神の贋作は答えを聞く -9
回廊からちょうど見えるそこを指さすエヴァに、リベリオも釣られるよう目線を動かす。
指先の延長線上にあったのは小屋で、それだけではっとした様子で顔を上げた。
「まさか、夜の集会で使われていた小屋か?」
「はい、その通りです」
アンナも関わっていたその集会の舞台である、その後幽霊騒動で使用がされなくなった小屋。そこは夜遅いというのに、外からでもわかるほど灯りが揺れていた。
「副院長は儀式で使用をするとおっしゃっていましたが、あそこは幽霊騒動以前に副院長ご自身が耐震で危険性があると進言していたとか……そのような場所で、儀式をするのですか?」
「…………」
「元々この小屋は、夜の集会が開かれるほどの大きさがありました。つまり人を運び込む事は容易い……ここなら教会の門からもそこまで離れていませんし、人目に付かずにくる事も可能ですね?」
ここまで言葉を続けて、呼吸を整える。次に言う事は、もちろん決まっていた。
「アンナの他に犯人がいて、それが副院長だったと仮定した時、一番疑問だったのはその点でした。アンナに大人数の生贄を運ぶ事はとてもではないけどできない……そこで思い出したのです、分所で見た少し大きな、少なくともアンナよりは歩幅の広い足跡を……あれは、副院長の足跡ですね?」
「……その証拠は?」
「ミシェルがきた日の副院長、歩いた土の跡が残っていましたね。おそらくぬかるんだとこを、たとえばマーレット教会ではなく分所の周辺を歩いたか……少し時間が経っているのにそれほど土が残っているという事は、洗い流す時間もなかったか、また運んできたか。分所のシスターは、よく失踪するとコーラルから聞きましたから……その靴を見せていただければ、じゅうぶんな証拠になると思いますが?」
「ふふ、そう、かなり細かい事まで見ていたのね……」
場違いにも楽しそうに笑ったマリネッタは、嬉しそうに手を伸ばす。一点にエヴァを見たまま、その冷たい表情はまるで陶器人形かと思えた。
一瞬の、一瞬よりも長い沈黙。
凍り付いたような時間がしばらく過ぎた頃に、エヴァ、とささやくように名前を呼んだ。
「ねぇエヴァ、私と一緒に夜明の鷹に行かない?」
「……なにを、突然」
「突然でもなんでもないわ、あなたのその能力はきっとこの世界を救う事ができる……きっとあなただってこの状況に満足していないはず、夜明の鷹なら、あなたを噓つきなんて言う人はいないわ。誰もあなたを馬鹿にしない、誰もあなたを役立たずと言わない」
『神の能力があってこそ、我々神の願いは実現するでしょう』
「っ……」
自分が追い込まれている状況でも目先の事しか、自分の事しか考えているその言葉と声に嫌悪感しかなかった。しかしそれでも、エヴァの心が揺れているのは他でもないエヴァ自身がわかっていた。
(これはきっと、私が副院長を信じていたから)
悲しさや、息苦しさ。
それらはエヴァを押しつぶしてしまうのではと錯覚するほどで、感情をかき乱されているような気分だった。
「さぁエヴァ、私と共に」
手を、差し出される。
浅い呼吸で、しかしそれでもエヴァは力なく首を横に振った。振りながら、無意識にリベリオの方を盗み見る。
『……なんだ、突然こっちを見て』
(本当に、聞こえやすい)
それが逆に、今のエヴァには救いだ。このはっきり聞こえる、隠す気のない声が。今日までの時間で、エヴァにとっては心地よくなっていた。
小さく微笑んで、まっすぐにマリネッタを見据える。
「申し訳ありませんが、私は副院長と考えが合う事が一生ありません」
「……なぜ?」
低い、マリネッタの声は地を這うようなものだ。まるで母親に叱られた子どものように肩を揺らしたが、すぐに落ち着いた。
「……私には、母も父もいなければ友もいませんでした。あるのは、この神を真似したような贋作の能力のみ。それが、シスターエヴァでした」
言葉を静かに、一つずつ落としていく。
「そんな中で、私はとんでもない方に出会いまして……自分が一番悪いのに私の弱みを見つけてそれを棚上げして、共犯なんて立場にしてきた人が」
「……それは俺の事を言っているのか?」
「えぇもちろん……少し子どもっぽいところはありますが、優しく力強い私の誇る祭司様です」
「っ……」
リベリオがこの瞬間なにを思ったのか、エヴァにはノイズがかかってわからない。しかし、今はわからなくともよかった。リベリオという存在がここにいるだけで、エヴァには心強かった。
「エヴァ、なにが言いたい」
「そのままの意味です……役立たずでも噓つきでも、それでも私を純粋に一人のエヴァとして見てくれる人がいると、私は気づいたのです。リベリオ様もリリアも、コーラル達他のシスターも……そしてもちろん、アンナやミシェルも。みんな、私は見えていないだけでじゅうぶん優しさに囲まれていたのです」
リベリオと出会わなければ、きっと気づく事ができなかった事。
これだけの心の声に触れる事も、感じる事もなかった。
「だから私は、あなたとは意見が合いません……あなたのその価値観に対しても考え方に対しても、すべてです」
「――ふん、それがエヴァの答えなのね」
「はい」
「……もういいわ、もう少し利口な子と思っていたけど、そうでもなかったのね」
小さく頭を横に振ったマリネッタはふらふらと歩き出す。向かう先は問題の小屋で、じゃり、と砂を踏む音を立てながら庭園の方へと進む。
「特等席よ、そこで悪魔召喚の記念すべき光景を見ていなさい」
勝ち誇ったようなその言葉と、態度。エヴァとリベリオ、そして動く事ができないアンナはその様子をじっと見つめている。
『……なに、私の事は止めないのね。まぁいいわ、そっちの方が好都合だからね』
また、嘲笑うように笑っていた。
それでも、エヴァとリベリオは動かない。少しだけ緊張した様子で、しかしなにか確証があると言いたげな表情で。
「侯爵家にはあの孤児を育てさせた、彼女は勝気で悪魔の好む性格だったのよ……だから、悪魔の餌になるよう育てるよう指示をした。今度こそ、これで完璧な悪魔召喚ができる!」
高らかに声を上げた、瞬間。
「悪魔召喚の餌が、なんですって?」
聞こえたのは凛とした、勝気で聞き覚えのある声だった。
その声に、マリネッタはもちろんエヴァもリベリオも、アンナも反応をする。視線の先にいたのは、エヴァにとって見慣れた姿。
「ミシェル……!」
喜びなんて、簡単な言葉では説明できない感情がエヴァの中で溢れ出す。小屋の影から顔を出した存在はまさしく行方不明になっていた侯爵令嬢のミシェルで、安心したように頬を緩めている。
「この小屋はもうからっぽよ、エヴァと祭司様のおかげでね。もう避難して馬車で病院に運ばれた頃だから」
「なぜ……!」
「マリネッタ副院長は、俺達の話がやけに長いと思わなかったのか?」
「まさか、時間稼ぎ……!?」
鬼のような形相を浮かべたマリネッタは、悔しそうに唇を噛んでいた。しかしそれは、ある声により一瞬で崩される。
「その通り、全員を出すには時間が足りなかったからな……弟達に、時間を稼いでもらったというわけだ」
その声は、ミシェルと同じ方から聞こえてくる。
全員が視線を向けた先、そこにはリベリオと似ているが確実に違う色合いの服を身にまとった影があった。それを見ただけで、マリネッタはあからさまに狼狽える。
「あなたは、オスカー司教! なぜ、この時間にこのような場所に!」
「もちろん、可愛い弟からの頼みは聞かないとね」
『まぁ、本当はリベリオ経由でシスターからの頼み事らしいけど』
これが、エヴァがリベリオにあの告解部屋で頼んだ事だった。
「私は今回、リベリオ様に二つのお願いをしました。一つは先ほどの、本部で確認ができる入信時期――それからもう一つは、小屋に囚われている方々の救出を先回りしてする事。それも、マーレット教会以外のどこかに協力を仰いでです」
「頼まれた時は無理難題を言う奴だと思ったがな……ちょうど兄さんがきていたから、助かったよ」
この協会の中で、マリネッタの地位は確固たるものである。マリネッタが夜明の鷹である事を言ったところで誰も信じないのは目に見えた光景で、だからこそエヴァは外へ協力を仰げるリベリオに頼んだ。
「さて、副院長マリネッタ……続きは、教会本部で聞かせていただきましょうか?」
「っ……」
逃げ道を塞がれたマリネッタは、悔しそうに顔を歪める。ふう、と深く息を吐きながら顔を上げたその表情に、エヴァが慕った面影はない。
「なぜ、なぜお前達は今の現状を、甘い教皇の考えに疑問を持たない! 神を崇拝する心は、神に祈る心はないのか!」
『神のため、すべてはより良いヘロンベル教のためと言うのに!』
心の声も重なり、エヴァの中で反響する。
以前までなら、エヴァもこの言葉を信じていたかもしれない。母のような、信頼できる人物の言葉だと。
しかし違う。エヴァから見て今目の前にいるのは、獰猛な獣他ならなかった。
「私達は、シスターは神に使える存在です」
だからこそ、たどたどしくも言葉を選ぶ。
「そして同時に、神の考えを広げる存在です――決して、神を叩き起すための存在ではありません」
神が自由というなら、神が示す道を信じる。それが、前院長がエヴァに話した信仰の自由にも繋がる。今のエヴァは、そう信じていた。
(けど、それだけじゃない)
リベリオと出会い、半ば強制的に外へ連れ出された。
見慣れたはずの景色は違うもので、きっとそれぞれの考えがあったからだと思っている。
だからと、すうと息を吸う。
告解部屋のシスターではない、シスターとしてでもない。一人のエヴァとして、言葉を紡ぐ。
「自分の信仰を押し付けるような方が、人の信仰を否定するような方が崇拝の心を語らないでください」
「っ……!」
『あのエヴァが、私に言い返して……!?』
明らかに、困惑しているのは心の声がなくともわかる。今までのエヴァと明らかに違うその態度になのか、マリネッタは目を見開いていた。
「……私は、あなたを信じていた。信じて、まだ知らぬ母のように慕っていた」
そこで、言葉が詰まる。
なんと言えばいいのか、どういう言葉を使えばいいのか。わからずに目を伏せたが、すぐに顔を上げる。迷いはなく、ありのまま。
「とても残念です……えぇ、とっても、二度とあなたに会う事はないでしょう」
失望感、喪失感は思いのほかなかった。
あるのは苦しさと、肉親を失ったような悲しみ。
(副院長に今の、この私の心の声を届ける事ができたなら……私はどれだけ楽だったでしょうか)
誰に届くでもないその言葉は、エヴァの中に溶け込みひっそりと形もなく消えるだけだった。
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