第二話


───午後4時半。破軍学園一階保健室にて。


コンコン、と控えめにドアをノックする。

中から「良いよ」と返答があると、綾乃は一度左右を見て周囲を確認し、入室する。


「やあ。久しぶりだね、綾乃ちゃん」

「はい。お久しぶりです──師匠せんせい


クリーム色のカーテンで仕切られたベッドを背に、椅子に腰掛けながら珈琲を啜るニヒルな雰囲気を纏った女性──破軍学園保険医にして、である暁美峰は不敵な笑みと共に片手を挙げた。


「二年ぶりかな?」

「そうですね。確か、朝凪支部に配属になってからは会えませんでしたから」

「そうだったかな?たまには本部にも顔を出したいんだけどね、生憎と朝凪ここの支部は年中人手不足でね。そんな中で優秀な私が離れる訳にもいかないだろう」

「ええ、それは分かってます・・・けど、の事は伝えておいてくれても良かったんじゃないですか?」


ムッと口を尖らせて不満を伝えてやると、美峰は一瞬キョトンとするが、直ぐに理解したのかにやりと意地悪そうに微笑むと綾乃をからかい出す。


「いやなに、愛弟子が来るんだからそりゃあサプライズの一つはしたくなるだろう?」

「その気持ちは分かりますけど・・・こっちは数年振りの再会なんですよ!お陰で、クラスメイトの目の前で抱きついちゃったじゃないですか!!」

「はっはっはっ!そりゃ傑作だ!カメラでもセットしておけば良かったよ!」


相変わらずドSだなこの人。

綾乃は涙眼になりながら、腹を抱えて爆笑する彼女の対面の椅子に座る。

こほんと咳払いし、真剣な表情を浮かべると、察した美峰もまた不敵な笑みを口許に刻んだ。


「───洸靈会こうれいかいから、指令が出ました。聖遺物『理想郷アルカディア』の波長が朝凪市にて確認、直ちに回収せよ・・・と」


──沈黙が部屋を支配する。

稼働する換気扇の音がいやに大きく聞こえる。

美峰は白衣から煙草を一箱出すと、慣れた手つきで一本引き抜き、口に咥えた。


「・・・理想郷か、これまた随分と貴重な代物の名が出たな」


憂鬱そうな笑みを浮かべ、美峰は煙草に火を着けた。

本来なら止めるべきだろうが、この部屋に結界が張ってあることは気づいていたため、綾乃は黙って彼女が紫煙を燻らせるのを見ていた。


「ええ、理想郷はかのアーサー王が振るったとされる『勝利をもたらす剣エクスカリバー』と同一の起源を持つ武具──"神器じんき"の一振りですからね」

「神器、か・・・世界で数個しかない神秘中の神秘がなぜ日本の一地方都市にあるんだろうね?」

「さあ、そこまでは・・・」

「いくら朝凪市ここが霊脈的に優れた土地が多くあるとは言え、そんなレア物が引き寄せられるとは思えない。・・・となると、は本当だったというわけか」


通常、聖遺物というのは歴史的にも魔術的にも神秘が色濃く残った場所に引き寄せられる傾向にある。

大抵が遺跡や山奥など、人の手が入りにくい場所にそれらはいつの間にか存在しているのだ。


故に、幾ら霊脈が優れていようと一地方都市に聖遺物が引き寄せられる筈はない。

───最もそれは、通常ならばの話だが。


「・・・霊脈のですね」

「そうだ。もともと、私が派遣されたのもその調査のためだしね」


もともと、朝凪市は霊脈が活発で優れた土地を複数有する場所として知られており、魔術界では呪術の本場である京都と並ぶ知名度を誇っている。

霊脈の良し悪しは魔術に取って重要な要素の一つだ。

単純な結界術一つ取っても土地の霊脈によって効果に差が出ることは確認されているし、風水や陰陽系統の術式は霊脈が生命線となる。霊脈の状態悪化により、時には一つの家系が衰退の一途を辿ることは、そう珍しくはない。

だからこそ、魔術師たちは霊脈を徹底的に管理・運営し最善の状態を維持するのだ。


故に、古くから朝凪市は多くの魔術師たちが優れた土地を求めて訪れる聖地の一つとして扱われてきた。

時には土地を巡って抗争が繰り広げられ、多大な犠牲者を出したことも記録に残っている。

洸靈会が朝凪市に支部を置いてからはそうした事件は少なくなっていたが──三年前に突如として流れた噂によって、魔術界は今大きく荒れている。


──"朝凪市の霊脈が異常に活性化している"。


誰が流したのかも解らない、本当かどうかすら判別すら出来ない一過性の流行のようなもの。それが美峰の当初の見解だった。

だが──霊脈の異常活性が事実であることを裏付けるように、朝凪市に置ける怪異の発生数がしている。

それに加え、各地から己が魔術を研鑽しようと多くの魔術師が此処を狙って小競り合いを繰り返している。日本有数の影響力を持つ洸靈会と言えども、抑えが効きにくくなっているのが現状だ。

だからこそ、美峰は理解した。


───この噂は恐らく真実だ。


美峰の直感が真実に指先掛かったところにこの報告だ。もはや疑う余地はない。


「私が此処に来てから、一年単位で二十件以上の怪異事件が起こっている。これは異常な数だ。霊脈の異常活性と言うよりかは、と言った方が良い」


怪異というものは、通常ならば百件あった内一件か二件ホンモノが混ざっているくらいで、ほぼ偶然の一致か気のせいで済ませられる。

だからこそ、この街の事態は異常だ。

一年の内に二十件もの怪異が起こっているのだから。


「ですね。私も久しぶりにこの街に来ましたけど・・・はっきりいって、信じられませんでした」

「この学校の事だろう?私も絶句したさ、あまりの呪詛の多さにな」


溜め息混じりの美峰の言葉に、綾乃は重々しく頷いた。


「全く、なにをどうやったらこんなに呪詛が集まるのかね。蠱毒か降霊術でも失敗したのかな?」

「せんせいでも、祓えないんですか?」

「ああ。試しに一度祓おうと思っては見たんだがね。表面の呪詛を消しても、その奥から更に溢れ出てくるんだ。恐らく、根本を浄化しなければこの学校の呪詛は祓えないだろう」

「根本・・・?もしかして、呪物ですか?」

「さてね、二年間調べてはいるんだが、さっぱりだ。四六時中探索の術式を稼働させても手がかり一つ得られやしない。おかげさまで結界を張って呪詛の拡大を抑制するので精一杯さ」


吸いきった煙草を携帯灰皿に押し付け、美峰は呆れたように肺の中の煙を吐き出した。


「じゃあ、明日からは私も探索に協力します」

「はは。気持ちは嬉しいが、聖遺物の捜索は良いのかい?」

「もちろん、そっちも並行してやりますよ。この学校の生徒に何かあってからじゃ遅いですから!」

「・・・十六夜くんのため、じゃないのかい?」


嗜虐的に笑いながら、美峰はそう尋ねる。

綾乃は一瞬で白い肌を真っ赤に染め上げると、尻尾を激しく動かして、両手をわたわたと突き出した。


「や、やだな~!そんなこと、あるわけないじゃないですか~!」


──バレバレだよ。

必死に弁明を重ねる綾乃を尻目に、美峰は二本目の煙草を口に咥えて火を着けた。


「それより、彼は良いのかい?待たせてるんだろう?」

「え?・・・あ」

「やれやれ。仕事にとりかかるのは、明日からで良い。今日は思う存分愛しの彼を堪能したまえ。あぁ、これからはいつも堪能できるのか」

「そ、そんなことしませんよ!!」

「まあ、冗談はさておき。節度はわきまえたまえよ?君がもし彼と一晩過ごして枷が外れて彼を襲って子供ができちまったら、私は寂しくて死んでしまう」

「まだそこまで進んでないです!?」

「ほう?まだ?」

「あっ・・・くぅ、相変わらず意地悪ですね」


プルプルと狐耳を振るわせて涙眼になった綾乃に苦笑しながら、美峰は白衣のポケットから五枚の札を取り出して、手渡した。


「これって・・・」

「私特製の護符さ。効き目は保証する。十六夜くんに渡すと良い」

「良いんですか?」

「もちろん。結界の構築で余った代物だからね、破棄するくらいなら有効活用して貰ったほうが良いだろう」

「ありがとうございます。じゃあ、私はこれで」


深くお辞儀をして、綾乃は立ち上がり保健室から立ち去る。

その後ろ姿を手を振って見送り、三本目の煙草に火を着けた。


吐き出した紫煙が換気扇に吸い込まれていくのを眺めて、美峰は静かに眼を閉じる。


───事態が動き出す。そんな予感を感じながら。


◇◇


「ごめん、待った?」


保健室から出て急ぎ足で玄関に向かい、壁に背中を預けて佇む龍斗りゅうとにそう問いかける。彼はゆっくりと顔を此方に向けて何でもないように答えた。


「いや、そこまで待ってねーよ。何の用事だったんだ?」

「たいした用事じゃないよ。まあ、体調悪くなったら何時でも来て良いからねって説明受けてきた感じ」


まさか包み隠さず魔術の事について教える訳にもいかない。彼は──龍斗は一般人だ。綾乃の尻尾や耳が見えるということは、魔術師としての素質が高いということを示してはいるが、それでも、彼は

魔術とは関係のない、戦闘力が高いだけの普通の高校生なのだ。


そんな彼を、人外魔境が蔓延る世界に巻き込むことなど出来ない。綾乃は長い魔術師稼業で培った演技力を最大限生かして誤魔化す。


「ふーん・・・じゃ、さっさと帰ろうぜ」


どうやら上手く誤魔化せたようだ。綾乃は小さく安堵の息を漏らす。


地面に置いていた真っ黒のスクールバッグを肩に掛け、龍斗は歩き出す。その隣を、綾乃が並んで歩く。ほどなくして校門を出た。


「久しぶりだな~龍くんの家に行くの」


記憶が確かならば、龍斗の家は武家屋敷を連想させる二階建ての瓦屋根が特徴の家屋だったはずだ。

広い庭には、少し狭いが道場も建てられていたのを覚えている。


「小学の時以来だもんな。けど、あの家じゃないけどな」

「へ?そうなの?」

「ああ。親父が死んじまったからな。中学を出るまでは居たけど、その後は親父の知り合いに譲ったんだ。あの家、一人で住むには広すぎるし。今はアパートで一人暮らし」


あっさりと語られた内容に、綾乃は一瞬きょとんとして──叫んだ。


「え、ええ!?光明こうめいさん、亡くなってたの!?」

「ああ。中学に上がって直ぐの頃にな」


龍斗の父親、十六夜光明は龍斗が修めている武術『天道流』の先代で、フリーランスの美術商を生業としていたと龍斗は記憶していたが──光明の本業は、日本トップクラスの魔術師であったことを綾乃は知っているし、龍斗にはその正体を明かしていないことも理解していた。


彼は綾乃が龍斗と知り合った頃には、もう既に現役を引退していたが、その実力は非常に高いものだったのを、綾乃は良く覚えている。


現役を引退していたとは言え、彼はまだ三十半ばだったはずだ。

もしや、何らかの病魔に犯されていたのかと綾乃は悲痛に眉を下げて、問い掛けた。


「病気だったの・・・?」

「いや、。何にも教えてくれなかったからな、親父。・・・ああ、けど、亡くなる一ヶ月前くらいから、よく海外に行ってたな。二、三日で帰ってきてたけど」


ったく、俺も連れてけよなと笑った龍斗を見つめながら、綾乃の脳裏にはかつて光明が放った一言が反芻していた。


『───綾乃ちゃん。もし、僕に何かあったら、龍斗を頼む』


思えば、あの時から彼は自身の死期を悟っていたのかもしれない。そうでもなければ、知り合ったばかりの息子の友人にそんなこと頼まないだろう。


だが───私は、離れてしまった。

家の都合があったとは言え、綾乃は朝凪市から離れてしまった。


辛かっただろう彼の心境を思うと、側にいれなかった悔しさが内から涌き出てくる。

込み上げてくる後悔の念に思考が塗りつぶされそうになる中、ふと、一つの疑問が過った。


死期を悟っていたのに、海外になんの用事があったのだろうか。

滞在期間の短さからして、最後に海外を旅行しに行ったと言うわけでもないだろう。ならば、なぜわざわざ日本を飛び出したのだろうか。しかも、龍斗を一人残して。

彼は何か、龍斗に隠したいことでもあったのだろうか?。

次から次へと疑問が溢れていくのを、綾乃は自分でも驚いていた。


「なあ、何のゲームする?」


深い思考の海に飛び込もうとしていた綾乃の意識は、その一言で呼び戻された。


「へ?」

「いや、何のゲームする?今日、来るんだろ?」

「あ、あ~・・・」


何と返すべきか。「今日は化け物と戦うから速く帰る」と馬鹿正直に答える訳にもいくまい。

思考を加速させ、この場の解答を導き出す。


「それなんだけどさ、さっきお父さんから連絡があって、用事できちゃったから、速く帰んなきゃなんないんだよね」


もちろん嘘だ。両親は洸靈会本部がある京都にいる。この街に帰ってきたのは、綾乃一人だ。


「そうなのか?なら、俺んはまた今度来るか?」

「いやいや!家には行きますよ!当たり前じゃんか!!」

「そこまで食いつく?」


困惑したように突っ込む龍斗を無視して、綾乃は小走りで彼の前に立つと、にやりとほくそ笑む。


「龍くんの家を知っていれば、いつでも行けるからね~悪戯もしほうだいだよ」

「いま凄く連れていきたくなくなったんだが?」

「なんでよ!」

「そりゃそうだろ!悪戯するって聞いて連れてくやつがどこにいるんだよ!」

「悪戯って言っても、そんなに酷い悪戯しないもん!玄関の前にカニ置いたり、勝手に合鍵作ってご飯作るくらいだよ!」

「お前・・・もしかして、ストーカー癖ある?」

「ないよ!!」

「そういや、昔も風邪引いた時にいつの間にか家にいてお粥作ってたもんな・・・」

「それはお見舞いに行ったら光明さんに頼まれたからだよ!!」

「いや、だからと言ってお粥作るか?」

「それは私もそう思う。けどしょうがないじゃん、光明さんが半泣きになりながら頼むんだもん」

「あー・・・親父、料理苦手だったもんな。ほぼ俺が作ってたし」


たわいもない会話をしながら歩いていると、いつの間にか件の家に着いていた。


三階建てで灰色の壁が特徴のアパートだ。二人は脇にある階段を上り、二階の一番奥の部屋に向かう。

205号室。そこが、龍斗の住まいだ。


「へー。意外と新しいんだね」


キョロキョロと周囲を見渡せば、壁には傷一つなく、先ほど登った階段も白く塗られた塗装が剥げている様子もないことから、ごく最近に出来たものだと察する。


龍斗は鍵を開けドアを開けると、綾乃へと振り向いてにやりと笑った。


「じゃ、まあ改めて───おかえり。綾乃」

「───うん。ただいま、龍くん」


───運命が動き出すまで、後四時間。

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