#01 白き騎士の献身

 どれぐらい歩いただろうか。ショートカットのシルバーヘアは乱れ、紅を差し色とした黒い装束に包まれた華奢な肉体には、疲労感が滲んでいる。女騎士としては鎧が無く、軽装の少女は、漆黒の夜空を見上げながら息を整える。

 ……ふと思い出す少女の顔。自分を常に気に懸けてきて、そして自分への見せしめとして処刑された。……とある少女を助けたから処刑された、しかし助けなければ、その少女は陵辱され、殺されていた。

 ……どっちが正解だったのか。そう思う度、唇を噛む。出てこない答えに苛立つ。しかし、今はただ歩くしかない。戻る場所なんて無い、ただ悲しみと苛立ちだけを引っ提げて。

 漸く辿り着いたのは、湖畔の小さな廃墟。屋根は無く、ただタイル張りの地面と数本の柱、そして半壊した壁だけ。襲撃で破壊されたのか、瓦礫が散乱している。元は小さな教会だったのだろうか。

 ……少しだけ抵抗感は有るが、この場所で夜を明かす。そう決めた少女は、昼間に拾ったピンクのフルーツに歯を立て、崩れた壁に背中を預けた。

 ……このまま、朝が来なければ幸せだろうか。だが、この世界にいる限り、平等に訪れる。平等こそ、何より残酷なものだ……全身の疲労を隠さない少女はそう思った。


 目を閉じても、意識が途切れる気配が無い。処刑を目の当たりにし、教会を追放され、居場所を失った数日前からそうだ。ひたすら世界を彷徨い、眠れない夜を明かす。

 漸く薄れ始めた意識は、しかし一瞬で鮮明さを取り戻す。人の気配を感じたからだ。

「……?」

シルバーヘアの少女が目を開けると、其処には光を失ったブラウンの瞳で自分を見つめる少女がいた。ブラウンのボブカット、碧を差し色とした白い装束。手には白いクロスボウが握られている。

「!」

「……!?……」

白い騎士の少女は、クロスボウを白い光に包ませて消した。魔力で武器を取り出し、仕舞うのは基本だが、これだけでも魔力を消費する。

 「……まさか……」

そう言って、彼女は黒い騎士の少女に近寄る。

「……やっぱりそうだ。あの時の……」

その声に、シルバーヘアを揺らした少女は思い出した。名前こそ知らないが、彼女が誰なのか。

「っ……!!」

立ち上がり、黒いケープを翻しながら身体を背ける。味方でないものに背を向けるのは御法度だが、戦意が見られないし他に誰もいないから、今は例外だった。

 「あたしはミスティ。……今は敵じゃないわ」

ミスティ、少女は優しい声でそう名乗った。そして切り出した。一つだけ知りたかったことを。

「……どうして、あたしを助けたの……?」

「……ボクじゃない」

と少女は答える。

「ボクが助けるハズがない」

「でも助けた」

ミスティは言葉を被せる。

「忘れるワケがないわ。鮮明に覚えてる」

その言葉に何も答えない少女に、ミスティは問う。

 「……名前は?」

「知らなくていいよ。ボクが助けたワケじゃない」

「……じゃあ、キミに助けられなかったあたしはどうして生きてるの!?」

思わず張り上げるミスティの声に

「俺が助けたからな」

と、奥から別の声が上がる。

「邪教の女が、人助けなど有り得ん」

そう続けたのは、声からして男。紋様が刻まれたフードを被っていて顔はよく見えないが、引き締まった肉体に長めの剣を背負っている。

 「助けた礼の一つぐらい……」

そう言って男がミスティの腕を掴もうと、手を伸ばす。しかし掴んだのは、彼女の前に出た黒い騎士の少女のそれだった。

「……何だよ?邪教の分際で」

そう言った男は腕を放すと、まるで汚物にでも触れたかのようなリアクションを見せる。

 「……除隊処分か、そもそも入隊できなかったクルセイド気取り……」

「何?」

「クルセイドならもっと敬虔で、上品なハズだ……」

と少女は言った。古来より存在する宗教の教会に属する騎士団の総称だが、この男はそれに相応しくない。

 「黙れ!!」

男は声を張り上げた。図星か。

「お前は討つ。首を持って帰れば俺を見直すだろ!!」

そう叫び、剣を構える男。刃渡りは1メートルを超える。戦い、討つしかないのか。少女は溜め息をついて手を下にする。……しかし。

 「え……?」

少女は思わず戸惑いの声を上げた。……サーベルが出ない。ミスティと同じように魔力で武器を取り出し、仕舞うのだが、それが出てこない。

「魔力が尽きてる……!」

と、ミスティは言った。

 学習や人の特性によって習得するレベルこそ異なるが、魔力は一部の者は使える。使えるからこそ、クルセイドなど教会の騎士としても活躍できる。

 だが、誰も魔力の回復原理を知らない。気付けば回復している状態だ。魔法の研究は、色々な学者の手によって日々進められているが、それでも回復だけは誰も解明できていない。

「所詮は邪教、悪魔か!」

男は声を張り上げる。武器を持てない以上、勝ったも同然。

 「っ!」

ミスティが手を前に出すと、光の粒子が白いクロスボウを象り、白い手袋に包まれた右手に収まる。

 本体の長さは60センチ近くで、肘の手前をレザーバンドが走り本体を腕に固定する。トリガーは歪な台形で、反対の手で引く。

 矢そのものは魔力で象られ、鉛筆のように先端を円錐状に尖らせた円筒で、羽根は無い。魔力を纏いながら、その力で飛ぶ。クロスボウはただのカタパルトに過ぎない。

「……数発だけなら保ちそうね……」

とだけ呟く白い女騎士。……感覚で、残りの魔力は何となく判る程度。発動を試みるまで、使えるだけ残されているかが判らない。

 そしてミスティは、黒い騎士の前に立つ。彼女には、白いケープに包まれた白い騎士の背中が、何故か少しだけ頼もしく見える。

「お前は引っ込んでろ!」

「あたしは彼女の味方になる!彼女があたしを助けたんだから!!」

そう男に言い返したミスティは、クロスボウを向けた。

「ふざけやがって……!」

 クルセイド気取り……それが今の怒りの根源だった。戦力としては十分だったハズだが、戦力外を通告されたことが不服だった。

「イリクス・エスポワール!!」

ミスティが声を張り上げ、本体に手を翳すと矢がセットされる。そして迷わずトリガーを引いた。螺旋状の光が矢を包み、男に命中する。しかし

 「……防御魔法で簡単に弾ける……この程度か」

と男は言った。しかし、その言葉はミスティに焦燥感をもたらすのに十分だった。

 防御魔法、それはどうやっても習得できなかった。そして、攻撃魔法も威力ベースでは初級のみ。それ故、魔力を使えることが最低条件の騎士団でも最低クラスだった。それでも、その卓越した運動能力が有ったから、辛うじて残れたようなものだ。

 ……魔力が使えない丸腰の少女と、魔力が無ければ攻撃できない上に魔法も初級止まりのミスティ。このままでは力に押され、白い騎士は黒い騎士の生首に見られながら蹂躙される、最悪の結果になる。

 「どうにかしないと……」

と黒い騎士は呟く。しかし、サーベルは出てこない。逃げることは容易いが、しかしミスティを置いて行けない。

 ……何故、置いて行けないのか?あの日も、何故助けたのか……?しかし、浮かぶ疑問に囚われているワケにもいかない。

 「聞こえる!?」

突然、少女の声が聞こえた。それも、脳に直接。

「テレパス!?」

「聞こえてるわね」

その声に戸惑うのは黒い騎士。……初めての経験だった。ただ、戸惑っている暇は無い。

「……ミスティだけでも」

「やだ!」

少女の言葉を遮るミスティの言葉は、最早拒絶を示していた。少女は逃がすのを諦めざるを得なかった。その代わり。

 「……ボクが囮になる」

「え?」

「防御魔法の切れ目を狙って」

その言葉に、ミスティは賭けるしか無かった。……しかし、あたしを逃がすためなら話は別……。

「いいわ」

その返事を合図に、少女は小さな瓦礫を拾いながらタイルを蹴った。重力に逆らいながら飛び乗ったのは、ガラスが無い窓枠。そして足を曲げ、更に跳び上がりながら、身体を180度反転させる。

 5メートルの高さで、身体のベクトルは下に向き始める。その瞬間、少女は背後の壁を両足で蹴った。シルバーのショートヘアと黒いケープを忙しなくはためかせつつ、下に向けて弧を描くように飛びながら、

「ふっ!」

と声を上げた少女は、手に持った瓦礫をサイドスローの要領で投げた。

 「何!?」

見るからに重そうな長剣を軽々と構える男は、その瓦礫を

「ふんっ!!」

と力を入れて綺麗に割る。その寸前

「イリクス・エスポワール!!」

と声が響いた。ミスティが一気にトリガーを引く。それと同時に、上空から

「ノワール・トゥービヨン!!」

と叫ぶ声が聞こえた。

 魔力が宿ったのか、少女の手にはサーベルが握られている。黒く、シンプルな装飾。刃渡りは70センチ。

 男の身体の直前で白い光が弾かれ飛散した、と同時に青白い光がスパークした。瓦礫を投げたのは気を逸らすため、そしてミスティの魔法の矢は、防御魔法を掻き消すため……そして今、男は魔法に対して無防備。

 少女は、斜め下からサーベルを振り上げる。刃を纏った黒い炎が強い風を引き連れ、男の鍛えられた肉体を包む。

「悪魔なんかに……!!」

予想外の結末にそう言葉を残しながら、男は跡形も無く消えた。

 ……あの攻撃は、そう……あたしを助けようとして、自分の味方を殺めた時の……。そう思い出したミスティは、自分が間違っていなかったことを感じた。


 少女が両足で着地すると同時に、サーベルは消えた。……魔力が尽きた。……何故か一撃分だけ戻り、そして再び使い果たした。

「あ……」

と、小さく声を上げる黒い騎士。足に力が入らず、その場に膝から崩れ落ちる。

 クロスボウを仕舞いながら少女に駆け寄ったミスティは

「ありがと、……」

と言って、白い手袋に包まれた手を差し伸べる。しかし、黒い手袋越しに彼女はその手を叩いた。

 「っ……!?」

困惑の表情を浮かべるミスティを、少女は険しい眼差しで見上げる。

「……ボクは……ミスティの手を握れない……。邪教の騎士だから……」

その言葉に、しかしミスティは引き下がらない。引き下がってはいけない、全てが水泡に帰す。

 「邪教だから何なの?あたしを助けたことには変わらない、今だってそうでしょ!?」

そう声を張り上げた白い騎士は、答えを求めて問う。

「……どうしても知りたいの。名前は?」

その言葉に、逃れられないと思った少女は数秒の間を置いて答えた。……答えれば、もう彼女と会うことは無い……そう思いながら。

 「……ティア」

その一言が、ミスティの脳に焼き付く。……世界一美しい、一生忘れない名だと思った。それなのに。

「……綺麗な名前なのに……どうして隠すの?」

無意識に、ミスティは問うていた。

「……周囲からすれば、悪魔でしかないから……。テネイヴァが……テネイヴァだけが使える時点で」

そうティアは答える。

 テネイヴァ、それは暗黒の魔法属性。黒魔法と言えば早いだろうか。しかし、他の属性……炎のフラーム、氷のグレイス、風のヴェント、そして光のルーシェを合わせ持つのではなく、ただテネイヴァしか使えないのは、常識的には悪魔に魂を売ったことと同義だった。それが、ノワール・トゥービヨンのような初級程度の魔法しか使えなくても。

 「あたしを助けたのに……悪魔なんて……」

そう答える少女は、ティアから目を逸らしながら、自分の言葉に理不尽さを感じていた。じゃあ、どうすれば彼女は報われるのか。いや、報われることなんて無いだろう。

「ボクといると……ミスティまで悪魔に思われる。仮にルーシェしか使えないとしても」

とティアは言葉を被せた。……もしミスティがその通りなら、属性としては完全に相対する。単独の属性しか使えないのは、逆に云えばその属性を極めているからだ。それが初級魔法しか使えないとしても。

 そして、悪魔呼ばわりされるティアとは反対に、ミスティが聖女だったとするなら、悪魔といるだけで彼女の尊厳は崩壊する。彼女にとってデメリットしか無い。

 だから、この場所で別れることは最善。シルバーヘアの少女はそう思っていた。それなのに。

 「……あたしが……」

そう呟くように言った白い騎士の少女は、顔を上げて叫んだ。

「……あたしが証明すればいいんでしょ!?」

黒い騎士を見つめる瞳が滲んでいる。理不尽への怒りと、彼女が思っていることへの悲しみが、ミスティを突き動かしていた。

「あたしが証明してみせる。ティアが悪魔なんかじゃないってこと!!」

 ……狂ってる。ティアは、その言葉にそう感想を抱いた。

「何故、そこまでボクを……」

「……理不尽だから。人を助けたのに悪魔呼ばわりなんて。……ティアは、あたしを助けた。だから、あたしはティアについていく。……拒絶されても、あたしは絶対諦めない」

その言葉に偽りは微塵も見えない。自分のために泣いているのは、これで2人目だ。1人は目の前の少女、そしてもう1人は……。

 「っ……!!」

ティアは唇を噛む。ミスティを助けたから、処刑された少女……。

「ティア……!?」

ミスティはその名を呼び、無意識に抱き寄せる。

 「ミ……!?」

「ティアは……報われなきゃいけない……」

「あたしだけは……ティアの味方だから……。独りにさせたり……しないから……」

嗚咽混じりに続く言葉に、ティアは何も言えなかった。


 ……初級の攻撃魔法だけしか使えない、とは云えルーシェだけの遣い手。それ故、テネイヴァだけの遣い手の手を取るのは、どんな理由であれタブーとされていた。しかし、この瞬間ミスティはタブーを犯した。タブーなのも知っていた。

 それでも、ミスティは知りたかった。まるで豪雨が降り続ける夜空のような、光を知らないティアの心が光を知った時、どんな色を纏うのか。……だから、彼女の光になりたかった。

「……独りになんて……絶対……」

その言葉に、ティアは目を閉じる。

 ……何故、彼女を助けたのか。何故、彼女を置いて逃げなかったのか。……あの少女の面影を、ミスティに重ねたからか。そうだとしても、彼女はそれでもいいと言うのだろう。

 ……どんな理不尽を被っても、それはそれで覚悟している。ならば、ボクは使えるものは使う。彼女が愛想を尽かすまで。

 そう割り切ることで、乗り切ろうとする自分がいる。しかし同時に、タブーを犯してまでの献身を無碍にできないと思う自分もいる。

 ……もう、全ての理由は後回しでいい。今はミスティの言葉を受け入れるしかない。ティアはそう決めた。あの少女の面影を重ねながらでも、今はいっしょにいる。それしか方法は無いのだろう。

 邪教の教会に仕えていた黒い騎士の少女に、あの日失った微かな光が戻った瞬間だった。その光の名は、ミスティ。 

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