第15話 長い目覚め 〈了〉

「……――男の子の癖に、年下の女の子に負けるなんて。情けないわね是良」


 母親の声だった。俺を置いてアメリカへ行ってしまう前だ。母子家庭に育ったからと、父親のいないぶん男らしく立派に育てたかったらしい。

 小学生の頃、運動音痴の俺はケイと共に空手を習っていた。その成果は、一向に上達しない俺に対してメキメキと強くなるケイの姿に心が折れただけだった。


 誰も理解者なんかいなかった。今だってそうだ。

 俺だってケイのように強ければ、明朗だったら。オタクになんかなりたくなかった。

 ……いいや、そういう訳でもないかも。

 ともあれ、俺は妄想の力を手に入れた。人一倍、夢や空想の世界を渇望し、それを誰よりも強く望んだ。

 ただ、望んだ。

 いずれ、大きく肥大化した。

 そしてその願望が、あちら側の世界を俺に引き込んだ。


「なら、いま、どんな気持ち?」


 ケイが立っている。無表情のまま問いかけていた。


「……情けないさ。俺だって。でも、こんな世界が俺を、優しく包み込んでくれてる。それが余計に、情けないよ」

「そう」

「けどさ、ケイ。俺はお前を迎えに来た。ここが俺の夢の中の世界なら、俺は無敵だ、最強だ。だから、」


 ランゲラウフ。これが俺の武器だ。


「俺は、外さない」


 耳を劈く銃声と反動。元の肉体に戻った是良には飼いならせない凶器そのものでしかなかった。だがその銃弾は、真っ暗なマグラの静寂をたった一発で貫いた。

 闇が裂けた。

 莫の大喰らいが枕童子を屠っていた。

 

「……莫、」


 返ってくる言葉はなく、上半身を丸呑みにした後、ぐい、とをあげる。赤い鳥居と夜桜、そして月輪を背負った黒い空のコントラストへ向かって万歳のように開いた足。――みたいだ。

 やがて泥に沈むように、ずずず、と沈下し、ごくり、ちー、と消化した。大喰らいに身を預けていた莫の上半身が体操選手のように這い上がる。連動して大喰らいははだけたジップジャケットの内側へと収まった。


「……よきかな、よきかな」

 

 けれど言葉とは反対に、ぐらり、とバランスを崩し、刀を杖のように突き立て耐えるも、やはりそのまま石畳の上に倒れ込んだ。「莫!」是良は駆け寄ると莫を抱え上げた。

 目を細める少女の瞳は、力尽きる、という言葉にピタリと背を預けていた。


「どうした? 何が?」

「マグラを屠るのは、ボクでも荷が重かったらしいね。うう、吐きそうだ」


 普段のポーカーフェイスを保とうとしている。けれどそれが痩せ我慢であることは弱々しく震える身体からも見てとる事が出来た。是良は抱きしめた。莫の隠されざる内側を理解できるのは自分に他ないと思ったからだ。


「……優しいね、是良」


 少女はか細い声と右手を広げ、頬にしっとりと触れた。そこに涙が伝っていた。否定するようにふいと二回顎を振る。


「……俺に出来ることがあるなら、何でも言ってくれ。お前を失いたくないんだ」


 ふふ、


「大袈裟だね…… でも、本当に、そのつもりがあるのなら、」

「ああ」


 是良はこれから自分が何を要求されるのか勘付いていた。

 それは永遠に夢の中へと取り込まれることを意味している。枕童子と違いがあるのか。あの言葉がリフレインしている。


〈うん。僕を倒した暁には、君は若君に喰われるんだ〉


 それでも構わない。


「俺に、俺のに莫を救う力があるなら、俺はお前に捧げるよ。たっぷりと食ってくれ」


 にひひひひ。


「おおばかものが。ボクみたいな化け物を生かしたことを、後悔するよ」

「しないさ。約束する」


 気づくと是良は、大きな、有機的な内壁の内側にいた。ああ、俺は本当に喰われたんだなぁ、とぼんやりと思った。けれどこの中が落ち着く。自分に似合わず、ずっと走りっぱなしだったから、少しは休めそうだ。


 ああ。

 今夜はゆっくりと眠れそうだ。


 ■ □ ■


「――朝か」


 長い夢を見ていたような気がした。

 今日はすっきりと目覚めることができた。スマホのアラームよりも5分早い。そっと設定を解除して、窓のカーテンを開く。


「……なんだ?」


 向かいの窓、ケイの部屋。ベッドとそこに腰を落として酷く怯えるケイの後ろ姿が見えた。


「ケイ!」


 何かは分からない。けれど酷く嫌な予感がした。忘れた何かが、それは夢で見た何かだったのだろうか、その破片が刺さる。

 咄嗟に体が動き、部屋を出て、家を出て、家に上がり込み、ケイの部屋のドアを開けた。


「どうした!?」

「是良……!? あああ、あ、あれ何……?」

「あれ?」


 恐る恐る指をさした方向に視線を向けた。勉強机の上に、黒々しい古い鉄の塊が置かれている。手に取ってみる。ずしり、


「あ…… ランゲラウフ」


 二人は何となく電車で登校する事にした。朝の込み入った車内で不意に思う。


「あれ、俺たち、つい最近もこうして横に並んでたかったっけ」

「まさか」

「だよね。……夢だったんだ、全部」

「え?」

「いや、何でもないよ。何でも……」


 朧げな感覚の向こう側で、あの少女が、名前も思い出せないけれど、悪戯っぽく笑っている。もう一度、会いたい。


「是良、私もね、夢を見てた」

「夢?」

「うん。悪いやつに捕まってる私を、是良が助けに来てくれる夢を」

「え、俺が? まさか」

「笑っちゃうよね。でも、お礼を言えずに夢から醒めたの。だから言うね。ありがとう、是良」

「よせよ、照れるぜ」


 正門の前で別れると是良は階段を上がって教室に入った。四階、三年二組。窓際の自席に座る。ふと、背後の掃除用具入れに注意が向いた。――狭かったな。久しぶりに入ると。


「……? んなわけないよね」


 暫くして校舎にチャイムが鳴り響き、朝のホームルームが始まる。教室に女教師が入る。今日の1日が始まる。止まっていた時間が流れ出す。こうやって、


「――それと、転校生の紹介をするわね。どうぞ入って、」


 ガラガラと引き戸が開き、教室に誰かが入ってくる。すたすた、と、軽快な足音を立てて、教壇の横に並んだ。

 紺色のスカートとブルーグレーの鬼太郎ヘア。振り向く動作で微かに揺れて、その黄色い瞳が是良を視界に認めた。


 ――……可愛い。誰だっけ、どこかで見覚えが、


 にひひひひ。


「それでは、自己紹介をどうぞ」


 すう、と息を吸う。夜風に揺れる風鈴のように美しく反射する声で言った。


「飴屋莫です。皆さん、短い間ですが、どうぞよろしく」


 しなやかにお辞儀をして、教師が言う。「それじゃあ、席が空いてるから上遠野君の隣で、」。言い終える前に席へと歩き出す、「飴屋さん、場所は」

「分かりますよ――ここです」


 目線が合った。不意に脈を打った、どきっ。


 にひ、


「ど、ども……」


 緊張したまま、是良は正面を向いた。


 今朝見ていた夢の内容、何だったっけ……――



【オルマド・キル・マ】 〈了〉

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オルマド・キル・マ 加々美透 @Q-B-E

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