第14話 お前の腹じゃ、消化するの、無理

 鳥居の下には古ぼけた安楽椅子があった。少女は力無く埋もれている。


「ケイ!」


 呼びかけで首を上げると、虚ろな瞳のまま、けれど確かに是良の顔を認める。


「是、良……」


 駆け寄り、ケイの身体を抱き上げる。お姫様だっこの形だ。


「是良、いきなり力持ちに……」

「夢の中だからね」


 ケイを抱き抱えたまま是良は来た道を辿るようにいくつもの鳥居を潜った。

 ――莫はどこだ? 


「莫!」

 

 永遠に続く鳥居の回廊。その奥深くの深淵に向かって大声で呼びかけた。しかし返ってくる言葉はない。

 ――まさか、やられたんじゃ……?! そんな、そんなことは、


「――トンカジョン。君が呼ぶのは、かね?」


 白い煙が湧き、視界を零にし、瞬間に晴れる。そこにはの頭を、その群青色の髪の毛を操り人形のように掴んで吊し上げる枕童子が立っていた。

 

「ば、莫……?!」


 しかし、骸は既に返答する能力を失っている。


「若君は、もういない。これで決心がつきましたか?」


 枕の背後で、ばく、ばく、と惨い音を立てるキマイラは切断された胴体部分を美味しそうに屠っていた。


「そんな……」


 がくりと膝が落ち、腕からも力が抜け、抱きかかえられていたケイはピエタのような姿勢になってから石畳の上に転がった。

 枕はその上を跨ぐと、膝を突いて項垂れる是良へ両手を差し出し、その両頬を捕らえて顎を上げさせた。


「おや、まさか化け物のために涙を流しているとは」


 是良の顔は涙でぐずぐずになっていた。眼鏡は滴り、熱い息で曇る。

 

「心配しなくてもいい。僕らはこうして一つになれるのだから、」


 どろり、と溶けた枕童子の顔が巨大な口へと変貌する。歯などないスライムの大口が上半身を丸呑みした。

 ぐちゅぐちゅ、とした内壁が是良を包み込む。と同時に、是良は確かに口の奥にを見た。

 目玉だ。無数の目玉だ。こちらを見つめている。抑え込まれていた筈の狂気が息を吹き返す。是良は発狂した。自らも口を開け、ただひたすらに叫ぶ。


「あああああああ、ああああああっ! ああ、ああ゛゛っ!!」

「――叫ぶのが遅いよ、是良、」


 突然だった。消えた筈のあの声が聞こえた。どこから? いや、自分の腹の奥底から。

 刀が伸びた。絶叫のために大きく開けた口から、その黒い刀身は真っ直ぐに中心の目玉へと刺し込まれ、瞳孔を真っ二つに隔てた。


「「゛゛゛゛゛゛ッ!!」」


 声にならない声。もしくは闇の振動。包み込む内壁が振動している。悲鳴だった。是良はいよいよ頭がイカれそうになっていた。


「うるさいね。もう、大丈夫だよ」


 一瞬、意識が飛んでいたらしく、気がつくと是良は尻餅を突いて石畳の上に座り込んでいた。そして正面には、緩やかな風に黒いスカートと襟足をはためかせるあの人影が、莫が背を向けて立ち塞がっていた。


「お待たせ、是良」

「莫、無事だったのか……?!」まだその目に涙が流れていた。

はね。キミの体にボクの一部を与えていたのさ。ボクはそこから蘇った。キミの超人的な力の発生はそのためさ」

 言いながら刀を構える。

「今、キミは元の状態に戻ってる。だからそこで見届けておくといい。お上りさんが身の程を知る様をね」そう言った時、横顔が是良をちらりと見た。

 涙で濡れた情けない顔。それを認めると、にやり、と笑い、


「悪くない気分だね」


 視線を目の前の怪異へと戻すと、枕童子は頭を抑えて仰け反り、苦しみから歪んだ口元は唸るような低い音を吐き出していた。連動するようにキマイラも脳を絞るような苦悶を上げながら地面に蹲り、そして黒い泥を吐き出していた。


「お前の腹じゃ、消化するの、無理」


 たんたんたん、と石畳を軽快に蹴り出した莫は枕童子へと豪快に斬り掛かった。


「若君ぃぃぃッ」


 振り絞るように軍刀を構え、攻撃に備える。だが核となる大目玉を傷つけられた事で枕の動き散漫になっていた。太刀の強力な一打で手元から軍刀を弾き飛ばされる。


「どうしたの? 坊や?」


 更にもう一撃。軍刀を握っていた右腕が跳ね飛ばされていた。法被で切断口を隠すように背後に下がると、顔を歪めながら、けれど口元に言葉はなかった。


「勝負は付いたように見えるね」


 挑発に応える事なく、左腕を差し出し、指を弾く。瞬間に後方のキマイラはドットが解けるようにバラバラと崩れ、無数のミミズのような線を成し、地面を伝いながら一斉に枕童子へと集結していく。

 鏡に映ったかのように、先ほどキマイラが吐き出した黒い泥もまた地面を伝って莫の元へ急行すると、となってその隣に並んだ。


「おかえり」、そう呼びかけると「ただいま」と泥人形は返し、やがて影が重なるようにして一つに合わさった。二つに分かれていたものが一つになる。

 力がすべて滞りなく流れる。莫は、にやり、と笑みを浮かべて、もう一度刀を構え直す。


「終いにしようか」


 だがその瞬間だった。全てのミミズが枕童子へと収束し、黒い法被をマントのように翻して隠していた身体を露わにした。

 そこにあったものは闇だった。

 ただの暗黒だった。


 マグラ。


 枕の生んだマグラに、是良は取り込まれていた。

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