第4話〈王の愛は欲望に満ちて〉
季節はめぐり、朝晩と風が肌を刺すようになった。
天から白粒が降り注ぎ、地を白銀に染め上げる。木々も白綿に枝をしならせ、空をわが物顔で舞い飛ぶ鳥たちはなりをひそめた。
ノーマンドは日が昇ると同時に寝台から這い出て、まずは身支度を整えるべく、風呂に向かう。
私室のすぐ隣には、宰相専用の浴場を設えてある。毎朝ノーマンドが起き出す前に、下僕が湯を張るのだ。
とはいえ、蝙蝠魔物の働きは配慮に欠けるところがあり、湯が腰までしか張られていないことが多い。
薄地のローブをまとい、今回はどうだと浴場に足を踏み入れて中を覗くと、案の定湯は少ない。
ため息ををつくばかりだが、“エドガー”はすでに遊びに出かけてしばらくは帰らないだろう。
仕方なくローブを脱いで、入口付近の椅子に畳んで置いた後、足に湯をかけてからゆっくりと入った。
足先からじわりと腰元まで温まり、ぬるま湯で丁度良い。
肩まで浸かれないのは残念だが、湯加減は上出来だ。
つい眠気に襲われていると、扉が開く音に意識を覚醒させた。
すぐに湯が跳ねる音がしたので振り向けば、ほどよく引き締まった健康的な肌色の肉体が目に入る。
顔を上げたら、思った通りパトリアスだ。
口元を緩めているが、腰に巻かれた白布はすっかり濡れており、その盛り上がりに目を向けていられない。
俯いたら、パトリアスは隣に座り、その波がノーマンドの腹にゆるやかに当たる。
心地良い感触ではあるが、眠気はすっかり吹き飛んだ。
「パトリアス、なぜだ」
そう尋ねるのがやっとで、声が震えているのが情けない。
パトリアスは小さく笑った。
「単なる下心です。抱かせては頂けないと思いますが」
「当然だ!」
躊躇なく叫んで我に返る。
脳裏には、王の姿が浮かんだ。
パトリアスと視線が絡む。穏やかな光をたたえた瞳は細められ、ノーマンドの心情を見透かしているようだ。
パトリアスの唇がゆっくりと開かれていく。
「貴方は私の愛を受け入れた。あれから、拒絶の言葉をかけられてはいない」
「……っ」
耳元に寄せられた唇から、熱い吐息と共に囁かれて、ノーマンドの心臓はわしづかみにされたかのように早鐘を打つ。
ノーマンドの脳内では様々な想いが巡る。
――私が愛するのは王であり、本来であれば、パトリアスの愛を受け入れるべきではなかったのだ。
十年前に王の片腕となり、若き宰相ともてはやされた頃、失敗して王に優しい言葉をかけられた思い出が蘇る。
ノーマンドの傍には、あどけなさの残る初々しいパトリアスがいた。
あの日、パトリアスが関わる件で、問題を起こしたのだが、何のことかは思い出せない。
ふと、身体を包み込む筋肉の感触に四肢が跳ねた。パトリアスが、背後から裸体で抱きしめている。
ノーマンドは、肌に直に染み込むパトリアスの肉体の感触に、心臓が爆ぜそうになり、細めた瞳からは雫が溢れ出す。
背中からせわしない鼓動が伝わる。
檻に閉じ込められた獲物のように微動だにできない。
胸元に厚い手のひらが滑り出すと、敏感な部分に爪先が触れかけた。
――いかん。
ノーマンドはとっさに身をよじり、拒否するが、パトリアスの頑強な肉体から抜け出すなど不可能。
その時、轟音が響き渡り、ノーマンドもパトリアスも硬直する。
湯の中に何かの破片がいくつも落ちてきた。破片は波を作り、湯を揺らす。
肌に冷たい風が当たるのを感じて、身震いした。
パトリアスが慌ててノーマンドの身体をさする。
「大丈夫ですか」
「あ、ああ」
「何をしている! さっさと出てこいノーマンド!」
呼ばれて顔を声の方に向ければ、浴場の扉が壊されており、狩りに行く時の軽装姿の王が、立ち塞がるようにして立っていた。
ノーマンドは、王が扉を蹴って破壊したのだと認識した途端、肉体の火照りを感じて生唾を飲み込んだ。
パトリアスが憮然とした様子で王を睨みつけていた。ノーマンドはそそくさと湯から手を伸ばしてローブを取り、湯から上がる瞬間に、身体にまとう。
当然、ローブはずぶぬれだが、特殊な生地なので、しばらくすれば肌の水分を吸いとってくれる。
王は、パトリアスに冷淡に話しかけた。
「なんだ、文句があるなら言え」
「……失礼いたしました」
騎士らしからぬ態度は改めず、王の中でパトリアスの印象は悪化するばかりだ。
ノーマンドはひそかにため息をついて、王に向かってお辞儀をしつつ尋ねる。
「かような場にご足労頂きまして、ありがとうございます。何かご要望でしょうか」
鼻を鳴らして王はそっけなく答えた。
「客人だ。我が友である。同席しろ」
――友?
王が友という間柄の人物は、限られていた。皆癖の強い者ばかりで、王族から庶民までいる。
冬の時期は、雪道で外からの来訪が厳しいため、近隣の町からやってきた可能性が高いだろうと踏む。
身なりを整えて、大食堂に顔を出したノーマンドは、手前の席に腰掛ける美青年を見つけて意外だと感じた。
癖のある茶髪を肩付近で揺らし、瞳を手元の根菜の煮込み料理に向けて、匙ですくうと頬張った。彼は愛の神に守られし、ファエル国の王イルディスである。
まだ三十半ばの歳若い王ではあるが、ウィルマーとは戦法で意気投合したらしく、たびたび城に招かれている。
真冬の時期なのは珍しいが、我が王が強引に誘ったのであろう。
背筋が震えた。
――何か、嫌な予感がする。
王を見やると、口元に笑みを浮かべていた。視線が絡み、それだけで心臓が跳ねてしまう。
ノーマンドは表情に出さぬよう努めて、まっすぐに王を見つめ返す。
「失礼。貴殿は宰相のノーマンド殿か」
「……申し訳ありません、挨拶が遅れてしまいました、その通りです、イルディス様」
「良く来たなイルディス。ちょうど良かった、お前の婚姻の話しを聞かせろ」
婚姻という言葉に、胸騒ぎを覚えた。
ノーマンドは、この場にいるのは三人だけであり、あまりにも無防備過ぎると訝しむ。
長い卓の手前に座るイルディスは頷くと、宙を見据えて両腕を広げた。
「私は、騎士を伴侶にする」
ノーマンドは、我が耳を疑った。
「い、いまなんと」
尋ねるな、と本能が警告しているが、言葉は止められない。
王に肩を掴まれて、無理矢理椅子に座らせられた。
王の隣に座り、ノーマンドは視線を彷徨わせる。
イルディスの正面に座った王は、顔を突き出して話しの続きを促す。
「私は、ハルンドとはかねてから恋仲で、とうとう奴から求婚されてな、受け入れたんだ」
「ほう。臣下との婚姻、しかも男同士で、よく民に受け入れられたな」
王の疑問に、イルディスは上ずった声で答える。
「我が守護神の怒りに触れたが、根気よく対話して赦しを得たんだ」
イルディスの様子からして、事実のようだ。
突然、王がノーマンドの肩を引き寄せると、声を張り上げた。
「こいつは、俺を好きなくせに、俺を拒絶する。お前ならば、どうする」
ノーマンドは呼吸が止まったかのように錯覚する。
「へ、陛下! な、何をなさるおつもりですか!?」
戯れにしては、あまりにも同盟国の王に失礼ではないか。
だが、本心では、イルディスがどう反応するかが気になって仕方がない。
イルディスは肩をすくめて言い捨てる。
「ならば、分からせるしかないな。いっそ閉じ込めるか」
「イルディス様……っ」
一番言われたくなかった言葉を返されてしまい、ノーマンドは目眩を覚えた。
「宰相ノーマンドを、俺の私室の奥に閉じ込めろ!」
王は怒鳴るような声音で、衛兵を呼びつける。
ノーマンドは椅子から立ち上がるが、動作がゆっくりになって、頭がぼんやりした。
「いけません、このような真似」
顔を振るノーマンドを、衛兵二人がしっかりと拘束すると、食堂から引きずり出す。
「ハ……ハハハハハハッこれでお前は決して俺から逃げられんぞ! お前が観念するまで閉じ込めてやろう!!」
狂ったように笑う王の叫声に、イルディスの戸惑うような声が混じる。
ノーマンドは唇を噛みしめて震えた。
――陛下、私はどうすればいいのです。
シュテンブルの守護神は、戦神であり、その背負った業のために、正しき愛以外は認めない。
王の欲望に満ちた愛を、赦すはずがないのだ。
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