12:草原にて旅立つ

 ふにッという感触が額にあった。目を開ければ視界目いっぱいに白い毛やほんのりピンク色をした肉球が広がっていた。どんな光景だよ、一体。

「やあ、おはよう」

 絶句していると、肉球が離れ、シロの顔が見えた。

「珍しいね、僕より遅いなんて」

 心なしか顎が上向き、口角も上がり気味、さらに言えば鼻の穴も膨らんでいる。所謂ドヤ顔という奴だ。

「うるせぇよ」

 言ってシロを摘まみ上げる。

「起こしたからには、なんかあるんだろ? どうした」

「ん-、そろそろみんなが起き始めるからね。出発するなら今のうちかなって」

 なるほど、それは確かに一理ある。盛大に見送られての出立なんて御免こうむりたい。

「ありがとよ」

「?? おおうっ」

 えらく大げさに驚かれた。

「クロがデレた!!」

 お前本当になんなんだ……。

「猫だよ♪」

 イラっと来たので、摘まんでいたシロを天井のない屋根ギリギリまで放り投げ捨てる。くるくる回りながらも、奇麗に着地する辺りさすが猫というべきなんだろうが、そもそもこいつ猫じゃなかったよな?

「やめて。そういうアイデンティティが揺らぎそうな疑問を浮かべるの」

「やかましい。人にそんなもん押し付けんなよ」

「えー、一蓮托生呉越同舟でしょ」

 もうどっから突っ込んだものか。どんだけ脆い自己同一性だ! か、なんでそんな言葉を知ってんだ? からか、意味が違う! か。ただでさえ寝起きで頭の回りが悪いってのに、色々間違い過ぎていてどこから手を付けたらいいのやら。夢の中での会話よりも数段酷いやり取りをしている気がする。

 面倒になってきた。さっさと出よう。出かかった溜息を飲み込む。

 また延々と続く荒野を行くのかと、憂鬱にならないでもないが、このままここに長居をした時の面倒の方が遥かに嫌だ。

「荒野に関しては心配いらないと思うよ。もう来た時みたいなことはないから」

「確かにお前が黄昏は殲滅したからな。出くわす心配はないだろうが……」

「違うって。んーそうだね。外に出ればわかるよ」

 怪訝な表情のまま、俺はシロを拾い上げ外へ出た。日はまだ低い、地平線から昇ってすぐといった所だ。ほとんど眠れてないってことだな。その割にけだるさがないのが不思議だ。

 起きている人の気配は少ない。あれだけ騒いで起き出せるとしたら、中々なもんだ。精々朝食の準備に数人起き出している位なのだろう。

 日差しは低いにもかかわらず相変わらず強い。昼に近づくにつれもっと強くなるだろう。昨日と何も変わらない。村の日乾煉瓦作りの建物だってなにも変わってない。空は朱と蒼の混じっていて、風が緩やかに吹いている。

「特に変わっちゃ……」

 言葉を止めた。空気が違っていると気づいた。

 昨日までは焼けた匂いがしていた。埃っぽく熱を持った砂の気配が強かった。今は、空気が湿りを帯びている。吸い込んでも喉を焼く感覚はなく、むしろ青臭いような感じさえする。

 走り出す。

 柵-村と荒野の境界-が見える所まで全力疾走。くそ、思わず走ったが、息が切れる。運動不足かね。

「は、ははは……。こ、れは、何の冗談だよ……」

 視線の先、昨日は確かに荒野であった場所には、緑が広がっていた。火をつけたらよく燃え上がりそうだった灌木は青々とした葉を茂らせている。木によってはこぶし程の赤い実をつけているものもある。

 遠く目を凝らしても、見渡す限り見届けられる限り緑に覆われている。それも背の低いグランドカバーのようなものだけではなく、明らかに昨日今日芽を出したんじゃないだろう! 言いたくなる程度には成長した樹木の姿さえある。まだまだ背も低く細い苗木と言った方が良いようなものだがそれでも五年もすれば日陰を作るように枝を大きく伸ばし、古くなった葉を落とし豊かな土壌を作っていくのだろう。

「五年も必要ないと思うよー」

 シロの頭と足をもってそれぞれ逆方向へ捻りたくなってきた。

 何が荒野に森林が戻るには、千年単位の時間が必要だろうだ。こちらが俺の知る世界とはルールが違うのは知っていたはずなのにな。

 まさかここまでとは思いすらしなかったんだが、良い方向へ転がっているなら幸いだと思う事にしよう。それよりも重要なのは、一度シロを締め上げて色々聞きだす必要があるんじゃないだろうか? いやあるな。色々根本的に違うことが多すぎて、せめてある程度此方と向こうの違いを把握しておかないと今後絶対にやらかしてしまう嫌な自信がある。

「実地で覚えようよ。百年くらい頑張れば完璧になるだろうし」

「長い!! 生きてられるか、ンな長居する気もねぇ」

 戻ったところで別段やりたい事がある訳でもないが、残りたい理由がある訳でもない。なので却下だ。

「えー、面倒だぁー」

 知るか、呼び寄せた責任位は取りやがれ。

 ほぼ着の身着のまま、荷物などない身の上だ。出てきたついでなので、そのまま柵の間を通って村の外へ出た。あとからシロもついてくる。

「これなら、心配はいらねぇーな」

「そー言うこと」

 振り返らずに歩みを進める。

 ここで俺がやることはもうない。枠組みと言えるかどうかまでは自信がないが、少なくとも筋道はつけた。なぞり続けるかどうかはもうサリュ達次第で、もしもそれでまた廻りがおかしなことになるというのなら、きっと駆り出されることになるのだろう。そうなったら、その時にどうするか考える事にしよう。

 俺も、そしてどうもシロも誰かの使い走りのようなものであるらしい。それならそれで、代理人らしくやるだけのことはやってみようじゃないか。

 別にさ迷う死者の魂を導く訳じゃないが、それでも、命が正常に流れるように……というのは、生者と死者の秩序を守っているとも言えそうだ。

 しかし、それは。

「まるで、無常だな」

 丁度黒と白だしな。まぁ妙な感じだ。

「呼んだ?」

「いーや、何も」

 ふと口の端に乗った言葉は、それ以上膨らむことなくあっさりと消えた。単なる思い付きだしな。そんなことに思い寄せるくらいならば、取り敢えずは前に進むことを考えた方が実りあるって所だろう。

 向かう先の空には地平線に沈む前の薄く細い月が浮かんでいる。見守っていてくれているのか、それとも見定めているのか。もしくは見送っているのか。出来れば見守っていて欲しいよなと、思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒白 しょう @syou2022

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ