終章
神の贋作はなにを思う
シスターエヴァとして、告解部屋に居座る神の贋作として。
今回の事がすべて正しい行いだったのかは、エヴァにはわからない。
ただそれでも風の噂で聞いたマリネッタの処遇とアンナの居場所を思い出し、エヴァは執務室で揺れるカーテンを見つめている。
(副院長は本部で然るべき処置を、と聞いていますが処刑は免れないでしょう)
悪魔召喚は重罪であり、極刑が相場となっている。重ねて今回の場合は失踪事件も起こしているからこそ、結果は聞かずともわかってしまうものだった。
「なにを考えている」
ふとリベリオの声が聞こえ顔を向けると、ティーカップを片手にエヴァの事を眺めている姿が目に入る。それを静かに置くと、おもむろにエヴァの横へと移動をしてきた。
「……いえ、なにも」
「最初より嘘をつくのまで下手になったな……シスターアンナの事か」
「わかっているなら、聞かないでください」
あれから、あの夜からアンナの姿は教会のどこにもない。
皇国警備員にマリネッタと共に連行されたアンナは、現在本部で拘留をされているとオスカーから聞いている。寂しがり屋の彼女を思うだけで、エヴァの心はぐっと押しつぶされるような感覚に陥りかけた。
「……安心しろ、教会には戻れなくとも情状酌量はあると兄さんが言っていた。今回彼女は、加害者であり被害者だったからな」
エヴァを案じてなのか教えられた現状に、場違いなのはわかっているがホッとする。犯した事は変わらない、しかし彼女が少しでも笑えるなら、エヴァはそれだけでじゅうぶんだった。
(今度会えた時は、お互い自分らしくいられればいいな)
できる事なら彼女の帰る場所になれればと、叶わない事を考えてしまう。
「しかし、なんとか解決してよかったな」
「えぇ、本当です……被害者の方も、見つ、かって……」
瞬間、エヴァの顔色が曇る。
リベリオの言う通り、今回の失踪事件の被害者は全員が戻ってきた。ミシェルや分所のシスターであるサリ、そしてあの兄弟の母親も。しかしそれでも一人、どうしても一人だけ見つからない被害者がいた。
そもそも被害者なのか、どこに行ったのかもわからないリベリオの友人。その存在を思うと、どんな顔をすればいいのかわからなくなってしまう。
「シスター」
しかし本人であるリベリオはエヴァのその表情よりもどこか明るく、頬を緩めている。
「気にするな、また探せばいい」
「しかし……」
『死んだかわからないなら、どこかで生きているだろ……そんな奴だ、あいつは』
「っ……」
どこまでも澄んだ、心の声が聞こえた。
表情もどこか穏やかなリベリオの深い真意までは、聞き取る事ができない。それでも彼自身がそう言うならと、エヴァは小さく首を横に振る。
「確かに先生も、前院長もよくおっしゃっていました。疑うよりも信じろと、そうすれば世界は優しさに溢れると……私にも父がいたら、こんな言葉をかけてくれる人だったのでしょうか」
「それは、父がいたらと言うより……」
世間話のつもりで、特に深い意味はなくエヴァは思い出すようにその話をした。
しかしそれを聞いたリベリオはなにを思ったのか、少しだけ眉間にしわを寄せつつじっとエヴァの事を見る。
『前々から思っていたが、こいつの父親ってまさか……』
「……リベリオ様、私の父が誰なのかご存じなのですか?」
「あ、え、いや……なんでもない」
「……?」
(変なリベリオ様)
完全な無意識だったらしいその声の続きは、ノイズがかかって聞き取る事ができなかった。
意図が読めないエヴァは、視線を外すように執務室をぐるりと見回す。
「あ……」
ふと、書類の山が目に留まる。
祭司という肩書であるからこそその関連の書類はもちろんだったが、その中に混ざるように本部の書類も並んでいた。明らかに祭司とか関係ないそれに、少しだけエヴァの心でしこりのようななにかが動く。
「……お帰りに、なられるのですね」
「……ん?」
わかっている事だった。
リベリオは本物の祭司ではなく、あくまでも失踪事件を調査しにきた教皇の息子に過ぎない。だからこそいなくなるのは当たり前の話で、むしろエヴァにとっては待ちわびた瞬間のはずだったのに。
(どうして、胸の辺りがもやもやするの……)
胸元に手を当てて、深く息を吐いた。
わからない、自分の中で質量を増していく名前の知らない存在が、エヴァは不快だった。力なく肩を落としていると、それを見たリベリオはなぜだか笑っている。
「シスター、考えている事を当ててやろう……俺がいなくなるのが寂しいと思っているだろ」
「まっ、そんな事は思ってなく!」
「残念だが、俺はしばらくここで祭司のフリだ」
「……え?」
本当に、残念だ。
そう思えるはずなのに、エヴァはなぜだか心が晴れていくような感覚だった。
「今回のマリネッタの事で、夜明の鷹に対する警戒はより厳しいものになった……今回の件も末端の行動に過ぎず、根本を片づける事ができていない。鷹の事がある以上信者を守るというのが、教皇の考えだ」
「なるほど……」
『まぁそれは、俺としても願ったりかなったりだがな』
(……リベリオ様、マーレット教会が気に入られたのでしょうか?)
つい首を傾げて、そんな事を考えた。
心の声が聞こえても、その裏までは汲み取る事ができない。リベリオの声音が嬉しそうな理由も、なにもかも。
理解ができなかった事に若干悔しさを感じつつまたカーテンへ目を向けようとしたエヴァに、そういえば、とリベリオは声を上げた。なにかを思い出したように、けれどもどこかわざとらしく。
「まだ、答えを聞いてなかったな」
「答え、と申しますと?」
「俺はシスターを共犯にした時に、答えを見せると言ったはずだ……告解部屋と外の世界、どちらがシスターにとって答えを教えてくれた?」
「それ、は……」
俯き、言葉を選んでしまう。
きっと以前ならば、エヴァは考える時間もなく告解部屋を選んでいたはずだ。それなのに喉元で言葉は詰まり、悩んでいる自分がいる。少しむず痒さがありながらも、結局は首を横に振る。
「やはり告解部屋ですね、告解部屋がなければ副院長の傷にも気づく事ができませんでしたし、ミシェルの心を聞く事もなかったので」
「ブレないなぁ」
「…………けど」
「……ん?」
静かな、カーテンと草木の揺れる音が聞こえる。そうだ、これもすべてエヴァの知らなかった音だ。告解部屋という無の空間では、知る事のなかった音。そしてそれが揺れる事も、木漏れ日が差す事もエヴァは見る事がなかった。
そんな事を思いながら、そうですね、とエヴァは言葉を続けた。
「聞くのもですが、見るのも悪くなかったとは思います」
リベリオがきてからの、瞬く間に過ぎた時間に思いを馳せ、緩く微笑む。
(リベリオ様に会わなければ、こんな毛糸が絡まったような心にもならなかったでしょうね)
エヴァは触れた、スラムの少年のリリアに対する優しさに。
エヴァは知った、自分がなんと言われようと孤児に手を差し伸べる自己犠牲に。
エヴァは羨んだ、生き辛さの中でも自分らしさを崩さない強さに。
エヴァは嘆いた、告解部屋で聞いた声に矛盾がある事に。
それでもエヴァは見た――天邪鬼な心や優しい心、そして愚かで柔らかい心に。
真綿で緩く首を絞められるような息苦しい世界の中で、その場所は想像以上に輝きながら影を落としている。だからエヴァは、リベリオを恨み続け同時に感謝もしている。美しく残酷な世界を無理やり見せてきた、この嘘つき祭司に。
「あぁけどやはり私には、聞こえる事がすべてですね」
そんな冗談の言葉も、添えながら。
エヴァの様子を見てなにかを思ったのか、リベリオはそうか、と小さく呟くと突然ニィと悪戯を思いついた子どものように笑う。
「ならば、今俺がなにを思っているか聞いてみるか?」
「また、ですか……」
「あからさまに嫌そうな顔をするな」
(頭突きをしてしまった手前、わざと聞くのは得意ではないというか……)
しかし目の前のリベリオはそわそわしている様子で、断るに断れない。
しぶしぶ目線を合わせて、呼吸を落ち着かせる。前回よりも準備をする時間があっても、やはり自分の意思で聞くのは慣れない。
(……いえ、それよりも)
耳を澄ませても聞こえてくるのは、ざりざりとしたいつもの音。
「……人に心の声を聞かせたいなら、ノイズはかけないでください」
「……そんなつもりはない」
完全な無意識だった様子のそれに、なぜかエヴァではなくリベリオの方が不機嫌そうに顔をしかめる。なんだか理不尽で子どもっぽく、それがおかしくて笑えてきてしまう。
「…………なんだ、さっきから笑って」
「いえ、なにも?」
また目を細めて、わざとらしく首を傾げて見せた。
最初は不服そうな顔をしていたリベリオも、釣られるように頬を緩めている。
「そういえばリベリオ様、今日は街へ行くのでは?」
「あぁ、そうだったな」
思い出したように言うリベリオは、小さく欠伸をするとエヴァに手を差し出す。エヴァよりも大きく、男らしいものだ。
「行きましょう、シスターエヴァ」
『今日も頼んだぞ』
声が重なり、エヴァに届く。
少しわざとらしく笑ってしまいそうだったが、隠しながらそれに答える。
「えぇ、こちらこそよろしくお願いします。祭司リベリオ様」
この時間がいつまで続くか、この心地よいほどに聞こえる心の声はいつまでエヴァに届くのか。それは、わからない。それでも神の贋作ならば、贋作らしくエヴァは聞き続ける。世俗に染まった世界の、人々の声を。
「シスター、今日はなにを見せようか……そうだ、街の美味しいものなんてどうだ?」
「それはさぼりたいだけじゃないですか、聞こえていますよ」
肩を並べて回廊を歩く二人の背中を押すように、教会の鐘の音は今日も響いていた。
〈了〉
シスターエヴァはモノローグの謎を聞く よすが 爽晴 @souha
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