私にとって、幾人か特別な書き手がある。
そのひとりに、梶井基次郎があり、そして中島敦がある。
十代から二十代にかけて、梶井基次郎は何十回、何百回と繰り返し繰り返しよんだ。
といっても、薄い文庫本一冊ではあるけれど。
そして、梶井基次郎のものほどではないが、おなじ時期、中島敦の文庫本一冊も、何十回と繰り返し繰り返し読んだ。『山月記』『李陵』『弟子』『名人伝』が納められた文庫本一冊。
久しぶりに『李陵』を読み。やはり、よいと改めて、新たに感服させられた。
漢文のもつ、かっちり決まる雄渾さ、規律性、それでいてそれに囚われぬ躍動感。自然描写のうつくしさ、人間描写の深さ鋭さ。
『李陵』についてはいろいろおもしろいエピソードがあって、中島敦の死後に発表されたものだが、実は原稿としては、作品としては完成されていなかったらしい。タイトル自体、中島敦がつけたものではない。中島敦は、漠北悲歌としたかったらしい。李陵に馴染んでしまっているけれど、たしかに漠北悲歌がよいだろうかと思わされもする。
ちなみに、太宰治だとか松本清張と同年生まれだ。
司馬遷については、武田泰淳の『司馬遷』を読まれてみるのもおもしろいかもしれない。
中島敦のものは、日本語でかくものであれば、必ず押さえておかなければならぬものであると、私は思います。
主な登場人物は以下の三人です。
・題名になった前漢時代の将軍・李陵。
・『史記』の編纂者・司馬遷。
・敵に囚われて壮絶な抑留生活を強いられた蘇武。
中国の歴史に詳しくないので、司馬遷以外よくわからず読んでいましたが、どなたも壮絶な生き様です。
なんと言っても蘇武。
この方はどんな功績のある人なのか全く知らずに読んでいたので、後半の逆転劇にはたまげました。
それを傍で見ていた主人公・李陵の気持ちが痛いほど伝わりました。
どれだけ衝撃かと言うと『要領悪くて融通が利かない頑固者で有名だった同級生が、宝くじの一等と前後賞を当てた』と知らされたような気持ち。(私が感じた衝撃を口にすると、こんな陳腐な表現しか出てきません)
歴史を知らずに読んだので、読後は衝撃で頭が真っ白になりました。