第42話

 「ロイ、まだ宴は途中だよ? 戻らなきゃ」

 「いいだろ別に。だいたい顔は出したんだし。ずっといたら深夜になるぞ」

 「それはそうかもしれないけど……」

 式典後の宴の最中、ロイがイアンを呼び出した。イアンは何かと思えば「このまま帰るぞ」と言われ、「さすがにそれは……」と言ったけれどロイは聞く耳を持たず、手を引かれるまま馬車に乗ってしまい、今に至る。

 ロイの言う通り、挨拶をしなければならない人たちには顔を出した。あとは腹の探り合いをする難しい会話を、宴が終わるまでするだけだ。それに比べたらロイの提案は大変魅力的で、イアンはうまく逆らうことができなかった。

 「それにお前……」

 「え? なに?」

 「いや、まぁ、いい。どうせすぐにわかる」

 ロイの曖昧な言い方になんだろうと思っていると、馬車がいつもの角を曲がらなかったのに気付いた。

 「あれ? 曲がるのってここだよね……?」

 「離宮へ行くのはな。けど当分あそこには帰らない」

 「は? え?」

 帰らないって……しかも当分って、どういうことだろう? 

 イアンの困惑する表情を見たあと、ロイは笑みを浮かべて答える。

 「今日から離宮は三か月改修工事が入るんだ。お前の荷物は式典中に移動させた」

 「え!? そ、そんなの聞いてないよ!」

 「だって言ってないしな。お前を驚かせたくて」

 ロイは心底楽しそうに笑う。イアンはため息しか出なかった。

 いつもロイは突然だ。どこに行くのも何をするのも。けれど強く文句は言えない。主人だからではなく、好きな人の朗らかな笑顔が、年相応で可愛いと思ってしまうから。

 (俺も馬鹿だな……恋は盲目って言うけど、本当にそうなるとは……)

 イアンは恋に浮かれている自分に呆れて、もう一度ため息をついた。

 「……そういえば、よく修繕許可が下りたね?」

 「ああ、レオに今回の件を大きくしないことを条件に、色々とねじ込んだ。研究費のことも、ちゃんと考えてくれるだろう」

 「そっか、それはよかった」

 「これで綺麗な家に住める。これからの生活が楽しみだな」

 そう言って、ロイはまた笑う。最近は不機嫌なときより、目を輝かせていることの方が多くて、イアンはその変化がなにより嬉しかった。

 一ヶ月前の事件から、ロイは少し変わった。正確には、事件後にジャックとオリヴァーを入れて、二年前の真実を話した日からだろうか。

 憑き物が落ちたというか、自信がみなぎっているというか。ふと見せていた影がなくなり、笑顔が増えた。

 それはイアンが真実を聞いても、ロイの側にいると知ったからだろう。もちろんイアンも、真実が伏せられていたことに対して、多少の怒りはあった。けれどロイとジャックの真摯な謝罪と、二年前の自分の状態を考えた上での行動と知ったら、許せる範囲のことだった。

 (あのときのオリヴァーさん……本当に話長かったな……)

 おかげで自分の体について詳しくなった。だからロイが自分をオメガに変えたとは思っていない。

 「さ、俺たちが三か月だけ住む家に着いたぞ」

 いつの間にか、馬車は目的の場所に着いたらしい。ロイの後に続いて降りると、ガーテリア国内で一番煌びやかな建築物群が現れた。

 「こ、ここって!」

 「ああ。王室が本来住むべき、薔薇宮殿さ」

 豪奢な細工が施された外観。国の権威を象徴するような金の装飾。どれも唖然とする絢爛さをほこっている。さらに驚くべきは、コの字に並んだ建物全てに、同じ装飾が施されているということだ。きっと真ん中が正室と王が住む本殿で、左側がレオ様の住む西殿だろう。そして今目の前に立ってるのが……

 「ノアの分が空いたからな。東殿は全部使っていいらしい」

 「え!? じゃ、じゃあここに三か月住むの!?」

 目の前に鎮座する東殿を見る。この建物だけで、離宮の三倍は広さがありそうだった。

 「ああ。そうだ。迷子になりそうだな」

 「ほ、本当にそう……」

 「ま、ここには使用人もたくさんいるし、警備もしっかりしてるし……番になって初めての発情期ヒートを安心して過ごせるだろう」

 「……え? 発情期ヒート?」

 ロイの発言を訝しむ。イアンの発情期ヒートは、一ヶ月前に終わった。そのときはことが収束してなくて、強めの抑制剤を飲んでやり過ごしたのだが。

 もしかしてロイは忘れてしまったのだろうか? いやそんなわけは……と考えていたとき、風に乗ってフェロモンの香りが、イアンの鼻を掠めた。非常に強い、甘やかな匂いだった。

 「あ、あれ……? な、なんで?」

 全身に血がぶわっと回る。視界が潤み、イアンは怖くなってロイの腕を掴む。

 「お前、自分じゃ気づいてないみたいだが……宴のときから少しフェロモンが出てたぞ。きっと番になったばかりで、まだ周期が不安定なんだろう」

 ロイの話を聞いている間にも、イアンの手は震え始め、だんだんと立っているのも辛くなる。イアンはその場にしゃがみこもうとしたが、ロイにぎゅっと抱きしめられ、体が宙に浮いた。

 「わっ! ちょ、ちょっと!」

 「さ、早く行こう。じゃないとこの場で襲いそうだ」

 ロイは冗談か本気かわからない口調で言うと、イアンを横抱きしたまま、煌々と明かりのついているエントランスに向かう。

 「ま、まって! あ、歩けるから! 歩けるから降ろして!」」

 「嫌だ。イアンの溶けてる顔を誰にも晒したくない。俺の肩で顔を隠せ」

 「と、溶けてるって……!」

 抵抗しようにも発情期ヒートを迎えた体は、番の前では何もできない。「お帰りなさいませロイ様」という使用人の声が聞こえてきて、イアンは慌ててロイの言う通りにした。

 (主人に運ばれる最高位近衛騎士ロイヤルナイト・オブ・クラウンなんて聞いたこと無い……!)

 恥ずかしさのあまり、今すぐ辞職したくなった。イアンはロイに小声で、「お願いだから降ろして……」と訴えたが、ロイは聞こえないふりをしてどんどん中に進んでいく。イアンは顔を埋めたせいで、余計にフェロモンを強く感じてしまい、徐々に体に力が入らなくなる。ロイの腕の中で揺られながら、次第に脳が焼き切れてきて、イアンが短い息を吐くことしかできなくなった頃。扉が開く音がした。

 「イアン、顔を上げていいぞ」

 ロイの言葉に、イアンが顔を離すと、フェロモンの香りに混じって花の香りがする。なぜだろうと思い香りの方へ視線をやると、天窓の月明かりに照らされた寝室が目に入った。床一面には多種多様の魔花まかが散っており、月光を反射して、宝石の輝きを放っている。

 「す、すご……」

 「ま、発情期ヒート間、楽しむ余裕があるとは思えないがな」

 え、と言う間にロイがイアンをベッドの上に降ろす。顎を掴まれ厚い舌が口の中に入ってきた。

 「んっ……」

 息もできない深いキスに、頭の奥がじんとうだる。その間にロイがイアンの式典用の上着に手をかけていく。

 「……はぁ……やっとその服を脱がせる。お前の軍服姿は本当によくない。細いのに洗練されてて……腰のラインなんか特にそうだ。情欲を掻き立てられた卑しい貴族たちの視線に、お前気づいていたか?」

 「そ、そんなわけ……」

 宴の間、ロイがそんな目で自分を見ていたとは知らず、頬が熱くなる。でもそれはロイだけで、ベータの名残がある体に魅力を感じる人は少ない。イアンはそう思って不服そうに唇を尖らせると、また唇を奪われた。与えられる愛に溺れている間にも、ロイはイアンのシャツを脱がし、素肌を露わにさせる。

 「いいや、絶対そうだ。全員オリヴァーの被検体にしてやりたい」

 ロイは忌々しそうにイアンの服をベットの脇へ追いやる。イアンはロイの言い回しが面白くて、吹き出してしまった。

 「たしかに、オリヴァーさんの被検体されたら、すごい目に合いそうだね」

 「それぐらい重い罪だってことだ。お前に卑しい視線を向けるっていうのは」

 番の独占欲丸出しな発言に、イアンの心は満たされる。跡を残すようにちゅっと首筋を吸われ、イアンは急に自分だけ肌が見えているのが恥ずかしくなった。

 「それを言ったら君だって……宴の花だったよ。みんなが君を羨む目で見てた」

 震える手でロイの華美な装飾がされた正装を触る。どうにかボタンを外そうとするが、正装は固い生地でできており、うまく動かせなかった。もたつくイアンの様子に、ロイが笑みを作る。

 「お前はどうなんだ……? いつもこの格好だとあまり目を合わせてくれないだろう?」

 イアンの手は優しく離され、ロイは自らボタンを外していく。中からロイの厚い胸板に密着したシャツが現れて、イアンは慌てて目を反らした。

 「ほら、また目を反らした。なんで合わせてくれない?」

 ロイは羽織を投げ捨て、顔を反らせないようにイアンの顎に手を添える。片手で器用にシャツのボタンを外していき、程よく引き締まった肉体美がさらされていった。

 はりのある皮膚。彫刻のように整った筋肉の凹凸。首筋から伸びる鎖骨は、色欲を誘ってしかたなかった。

 (か、顔が熱い……! こ、これ以上見ていたら沸騰する……!)

 イアンはロイの美しい肉体に観念して

 「そ、それは……あまりにも……君の色気が……すごくて……」

 と言いかけたところで唇が重なった。そのままシャツを脱ぎ捨てたロイは、イアンの髪をなでる。大きくて温かな手に胸がふわぁと満たされた。

 「ふっ……まさかお前にそんな風に見てもらえる日が来るとはな……」

 「ご、ごめん……性的に見て……」

 「なんで謝る? 俺はずっと、そう見られたかった」

 またも首筋を吸われ、ぴりぴりっとした快感が全身をめぐる。そのままベッドに押し倒され、抱きつかれた。

 「イアン……イアン。俺は幸せだ」

 顔が見えるように体の向きを変えられ、顔中にキスされる。ロイの恍惚とした表情をしながらも、どこか幼い愛情表現に、イアンは笑みを浮かべた。

 「俺も、俺も幸せだよ……君と番になれる体になってよかった」

 ロイにぎゅっと抱きしめられる腕の中で、イアンは幸せに満たされていく感覚を味わう。それはきっと、番になったからこそ手に入れられたもの。

 ——日陰に咲く紺瑠璃花ネイビー・ラピスラズリはかわいそうだろうか? 

 いつも心に問いかけているあの言葉が、脳裏に蘇る。幸せの微睡の中、イアンは気づいた。その問いかけに隠された本当の意味を。自分がずっと何を知りたかったのかも。

 ——オメガで近衛騎士の自分はかわいそうだろうか? 

 ロイの温もりを感じながら、首を振る。

 オメガの体を惨めだと思ったことが無いと言ったらそれは嘘だ。首を絞める撫で方は、癖になっていたこともある。

 それでも紺瑠璃花ネイビー・ラピスラズリにとって日陰が惨めな場所ではないように、自分にとってオメガの体は輝けるものになった。

 心から好きな人と、番になれるのだから。

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近衛騎士は幻想の花国で美しく咲く 栄円ろく @mm6

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