漠北悲歌

私にとって、幾人か特別な書き手がある。
そのひとりに、梶井基次郎があり、そして中島敦がある。
十代から二十代にかけて、梶井基次郎は何十回、何百回と繰り返し繰り返しよんだ。
といっても、薄い文庫本一冊ではあるけれど。
そして、梶井基次郎のものほどではないが、おなじ時期、中島敦の文庫本一冊も、何十回と繰り返し繰り返し読んだ。『山月記』『李陵』『弟子』『名人伝』が納められた文庫本一冊。
久しぶりに『李陵』を読み。やはり、よいと改めて、新たに感服させられた。
漢文のもつ、かっちり決まる雄渾さ、規律性、それでいてそれに囚われぬ躍動感。自然描写のうつくしさ、人間描写の深さ鋭さ。

『李陵』についてはいろいろおもしろいエピソードがあって、中島敦の死後に発表されたものだが、実は原稿としては、作品としては完成されていなかったらしい。タイトル自体、中島敦がつけたものではない。中島敦は、漠北悲歌としたかったらしい。李陵に馴染んでしまっているけれど、たしかに漠北悲歌がよいだろうかと思わされもする。
ちなみに、太宰治だとか松本清張と同年生まれだ。

司馬遷については、武田泰淳の『司馬遷』を読まれてみるのもおもしろいかもしれない。

中島敦のものは、日本語でかくものであれば、必ず押さえておかなければならぬものであると、私は思います。