#02 終末思想
「おはよ、ティア」
ぼやけた視界がその声の主を捉える。夜明け寸前特有のグラデーションを彩る空の色が、碧を差し色とした白い騎士装束を染めていた。
「……ミスティ……?」
ティアはその名を囁いた。
……昨日のアレは夢ではなかった。気怠さが身体に残っているのが、その証拠だ。恐らく魔力も、殆ど回復していないだろう。
「何か、隣に人がいると安心する……」
そうミスティは言い、安堵の表情を浮かべた。
……ボクと同じ、未だ十数年しか生きていない少女。何事も無ければ、白い騎士のまま……それこそ清楚なまま、前途有望だったに違いない。しかし今、肉体こそ交えていないものの、この廃墟でボクと朝を迎え、表情を緩めている。
「……何処へ行くの?」
ミスティの問いに、ティアは
「この湖から川が始まってる。その岸を歩いて行けば、港町に着くと思う」
と答えた。行っても目的は無いが、とにかく何処かに行くしかない。
3時間ほど歩いただろうか、夜明けと同時に出発したが、港町ヴァントーズに着く頃には人々は既に慌ただしく動き回っていた。
この辺りはプリュヴィオーズ国の領土だが、ヴァントーズは城下町プリュヴィオーズに次ぐ第2の都市で重要拠点。海側からの侵攻への対策も必要と云う土地柄、軍事力も高い。
戦争に備えて築き上げられた壁、その中心のゲートは開いたままで、見張りの兵もいない。難無く、2人は通ることができた。
「賑やかな街……」
数分だけ歩いて、ミスティは言った。交易で栄え、特に食料と酒類はこの国でも最先端を行く。
「ニヴォーズは、知っての通りだから」
と、少女は続けた。
ティアがミスティと出逢ったのは、プリュヴィオーズ国第3の街ニヴォーズだった。教会の支配が強い影響か、街自体は大きいが賑やかさを欠いている。
数日前の宗教戦争で半壊したが、暴徒と化したクルセイドやその元凶となった司祭を除き、被害は出なかったと言われている。そして邪教の被害は、ティアが殺めた2人だけだった。
その宗教都市で生まれ育ち、街を防御する騎士隊に属していた……そしてあの日失踪扱いになった白き騎士を、初めての海と、初めての喧噪が出迎えた。しかし、2人を見る周囲の目は、招かれざる客を見つめているようだ。
「やっぱりね……」
とティアは言った。ミスティは漸く、彼女が自分を拒絶していた理由を知った。
「だから言ったんだ、ボクといるべきじゃないんだと」
その言葉に、ミスティは動じない。それでもついていく、そう決めたのは彼女自身だったからだ。
「……あたしが決めたことだから」
芯が強いと云うか、我が侭と云うか。無意識に軽く溜め息をついたティアの耳に、遠くから
「助けて!!」
と叫び声が聞こえた。周囲がどよめくのと同時に、ティアは地面を蹴る。
「ティア!?」
何度も繰り返される叫びに向かう黒い騎士の背中を、白い騎士は追った。
助けて、そう何度も叫びながら走ってくる、自分の3倍近い年齢の婦人。
「何が……!」
ティアはその前で立ち止まり、問う。
「教会が……!!」
そう言った婦人は、しかし目の前の少女を警戒しない。とにかく、誰でもいいから助けてほしい。
「教会……!?」
自分の属性が属性だから、後々かなり厄介なことになる……それは最初から覚悟していた。婦人が走ってきた方向は、街の海側の外れ。
「ティア!!」
後ろから走ってきた少女がその名を呼ぶ。
「行こう!」
少し高めの声を合図に、ティアは再度地面を蹴った。
ブーツを鳴らしながら石畳を走る、黒と白の騎士2人。その進行方向に黒煙が見える。
「まさか……!」
ミスティは声を上げる。……間違いない。あの火に包まれた建物だ。
石壁で建設された教会の窓から炎が噴き出している。
「グレイスさえ使えれば……!」
そう言ったミスティは奥歯を軋ませる。氷の攻撃魔法を大量に放てば、燃えるものの温度を下げて火は消える……理論上は。しかし、よりによって2人は使えない。
「未だ何人も……!」
その声が耳に刺さったティアは
「ミスティは外にいて!」
とだけ言い残し、燃え盛る教会に飛び込んでいく。
「ティア!!」
と叫んだ白き騎士は、彼女の後を追った。
礼拝堂だけの小さな教会。整列された長椅子や絨毯は火に包まれ、窓や入口付近では人が折り重なるように倒れている。
「な……!!」
ティアはその光景に一瞬怯むが、その身体を抱える。……既に事切れている。
「誰か!!生きてる!?」
そう叫んでみたが、返事は無い。いや、炎の音で聞こえないだけか?ティアは奥まで行って、その度に身体を起こそうとしてみたが、誰一人として反応は無い。
「ティア!」
そう名を呼びながら、隣に立つミスティ。……外にいて、そう言ったハズだ。
「ティアにだけ危険なことは……!!」
と言った少女に、ティアは残酷な現実を突き付けた。
「生存者は……いない……」
「っ!!」
無意識に唇を噛むミスティは、しかし足下にくたびれた紙片を見つけた。掌より一回り大きく、何やら黒インクで走り書きされている。それだけ拾い上げると、無力感に苛まれる2人は外に飛び出た。
煙を吸ったのか、軽く意識が朦朧とするティアは、その場に膝から崩れて空を見上げた。
「はぁっ……はぁっ……」
深呼吸するティアの目を、隣に膝立ちしたミスティは見ていられなかった。
……駆け付けた時には、既に生存者はいなかった。だから、乱暴な言い方をすれば助けられなかったのは仕方ない。そう判ってはいる。そして同時に、幾つもの疑問が一気に押し寄せる。
……あの程度の教会であれば誰もがすぐに逃げられるハズ。何故、誰も助からなかったのか。火や煙の回りが早かったからか、……逃げないための心理制御や逃げられないような絡繰りでも施されていたのか。
「ティア……」
ミスティは、弱々しい声で黒き騎士の名を呼ぶ。今日だけで、何度その名を呼んだだろう?
「……どうして……」
と俯きながら呟いたティアに、ミスティは
「……これ、今あの中で拾ったの……」
と言いながら紙片を見せる。
「何て書いてあるのか、あたしには判らないけど……」
とミスティは言ったが、ティアは眉間に皺を寄せて食い入るように見る。
「お前が火を放ったのか?」
背後から、そう声が聞こえた。鈍い鉄製の鎧を纏った白装束の男が、2人を見下ろしている。
「ニヴォーズの女騎士が邪教の女と……お前もグルか?」
その言葉に、露骨に敵意を剥き出しにしたのはミスティだった。
「あたしたちが駆け付けた時には、既に燃え盛っていたわ!」
と、男を睨みながら声を上げる。しかし、
「こいつ以外に教会を襲う奴がいるワケがない!」
と、剣をティアの前に突き付けて声を被せる。
「邪教だからって、全ての罪を被せればいいって思ってるんじゃ……!!」
そうミスティは言い返す。だが、その腕を掴んだのはティアだった。
「……ボクに何をしろと?火を放った罰を代わりに受けろと?」
その言葉に、ミスティは頭に雷が落ちた感覚に陥る。
「ティアっ!?何言って……!!」
「邪教の傀儡のボクを殺して、それで犠牲になった人々が報われるなら、お前たちの神が鎮まるなら……」
「黙れ!!」
男は怒鳴り、続けた。
「判ったような言い方をするな!」
その遣り取りに、取り残された人を助けるどころか消火すらできず、ただのヤジ馬と化した周囲は飲まれている。それらは、ティアが言っていることが今起きている因縁の真相だと、既に知っていた。しかし、誰も止めに入らない。
「……ニヴォーズの女。こいつが犯人でないことを証明したいのならば、真犯人を暴け。そして殺せ。それができなければ、お前らの首が飛ぶ。今日の日没までだ。自由に行動して構わないが、警戒網は張ってある。逃亡しようとすれば……判ってるな?」
そう言って、剣を仕舞った男は下がり、去っていく。
……この街を脱出することはできない。昨夜使い果たした魔力が戻っていない上に、戦っても振り切れないことは判っている。
……あの男はクルセイドの類ではなく、この街の軍。もしクルセイドなら、あの場で処刑しているハズだからだ。それだけが、ティアにとっては幸いだった。
ヤジ馬は、しかし2人には目を向けない。無謀にも燃えさかる中に飛び込んだが、結局誰も助けられなかった。だから、単なる役立たずでしかない……そう貶めることで溜飲を下げようとしていた。
「ティア……」
ミスティの悲しげな声が、ティアの耳に刺さる。
「……ミスティだけでも、逃がす」
ティアは言った。当然、白き騎士は
「やだ!」
と拒絶する。
「絶対、全てを暴いてみせる」
そう言って、手に握った紙片を開くミスティは、しかし何と書かれているか読めない。
「これ、何処の国の言語なんだろ……?」
そう言った少女の隣で立ち上がったティアは、
「場所を変えよう、此処は居心地が悪い」
と言った。
港の外れは、巨大なマーケットやパブが有る中心部とは対照的に静かだ。その端、岸壁に座って紙片に目を通している黒き騎士の隣に、対照的な色の少女が座る。陶器のカップにはドリンクが注がれ、皿には2人分のサンドイッチが乗っている。
「異常だわ……」
そう切り出したミスティに、ティアは
「でも、あの真相の鍵は多分この紙が……」
と言いながら、ただ目を通し続けている。
「そうじゃなくて」
とミスティは言った。……何を言いたいかは判っている。だからはぐらかしたかったと云うのに。
「ティアがルーンノワールの騎士だからって……」
と言った。
邪教と呼ばれ続けてきた教団の名は、ルーンノワール。黒い月と云う意味だ。リュネイルと云う女神を崇拝している。元は別の教団から破門された司祭が創設したものだ。それは、一つのタブーに辿り着いたからだった。
「でも、彼処の露店の人たちの愛想はよかったわ」
そう言ったミスティは笑ったが、ティアの表情が緩むことは無い。
「ミスティさえ平和なら、それでいいよ」
とティアは言う。だが、ミスティさえ……その言葉が彼女の癪に障る。
「何か、未来を諦めてない?邪教だからって」
「……そう見える?」
「見える」
とミスティは答えた。
「……ルーンノワールが触れたタブーって、何?」
「……神は誰が産んだのか、そして神は死ぬのか」
シルバーヘアの少女の答えに、ミスティは言葉を失う。
「神は誰が産んだものでもなく、だから死ぬことは無い。ただ、そのことを否定した。だけど、……間違ってないと思ってる」
そう言ったティアの目は、しかし少しだけ寂しげだった。
「……時代の流れ、その先をティアは歩いてる。そうなるのかな?」
と言ったミスティにとって、その言葉はリップサービスでも何でもない。単に時代が、ルーンノワールに追い付いていないだけだと思った。だから、異端としてティアは疎まれている。
ただ、今はその話よりも大事なことが有る。その切り出しは、黒き騎士からだった。
「……文字が残る言語は多くないから、どの言語なのかは粗方目星はつくんだけど」
そう言い、サンドイッチを手にしたティアは再度紙片に目を落とす。
「……問題は、何が書かれていたのか……」
ティアは言った。探ろうにも、如何せん情報量が少な過ぎる。
「召喚魔法、とか?」
ミスティは問う。……それが本当なら、悪魔を召喚しようとして失敗したか、召喚だけは成功したものの制御できなかったか。
邪教でさえ触れなかった禁断の領域に触れた者の末路、そうだとしても黒き騎士は貶めることは無かった。
「……どっちにしろ、色々調べてみないと」
とティアは言う。黒き騎士への周囲の態度が厳しいものである限り、助けなど期待できない。2人きりで真相を探り、暴くしかないのだ。7時間以内に。
サンドイッチとドリンクを平らげたティアは立ち上がった。
「……教会に戻ろう、何か有るかも」
そう言う彼女の目に、迷いは無い。これが唯一、ミスティが死ななくて済む方法だったからだ。
焼け落ちた教会は、その土地の端で遺体を埋める作業が行われていた。その連中と目を合わせること無く、ティアは下を向き小刻みに歩く。微かな手掛かりでも有ればいいのだが……。そう思っていた黒き騎士は、瓦礫に挟まっていた書物の残骸に気付いた。
所々血で汚れているが、掌より一回り大きい。ミスティが拾った紙片と関係が有る……そう直感したティアは拾い上げ、教会の端の芝生に座り、ページをめくっていく。どうやら教典らしい。
「……」
ミスティにさえ聞こえないほどの小声で、並ぶフレーズを早口で追うティア。所謂神の啓示を連ねているだけではあるが、信者にとっては命の次に大事だ。そして。
「……終末思想……」
ティアは少しだけ大きめの声で呟いた。
世界の終わりによって強制的にもたらされる死への漠然とした不安に対して、信仰を弛まなければ死後の世界で必ず救済される、と云う教えだ。その終末は、具体的に日付が指定されている場合も有れば、そうでない場合も有る。
宗教そのものが、死を含めた不安からの救済を目的としている場合も多く、それ自体は特別なことではない。問題なのは、人工的に終末を起こそうとする連中がいることだ。
「終末って……」
「怖れることは無いよ。漠然とした不安の象徴……ボクはそう思ってる。だけど……」
と、ティアはミスティに言葉を被せる。
「仮にあの事件が、終末思想のために引き起こされたのなら……単なる殺戮でしかない」
その言葉が、白き騎士に深く突き刺さる。脳が痺れるような錯覚すら抱く。そして黒き騎士は、唇を噛みながら眉間に皺を寄せる。
……ルーンノワールでも、追放どころか即処刑となる最大級の罪、それが市民への殺戮行為だった。ティアとミスティが禁断の出逢いを果たした戦争も、元は暴走する司祭と信者を止めるためだった。市民に被害が出なかったのも、被害を出さないようにしたからだ。
そしてミスティは、昨夜初めて言葉を交わした少女への確信を強めていた。悪魔が罪も無い人々への殺戮を憎むワケが無いからだ。
ミスティは何も言えず、ティアに背を向ける。……ふと、ブラウンの瞳が捉える目線の先に気になるものを見つけた。
崖の下に不自然な扉。よく見ると、僅かに開いている。
「彼処……何なの……?」
その声に、ティアは顔を上げる。気になるものは、全て一度見てみる。それしか、今できることは無い。今夜を、そして明日を生きるためには、数時間以内に全てを暴くしか無いからだ。迷っている暇は無い。
「……行ってみよう」
と、シルバーヘアの少女は言い、立ち上がる。ブラウンのボブカットを揺らしながら、白き騎士がそれに続いた。
Lost Starlight AYA @ayaiquad
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