第八話 恋のはじまり

 桔梗は、両親からはもちろん、公苑からも大切にされてきた。

主従関係とはいえ、産まれる前から見守り続けているのだから、自ずと愛着が湧く。


 大山にとっても、桔梗の存在はとても大きい。

自分の息子と同じ年に産まれたのだ。

双子の兄弟を息子に持っている感覚と言っても、過言ではない。


 我が子は健康で、手がかからなかった。

多くの時間を妻と過ごしており、むしろ、我が子よりも桔梗を見ている時間の方が長かった。


 桔梗はとにかく目が離せなかった。

産まれつきの病気があったから尚更に、手がかかった。

仕事として臨んでいるとはいえ、手のかかる子供を愛しいと思うのは、ごく自然なこと。


 大山の息子である門倉は、桔梗と同じく、二一歳だ。

一八歳になった時から、桔梗付きになった。


 いつか来ることはわかっていたその日が、とても寂しかった。

ほとんど、帝のことしか見えていない桔梗。

桃院家のことを考えれば、会わせるべきではないのかもしれないが、会わせてやりたい。

胸に秘めてきた想いが、息子の門倉には伝わっているだろうか。


 大山は、塚本が六十歳で引退した年に、当主となり、尚哉に付き従うようになった。

時折、尚哉と塚本が、共に出かけるのは、もはや私情だと思っている。


 引退したとは言え、日々の鍛錬は、いまも欠かさない塚本。

大山と手合わせをすれば、力では大山が勝つが、経験では塚本が勝る。


 「私は、居ない方がよろしいですよね。」

と、大山が半分嫌味、半分遠慮から問いかけると。

「何を言うか! ついてこい。」

尚哉の返答によって、同行を余儀なくされる。


 「塚本が私を守るとして、塚本は私の大事な人なのだ。塚本の事はお前が守るんだ。」

何という暴論だろうか。

と、不満を抱いても、従者であるからには主人の命令は絶対だ。


 「かしこまりました。」

渋々同行しても、最終的には別行動になる。

施設の周辺など、少し離れたところから見守っているから、無意味とは言えないが、主人と父親のデートを見させられるのだ。

ため息の一つも、つきたくなる。


 表立って付き従っているのは、公苑家の当主と次期当主の二人だが、他にも公苑家の血縁者が密かに見張っている。

外出時は、常時二、三人は周囲を警戒しているものだ。


 桃院家の家事全般をこなしているのは、公苑家の血縁者だし、庭師や大工など、桃院家に出入りしている者は、ほとんどが公苑の血縁者だ。

桃院家はもちろん、公苑家、絆師の面々も、呪いの対策として、対外的に本名は名乗らない。


 特に桃院家と公苑家は、その名が既に偽名だ。

本当の名を知る者は、ほとんどいない。


 公苑の血縁者は、結婚して桃院家の外へ出る時、結婚相手の苗字を名乗る。

一人で出ていく場合には、養子縁組をしてでも別の苗字を名乗る決まりだ。

詳しく調べない限りは、公苑の血縁者とはわからないように徹底している。


 当然、公苑家はどこの誰が血縁者なのかを全て管理、把握している。

例えば、桃院家の運転手の一人である森下と言う男は、大山の従弟だ。


 「デートだと思っているだろうが、それだけじゃないからな。」

このところ続けざまに、尚哉と塚本は連れ立って外出していた。

「私は、引退したのに仕事をさせられているんだ。」

「!?」


 予想もしない話に、大山は驚きすぎて声が出なかった。

とはいえ、やはりデートではあるのだな、と、大山は気が付く。

しかし、内心に留めておいた。


 「いまは君が私の従者だから、今夜にでもちゃんと話そう。」

「はい。」

全く、振り回されてばかりだな、と、思わず脱力したくなるのを堪え、大山は助手席で姿勢を整えた。


 「森下、さこ家へ向かってくれ。」

「かしこまりました。」

帝を保護し、追家へ預けたあの日から、一週間ほどが経過していた。


 追家に着くと、工氏郎と八家の絆師が集まっていた。

帝は落ち着かない様子で工氏郎の横に座っている。

森下は車で待機しているから、この場で状況を理解していないのは、自分と帝だけなのだろ、大山は察した。


 「帝さん、体調はどうだい?」

「おかげさまで、特に問題はありません。その節は大変お世話になりました。」

「いや、いいんだ。君が無事で本当によかった。」

「あ…ありがとうございます。」


 大山が居心地悪く尚哉の斜め後ろ辺りに座るなり、また誰かが訪れたらしい。

「来なすったかな。」

居間の前の廊下に立ったままだった工氏郎が、玄関へ向かう。

少ししてやってきたのは。


 「帝…」

「桔梗様…」

桔梗の後ろに付き従っていたのは、運転手の古河ふるかわだった。


 「さて、揃ったな。桔梗、一先ずここに座りなさい。」

尚哉は、桔梗を隣に座るよう促しその場にいる者達へ語りかける。


 在席しているのは、家主の追工氏郎、工方くがたしゅん半内はんないぜん内東ないとうそうと、その孫の宗広むねひろ爰広ここひろ少吉しょうきち

桃院尚哉、桔梗、内田帝、公苑塚本、大山の十名だ。

古河は、桔梗をこの部屋まで送り届けるや、車に戻っていった。


 「今日から、可能な限り、ここ追家で桔梗と帝の絆の調整をしてもらいたい。」

尚哉の言葉に驚いたのは、桔梗、帝、大山だけ。

他の面々は、皆事前に知らされていた。


 「申し訳ないが、なるべく迅速に短時間で完了するために、集まれる者は、なるべく集まって欲しい。桃院家では、桔梗付きの公苑門倉が、桔梗の部屋の前で桔梗の不在に気付かれないように見張っている。」


 「父さん…」

桔梗が驚きのあまり声を上げた。

「準備をするのも手間がかかるだろうから、なるべく塚本に先行させるから、環境を整える役割を任せてくれて構わない。」


 桔梗が産まれつき持っている持病の症状の一つに、免疫の過剰な働きがある。

免疫を抑制薬を服用しているため、桃院家の清掃は他の家と比べて明らかに過剰だ。

それを、追家でも行うことになる。


 家主や八家の絆師に負担をかけるわけにはいかない。

そこで隠居生活をしていた塚本が駆り出された、と言うわけだ。


 大山が桔梗付きだったころ、桔梗が行くところの衛生状態に気を配るのは大山の仕事だった。

「三年前に現役を引退し、いまは公苑の当主は、こちらの大山が担っています。私は時間を持て余していましたから、旦那様が見かねたのでしょう。お邪魔致しますが、ご容赦ください。」


 塚本は、当主の間憮然とした表情で仕事をしていたから、怖い印象を持っている者が多い。

いまは、気の良いおじいちゃんと言った風体だ。


 「桔梗、帝さん。君たちは放っておいてもいずれ出会っただろう。これは大人のおせっかいだ。」

「ありがとうございます。」

桔梗が頭を下げた。


 「私は、栃木から帰ってくる言い訳が出来て助かりますよ。」

と、旬が微笑み。

「勉強させていただきます。」

と、まだ十九歳の宗弘が言った。


 「じじいが、たまに出かけるのは健康に良いな。」

宗弘の祖父、宗が良う。

宗は一九二九年産まれ、工氏郎が一九二三年産まれで、この場にいる者の中で最年長だ。

「じじいなんて、まだ気が早いですよ。」

と、一九二五年産まれの塚本が笑う。


 「もちろん、皆さんお仕事を優先してください。こちらも一つの仕事ですから、謝礼はお支払いしますし、仕事の依頼は当家が管理していますから、なるべくご希望に沿えるようにいたします。どうぞ、よろしくお願いします。」

尚哉が頭を下げると、続いて桔梗も頭を下げた。


 「羅家からのご依頼は優先的に受けますし、内田家の案件でもありますから、わたしは一向にかまいませんよ。」

少吉が微笑む。

尚哉と少吉は共に一九三八年産まれだ。


 「わたしも、桃院家からの依頼と言う形にならば、何も問題はありませんよ。」

半内善は、一九四五年産まれ。

この場にいる成人した絆師の中では、善が旬の次に若い。


 帝は、先日の未遂事件以来、追家に滞在していた。


ふみは、自分の仕事を見ることに、帝がそれほど負担を感じているとは思いもよらなかった。

追から帝を預かるとの連絡を受け。


 「恐れ入ります。ご厚意に甘えさせていただきます。」

と、応じ。

「帝には、もう私の仕事に立ち会わなくて良いから、あまりふらふらしないように、と、お伝えください。」

帝とは直接話すことなく、電話を終えた。


 「まったく、相変わらずだねぇ。」

受話器を置いた工氏郎こうしろうは、そばに人がいたらはっきり聞こえる声で呟いた。


 帝の身に起きた事の顛末は工氏郎が説明した。

「身勝手な輩が欲望を満たすために利用されるのは、現代じゃあ、女性ばかりのように感じるかもしれねぇ。だがな、実際には、老若男女あらゆる人間が、被害者になり得るのさ。」

「そう、なんですね。」


 「特にお前さんのように、見目が可憐で美しい少年を好む輩は存外多いのよ。」

「気を付けます。」


 「何事もなく、お前さんが無事で済んだのは、桃院のご当主のおかげだからな。今度会った時には礼を言うんだよ。」

「はい。」

 

 「ともあれ、お前さんが無事で良かったよ。」

工氏郎が頭を撫でると、帝の身体が少し跳ねた。


 帝は、母親に愛情を持て抱きしめられた経験がない。

当然、頭を撫でられたこともない。


 初めて体験する、くすぐったいような、胸が温かくなるような感覚。

「…工さん、この体がぽかぽかするような感覚はなんでしょうか。」

「言葉にするのは難儀だなぁ。」

「本当だね。説明するの、難しいかも。」

由己ゆうきが、帝の様子を見にやってきた。


 「由己、君はこの感覚がなんだか、わかるの?」

「説明は難しいけど、わかる。ほら、こいよ。」

と、由己が腕を広げるが、帝はどうすればいいのかわからない。

「そんじゃ、あっしが。」

初代工氏郎と、由己が、抱擁を交わすのを見て、帝は首を傾げる。


 「ほら、帝も。」

促されるまま、躊躇いがちに身を乗り出した帝を初代工氏郎と由己はやや強引に引き寄せた。


 「うーん…そうだな。安心、かなぁ。」

「そうだな。守られているように感じて安心するかもしれねぇな。」


 「とにかく、お前さんは、知らないことが多いようだから、少しでもわからねぇことがあったら、すぐに訊きな。」

「…はい。」


 桔梗と帝の絆の調整の話が一通り終わると、帝は。

「あの、工さん…」

帝が耳打ちをしたのは、訊きたいことの中には、誰かを傷つけたり、不快にさせたりすることもあるから、なるべくそうするように初代工氏郎に言われたからだ。


 「ああ、そのことは…。」

桔梗は、何を話しているのか気になりずっと帝を方を見ていた。

初代工氏郎は、わざとらしく一度咳払いをしてから。

「人は、子供を作ったり、互いを強く思っているという事を分かち合う為に、身体を重ねる。行為をすると、絆が赤く色づくんだ。」


 「ああ…。なるほど。」

と、帝の左隣に座っていた少吉が、尚哉と塚本の方へ視線を送った。

「え? …ああ。」

旬も同様の動きをして、残りの絆師はバツが悪そうにしている。


 「初代様…わざとですね。」

「お前さんがなぜ桔梗と帝のことに関して、そんな風なのか、話した方が伝わるだろうよ。」

大山が、話の内容を察して眉間に皺を寄せた。


 「…つまり、父と塚本の間にある絆が赤く色づいている、と?」

誰がどう話すのかと言う視線の交わし合いが繰り広げられているのを見かねて、桔梗がズバリ訊ねた。


 「それが、どういう事かを、帝が初代様に訊ねたのですね。」

「はい。そうです。」

帝が答え、少し嬉しそうに微笑んだ。


 「父さんは、塚本さんのこと、本気なのですか。」

公苑家の者として、従者の働きをしていたのは過去の話。

いまは引退して、公苑家の一員として桃院家で暮らしている。

そう捉え、公苑家の者が引退後は、敬称をつけて呼ぶ習わし。


 尚哉や、恨めしそうに初代工氏郎を一瞥してから。

「私にとって、塚本は初恋の人であり、とても大切な存在だ。」

「塚本さんは、以前とても怖い顔をしていました。いまはとても、優しそうなお顔をされています。それに、よくご当主のお顔を見て微笑んでおられます。それは、塚本さんが、ご当主のことを大切に思われているからですか?」


 その場にいたほぼ全員が頬を赤らめた。

旬だけが、下を向いて肩を震わせている。


 塚本は少し困ったようなそぶりを見せた後。

「困りましたね…。正直にお答えして良いものか。」

「この場の話は、くれぐれも内密に。」

「元より、この顔ぶれですから、この場の会話はこの場限りでしょう。」

と、宗が応じ。

みな同意した。


 「では、遠慮なく。こんなじじいにもなって、むつみあっているのですから、そりゃあもう…大好きですよ。」

ついに旬が堪えきれずに笑い出した。

塚本が茶目っ気たっぷりに、尚哉を覗き込み。

「大好きですよ。」

と、言ったものだから、尚哉は赤面している。


 大山は尚哉の後ろで、完全に項垂れていた。

「父さんも、同じお気持ち、と、いう事ですね。」

「同じなものか! 私の方がっ…」

途端に大爆笑が起こり、桔梗も苦笑い。

大山は頭を抱えてしまった。


 帝はその様子を、初めて美しい景色を見ているかのような表情で見つめていた。

「工さん、これが愛でしょうか?」

「ああ、そうだな。」


 帝は大人びていても、足りないことが沢山ある。

同級生とまともに会話出来ないのも無理はない。

テレビも結局家にないままだし、本を読んで、理解ができるのは、その感覚を知っているからだ。


 人が人を想う気持ちを知らなければ、本を読んでも、本当の意味はわからない。

丁寧な言葉遣いはできても、帝は人の感情を汲み取ることが苦手だ。


 桔梗が急に立ち上がり、帝を抱きしめた。

九歳の時に会って以来の再会。

四年だっても、帝はまだ恋愛をわかっていない。


 「え…あの…」

なんとも言い表しがたい感情が、桔梗の中に湧き上がり、どうしようもなく抱きしめたくなったのだ。

「私とでなくてもいい。どんな形でもいい。幸せになってくれ。」


 先ほどまで大爆笑していた大人たちが、切なげな笑みをもって、二人を見ていた。

強すぎる絆で結ばれた二人。

互いが共にある宿命と言ってもいい。

だが、それが幸せに繋がるとは限らない。


 「あ、あの…」

「どうした?」

帝の様子がおかしいことに気が付いた初代工氏郎は、桔梗に一度離れるよう促した。

「…安心と、違います…」


 その後、一度帝が落ち着いてから、その場にいた者が全員順番に帝を抱きしめてみるという、風変わりな事態を経て。

「どうだ?」


 「…桔梗様だけ、違います。」

「どう違う?」

「心臓が痛いような。ぽかぽかでなくて、熱いです。」


 「ああ、それは…」

「「「「「「「恋」」」」」」」

桔梗と帝、大山を除く、全員が口を揃えて言った。


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