神の贋作は答えを聞く -7

 この日の告解部屋は、夜である事を差し引いてもひどく静かだった。

 誰もいない、誰の赦しを乞う声も聞いていない。それでも灯った明かりは不気味に、静かに揺れている。

 遠くに聞こえる複数の馬車の音を聞きながら目を細め、肩から力を抜く。

(どうか、こないで)

 そんな小窓の向こうを見ながら、エヴァは心の底から願っていた。

 こないでほしいと、どうか自分の思い違いであってほしいと。鉛玉のように重くなった心で神なのか、それとも名前のない誰かに祈りを捧げる。

 そんな時間はどれくらい続いたか、実際は長くなくともエヴァにとっては永遠のような時間の後で、前触れなく軋む音が聞こえてきた。小窓越しの、告解部屋に誰かがきた合図だ。

(……きてしまったのね)

 深く息を吐きながら、前を見る。

 願いは虚しく崩れた、それならエヴァは普段通りの振る舞いをする他ない。この告解部屋のシスターとして、世間の呼び名を借りるならピクシー様として。目の前にいる人物から告解を聞く必要がある。

「……ピクシー様も、面白い事をするのですね」

 その声はゆっくりと、はっきり言葉を紡ぐ。

「なんですか、あの手紙は。私の行いを知っているなんて、そんな脅しの手紙なんて!」

「……脅しではありません、神はいつでもあなたを見ております」

 低く、エヴァ自身も驚くほどに落ち着いた声がこぼれ落ちていく。

「ご存じでしょうか、今この教会では失踪事件が起きていると」

「それは……こんな貧困の激しい情勢です、特に珍しい事ではないです」

「どうやら夜の、秘密集会に参加をしていたスラムの方が多いようです」

「スラムで人がいなくなるのは、別におかしい事では」

「確かにあなたの言う通り……しかし、私はあなたの行いを知っていると書き、部屋のドアに差し入れただけ。なにを想定したのでしょうか?」

「っ……」

 小窓越しの声は、その一言でなにかを察したように言葉を失った。このまま、本当に知らない態度をしてくれたならどれだけよかっただろうと、つい考える。

「……本当は、心のどこかであなたではないと思いたかった」

 絞り出すように、吐き出すように。

 今だってエヴァは、信じたくない気持ちでいっぱいだった。もしなにかの間違いならと、もし今この時間も悪い夢なのではと。しかし手を置く木製のテーブルは冷たく、確かにそこに存在する事を主張していた。この一瞬がまぎれもない現実であると、エヴァに突き付けてくる。

(覚悟を決めなければいけないのは、私)

 ふうと、深く深呼吸をした。

 窓越しにいる彼女の名前を、呼ぶために。


「シスターアンナ、あなたがこの失踪事件の実行役ですね」


「……私も知ってるよ、小窓の向こうにいるのがエヴァだって、もう声なんか作らなくてもいいって」

 諦めたように笑ったアンナは、小窓越しでもその表情を想像するに容易かった。きっと、少し目を伏せながら力なく首を横に振っているはずだ。それほどまでに、エヴァとアンナの過ごした時間は長いから。

「本当に、ピクシー様がエヴァだって聞いた時は私もびっくりしたよ……あのおとなしいエヴァが、こんな事するなんて」

「……アンナ」

 普段と変わらない、しかしなにかが決定的に違う。

 エヴァの知るシスターアンナは、この場にいなかった。

「……エヴァは、どこで私が怪しいと思ったの?」

「それは……書置き」

「書置き?」

 ぴくりと、小窓越しに見えるアンナの指先が跳ねた。

「コーラルは分所へ行く前に、普段はしない書置きをしていた。だからこそ本来ならあそこで出る言葉は、なにも聞いていないとかになるはず……それなのにアンナは、書置きの事を話した。きっとリベリオ様や私が嗅ぎまわっている事に対し、身代わりにするために書置きを捨てたのよね。知らないフリをしても、頭のどこかでコーラルの書置きの事があったからつい言葉にしてしまったとかだと思うけど」

 そこまで話し、呼吸を整える。集会の後で聞こえた悲しそうな声には、触れずにいた。

「過去の生贄事件や、分所の失踪事件……あそこでコーラルの話を聞いて彼女が犯人ではないという事はじゅうぶんわかった。そこで、ミシェルのお義母様……侯爵夫人の言葉を思い出したの」

「へぇ、どんなの?」

「シスター様って呼び方……シスターだけなら私もそうだけど、夫人から名前が出るという事は、信者の目に触れる回数が多い役になる。私の知る限りでそれはリリアの世話役とコーラルの集会役、私の侍従役と――アンナの慈善役。慈善役は、寄付金相談とか信者相談にも乗る事があると聞いた事があるの……その時侯爵家とは接触したんじゃない?」

「……すごいやエヴァ、大正解だよ。私がこの失踪事件の、いなくなった人を攫った犯人。動機はそう、私が夜明の鷹に加担していたから」

 まるで、言い訳をする様子がなかった。

 そんなアンナの様子に、逆にエヴァは顔をしかめる。それは彼女の反応でなく、エヴァのみに聞こえる心の声に対してだ。

『よかったぁ、あの事はバレていないみたいだね』

(あの事というのは、やはり)

 それだけで、エヴァは気づいた。

 確証を持って、彼女の隠している事に気づく。

「そうね、けどこの話は終わりではない」

 一つ一つ、言葉を選ぶ。


「アンナ――私は今回の件、あなただけの話ではないと思っているよ」


「それ、は……!」

 一瞬で、アンナの反応が変わった。

 さっきまでの素直な反応とは違う、なにかに焦った様子。

 隠していた事がバレたように、手を不自然なほど動かしている。

「なんで、どうしてそんな事が言えるの?」

「動機が薄すぎるし、そもそもアンナは私より少ししかきた時期は変わらない……そんなあなたがいつ、夜明の鷹と関わるような事があったの? そもそもどうやって、アンナは被害者を連れ出したの? どこにその人達はいるの? どれも一人では、あまりにも」

「それは、だから慈善役の時に!」

『バレている、まさかそんな!』

「だいたい、私がピクシー様だなんて知っている人はかなり少ない……それを誰から聞いたの?」

「それは!」

『どうしよう、どうしよう……!』

 心の声からも聞こえる動揺の色に、エヴァはすうと目を細めた。

「……おそらくアンナは、ある日を境に夜明の鷹に関係する者から誘導を受けるようになった……その人はアンナにとって母のような存在で、だから計画がバレたらその人に叱られてしまう。そうじゃない?」

「それは、その……」

 あからさまな狼狽え方をするアンナを置いて、エヴァは話を進めていく。

「ねぇアンナ――あなた、生贄事件の再現をしようとしているの?」

「なんで、エヴァが生贄事件を……!」

 とどめを受けたように、アンナは声を上ずらせた。

 ひゅ、と悲鳴のようななにかが聞こえたと思えば、続いたのは慌てたように立ち上がる音。

「し、知らないそんなの、私は知らない!」

『私は、私は一人でやったの!』

「あ、ちょっとアンナ!」

 発狂寸前の状態でアンナはそのまま、まるで悪夢から逃げるように告解部屋を飛び出していく。少しエヴァもそれには動揺をしてしまったが、すぐに自分を落ち着かせて外に出る。

(大丈夫、このために外で待っていていただいているのだから)

 ギイ、と軋む音と共に回廊へ出ると、そこにはアンナがいる。驚いた様子のアンナの前には長身の男――リベリオが立っていた。

「おや、シスターアンナ、こんな時間にどこへ?」

「り、リベリオ様」

『どうしてここに』

 もしアンナが逃げようとした時のために待っているようお願いをした、エヴァの考えだった。

「アンナ、もう逃げられないよ」

「え、エヴァ……」

 後ろと、前。

 両方からじわりじわりと追いつめられるアンナは、混乱した様子でエヴァとリベリオの顔を見る。しばらくそんな事を繰り返していたが限界を超えたのか、アンナはその場にうずくまりながら頭を隠す姿勢になってしまった。

『やだ、怒られたくない、聞かないで、これ以上私を責めないで、私はただ褒められたくて。ヘロンベル教のためって教えてもらったから、それで!』

「っ……」

 あまりにガタガタな精神状態で、エヴァもつい眉をひそめる。

「これはどういう事だ、シスター」

「どういう事、と申しますと」

「これでは、最初に聞いていたよりもシスターアンナの様子がおかしい……本当に、シスターアンナが犯人なのか?」

「えぇ、彼女は紛れもなく実行犯です……しかし」

 目を細めて、ふと背後を見る。

 誰もいない、普段と変わらないはずの夜の回廊。しかしエヴァは、その気配から目を離さない。

「アンナはただ利用されたにすぎません――そうですよね?」

 長い、なによりも長い間を開けエヴァは言葉を紡ぐ。


「今回、そして過去の生贄事件を計画したのはあなたですね――マリネッタ副院長」

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