第13話 すぱん

 ――俺は逃げていた。ただひたすらに逃げていた。

 規則的な鳥居と灯籠の連打。足元の石畳。全速力で走り、それを追い立てる三位一体の怪物・キマイラ。

 彼我の距離を測るべく瞬間的に振り返る。獅子の顔は大口を開けて迫っている。およそ5メートルほど。

 ――追いつかれた時、どうなる?

 体を貪り食い、ごくりと消化されるイメージ。恐怖、死、


 ――だめだ、悪い方向に考えちゃいけない。ここは俺の夢、想像が指向性になる。俺はこの化物を退治して、ケイを救うんだ。

 ――そうだ、ケイはどこだ?


「ケ、ケイ!! どこだ!? 返事をしてくれ!」疾走と息継ぎから必死に言葉を吐き出す。

『……是、良?』脳裏に、微かに確かにケイの声が聞こえた。

「ケイ! 聞こえるのか!? どこだ!、」

 

 意識がキマイラから離れた刹那、腕利きの睡魔のように、地面を大きく蹴り出して是良へと飛び被さった。


「あ」


 ごろごろと揉み合うように転がり、マウントを取ったのは怪物だった。大口を開けて顔を一齧りする、寸前で首を横に曲げて避ける。――反撃の手段、ランゲラウフ……!!

 幸いにも自由な右腕で覆いかぶさる怪物の胴体に銃口を向け、引き金を弾く。派手な銃声から発射された魔弾が到達し、悲鳴を上げながらキマイラは是良の上から退いた。

 ――痛ってぇ。けど、普通の人間なら押し倒されただけで死んでいてもおかしくない。

 そこで改めて実感する。

 ――これがか。


 深呼吸した後、もう一度ケイの名前を呼ぶ。心の耳を澄ませる。きっとケイからの返答が来るはずだ。いや、必ず来る。――俺は疑わない。


『……是良、ここ。ここに来て』


 ――声が聞こえた。

 是良ははっきりと大きな声で答えた。


「ああ、今行くから待ってろ」


 枕は左手を掲げると、指一本一本を、繋がったピアノ線を引くように機敏に動かした。動きに連動して遠くから風を切る音が鳴る。

 事実、指は操作していた。幾万からなる式札の衆、式神の鳥たちを。


「洒落臭い」


 莫は両手に握った刀で斬りかかる。しゅん。対する枕は右手の軍刀で受け止め軽く斬り払うと、左手で式神を操り、開いた指を小指から順番に折っていく。その度に白紙の鳥達は標的へとバードストライクした。


「小細工を、」


 しかし、鳥達は半円を描く不可視の結界に衝突して欠損しながら散っていく。また指が折れる。新たな一群が莫を目掛けて突撃し、ゴム鉄砲みたく弾け飛んだ。

 焼石に水、と言う訳でもない。結界には少しづつだが亀裂が入っていた。

 によって無尽蔵に引き出されていく枕童子の力、


「若君、どこまで耐えられますか?」


 にやり、と笑ったのは莫のほうだった。ニヒルなポーカーフェイスから、


「お前がまでさ。言った筈だよ、お前ではマグラを扱え切れないとね。最強の盾と矛の対決は、根比べなのさ。下賤の坊や?」

「ほざけっ!」


 枕は軍刀を片手で素早く振った。三連撃、莫は後方に下がりながら身軽なステップでそれを回避する。


「――おや?」


 最後の斬撃は莫を掠めた。一撃も当たらないだろう予測に反してという事実。枕は、莫がそれなりにダメージを負っている事に気付いた。


「さっきの言葉は強がりでしたか、若君」


 言葉を遮るように莫は刀を振るった。核を一刺しにするかの如く胸部を目掛けた突き。けれどその剣速は明らかに鈍っていた。軍刀で受け流し、火花を散らせながら弾く。

 また左指で式札を操作する。結界に塞がれる。しかし亀裂は更に深く入り、濁流の中、三羽ほどが守りの内側に侵入し、莫の背中へと体当たりを仕掛けた。


「っく――」


 一瞬だけ顔を歪めたが、結界は心肺蘇生のようにして息を吹き返し、内部にいた式札は目に見えない衝撃によって押しつぶされ粉々になって消えた。


「なるほど。力の半分をトンカジョンに与えていると見える。それで僕に勝てますかな?」

「さあね」

「結構、ですが――遅い」


 しゅん、という音を立て、太刀の振りよりも素早く片手軍刀は莫に到達していた。

 手首を返すように軍刀を振り上げる。

 すぱん。


「名跡が途絶える瞬間は、何とも呆気ない」


 鮮やかな太刀捌きの軌跡として宙には莫の首が、くるくる、と回転していた。

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