第四話

第四話

────午後八時。『オカルト研究会』部室。


強化魔術というものは、魔術師が魔道を歩み始めて最初に学ぶ魔術である。

自身の肉体や武具など、物質に魂から捻出した魔力を流す、或いは纏わせることでその物質が内包する概念をより強くする。それが強化魔術の本質であり、究極だ。

その性能のシンプルさ故に、極めることは困難かつ無意味とされ、実戦で使えるレベルまで鍛えれば、後は独自の魔術の研鑽へとシフトするのが、魔術師にとって常識とされている。


だが、十六夜いざよい龍斗りゅうとは父親より強化魔術しか教えられなかった。

それゆえに、彼はその一つのみを父親の没後、数年間に渡り休むことなく鍛え、磨き続けてきた。


結果、龍斗りゅうとは強化魔術のみに限り、一流の魔術師を上回る練度を身に付けるに至った。

故に、龍斗は並大抵の怪異が相手ならば問題なく対処できる実力を有している。実際、彼はこれまでオカルト部の付き添いで同行した心霊スポット等で遭遇した多くの怪異を退けてきた。

・・・その経験が、激しく叫んでいる。


───は危険だ、と。


理由は簡単。魔力による強化があったとはいえ、二階まで容易く到達する脚力を以て蹴撃を叩き込んだのに、

背筋に冷や汗が流れ、手足は小刻みに震える。

さまざまな怪異を退けてきた龍斗にとって、初めてのことだった。


「り、龍斗・・・」

「ッ!無事か瑠衣!」


背後から聞こえた瑠衣の声に、龍斗は背後に振り向いた。

周囲に転がった死体が視界に映り、思わず顔をしかめたが、すぐに切り替えて彼女の安否を確認する。

飛び散った血を浴びて、真っ赤に染まってはいるが怪我は無い。ほっと胸を撫で下ろして、何が起きたかを尋ねた。


「一体何したんだ?」

「七不思議を、確かめようとして、こっくりさんをしてたら、藤原たちが来て・・・」


瑠衣はそこまで言って、酷く怯えたように口許を抑え、汲み上げてくる吐き気のままに胃の中身を全て吐き出した。

彼女の背中を優しく擦りながら、周囲を見渡す。

すぐ近くに、大柄な首から上の無い遺体が転がっている。───藤原だろう。

あまりに無残かつ人智を超えた遺体の損壊から、呼び出された怪異に殺された、と理解する。

更に本棚の方へと視線を向けると、倒壊した棚の上には無数の死体が転がっている。恐らくは、藤原の取り巻き連中だろう。

そして、その下に、蓮が横たわっていた。

リンチを受けたのか、顔は赤黒く腫れ上がり、幾つもの打撲傷があるが、どうやら生きてはいるようだった。


────背後に、ゾクリとした気配を感じる。


ばっと勢い良く振り向く。

すると、いつの間に抜け出したのか、どこまでも白い少女が不気味な笑顔を浮かべて宙に浮かんでいた。

龍斗は咄嗟に立ち上がると、瑠衣へと指示を飛ばした。


「蓮を連れて逃げろッ!!」

「で、でも」

「良いからッ!───こいつは俺が足止めする」


困惑する瑠衣に、龍斗は不敵に笑って答えた。

手の震えはまだ治まらない。涌き出る冷や汗は量を増して、心臓は通常時の倍で鼓動を刻む。

───逃げ出したい。けれど、此処で逃げたら、

それだけはダメだ。

それだけは許されない。

此処で逃げれば────


震えは、治まっていた。

代わりに、戦意が溢れてくる。

────心臓に、火を灯す。

どくん、と荒れ狂う魔力が全身に流れ出す。

龍斗の覚悟と彼の雰囲気が一変したのを感じ取り、瑠衣は本の海から蓮を引っ張り出すと、強引に立たせて出口に向かう。


「龍斗ッ!!・・・死なないでよ」


龍斗はサムズアップで応えると、瑠衣は教室から出ていった。

白い少女が、視線だけで瑠衣を追う。

ゆらり、と枯れ木のような細腕が掲げられる。

それが攻撃の予備動作だと見抜いた龍斗は、獣の如き俊敏さで彼女の眼前に踊り出し、渾身の力を込めてその顔面を蹴り抜いた。

先ほどよりも出力を上げた強化魔術と鍛え上げた格闘技術によって繰り出された蹴撃は、少女の体を易々と蹴り飛ばし、黒板を破壊しながら隣の教室へと大穴を開けた。

タイミング、角度ともに完璧。並大抵の怪異ならばこの一撃で決着がつく。

だが─────。


「・・・マジかよ」


大穴の向こうから、何事もなかったかのように白い少女は姿を見せる。相変わらず浮いたままだ。

確実に蹴り抜いた筈の顔面には、傷痕の一つも見当たらない。

つまるところ────彼女にとって、さっきの一撃は効いていなかったということだ。


脳裏によぎる絶望を振り払い、龍斗は意識を整える。

強化魔術も先ほどより出力を上げ、今までの戦いの中で最高出力と言えるほどの強化を全身に施す。

不気味な笑顔を浮かべ、ただ此方を眺める白い少女を睨み付け、龍斗は構える。

左拳を少し前に出し、右拳は顎を守るように添える、キックボクシング風の構えだ。

限界まで強化を掛けた鉄拳は鋼鉄をも易々と砕くだろう。

大きく息を吸い込み、龍斗は床を蹴った。


         ◇◇◇


白雪しらゆき綾乃あやのは一人、破軍学園の校舎を見上げながら、立ち尽くしていた。


「何・・・これ・・・」


今まで体感したことの無い、圧倒的な呪詛の密度。

この濃度は、常人が立ち入れば即座に発狂するレベルのものだ。

明らかに普通ではない。異常という言葉すら生温い事象だ。

綾乃は担いでいた竹刀袋から銀色の槍を取り出すと、勢い良く駆け出す。

一刻も速く、この呪詛を祓わなければ、間違いなくこの校舎はに変質する。

一流の陸上選手を凌駕するスピードで昇降口に辿り着くと、二階へと続く階段から、人影が降りてくる。

警戒を露に、捻出した魔力を槍に纏わせ、戦闘態勢へと移る。

すると────


「・・・蓮、くん・・・?」


龍斗の友人である、天原蓮を担いだ少女が、息も絶え絶えになりながらゆっくりと階段を降りてきた。

綾乃は槍に纏わせていた魔力を霧散させると、二人に駆け寄る。


「大丈夫ですかッ!?」

「はぁ、はぁ、はぁ・・・誰だかわからないけど、の仲間ってわけじゃなさそうね・・・もしかして、蓮が言ってた転校生ってあなた?」

「え、ええ。そうですけど・・・って、ひどい怪我じゃないですか!」

「え?ああ、私のこれは返り血・・・で良いのかしら、まあ、私の血じゃないから安心して」


少女は苦笑しながらそう応えると、ちらりと背中の蓮を見やり、表情を深刻かつ真剣なモノに変える。


「ただ、蓮はヤバい。さんざん殴られたからね」

「殴られたって・・・」

「それより、今は私たちよりも龍斗の方が危険」

「ッ・・・!?」

「あいつ、私たちを逃がすために、一人で化け物と戦ってるのよ。あなた、その手に持ってる槍?から察するに、のと戦えるんでしょ?」

「そう、ですけど・・・」

「だったら、私たちは大丈夫だから。龍斗を助けてやって」


瑠衣がそう言うや否や、綾乃は頷き、二人の制服に回避エイワズ加護アルギズのルーンを書き込む。これで並大抵の怪異や呪詛ならば弾けるだろう。

確実に術式が起動したことを確認すると、綾乃は階段を駆け上がる。

その刹那に、


「必ず龍くんは連れて来ます!」


と瑠衣に告げて。



ルーンによる加護の影響で、何事もなく昇降口まで辿り着いた瑠衣は蓮を背負ったまま、外へ出ようとする────


───ばちん、と見えない壁が、二人を押し返した。


「・・・は?」


呆けた声が洩れた。

それもそのはず、やっとの思いで辿り着いた出口でこの仕打ちだ。

ホラー映画や創作物では使い古されたありきたりな仕掛けではあるが、現実で行われるとここまで絶望を味あわせるのか。


「ふざ───けんなッ!!」


怒声とともに、不可視の壁を蹴る。

何度も、何度も。

その度に走る脚の痛みも、頬を流れ落ちる熱いモノも、今だけは無視する。


「くそっ!くそっ!くそっ!くそッ・・・!」


数十を超えた時、脚は勝手に止まった。

筋肉疲労と苦痛で軋む脚とは裏腹に、不可視の壁は相変わらず無慈悲に阻んでいる。

全身の力が抜け、へたりと踞る。背負っていた蓮の体が、緩やかに地面に倒れるのを、滲んだ視界の端に捉え、瑠衣は俯いた。


"─────終わりか"


どうしようもない諦念が瑠衣の思考回路を埋め尽くす。

涙は無意識に溢れ、折れかかった心は体から活力を奪う。抗う気力もなく、諦念すら既に通り越した。

そんな中で────


────かつん、と音がした。


軽やかで、小気味の良い音。

その音は、間違いなく不可視の壁の向こう───外から聞こえていた。

音はやがて人の形となり、見慣れたの姿を見せた。


「────ふむ。嫌な予感がしたから来てみれば・・・なるほど、これは面倒だ」


何時もの彼女と何ら変わらない、飄々とした口調。

周囲をちらりと一瞥し、彼女は片手を上げて、不可視の壁へと指を走らせた。


「"弾けろハガラズ"」


一小節の詠唱とともに眩い閃光が迸り、不可視の壁があっさりと粉砕された。

それは、子供が作った砂の城をただ一度飲み込んだだけで無に返す波の如き圧倒的な力だった。

彼女───あかつき美峰みほは、今行った事象は当然だと言わんばかりに落ち着いていて、羽織っている深紅のコートの胸ポケットから煙草の箱を取り出すと、一本咥えて火をつけた。


「さて───私の庭で無礼を働く害獣に躾をしなければな」


嗜虐的に口許を歪め、彼女は校舎に踏み込む。

そうして、周囲を見渡して、真正面に踞る瑠衣を視界に納めると、彼女は一瞬、眼を丸くすると、後頭部を掻きながら呟いた。


「・・・この煙草の件は、胸に閉まっていてくれないか?」


────締まらないな、と瑠衣は苦笑した。


         ◇◇◇


音速に届かんとする鉄拳が、白い少女の腹に直撃し、矮躯を天井へと跳ね上げる。

次いで、天井にバウンドして落ちてきた少女めがけて、側頭部に蹴り込み、蹴り飛ばす。

少女の体は無数の椅子と机を巻き込みながら床に転がり、床を抉る。

並大抵の不良や怪異ならばこの連撃で決着がつく。

だが─────。


「バケモンめ・・・ッ!」


───白い少女は、何事もなかったように再び、宙空へと浮かんでいる。

先ほどから、この繰り返しだ。

少女は龍斗に何も手を出さず、龍斗の猛攻をただ黙って受け続け、無傷のまま浮かぶ。


───まるで壊れない風船を殴っているみたいだ。


龍斗は沸き起こる恐怖心を殺しながら、そう思った。

少女の片腕がゆらりと持ち上げられる。

視界に捉えたそれを、本能が危険だ、と叫ぶ。

龍斗の体は思考するよりも速く、逃走行為へと移る。脚の筋肉が活性化し、爆発的な脚力を発揮するべく準備を整える。

だが、それより速く、少女の"攻撃"は、音も姿もなく放たれた。


「が─────ッ!!!!」


かつてない程の衝撃。

見えない、音もない一撃はしかしてその質量を確かに感じさせる。例えるなら、固定した空気をそのまま高速で叩きつけたような一撃だった。

龍斗の体は、風に吹かれた木葉のように吹き飛び、背中から壁に叩きつけられ、そのまま崩れ落ちた。


「げほッ・・・げほッ・・・!」


全身の骨と筋肉が軋みを上げている。神経は苦痛のシグナルを鳴り響かせ、内臓にも少なくないダメージがある。

最高出力で身体強化を使っていなければ、間違いなく今の攻撃で致命傷になっていただろう。

龍斗はよろよろとふらつく脚で何とか立ち上がる。

脚のダメージが思ったより大きい。蹴りはもう使えない。だが、まだ拳は使える。

龍斗は残った魔力の大半を拳に載せる。

大きく息を吸い込み、拳を構える。

少女が再び片手をもたげる。

あの一撃をもう一度でも受ければ、その時こそ終わりだ。ならば、アレを撃たれる前に攻める。

極僅かな魔力で補強した脚に力を込め、踏み出そうとした刹那────。


一陣の風が吹き抜けた。


白く、長い髪が風に踊る。頭上の狐耳は逆立ち、ひどく眼を引く尻尾もまた激しく揺れている。

白銀のコートを靡かせ、これまた同じく銀色の槍を掲げる少女───白雪綾乃が、龍斗と少女を別つように立っていた。


「───術式起動」


凛とした声音。冬のような冷たさを孕んだ攻撃の合図とともに、槍の穂先を少女へと突きつける。


「"霙薔薇みぞればら"」


練り上げた魔力が大気を走り、その射線上を冷気がなぞる。少女の足下から無数の氷で出来た薔薇が形成され、少女の全身を絡め取り、氷漬けにする。

確実に少女が凍り付いたのを確認すると、綾乃は振り返り、背後で立ち尽くしていた龍斗へと勢い良く駆け寄る。


「大丈夫!?怪我は無いって、ああ!!ぼろぼろじゃん!!痛いとこない!?」

「あー・・・とりあえずは、そこまででもねえよ。鍛えてるし、強化も掛けてたから」

「そ、そう・・・って、えぇ!?強化って、もしかして強化魔術のこと!?」

「そうだけど・・・あ、言ってなかったな」

「初耳だよまったく!!」


────二人の運命が、回り出す。


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WIZARD×BLADE @Ryuugazaki

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