第7話 準備と旅立ち
「お前と一緒に魔物退治なんて何年ぶりだろうな」
そんな感じで次期村長は軽口を飛ばしてきた。今いる場所は村の近くにある山の中である。目標を決めてから、早速彼にお願いして魔物退治に協力してもらった。元々アレスは村の仕事として魔物退治をしていたので肉体面は問題ない。不安なことは自分の精神面だけである。自分がきちんと戦えるか、いや正確には魔物の命を奪えるか、それだけである。
ここに来る前に、事前にこの辺りに生息する魔物について確認してきた。この周辺で出現するのは一種類しかなく名称はワイルドボア、猪の魔物である。注意すべきは突進による攻撃である。音に敏感であり、標的を見つけた後の突進は命を落とす可能性があるぐらいには危険度は高い。しかし突進を
「おう、任された。これでも村一番の戦士でもあるからな」
と勇ましく言った後、小声で「勇者になったディーテには負けたけどな」とつぶやいていた。その背中にはなぜだか哀愁が漂っていた。
「――!」
山道を歩いていると突然彼が腕を伸ばし止まれの合図をした。とりあえず自分は邪魔だけはしないように息を殺して身構えていた。彼は自分から少し離れた位置まで進んだ後、近くの木を蹴り飛ばし大きな音を出した。いったい何をと思った瞬間、大地を踏みしめる音とともにワイルドボアがすごい勢いで向かってきて、そのまま彼に突っ込んだ。しかし彼はその突進を危なげなく避けた後、その流れのまま剣を振り下ろし一撃でその魔物を倒していた。
初めて見る魔物は目で追うことができたが、体は緊張してうまく動かすことができなかった。やはり精神面が足を引っ張っている。彼は魔物の生死を確認した後、自分の方を見て自慢げな顔で笑ってきた。普段なら苛立つような顔だが、この場においては頼もしさしか感じなかった。
あれから三体のワイルドボアを同様の手段で処理するのを見学していた。その光景を見て予想通り今の自分では無理だと感じた。だから彼に一つお願いをした。手間のかかるお願いだったが、彼は笑いながら快諾してくれた。本当に頼りになる男である。
そして今、自分の目の前には足をやられジタバタともがいているワイルドボアが転がっていた。彼が殺さぬ程度に手加減してくれたものである。なぜこんなことをしたか。理由は一つ、命を奪う経験である。今までの人生で自分は動物を殺した経験がない。そのため魔物を殺すのも躊躇いしかなかった。命の危険があれば違ったのだと思うが、あの魔物を見ても全くその危険性を感じなかった。そのせいで思考をする余裕が生まれてしまい逆に手が出なかった。
だから経験する。大事なのは経験したことがあるか、ないか。その二択である。
無力化された魔物を見下ろし、剣の先を下に向け両手で槍のように突き刺した。剣を通して伝わってくる肉を突き刺す感触に、少し嫌悪感を抱く。魔物の方はしばらく痙攣したように震えていたが緩やかに動きを止めた。
「フゥーー……」
魔物が死んだことを確認すると、自然とため息がこぼれた。緊張で息を止めていたようだ。終わってみればこんなものかというのが正直な感想だった。特に気分が悪くなったりとかはなく、慣れれば問題ないと感じた。
その後はただの作業であった。一度経験してしまえば戸惑いはなくなり彼と同じ方法で魔物を処理できるようになった。心に余裕ができたからだと思う。この日は戦利品として魔物を一頭ずつ持ち帰った。理由を聞くとこれを加工して売るらしい。なんでも村の特産品とのことだ。もちろん初耳だった。
あれから毎日、一人で魔物退治に明け暮れた。そしてこの体の凄さについて認識することができた。そもそも身体能力は前の世界の自分とは比べ物にならないほど向上している。ワイルドボアの突進も感覚的には自動車の速度と変わらないぐらい速い。それを余裕をもって対処できる時点でこの体は凄い。それに加えて剣を持てば加護の力により、さらに身体能力が二回りぐらい向上している感覚がある。すでにこの村では全力を試す機会がないぐらいだ。
慢心は身を滅ぼすというが、そうなっても仕方がないぐらい今の自分は全能感にあふれている。しかし自分は知っている。そんな主人公ですら何度も命の危険があることを。そんな未来が待っているのに慢心することはできるはずがない。ここは努力を続けるのがよい未来である。石橋を叩いて渡るぐらいがちょうどいいのである。
そして村での生活が慣れ始めたころに一か月が経過した――
村の入り口にはディーテが旅立った時と同じ数だけの馬車が来ていた。最初はなぜ数台も馬車があるのかと疑問だったが、一台を除き全部商業用らしい。ワイルドボアの加工品もあれに乗って売られていくとのことだ。自分はこれからこの馬車に乗って冒険者としての道を歩むことになる。
出発する日は、この一か月で親しくなった人達を中心に見送りに来てくれた。次々と挨拶を交わし、最後に次期村長がやってきた。にやにやと意地の悪い顔をして「次、会うときは義兄さんと呼べよ」と自分に言い放った。何のことかわからず呆けた顔をしていると、近くにいた青年からディーテの兄だと聞かされた。唖然とした顔を勇者の兄に向けると、奴は笑いながら別れの言葉を口にした。
「頑張れよ、アレス! 妹を頼む!」
その顔は少し照れているようにも見えた。彼にはこの一か月ほぼすべての面で世話になった。彼をいなければここまで万全な状態で旅立つことはできなかっただろう。この転生で一番の幸運は彼に会えたことではないかと思ったほどだ。
「了解! ありがとな……義兄さん!」
最後に万感の思いを込めた感謝と彼に対しての意趣返しの言葉を口にする。不慣れな自分に親身なってくれた彼に。世話を焼いてくれた村のみんなに――
「それじゃあ、いってきます!」
一か月だけだったが充実した日々が送れた。ディーテのことがなければ、この村で一生を過ごしてもいいと思ったほどだ。今日、第二の故郷を離れる。目的は勇者を助けるため。そして自分が幸福になる未来のために。
転生先が……主人公!? 傘原 悠 @kasahara2023
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