなどできはしない、と、善は、正座のまま見上げる体勢で操作を続けている。

時折首を左右に動かして辛そうだ。


 「いっそ真上の部屋の方が完全に寝転がれるんで、楽だと思いませんか?」

旬は座布団を三枚重ね、一番上を折りたたんで寝転がっている。


 「人様の…それも目上の絆師の方のお宅で、よくそこまでできるね。」

「身体への負担。仕事の効率。諸々考えて、このやり方をしてるんです。僕がやれば、善さんもやりやすいでしょう?」

ただのお調子者のように見えて、その実、かなり人を気遣っている。


 「…君、随分モテるだろう?」

「ああ…モテますけど、絆をガードしますんで。」

既に結ばれてしまった絆を、自分で操作することは出来ない。

だが、結ばれる前なら、結ばれないようにすることは可能だ。


 帝も、桔梗との絆があまり強固になりすぎないよう、現に使用している。

だが、寝ている間は無防備になり、完全に防ぐことは出来ない。


 「ほお、一途なんだな。」

「ええ、もう、奥さん一筋です。」


 話ながらも、しっかり絆の調整をしている。

絆の操作は、手の動きを伴う者もいるが、念力で行うようなものだから、動きを伴わずとも出来ることだ。


 「帝さんは、僕が見ていた頃とだいぶ変わりましたね。僕みたいな人間からすると、帝さんは感情の起伏がなさ過ぎて困惑しましたが、いまじゃあ見ていて楽しいくらいだ。」

楽しそうに話ならも、旬はきっちり仕事をしていた。


 「旬くんが見ていた頃は、帝さんが二年生の時だったか?」

それも、かなりの訓練を積んでいるのがわかる。

だから、本当なら注意は必要ないが、いわゆる戯れの会話が自然に成立していた。


 「ええ。最初に会った時に笑ったので、感情表現ができるんだな、と、思ったら、最初だけで。そのあとは、まあ、何を考えているのやら。」

工方くがた旬と言う人間は、人当たりが良く振舞っているだけで、実直で堅実なのかもしれない、と、善は内心感じていた。

「私のところに来た時も、そんなものだったよ。君が見ていた次の年だったからね。」


 「帝さんが六年の時、全員で見たじゃないですか? あの時もそんなに変わってなかったですよね。」

善は、繊細で丁寧な操作をする。

一本一本の絆の糸を、大切に扱っている様子だ。


 「そうだね。…知識だけがどんどん増えて、感情が追い付いていない子供を見るのは、なんとも言えない気持ちになる。」

内田家の子供は例外なくそうだと、善は知っている。


 「ああ、そうか…。善さんはふみさんの子供時代をご存じなんですもんね。」

善は、十八の頃に、当時十歳だったふみを、桃院家で見かけている。


 十歳の女の子とは到底思えない表情の希薄さ。

凛とした静かな立ち振る舞い。

軽く会釈をされて、返して。

あまりの冷たい雰囲気に、背筋が凍り付いた。


 「ああ。知識は与えられるけど、感情は育むものだろう? 易々とどうにかしてやれるものじゃあない。」

「根気が必要ですね。」

「桔梗さんは、その点においても適任だと思うんだ。」

「適任、ですか?」


 「あのお方は、産まれつきの病で苦しんで苦しんで、それでも、生きて、大学まで進学していらっしゃる。」

「確かに、粘り強いですね。」


 「例え、この先、帝さんが間違っても、桔梗さんは帝さんを諦めたりしない。」

「そう、ですね。」


 「おいおい、なんだい? 懐かないでくれよ。」

旬から、善に向かって絆の糸が伸びてきていた。

「いやぁ、善さんって、繊細で、根っから優しい人なんだなぁ、と、思ったら、勝手に。」


 「四十代のおっさんに、口説き文句みたいなことを言うんじゃないよ。」

「あはは。口説いてはいないですけど、よく言われますね。」


 「君みたいに、素直でまっすぐ。まるで、何も恐れていないような感情表現をする人は、日本人の感性で受け止めると恥ずかしいんだよ。」

「そう、みたいですね。」


 「真面目な話、僕らの仕事って、そんなに関りがないじゃないでですか。」

「一般企業のような、同僚や、先輩後輩のような関係性は、確かにないね。」


 「飲みにケーション、ちょっと憧れてるんですよ。」

「はぁ…。君、やっぱり口説いてるじゃないか。」

「バレました?」


 「…わかったよ。今日、帰りに飲みに行こう。」

「やった。俄然がやる気出てきた~!」

旬が持っているのは、恋愛対象である異性に対しては満たされているからこそ持ち合わせている感覚だ。


 旬は、元来、人との交流を好む性分。

もちろん、バーで隣り合わせた人と交流することもあるし、誰とでもすぐに打ち解けて話すことが出来る。


 ただし、異性との恋愛的な交流を求めていないから、そういう目的で関わろうとしてくる異性は面倒だ。

同性に関しては、バーで飲む人間に限った話ではないが。

「俺ってこんなにすごいんだぜ。」

と、言う話し方をする人間が一定数存在している。


 面白おかしく会話を出来ているうちは良いが、そういう輩は自信がなく、プライドだけが高い。

旬は、まっすぐに思ったことを言うから、相手の地雷を踏む確率が跳ね上がるのだ。


 その場限りの人との出会いを求めるのは刺激的だが、当たり外れがある。

どんな出会いも面白がれるコンディションなら良いが、そんな日ばかりではない。


 旬は、以前から、安心して飲める相手が欲しかった。

一対一で話す機会を得て、実際に話してみたところ、善と言う人間の距離感に心地よさを感じられた。

 

 自分からは踏み込んでこない。

かといって壁があるわけでもなく、土足で踏み込むような言動にも余裕をもって対応してくれそうだ。


 旬から見ると、成人している八家の絆師の中で一番年が近い。

これから成人する宗広は、いまはまだ酒の席には誘えないし、成人した直後は酒どころではないことを、よくわかっている。

この日は、集まることが出来たのが二人きりだったから、通常よりも時間がかかっていた。


 「二人が直接会ってから、ますます複雑化しましたよね。」

「ああ、全くだね。」


 桔梗と帝が直接会うようになってから、絆の結び目はより一層複雑に編み込まれるようになっていた。

解くのがとても大変だから、解く過程で一方が一時的に糸を保定したり、相談しながら分担して操作をすることで効率を上げるのだ。

桔梗と帝の間にある絆を調整するのに必要な人数は、現状、四人が理想的だ。


 「これ、もう少し頻度上げないと、癒着しますね。」

 「ああ、そうだね。二週間に一度が最低ラインかな。」


 絆の糸は、自分と他人を結びつける時、互いの糸が絡み合うようになる。

離れまいとする意志が強いほど、簡単には解けないように編み上がり、だんだんと互いの糸が癒着しだす。


 長年連れ添った仲のいい夫婦などは、癒着が激しい。

自己防衛本能で、自らの絆を切り捨てれば良いが、出来ない場合は追うように亡くなってしまう。


 「理想は三日に一度でしょうね。」

「一人で調整できる範囲、と、限定するなら毎日と言ったところかな。」


 通常、癒着はそれほど早く進行しない。

五年とか十年の単位で進行するものだ。

それが、桔梗と帝の間では一か月単位で癒着の始まりが見られる。

 

 「今後、二人がいまよりも深い仲になれば、毎日二人がかりで臨まなくてはならなくなるかも、ですね。」

「このままいけば、そうなるのは必然だろう。むしろ、私は、二人がそうなって欲しいとすら思うよ。」


 「意外ですね。」

「そうかい? そもそも、この絆を操作したくないんだけれどね。」


 絆師でありながら、別の仕事を種にしている者は、ある程度いる。

半内善もそのうちの一人だ。


 善にとっては、飲みにケーションも日常。

妻には事情を話しているけれど、絆師の仕事など、現代の世には不要なのではないかと考えている一人だ。


 子供が絆師でなくて良かったと思っているし、孫にも絆師が現れないことを願っている。

絆師の行いは、自然の摂理に反している、と、考える者は、絆師の中に少なからず存在しているのだ。


 「ありのままで、なるようになる生き方をしたいし、して欲しい。」

「優しい人って、弱いイメージを持たれがちですけど…俺は、強い人ほど優しいと思っています。」


 「君、普段は、”俺”、と、いう人だよね。」

旬が意図的にこのタイミングで気付かせようとしたことは、誰が聞いても明らかだった。


 「やっぱり、気が付いてました?」

「”僕”が、ぎこちなかったからね。」


 「あはは。善さんは、いつも”私”ですか?」

「ああ。私はね、”私”と言う言葉が好きなんだ。さあ、作業に集中しよう。」


 「やりたくないことをやるのって、辛くないですか?」

「結局、選んでいるのは自分だと自覚しているからね。辛くはないよ。」

善の答えに、旬は笑みを浮かべた。


 「俺、やっぱり、善さんのこと好きです。」

恋愛的な意味ではないことを、善は理解した。

「はいはい。集中しようね。」


 善と旬の進言により、二週間に一度、絆の調整が行われることになった。

元々、追家で絆の調整を行った後に桃院家を訪れていた。


 半分を追家で終わらせてから、帝と共に桃院家を訪れた絆師が残り半分程度の操作を行う。

全ては、桔梗と帝を対面させるためだ。

菊乃に気づかれては、元も子もない。

帝が、急に桃院家を訪れなくなっては不自然だから、少々面倒でも、そういう手段をとっていた。


 二週間に一度、帝が来訪する旨を菊乃に伝えると。

「…桔梗さんの結婚、早めた方が良いんじゃないかしら。」

と、言い出した。


 尚哉は、菊乃のその発言にため息をつき。

「結婚を早めたところで、問題が解決するわけじゃないだろう。」

と、諫めた。


 その時は、それ以上は何も言わなかった菊乃だが、帝の存在を疎ましく感じる気持ちは膨らむばかりだった。

なぜ、それほど帝を目の敵にするのか。

その理由は、菊乃自身よくわかっていなかった。


 菊乃は華道を生業とする家に産まれた。

絆師との関わりが深いのは、菊乃の家では暗殺を裏稼業としていた過去があるからだ。

遠く遡れば、敵対関係だった時代を経て、協力関係に変化した。


 何年も前の話だから、敵対していた時代も、協力関係に変化する敬意も生き証人はいない。

桃院家の跡継ぎと結婚することは誉であるという感覚があり、菊乃も当然のようにそう思っていた。


 桃院家は、当主が引退後に過ごす別宅があり、桔梗の祖父母は尚哉が当主になって以降、ほとんど顔を合わせていない。

嫁姑の問題が、当主の気がかりになる事態を避けるのが主な目的だ。


 正式に当主を交代するのは、次期当主の長男が七歳になる年。

しかし、尚哉が先代から交代したのは、桔梗が三歳の時だった。


 先代の尚造しょうぞうは、その当時五九歳。

入浴時に倒れ、命はとりとめたものの、半身麻痺となった。


 そのまま尚哉へ当主の座を譲り、別宅へ生活の場を移した。

九年後に尚造は他界。

桔梗が十二歳の時だった。

 

 桔梗の祖母、貴恵きえは健在で、一九九八年現在、七三歳だ。

桃院の別宅で、公苑に世話の受け、生活している。


 家柄から、芸事に秀でている人だ。

毎日何かしらの練習をして過ごしており、背筋はまっすぐ、足腰も健康。


 尚哉の外出の理由として使われることが多々ある。

例え尚哉から事前に連絡を受けていなくとも、菊乃から、尚哉が本当に訪問しているかを訊ねられた時には、あくまでも尚哉の味方だ。


 貴恵は、嫁の菊乃と、最初からほとんど関わっていない。

菊乃の性格を見抜き、相容れないことを理解していたから、優しくもしなかった。


 だが、当主の決めた結婚相手だから、結婚自体に反対はしなかった。

貴恵は、旦那様には逆らわない、という信念を持っていたから、明らかに間違いであろうとも口出ししたことがない。

菊乃に関して、もし、尚造からもう少し嫁を気遣ってやれとか、ちゃんと面倒を見てやりなさい、と、言われたなら、間違いなく違った。


 菊乃は桃院の家に来てからと言うもの、誰も味方がおらず、孤独だと感じていた。

そんな中、当の本人が意図せず関心を引き、大勢の人間から甲斐甲斐しく面倒を見られている帝の存在が妬ましかった。


 内田家の者は、人を魅了する外見の者が産まれてくる。

理屈は不明だが、なぜかそうなのだ。

ふみがそうであり、菊乃はふみが嫌いだった。


 いつもは着物を着ているふみが、洋服を身に着けて男を誘う眼差しを振りまく時期。

この世のあらゆる男は、ふみの為に存在しているのではないか、と、錯覚するほど、男がふみに群がった。


 当然、尚哉は手を出してはいない。

桃院家と絆師の間に子供が産まれる事態は、御法度だからだ。

桃院家当主にとって、それは他の何を置いても、犯してはならない禁忌。

にもかかわらず、尚哉が世辞でふみに言った一言が菊乃の気持ちを踏みにじった。


 「ふみさんは洋服の方が色気が出るのだね。いつも和服を着ているからだろうか?」

「あら、お世辞をどうも。」

「私が桃院の人間でなければ、あなたの色香にきっと負けていただろう。」


 いわゆる大人同士の会話と言うやつで、尚哉も本気で言っていたわけではない。

これは、桃院家にとって、一つの立派な仕事なのだ。


 内田家に跡継ぎが産まれるよう、ふみ本人も含め、情欲を煽っている。

桃院家の当主も立場がなければ、手を出したいほどに魅力的なのだ、と、見せることで、手を出したくなる心理を突く。

内田家の人間としても、褒められればその気になる。


 桃院家に来訪するのはほとんどが絆師だ。

だから、内田家が子作りに勤しむ時期には、桃院家は全力でサポートしてきた。


 近況報告だとか、適当な理由をつけて、いつもよりも多く絆師を呼び寄せる。

必然的に、その場で欲に負けることがあるから、客間や浴室はその時期だけ、特別に開放されるのだ。


 もちろん、浴室や客間などは本当に突発的な事例で、桃院家には、ほとんど内田家の為に作られた部屋がある。

地下に備えられた一室は、何よりも声が漏れない。

そして、部屋の戸は、外側からのみ開閉が可能で、浴室とトイレも備わっているから、数日間籠ることが可能だ。


 桔梗にとって、脅威となる時期だった。

普段より多くの人間が桃院家に出入りする。

それだけで、菊乃はピリピリした。


 菊乃は、帝を。

『誰が父親なのかもわからないような子供』

だから、汚らわしいものとして認識してるのだ。

しかし、自覚はしていない。


 菊乃の中では。

『桔梗に近付けたくない相手。』

と、いう認識に、とどまっている。


 いずれにしても、菊乃は帝を嫌い、桔梗に寄せ付けようとしないことに変わりはないだろう。

だが、何故か無性に腹が立つのと、原因が明確で腹が立つのでは心情に大きな差が出る。


 最愛の息子が最も関心を寄せる相手だ。

それだけで十分に面白くない。

だから、帝に対しての感情の根源を自分自身に問いかけようともしない。


 「あれさえいなくなれば…」

菊乃は無意識に歯を食いしばり、力のかかりすぎでわずかに横へずれた歯が擦れ合わさり不快な音をたてた。

その音が、ますます菊乃のイライラを煽る。


 一ヵ月に一度程度なら、何とか許容出来ていたものが、二週間に一度となると堪えきれないかもしれない。

と、周囲はみな警戒した。


 菊乃は、以前よりも自分の感情が制御できないことを自覚していた。

桔梗の生まれつきの病気と関りのある菊乃の持病は、感情面に強い影響を及ぼす。

病気がなければ、あるいはもう少し寛容であれたのかもしれない。


 「春芽さん! 春芽さんはいらっしゃるかしら!?」

春芽は高校二年生。

茶道の家に産まれた春芽は、私立の女子高へ通い、茶道部で活動している。

帰宅するのは桃院家で、ほとんど生家には帰らない。

特に帝が来訪する際には春芽はなるべく家にいるよう、菊乃から言いつけられている。


 「奥様、本日春芽様は茶道具の手入れを行う為、ご実家に戻られています。」

前日、公苑を通じて菊乃には知らされていたことだった。


 菊乃はますます興奮し、ついには倒れた。

尚哉は菊乃が騒ぐには慣れているから、あまり気にも留めていなかったが、いつもとは違う様子に気が付くと、すぐに駆け付けた。


 「誰か、医者先生を呼べ。」

「はい、ただいま!」

「大山、菊乃を部屋へ。いつもの薬を飲ませろ。」

「はい。」


 いつもの薬とは、血圧の上がりやすい菊乃が、頓服で服用している降圧剤のことだ。

「医者先生が入院させた方が良い、と、言ったら、即入院させてくれ。」


 絆の調整とは、絆の糸を他の人との絆へと結び変えるのが通常だ。

絆を解く時には相手側の端が見えている必要があるけれど、結ぶ場合には、繋がっている相手を間違えない保証があるなら、相手を視界に入れておく必要はない。


 桔梗と帝の間にある絆は、桔梗の側を春芽と尚哉、公苑門倉に振り分けてられている。

だが、菊乃は自分にも桔梗との絆が振り分けられていると思い込んでいた。


 菊乃は、帝との絆が調整されても、桔梗との絆を感じられないことに、焦りを感じている。

絆の振り分けを指示しているのは尚哉だ。

 

 尚哉からは。

「お前にも絆を振り分けさせている。」

と、聞いているが、それが嘘だと知れば菊乃の自我は崩壊するだろう。

それも、菊乃への絆の分配を拒否したのは桔梗だという事実を知れば、それこそ怒りの矛先が帝に向かうに違いない。


 帝の側は、八家の絆師へ均等に分配していた。

ふみへ結びつけるわけにはいかないし、帝には友人がほとんどいない。

下手に絆を強めれば、変な気を起こす可能性があるから、分配先から除外された。



 

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