平和のめでたさ 🌱🤗

上月くるを

平和のめでたさ 🌱🤗





「歴史小説を書く人は、とっておきの気散じ法を知っています」と司馬遼太郎さん。

 あるときは戦国、あるときは江戸、あるときは幕末、あるときは明治・大正、あるときは昭和戦前・戦後、そして、当然ながら、同時に現代にも棲んでいるがゆえに。


 創作に入りこめば、いま執筆中の作品世界と現実世界、本当はどちらに棲んでいるのか分からなくなったりするが(笑)、脳内にいくつもの時代が重層しており、なおかつ明確に整理されている状況は、精神衛生に好ましい影響をもたらすようだ、と。




     🖊️




 いやいや、まさに仰せのとおりにて!!(*´▽`*)

 僭越をも顧みず、橙子さんは諸手を挙げて賛成する。


 書くにせよ読むにせよ、明白な結果(その延長が現代)が分かっているおかげで、見かけとちがい意外にヨワッチイ(笑)橙子さんは現実の大波に溺れずにいられる。胡乱な現実の避難場所の確保すなわち抗うつ剤の保管庫になってくれているようだ。


 ただ「乱世の先人に比べればなんのこれしき」という考え方は少しちがうのかな。

 なんというか、彼我の不幸の比較に慰めを得るスタンスは人として美しくないし、いない人のうわさになりがちな井戸端会議ふう趣向は、かえって苦い後味をのこす。


 往古の人びとの苦難を思えば現代人はまだマシだというのではなく、生まれて来る時代を選べない人間同士として、如何に過酷な環境や条件下であれ、与えられた命を精いっぱい輝かせよう全うしようとする、営みそのものが愛おしいと方向づけたい。




      🕊️




 で、今回の拙稿の本論はここからなのだが、過去の各時代をリセットして現代史にもどし、学徒出陣で戦地に送りこまれ、運よく帰国して五十年(エッセイ執筆当時)と慨嘆する司馬さんが魂魄を尽くした、まさに至言中の至言を紹介させていただく。



 ――日本国にとって、せめてもの、めでたさは、この五十年、

   平和という一点において誤りをおかさなかったことです。



 日本は世界が落ち着いた大正時代に専守防衛を宣言しておくべきだったが、陸海軍両省の妨げで蒙昧な太平洋戦争に突き進んだと指摘する司馬さんは、敗戦七十八年のいま、周辺の無秩序に染まらず独自の平和を守れるか泉下で注目しておられるはず。




      📝




 さらに、もうひとつ、戦争とは別の観点による、驚くべき断定を掲げておきたい。

 昨今の橙子さんが司馬文学にしきりに惹かれる理由のひとつがここにありそうだ。



 ――西洋人の観念には、神というウソがある。

   ありもしない絶対(神)を、ある、ある、という哲学的検証を重ねつつ

   論理と修辞と叙述を発達させてきた……。



 むかしもいまも、宗教はなるべく話題にしたくない、避けたいのが人情であろう。

 いわば不可侵ジャンルをここまで明確に言いきった知の巨人、他にいないのでは?

 




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