第5話 白瀬さんのこと①

 もう一人のフロントスタッフの白瀬さんは和風美人で、静かに立っていると近寄りがたいが、見た目に反してとにかくよく喋る。それもものすごい毒舌なのだ。親子ほどの年齢差がある中村さんを、横で見ていてドキドキするぐらいいじり倒す。


 ロングステイの方が頂き物の香辛料の詰め合わせを下さった。すごく高級品のようだが、調理しないからいらないらしい。早速白瀬さんのいじりが始まった。さて、トレーニング中は名字で呼び合うが、終わればファーストネームで呼び合う事になっている。


「誠司さん、強面なのに辛い物が苦手なのが可愛いです。胡椒がご自宅にないってホントですか?」

 中村さんは僕の方をキッと見る。こういうのをとばっちりという。

「レイズさん、デマにご注意ください。確かに唐辛子は厳しいですが、胡椒は既に克服しています。大人ですから。ところで、香辛料はお二人でお分け下さい。」

結局辛いものは苦手らしい。


 率先して重いものを運ぶお手伝いするジェントルマンな中村さんにあんなこ言う言うとは。

「誠司さんは頼りになりますねぇ、そう言えば、空手と合気道各三段の達人で、五人くらいまでなら武闘派も素手で制圧するってホントですか。」

「心得は確かにございますが、今までどなたも、一度も制圧したことがございません。こうして都市伝説は形作られるのですね。勉強になります。」


 フロントにはロビーでお待ちになるお客様にお出しするために、エスプレッソマシンがあって、スタッフも自由に飲んでいいことになっている。

「誠司さんって、コーヒーに必ずお砂糖を入れるのが可愛いです。今日は特別に愛も入れておきます。」

「余計な物は入れないで下さい。こう見えてすぐおなかを壊すんです。」

白瀬さんは、あい、あい、と言いながら角砂糖をぽいぽいコーヒーに入れた。


 中村さんはフロント業務の合間に財務の仕事もしている。銀行や公認会計士とのミーティングから帰った中村さんに・・・。

「前職はファイナンス系コンサルタントで、会計士資格も持っています。二つの顔を持つ男って、カッコいいですね。」

「確認ですが、いじられているわけではないですよね。真澄さんが仰ると何でもいじりに聞こえます。」

 一体僕はどう反応したらいいんだろう。


 この前なんか中村さんの趣味の釣りの話になった。

「誠司さん、お休みは釣りですか?最近下さるの鯵と鯖ばっかりですが、どうなさったんですか。」

「失礼致しました。ご迷惑でしたら、もう差し上げません。」

「ち、ちょっと!違いますぅ。家族全員で楽しみにしていますから、頂けなくなったら恨まれます。干物の隠し味、そろそろ教えて下さい。」

「申し上げてもよいのですが、なんだ、とか言ってがっかりなさいませんか。」

白瀬さんはいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「先週も行かれたそうなのに頂けないからどうしたのかと思いきや、丸坊主だったそうですね。」

「ここまで個人情報筒抜けだと、息もできませんよ。また桜さんですね。残念ですが、一匹だけ釣れました。自宅で美味しく頂いたんです。」

 桜さんはメールルームのスタッフで、白瀬さんの大親友であり、芙蓉館一の情報通だ。中村さんの奥様とも親しい。中村さんが鋭い目で僕を見るので、びくっとした。

「桜さんは芙蓉館に関わる主要人物とは全部つながっていると思ってよいと思います。レイズさんも気をつけて下さい。」

 僕は何と答えたらいいか分からないから、思わず笑顔で返した。

「はい、承知致しました。」


「桜さんと奥様は、先週末の釣果はお魚屋さんと見ています。」

「濡れ衣です。今度一匹だけ釣れたら、カモメか猫に差し上げます。」

「奥様をお連れになったらいいんですよ。一人でほったらかしにするから誤解されるんです。」

「連れて行ったら暇だと言って怒るのにですか?」

「女心が分かっていませんね。ナイスミドルが台無しです。」

「夫婦になって23年、分かる日が来るとは到底考えられません。」

「愛の逃避行をなさった方が、何をおっしゃいますか。」


 こういう時は必ず僕の方をキッと見る。どうして僕に言い訳するのだろう。

「誤解のないように申し上げますが、私は仕事も変えませんでしたし、引っ越しもしませんでした。逃避行はいたしておりません。確かに、当時妻の家族には認めて貰えませんでしたが。」

 白瀬さんのおかげで3人の距離がぐっと近くなった。

「うふふ、レイズさん、誠司さんはミステリアスな男の魅力に溢れているでしょう?」

 話を振られたものの、内容が内容だけに僕は何と反応していいのか分からず、アワアワしながらただそこに居た。

「私は表も裏もこの通りの人間ですから、どこもミステリアスではありませんよ。」

どこを切っても中村さんが出てくる金太郎飴な中村さんを想像して、思わず吹き出した。ちょっとシーンとして、二人が僕の方を見てるのに気づいて、身体がこわばった。

「すみません、笑ったりして。」

 中村さんは僕の正面に向き直って、とてもエレガントにこう言った。

「レイズさんの今の笑顔は、とてもエレガントです。もっと笑って下さい。いつも固いですよ。」

 中村さんの話し方には僕にでさえ、敬意を持って下さっているのを感じる。


 ここに来てよく感じるようになったことがある。とても美しい仕草があるという事だ。ペンを人に渡すだけで、呼びかけに振り返るだけで、とても美しい。美しい速度や角度、タイミングがあるのだ。今までこんなことを考えたことがなかった。

 ガラスや鏡に自分の姿が映る度、どんな仕草をしているのかを気にするようになったが、二人の洗練された動きを急にまねるのはとても難しかった。それでも、ひとつひとつに学びがあることが新鮮に感じられて、飽きることなく観察した。それから、教えられる仕事内容にも、一つ一つ感心した。

 メッセージをお客様にお渡しするときには必ず封筒に入れ、トレーでお渡しする。

 何か渡す時には必ず両手で。胸より上で捧げる。

 お客様のものに障るときは手垢が付かないように手袋をはめる。

 お客様と話をする時は目線を合わせるため、必ず立つ。または膝をつく。

 身体を動かしながら話さない。

 ご挨拶は目を見ながら。頭を下げる動作といっしょにしない。

 会話がかぶらないよう、軽く一息吸ってから答える。


 ここでは、所作の一つ一つが人を敬うためにある。そう言う動作はとても優美で、見ていて心地いい。

 美しい動作が出来なくておろおろするたび、中村さんに注意を受けた。

「同じ呼吸ですよ。すると相手の心と響き合うんです。」

 なんて心地よい言葉だろう。--------------つづく

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気弱な僕がここにいる理由 そがめちゃん @taka_alan

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