第三話


───午後七時。破軍学園二階「オカルト研究会」部室。


「なあ・・・ホントにやるのか?」


不安を滲ませながら、天原あまばられんはパイプ椅子に腰掛け、ホラー小説を読み耽る眼鏡を掛けた栗色の髪の少女──雛形ひながた留衣るいに問い掛けた。


留衣は読んでいた本──『ドグラ・マグラ』下巻を閉じ、机に置くと蓮へとじとりとした視線を向けて呆れたように答えた。


「やるに決まってんでしょ。わざわざ準備もしたんだから」


言いながら、留衣はリュックサックの中から、折り畳んだ一枚の紙を取り出して机の上に広げた。


鳥居のイラストを挟むように「はい」と「いいえ」が記され、その下にはあ行からわ行までの五十音表に1から9までの数字が描かれた紙。


いわゆる、「こっくりさん」と呼ばれる降霊術の儀式に用いられる紙だ。


留衣は財布から十円玉を取り出すと、鳥居の上に置く。そして蓮へと声をかけた。


「ほら、そこ座って」


指を指して示されたのは、留衣の向かい側。

蓮は渋々椅子を引いて座る。


「やり方は知ってるわよね?」

「ああ。そりゃ有名だしな」


日頃から、オカルトを取り扱ったサイトを巡ったり、数々のホラー映画や漫画などを見てきた蓮にとっては、こっくりさんは最早身近なモノだった。

無論、実践したことはないが。


ちらり、と壁に掛かっている時計を見れば、針は七時半に指し掛かっている。何時警備員や残っている教師に気づかれるかわからないのだ、手早く済ませてしまおう。


学園の七不思議を確かめるためにこっくりさんを行い、学園内の波長を高め、霊や怪異を出現しやすくする。数多の心霊本を読み漁った留衣が建てたプランだ。

実にオカルト的な手法で、俄には信じがたい手段だと、蓮は内心ため息をつく。


「じゃ・・・始めるわよ」

「・・・おう」


意気揚々と十円玉に指を置く留衣にならい、蓮も人差し指を十円玉に重ねた。


「「"こっくりさん こっくりさん。どうぞおいでください"」」


儀式を始める掛け声。心なしか、部屋の温度が下がった気がする。蓮はちらりと壁の隅に設置されている暖房に眼を向ける。

異常は無い。気のせいか、と思い直して留衣と向き合って指先に意識を集中する。


「で、質問はどうすんだ?」


紙に視線を落としたまま、留衣に問い掛ける。

こっくりさんとは霊を呼び出し、十円玉を触媒にして質問に答えてもらう降霊術だ。如何に校内の霊的波長を高めるだけの行為だとしても、決められた形式というものは重要だ。

特に、こういうオカルト関係は。


「んー・・・そうね。じゃあ、"破軍学園七不思議は本当ですか?"」


少し悩んでから留衣は質問する。

二人の指が重なった十円玉は両者の意識を外れ、ひとりでに動き出す。


──「はい」


示された言葉に、留衣の顔が喜色に満たされる。

続けて、蓮が質問。


「・・・"七不思議は、過去にあった事件が元になっていますか?"」


再び、十円玉が動く。


──「はい」


否定されることを望んでいた蓮は、肯定の言葉が示されたことで内心冷や汗をかく。

だがこれで、


こっくりさんは降霊術とされている。

だが───その本質は、テーブル・ターニングに起源を持つ占いの一種だ。西洋で広まったウィジャボードが、日本に持ち込まれた際に独自のアレンジが成されて広まったもの。それがこっくりさんだ。

科学的に言えば、その儀式を行っている者たちの無意識が肉体を無自覚に動かさせて十円玉を動かすといったもので、霊的な現象ではないというものがオカルト界隈では度々議題に上がっている。


だが、今回のコレは違う。

明らかに無意識とかそういうものではない。

「こっくりさんの答えは自分に備わった知識が無自覚に出力されている」という理論は、今この状況には当てはまらない。

何故なら──蓮と留衣が七不思議を知ったのはつい最近で、その情報もほぼ集まっていないからだ。


はじめての儀式で成功を引き当てるとは、蓮は内心興奮を覚えて、ごくりと生唾を呑み込んだ。


「・・・次、何か質問しなさいよ」


留衣が噛み締めるように呟いた。

蓮はその声を聞いて、慌てて質問を考える。


そして問いを発しようとして───。


ガラリ、と扉が開いた。

二人は突然の乱入者に視線を向ける。

其処には。


「おーおー、つまらねぇことやってんなぁ?オカルト研究会さんはよぉ」


下卑た笑みを浮かべた、康也こうやが数人の取り巻きを連れて立っていた。


◇◇


午後六時。十六夜宅。


ギシりと階段が軋む。

龍斗りゅうと綾乃あやのの二人は並んで階段を降りていた。

外は既に真っ暗で、綺麗な夜空には無数の星が散りばめられていて、春になりかけの冷たい風が肌を撫でた。


階段を下り終えると、綾乃は笑顔を浮かべて龍斗の前に一歩出た。


「じゃあ、また明日ね!」

「おう。明日な」


満面の笑みのまま、手を振って帰路に着く綾乃を見送る。

その後ろ姿が見えなくなった頃、龍斗は夜空を見上げながら階段を上がって、部屋に戻った。


玄関でサンダルを脱ぎ捨て、そのまま廊下を直進。1LDKの自室へと入って、手早くランニングウェアに着替える。上下黒。夜に溶け込む色だ。

スマホと財布をポケットに突っ込み、エアマックスを履いて、再度外に出る。


階段を駆け降りると、そのスピードを維持したまま、走り出す。

冷えた空気を肩で切りながら走る。

短く、浅く吐き出す息は白く濁って夜の闇に溶けていく。


「はっ、はっ、はっ」


日課のランニングはだいたい十キロほど走る。

通行人を追い越し、見慣れた道路を走り抜け、何時もの公園にたどり着く。

滑り台とブランコ、ベンチしかない、質素な公園だ。

龍斗は程よくかいた汗を拭い、公園の奥にあるベンチに座り込んで夜空を眺める。

──満天の星空だ。

宝石をばらまいたように輝く星が、夜の闇を泳いでいる。そんな空模様を見ていると、肌寒い風が吹いて、背筋が震えた。


「さて、と」


龍斗は立ち上がると、トレーニングを再開する。

今度はランニングではなく、拳を構えて、空気を叩く──いわゆる、シャドーボクシングというヤツだ。

規則正しく、同じ箇所に一定のリズムで拳を突き込む。徐々に速度を上げ、時折蹴りも混ぜる。


十数分、一連の動作を繰り返すと、龍斗は拳を下ろし、眼を閉じた。

浅く短い呼吸から、深く長い呼吸へと変える。

視覚を閉じたことで全身の感覚が鋭敏に変化。研ぎ澄ました集中力で、全身に意識を巡らせる。


──心臓に、火を灯すイメージ。


ドクン、と鼓動の音が聞こえる。

自身の内から、『力』が湧き出る感覚。

その感覚を、全身に広げていく。体が熱を持ち、思考が加速していく。


『魔力』が全身に行き渡ったのを確認し、龍斗は眼を開き、再び拳を構えた。


「──フッ」


短く息を吐き出すと同時に右拳を突き出す。

その速度は、先ほどとは桁違いに速かった。

パンッと空気の壁を破る音が鼓膜に届き、龍斗は更に連続で拳を突き出す。

その様はまさしく機関銃の掃射を連想させた。

時折混ぜる蹴りも、先刻とは段違いのキレと速度を発揮し、空気の壁を切り裂いた。


『強化』。基礎的な魔術の一つで、魔力を流す、或いは纏わせることで存在の概念を補強し、その性質や能力を向上させる。魔術師ならば誰もが使える技能だ。

龍斗は父親──十六夜いざよい光明こうめいが死ぬ直前に教えたこの技を、欠かすことなく続けていた。


拳が大気を穿ち、空気が爆ぜる音が轟く。

龍斗は体をぐるんと反転させて跳躍、後ろ回し蹴りを放つ。脳内で構築した仮想敵が、地面に沈む。

そのまま蹴り足で着地すると、前髪を掻き上げて、呼吸を整える。


「ふぅ・・・」


全身に掛けていた強化を解く。

内側で燃え盛っていた魔力の波が引いていき、肉体は通常時に戻った。


◇◇


日課のトレーニングメニューを終えた龍斗は、すぐ近くの自販機で購入した天然水を片手に、ベンチに座って休憩していた。


「・・・綺麗な星空だな」


感嘆の息を漏らしながら呟く。

ペットボトルの水を呷って、空になった容器をバスケのジャンプシュートのように公園入口の傍にあるゴミ箱に投げ入れる。

カラン、と音を立ててペットボトルがゴミ箱の中に入ったのを見届け、小さくガッツポーズする。


何気なく、ズボンのポケットからスマホを取り出して画面を点ける。

表示された時刻は午後七時半を示していた。

どうやら鍛練に集中している間に、一時間以上経過していたらしい。

龍斗は後頭部を掻いて、スマホをポケットにしまうと、公園から出た。

帰り道を走って帰ろうと走り出そうとした瞬間。ポケットのスマホが鳴動した。


「誰だ?・・・って、蓮か」


表示された名前を見て、龍斗はメッセージをタップし、SNSアプリを開く。

そして──そのメッセージを見た龍斗は、急いで走り出した。

家ではなく、学校へ向けて。


《蓮:『助けて』》


◇◇


午後七時半。朝凪市某所、白雪家。


龍斗の家から戻った綾乃は自宅にて夕食を済ませ、私服に着替えると武具のメンテナンスに勤しんでいた。


「よし・・・」


綾乃は、掲げた愛槍を見上げ、そう呟いた。

チラリと壁に掛けてある時計を見ると、針は七時半を示そうとしていた。

綾乃は一息つくと、ソファから立ち上がる。

黒いシャツの上に魔術的な処理を施した白いコートを羽織り、テーブルに置いていた呪文を刻んだ札と魔力を籠めたカートリッジを手に取る。

カートリッジは白夜の下部に叩き込み、真っ黒な竹刀袋に収納する。札の方はコートのポケットに突っ込む。

一通りの準備を終えて、綾乃は玄関を出た。


冷たい風が肌を撫で、心を冷やしていく。

綾乃は竹刀袋を背負い、周囲へと魔力感知を巡らせた。


(・・・目立った魔力反応は無い、か)


表情を崩さないまま、綾乃は自身のスイッチを切り替える。

意識を体に巡らせ、魔力を呼び起こす。


───心臓が、凍りつくイメージ。


全身に魔力が行き渡る。

感覚が研ぎ澄まされ、思考が速度を上げる。

綾乃は足下に転がっていた石を拾い、ルーン文字を刻む。刻んだ文字はベルカナ。探索の意味を持つルーン文字だ。

石は鮮やかな緑色の輝きを放ち、ひとりでに動き出す。

そのままジグザグに動いて、石は高速で離れて行った。

目当てのモノに行き当たった場合は、綾乃の脳裏に情報が送信される仕組みだ。


(理想郷アルカディアの方はこれで様子見かな。今日はとりあえず、学校の方を調べて見よう)


方針を決めると、綾乃は学校へ向けて走り出した。


◇◇


午後八時。破軍学園二階「オカルト研究会」部室。


「オラァッ!!」


怒号と共に、藤原の拳が蓮の顔を捉え、大きく殴り飛ばす。背中から本棚にぶつかり、衝撃で何冊か落下、蓮の体が本の海に沈む。


「ハッ、弱ッちぃなぁ、おい!」


片手でネクタイを緩めながら藤原は吐き捨て、くるりと背後へと視線を向ける。

そこには、両手をロープで縛られ、口に丸めたティッシュが詰め込まれた瑠衣が横たわっていた。

藤原は下卑た笑みを浮かべ、ゆっくりと近づくとしゃがんで瑠衣の顔を掴んだ。

 

「おーおー・・・なかなか良いじゃねぇか」


舌舐めずりしながら、藤原はシャツを脱いで筋肉質な上体を露にする。

横たわる瑠衣の上に馬乗りになると、視線を動かさずに待機させている手下達に指示を飛ばした。


「おい。その餓鬼、可愛がってやれ」


顎で指してやると、手下の不良達数人は、いまだ本の海に沈む蓮を踏みつけ始めた。


「おまえらは、警備員と先公が来ねぇように見張ってろ」

「は、はい!」


残った不良数人にそう言うと、慌てたように外に出ていった。

藤原は反抗的な眼光を向ける瑠衣を見下ろしながら、ズボンのチャックを下ろす。

下着の上からでも分かるほど膨らんだは凶悪なまでの存在感を放つ。


「さあて、久しぶりだ。楽しませてもらうぜ」

「んー!!んーっ!!」


抵抗しようと身を捩る瑠衣を力ずくで押さえつけ、藤原は慣れた手付きでスカートと下着を剥ぎ取る。

そのまま無理矢理脚を広げさせ、藤原は怒張を押し付け、一気に最奥を貫こうと腰に力を込め───。


───ぼちゅん、と冗談みたいな音が響いた。


途端、藤原の全身に生暖かい液体がぶちまけられる。鉄のような匂いと、薔薇のような赤さ。

瞬時に、血だと気づく。

恐る恐る振り向けば、そこには、上半身が消し飛び、下半身だけとなった人間だった者の残骸が立ち尽くしていた。


「・・・は・・・?あ・・・え・・・?」


現実を受け入れられないのか、藤原はひきつった笑みを浮かべて呆然とする。

すると──無邪気な笑い声が部屋に響いた。

まるで、新しい玩具を見つけた子供のような声。

少女のような。

少年のような、性別の判断がつかない声音。

笑い声は絶え間なく響き渡り、徐々に大きくなっていく。やがてスピーカーの音量を最大まで上げたように、笑い声は轟く。


そして───ぴたり、と止んだ。


藤原と瑠衣、そしてリンチから解放された蓮の視線が一つに重なる。

机。先ほどまでこっくりさんなる儀式を行っていた場所に。

瑠衣と蓮の脳裏に、が過る。


"───"


机の上に、いつの間にか少女が立っていた。

年齢はおよそ十歳程度。

この上なく白い少女だった。

白絹のような長髪、病的に白い肌、身に纏う着物すら真っ白だ。そんな中、両目だけが深海のように黒い。

一言で言うならば異質。どこまでも怪しく、どこまでも美しい。

まるで絵画の中から飛び出たかのよう。

人ならざる美しさと狂気を孕むその在り方は、まさしく現実に空いた孔のようだった。


「え、あ、え?だ、誰だよ」


藤原は混乱と恐怖に支配された思考で問う。

少女は答えない。妖しく笑うだけだ。

ふと、瑠衣の視線が机の上──少女の足下に向いた。

こっくりさんの紙。その上に、少女は浮かんでいる。そして、紙の上に置かれた十円玉が狂ったように動いていた。

瑠衣は脳裏に紙に描かれた五十音表を思い浮かべ、十円玉の動きから文章を構築する。


『みんな死ね』


それが、導きだした答えだった。

瑠衣の背筋が凍りつく。

藤原はいまだ困惑から脱け出せないまま、少女の方を見ている。

少女は相変わらず美しい笑みを頬に刻みながら、人差し指を藤原に向けた。


「ばん」


軽やかな声だった。

脳裏に染み付くような妖艶で不気味な軽やかさを認識した刹那、藤原の頭部が膨張する。


「あ、は?」


そして───パンッと弾けた。

まるで、パンパンに膨らんだ風船に針を突き立てたように呆気なく、藤原の頭部は弾け飛び、脳漿をぶちまけた。

びちゃりと瑠衣の全身に、藤原の血潮と脳漿が降りかかる。その凄惨な光景と口に詰め込まれたティッシュに染み込んできた血の味に耐えきれず、瑠衣は胃の中身を床にぶちまけた。


「お、おぇぇぇ・・・ッ」


その様子を見下ろしながら、再び少女は哄笑を始めた。きゃはきゃはと無邪気で残忍さを孕んだ笑い声が鼓膜を越えて、脳を揺らす。


心が折れそうになる圧倒的な恐怖。

体はがくがくと震え、呼吸の仕方すら忘れそうになる。


やがて──少女の視線が瑠衣に向いた。

新たな玩具を見つけた少女は獰猛で不気味な笑みを刻み、ふわりと浮き上がる。

風に流された花のようにゆったりとした速度で、少女は瑠衣に近づいていく。


───死ぬのか、私は。


どうしようもない現実に絶望を抱く。

体はとっくに恐怖に負け、生存本能すらも放棄していた。

迫る少女。目の前の光景が何倍にも遅く感じられる。その中で──ぱりん、とガラスが割れる音が響いた。


何だ、と考えるまもなく、窓から飛び込んだによって、少女が蹴り飛ばされる。


幼い矮躯が吹き飛び、部屋の隅にある掃除用具入れに突っ込み、埃が舞う。


軽やかに着地した男──艶やかな黒髪に、爛々と輝く緋い眼に、怒りを滲ませた少年。

──十六夜龍斗は剣呑な眼差しで少女に問い掛けた。


「──俺の友達ダチに、なにしてんだてめえ」


──運命が廻りだそうとしていた。

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