愚者

木戸陣之助

エゴの果て

 死という物を、綺麗に語る者はすべからく詐欺師である。

 得られぬ物を望み、敵わず、儚く散る様に悲愴を抱かせ、共感を押し付ける。

 架空の情報を饒舌に語り、つぎはぎの演出を嘘と甘言で装飾し、さもそれが本物のように見せつける。

 そこに真実はない。あるのは悦に浸る為の虚像。子供の描いた空想と何一つ違いはしないのだ。


 深夜二時。

 天涯孤独の身、定職にも付かず、霞む瞳でただ一点を凝視。薄暗く光るパソコンのディスプレイ。齧り付くように文字を連ねる毎日。

 母子家庭で育った私。受け入れられなかった母の死。切り崩す貯蓄。四畳半で耐え忍ぶ生活。閉じたカーテンから流れ込む僅かな光。

 

『感動した』

『涙が止まりません』

『その儚さに美しさを感じました』

『命の尊さを感じました』

『名作』


 いつか見た虚像に群がる馬鹿共の知ったような演説。

 感想と称した犬の糞のような戯言に殺意を込めて、モノで溢れたデスクを目一杯殴りつけた。


「くだらない。くだらない。くだらない。くだらない。くだらない。アア亜阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿」


 机上にぶち撒けられた冷めた珈琲。黒パーカーに飛び散り、水気を帯びて腕にべたりと張り付いた。顔が醜く歪むのを感じながら何度もティッシュで拭き取り、ゴミ箱へ投げ捨てる。

 

 貴様等は死という物を知らない。死という物は往々にして醜い。

 綺麗な涙を浮かべて静かに息を引き取るなんて幻想。突然の死で時が止まるような錯覚に陥るのも幻想。全て幻想、幻想、幻想。


 聖母の様に慈愛に満ちた母の最期を私は知っている。

 奇声を上げ、体を震わせ、みっともなく命乞いを重ね、その最中病床の上であっけなく旅立ったのだ。プツリと糸が途切れたように。

 見るに耐えない顔面だった。眼球が顔から浮き出る程見開かれ、口から舌と涎を無様に垂れ流していた。

 果たしてアレに尊さがあるのか。儚さがあるのか。美しさがあるのか。


 貴様等は見たことがあるか、あの光景を。

 きっと無いのだろう、だから偶像を賞賛するのだ。

 口のない彼らの真の訴えに耳を塞いでいたいのだ。

 綺麗なものだとラッピングして、いずれ身に掛かる現実から現実逃避したいのだ。嫌なことから目を背けたいのだ。


 現実をしかと見据えている私からあえて言わせてもらおう。そんなものは幻想だ。

 どれだけ賞賛を浴びようが、富を築こうが、みっともない暮らしをしようが、最期は苦しみと共に命を散らす。


 平等であり、唐突であり、醜い。

 これこそが死という概念の本当の姿なのだ。

 

 私が解放してやる。

 この嘘だらけの虚像に、理性を失い旨味を求め群がる愚者共を真人間に導いてやるのだ。

 蹂躙する機関銃の様な打鍵音が、より脳をフルスロットルな世界へと導き――


「出来た」


 今、ついに書き上げた。

 妥協を許さず真実を追い求め、人生の全てを凝縮し物語へと昇華させた十五万字のテキストファイル。血の滲む努力の元、ようやく完成した崇高なる原稿に頬が吊り上がる。純白に輝くダイヤモンドに思わず見惚れてしまった。


 さあ、私を見ろ。

 そして、共に立ち向かおう。

 背けてはならない真実に。

 どうしようもない現実に打ち勝つ為に。


 震える右手こそ、己が鍛えた魂の一振り。

 文字を糧に実存となった想像を、カチリと云うクリック音と共に電子の海へ解放する。


「した。してやった。してやったぞ。さあ、誰か。誰か私を見ろ」


 そして、知れ。

 この世界は醜い。汚い。厳しい。

 しかし、こんな残酷な世界でも希望はある。ひとりではない。共に立ち上がることが出来たなら、互いの弱さを痛みを分かち合うことが出来たなら、どんな苦難だって超えられる。


 そうすれば、この世界はきっと――本当の意味で美しくなる。


 期待を胸に床に敷いた布団へ大の字で身を預け、高く手をかざした。

 

「これからの未来に、乾杯」


 グラスとワインはイマジネーション。

 感性と理性が酔いしれてしまえば、空想は現実を凌駕する。約された勝利に実体等いらない。イデアこそあらゆる物事の本質なのだと、かのプラトンが訴えたように。


 目覚めれば、きっとそこにはまだ見ぬ同士達が待っている筈。

 

 待っていてくれ。必ず君の元へ辿り着く。

 孤独はもうウンザリだ。


 目覚めた朝、私はひどく絶望した。


「……何故だ」

 

 何なのだ、この無様な結果は。

 何故だ、画面の向こうの友よ。ここに仲間がいるぞ。今こそ旗を上げ、集う時ではないのか。


 食い入るように画面を見続けるが、何も変わらない。

 視聴数、ゼロ。


「何故だ、何故だ、何故だァァ亜阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿!!」


 気ニ入ラナイ。気ニ入ラナイ。気ニ入ラナイ。

 視界にすら入っていない。その事実は心臓を錆び付いた刀で切り刻まれたような、ひどく不快な激痛を生み――


 否、待て。早まるな私よ。

 この数値は誰にも認知されていない故のものだ。読まれている訳ではない。

 誰も気づいてないのだ。ここに旗が上がった事を。

 知らせなければいけないのだ、ここにまだ希望がある事を。


 ただ作るだけでは凡百と何ら変わらない。

 人地を尽くせ。もう旗は上がっているのだと証明できればそれでいい。この程度の障害、なんて事ない。


「ふ、ふふふ。焦ってはいけない。知られてこそ宝石は価値を証明出来る。認知されなければ路肩の石片と何ら変わりないのだ」


 SNSというものがある。

 登録すれば誰もが直ぐに使え、その日の出来事を、日常を公に伝えることが出来るシステム。システム自体は大変素晴らしいのだが、いかんせん使う奴等が愚図すぎる。殆どが見るに値しない塵の掃き溜めの様な書き込みばかりだが、こんな掃き溜めにもメリットはある。

 

 誰もが使っているという事は、すなわち誰かに認知される可能性があるという事。使う手はない。

 『是非、ご一読下さい。後悔はさせません』そう一文に書いて、作品を募集するタグが貼られた投稿に洗いざらいコメントを送った。認知さえされれば良い、そうすれば必ず理解わかってくれる者が現れる


 まだ、終わってない。だから――

 

『何が言いたいのかわからない。面白くない』

『知った風な口を聞くな。何も知らないくせに』

『自分に酔ってるだけ』

『文豪気取りの割に中身はスカスカ』

『純粋に読みずらい。意味が分からない』


「馬鹿め、馬鹿め、馬鹿メ、馬鹿メェェェェェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 何故理解わからないのだ。この世界が綺麗なモノだけで構成されていると思うか。世の全てを綺麗に見せることなぞ出来ると思うか。

 イデアを何故追い求めないのだ。何故、いつまでも虚像に群がっているのだ。


 私は筆を取ることへの責任と矜持きょうじを持ち合わせているつもりだ。

 まやかしに絆されてはいけない。真実を追い求めなければならない。強さを証明しなくてはならない。価値を与えなければならない。


 それなのに、目の前の現実は悪魔に魂を売る馬鹿共を賞賛し、媚び、崇め、真実を追い求める者に見向きもしないではないか。


「この世界に、希望はないというのか」

 

 この寂しさに応えてくれる者はいない。

 それでも、縋りたいのだ。共に強くあれる同志がきっといるのだと。


 その後、幾たびの敗戦を重ねても懲りずに十五万字のダイヤモンドを作り、電子の海に放り続けた。

 文章のわかりずらさ、何が言いたいのか分からないという指摘にギリギリと奥歯が削れるのを実感しながら、無我夢中で推敲を重ねた。


 そして、遂に――

 

「出来た」

 

 この作品は、母が死んだ時に誓った強く生きるという決意を元に書いた物だ。最愛の母が死ぬという受け入れられない現実に狼狽える息子。そんな彼を慰める為に、最後の力を振り絞って母は遺言を残す。


『置いて行ってしまってごめんなさい。これから辛い事もあるかもしれない。それでも、あなたには強く生きてほしい。だから――』


「生きて」

 すん、と体の熱が引いた。


 その後、母と呼ばれた何かは静かに息を引き取る。その様に涙した息子と呼ばれた何かは、母の遺言を胸に強く生きる事を誓った。


 何だこれは。

 こんな物、記憶に無い。

 かつて虚像だとコケにしたモノ達と同じでは無いか。


 それでも私は右手をマウスに添えていた。

 矜持などとうに失せていた。それでもただ認めてほしいという意地汚い承認欲求が、どんな形をしていたかも忘れた一振りを使って、何の躊躇ためらいもなく電子の海へ放り込んだ。

 

 ピロンと画面から通知が鳴る。

 感想と評価が入ったとの事だった。ぼうっとその様を眺めていると、次第に通知の頻度は増えて、何度もピロンという音が四畳半に鳴り響いた。かつて投稿したどの作品よりも勢いが良い。


 恐る恐る通知の先を覗く。


『感動した』

『涙が止まりません』

『その儚さに美しさを感じました』

『命の尊さを感じました』

『名作』


「は、ははは」


 カチリ。と、小気味よく何かがハマる様な音がした。

 

 わかった。ようやくわかったぞ。

 誰も正しさなぞ求めていない。

 求めているのは偽りの安息。苦しい現実のひと時を忘れる為の甘味。取り敢えずで旨みが取れる様な、手頃な食い物が欲しかったのだ。

 

 この世界には愚者しかいない。


「ふふふ、私は独りだ」


 右手が握り潰した珈琲入りの紙コップから盛大に中身が飛び出し、画面にぶち撒けられる。

 

 ダイヤモンドは黒に潰れ、光を失った。

 



「疲れたな」


 ペットボトルに汲んだ水を飲み干した男は、ふぅ、とため息を吐いた。新調したゲーミングチェアに腰掛け、パソコンを睨みつけながら黙々と執筆活動に励んでいた所だった。

 肉が削げ落ち、骨と皮だけと揶揄されてきた図体を、だぼついた安値のスウェットとセットの長ズボンで包んでいる。使い古しではあるが、几帳面さ故に白一色だというのに汚れ一つ見えない。


 半年程前に定職へついた彼は、仕事の休日に自宅で執筆活動に励む事を日課としている。なんて事はない、息抜きの為だった。

 塵一つ残っていない整理されたデスク。画面とキーボード、マウス以外何も置かれていない。

 作業場には必要最低限のモノがあれば良い。そう思ってのことだった。不要なモノは全て捨てた。


「休憩、するか」


 男は立ち上がり、空気を入れ替える為に部屋の窓と遮光カーテンを全開にした。流れ込む新鮮な空気と優しい日差しを全面に受けて、思考を重ねてくたびれた顔面がほんの少し若返ったようにも見える。

 

 男は今、web小説という界隈に身を置いている。自分の作品を最も手軽に他者から評価、意見してもらえる為だ。

 

 男はどうすれば大勢の人間に注目されるかをひたすらに考え、そして試した。

 結果、ファンという存在が付き始め、それに比例してお褒めの言葉が書かれた感想も投稿初期に比べてずっと増えた。そして今、投稿サイトの表紙に掲載される程の人気を確立している。

 そんな男にはもう一つの日課がある。


『感動した』

『涙が止まりません』

『その儚さに美しさを感じました』

『命の尊さを感じました』

『名作』


 呼び戻されるように椅子へ座り、書き連ねられた賞賛を咀嚼した男は、恍惚とした表情を浮かべながら、食い入る様にディスプレイを見つめ続けた。

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愚者 木戸陣之助 @bokuninjin

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