神の贋作は答えを聞く -8
「……三人とも、こんな時間に出歩くとはいけませんね」
柱の後ろから顔を出したマリネッタは、先ほどきたと言いたげな顔でエヴァに目を向ける。あまりに他人事で、まるで自分は関係ないと言いたげなその表情にエヴァも言葉を失ってしまった。
「ほらアンナも、そんなところで蹲っていたら風邪を引きますよ」
「ひ、ま、マリネッタ副院長……」
『やだ、絶対私も、生贄にされちゃう!』
「っ……」
悲痛なその声に反応するように、気づくとエヴァの身体はアンナを隠すように立っていた。アンナを連れていかれてはいけないような、そんな気がしたから。
「副院長、伺いたい事がございます」
「……なんでしょう」
冷たい、ガラス玉のような瞳がエヴァを貫く。
「単刀直入に……副院長、あなたこそが夜明の鷹ではないのでしょうか?」
「なぜ、エヴァはそう思われたのです?」
「……その手です」
「手?」
予想外だったらしいその言葉に、マリネッタは無意識なのか自分の手を見る。
「先日私とリベリオ様が夜の回廊にいた時、その手を拝見しました。お子さんを育てられたとの事でその時作った傷でしょうか――告解部屋で、あの兄弟の母親に聞いた悪魔の特徴と一致しておりますね」
あの時、彼女は傷としか言わなかったからこそ、エヴァもすっかり忘れていた話だ。
「それだけです? 傷なんてどこにでもあるものでは」
「シスターは基本的に、顔以外の露出が少ない事が特徴です。露出した地肌と言えば顔と、手袋を取った時のみ。顔に特徴的な傷を持つシスターはいませんし、状況に応じてシスター全員に手を見せてもらう事も可能ですが?」
「…………」
じっと、感情がまるでわからない瞳でマリネッタはエヴァとリベリオを見つめている。
(手袋についてはかなり賭けの部分がありますが……)
それでも、マリネッタにはじゅうぶんだったらしい。
目を細め、口角を持ち上げて。悪魔のような笑みを浮かべた彼女は静かに、エヴァに近づいていく。
「他には、私が犯人でありアンナに指示を出していたという確固たる証拠は」
「それ、は……」
ゆっくりと、アンナの方へ目を向ける。
状況証拠や説明はもちろんできるが、今一番の証拠はアンナから聞こえる心の声。しかしそれを言ったところで信じてもらえるのかと言えば、もちろん答えはノーだと思った。ここでどうマリネッタに犯人である証拠を出そうかと考えていたが、それは思わぬ形で出る事になる。
「あぁ失礼――心の声では、目に見えた証拠にはならないですね」
「っ!?」
「こいつ……!」
「おやリベリオ様、今は祭司ですよ。言葉遣いが戻っております……それでは、教皇の御子息である事がバレかねません」
『こいつ、どこまでその事を!』
エヴァの能力を、リベリオの正体をマリネッタは知っている。
その事実だけでエヴァは肩を揺らし、リベリオもエヴァとアンナを隠すように前に出た。
「なにも隠す事ではない、リベリオ様は本部に出入りをすれば顔を一度くらい見る。そしてエヴァが心の声を聞ける人間だと言う事については、少し調べればわかる事……ミシェルとの一件とかね」
(言われてみれば、今回の夫人だってそう……あの時真に受けなかった人がほとんどだけど、あれがきっかけで調べられれば私の言動におかしい点も見つけられてしまう)
迂闊だったと、素直に思った。
しかし今はそれで動揺している暇もない、そう言い聞かせながらエヴァは呼吸を整える。
「なぜアンナを選んだのかは謎ですが……リベリオ様に調べていただいたところどうやらアンナが教会へ入ったのは、生贄事件の数日後ですね。生贄事件を失敗したあなたは一人でやる事に限界を感じていた。だから、ちょうどのタイミングで入ったまだなにも知らないアンナを入れ込んだ」
リベリオに頼んだ一つ目である、アンナの入信時期。
教会本部で管理がされているのではとダメ元で聞いてみたものだったが、結果としてアンナとマリネッタの関係が明確に浮上するきっかけになった。
「……アンナは、巻き込まれなければきっと、こんな事はしなかったはずです」
言葉にするだけで、身体の底が熱くなるような感覚だった。
無邪気なアンナを、素直で少しドジなアンナを犯罪に加担させた。エヴァが怒るにじゅうぶんすぎる材料で、それを無理やり鎮めるために小さく首を横に振る。
「そしてなにより、ここにいるのがなによりの証拠……マリネッタ副院長、あなたがこの世俗に染まったマーレット教会を乱している元凶です」
喉に、言葉がつっかえるような感覚だった。
できる事なら、疑いたくなかった。できるなら、このままでありたかった。夢であってほしいと、エヴァはこの瞬間も思っていた。しかし目の前にいるマリネッタには、そんなエヴァの心の声が聞こえるはずもない。エヴァの願いや感情を嘲笑うように、くつくつと喉の奥から声を出している。
「ふふ、ふふ……あぁエヴァお見事です、いかにも私は夜明の鷹――このヘロンベル教を正しい形へ導く選ばれた存在!」
高らかに、不気味なぐらいの表情を浮かべながらマリネッタは笑っている。
不気味で、身体の底まで冷えるような感覚だった。
「エヴァ、いつから私が関与していると?」
「……ミシェルのお義母様、侯爵夫人の言葉。そして、シスターの失踪事件がそこまで大事になっていなかった事です……夫人はミシェルを引き取った事を、ミシェルは私に近づかない方がいいという事をシスター様から聞いたと言っていました……ミシェルに言ったのは、おそらくアンナ。きっと私とリベリオ様が自分にたどり着いてしまうと思ったからなのはわかりましたが……これでは、ミシェルを引き取るよう指示を出したシスター様と歳が合わない。なので考えたのです、この教会に古くからいて特徴的な傷のあるシスターを」
深く溜息を落とし、首を横に震る。
「事件が大事にならなかったという事は、内々に事件を隠す事ができる存在。祭司以上の存在です……古くからいる祭司以上の役職で、シスター様と呼ばれてもおかしくない存在……そこまで考えれば、絞り込む事は簡単でした」
まっすぐ、マリネッタを見ながら言葉を言う。
しかしそれすらも楽しそうに、マリネッタは光悦な表情をエヴァに向けていた。
「シスターエヴァ……神に愛された子。私はあなたの能力を、ずっと羨ましく思っていたの」
「……なぜ、このような事を。どうして、神や教皇に逆らう真似を!」
感情に任せて、言葉を吐き出す。
自分でも一生出さないと思えるそんな声にリベリオもアンナも肩を揺らしていたが、マリネッタだけは動じる事なく笑みを浮かべたまま。いつまでも崩れないその表情は、まるで仮面のようだった。
「それこそなぜ、エヴァは面白い事を聞くのでしょう――すべてはより良い、このヘロンベル教を正しい形へ導くため。あの現教皇の甘い考えから目を覚まさせるため」
『私はなにも、間違った事はしていない』
「…………」
心の声まで同じそれに、エヴァはぞっとした。
「……それは、お子さんの事が関係しているのでしょうか?」
ぴくりと、指先が跳ねた。
噂に聞いた事がある、マリネッタがシスターになったきっかけ。図星だったのか一瞬黙ったマリネッタだったが、すぐにあの笑みを貼り付け直す。
「その通り……私の息子はこの国に殺された、あの教皇になってから増えた移民に殺されたのよ」
絞り出すような、そんな声だった。
「あの甘い考えは、他国で犯罪を犯した人物も招き入れた。今の教皇になってから全部がおかしい……私の息子も、きっと強盗に襲われずに済んだのに……全部、この腐った教皇のヴィカーノがいけないの!」
「っ……」
『親父はなにも悪くないだろ……悪いのは犯罪者でありそれを認めない弱さだ』
(……リベリオ様)
視界の端で聞こえた怒りが滲んだ声に、エヴァはなにも言えない。
「そんな時よ、夜明の鷹に出会ったのは……夜明の鷹が行っているのはテロなんかではない、この国を正しい形へ戻す行為なの!」
『だから神話になぞらえて、私が悪魔のささやきを、生贄事件をした。悪魔になりこの国を正しい姿に導く、だからあの女にもお金を用意させたし、アンナに集会で信者ではない移民も探させた』
「副院長……」
息が止まりそうなほどの不快感だった。
目の前にいるのは、信頼していたマリネッタでありその面影はどこにもない。ただ傲慢で、自分の行いが正しいと思い続ける心のない人形のようだった。
「あなた達が嗅ぎまわっていると気づいた時は、本当に厄介だったわ。集会騒動を夜明の鷹の信者に相談させて小屋を使わないようにするため利用しただけなのに、まさかここまでくるなんて」
「あの時の信者も、副院長が……」
その言葉で、あの時の告解部屋を思い出す。なんで、という場違いな心の声が自分の意志ではない告解だったからだと考えれば、すべてが腑に落ちる。
「……当時、なぜ生贄事件を」
「もちろん必要悪のためよ、生贄を使い悪魔を召喚する事で、この世界を正しく導こうとしただけ……それなのに結局教会本部がどこで嗅ぎ付けたのか邪魔をしてきて、私がやった事はバレていなかったし生贄もあまり熱心ではないシスターやスラムの住民を中心にしたから怪しまれなかったけど、一人では難しい事もわかった……そんな時よ、アンナがマーレット教会にきたのは」
「ひっ!」
あからさまに肩を揺らすアンナを、マリネッタは舐めまわすように見ている。
「心に隙がたくさんあって、拠り所をほしがって……無条件に副院長の私を信頼している愚かなアンナ。あなたを共犯で慈善役にして、ターゲットを決めればきっと完璧な悪魔召喚をできるってね」
『これで、悪魔の声で我々は神に近づく事ができる』
狂気に満ちた心の声音は、エヴァの感情を揺らすにじゅぶんだった。
『悪魔はきっとこの世界を救ってくださる、必要悪の存在により神が目覚め我々教徒のみが救われる未来がくるの!』
「うっ……」
『その世界で、エヴァと言う神の能力を持つ者がいれば世界はきっと跪く……この世界は、我々の神が思うものになる!』
(もう、聞きたくない……)
嫌悪と、名前の知らない憎悪。
エヴァの中でマリネッタの言葉を聞くたびにそれは膨らんでいき、存在を大きくしている。
(息が、できない……)
目を離そうとしても、身体は言う事を聞かない。
最初からマリネッタに視線を縫い付けられた感覚で、聞こえる声に顔をしかめた時。
「聞くな、シスター」
ふと、視界が遮られる。
それが祭司の服、リベリオのストラである事を理解するには、少しだけ時間がかかった。
「リベリオ、様」
「聞くな、どうせろくでもない声だろ」
今にも人を殺してしまいそうな表情をしたリベリオは、なにかに耐えるように顔をしかめている。エヴァのように心の声は聞こえない、しかしそれでもリベリオの感情はエヴァと同じだった。
『俺はおそらく、こいつを許せそうにない』
(それは、私も同じです……)
場違いにも、リベリオの心の声はエヴァに優しく聞こえてしまった。普段と変わらない筒抜けな声が、今はありがたい。
「ふふ、ずいぶんとリベリオ様に気に入られたのね……けど二人ともなにか大切な事を忘れてない? 私が犯人でも、失踪した人達はどこへ? 今のは状況証拠とエヴァの聞いた心の声だけ……とてもではないけど、あなたの心の声を聞きましただなんて証拠にならないのでは?」
「それについては……わかっています」
「っ……」
笑みを一瞬崩したマリネッタには気づかず、ストラから顔を出す。しかしエヴァの視線は、ある一点に向かっていた。
「失踪された方は――皆様あそこに監禁されていましたね?」
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