第12話 式神とキマイラ

 花吹雪だけが舞い、散ることのない桜。

 一定の感覚で設置された赤い鳥居と合間の赤灯籠。

 ――淡くて、綺麗だ。


「見惚れている場合かね」心なしか機嫌が悪そうだ。

「莫、あいつはどこにいるんだ?」

 そうだね、「キミの想像力の出番だよ。さっきみたく狙って撃つんだ。ここはキミの夢で、トンカジョンの力にはあの阿呆でも逆らえない」

「「いいや、それには及ばないよ」」


 風が吹き、声が響く。運ばれるように霧のような白い煙が立ち込め視界を塞ぐ。


「うわ」


 更に突風が吹く。自然の送風機が白煙を蹴散らすと、一つ先の鳥居の真下に枕童子の姿があった。


「ケイ!!」


 枕童子の傍には、肘掛のある古めかしい木製の椅子に座り、虚な表情で項垂れるケイがいた。呼びかけには答えず、目は依然虚無を見つめている。

 

「僕も本気でいかせてもらうよ」言って、枕童子は黒い法被を羽織る。背中には縦横合計九本の白い棒線で表現された升目状の模様があしらわれている。


「そんなものまで持ち出すとは。よほど自分に自信がないのかね。――枕、お前じゃあは扱え切れないよ。呑まれた挙句に、を不必要な混沌に陥れるだけだ」

「――、とは」ぱん、と、手品師が会場の注意を引かせるように景気良く鳴らし、掌を見せてハの字に開く。

「誤りである。始まりは一つだった。マグラの対称性が破れ、両儀は生まれた。故に世は死に瀕している。今こそ、ただす時」


 いっひっひ。


「白塗りを透かして隈が見えるよ。寝ないで考えたのねぇ。あっぱれあっぱれ」

「ほざけ、石頭ッ」


 噛み殺すようにして吠え、楽団の指揮者を彷彿とさせる手振りで優雅に腕を振った。瞬間に、連続する鳥居の奥深くからが高速で迫ってくるのが是良には分かった。


「な、何だっ?!」「是良、ボクの後ろに。早くっ」


 言われるがままに、突き出した左手を広げる莫の背後に隠れる。

 直後、地下トンネルを抜けるジェットの音、ひゅーん、強烈な紙吹雪が二人に襲い掛かる。ホワイトアウトしたかのように視界が無くなり枕童子の姿さえ見えない。けれど莫を中心とした目に見えない半円状の力場が、堰を切った濁流のような白い群れをぴたりと防いでいた。――結界だ。

 さながら車窓に付着した雨粒。風切り音とバタバタという鳥の羽ばたきに似た音がする。是良はそこに白い群れの正体を見た。白紙で出来た、一対の頭と足、腕と腕。


「式神……! って、やつですかっ?」

「詳しいね」背中から莫は続ける「これは奴の使役する擬人式神の一つだ。烏合の衆さ」


 そのまま両手で刀を構えると、大きく振り上げて濁流を真っ直ぐに切断した。シュレッダーでバラバラにされた紙屑のように、迫る式神の波は真一門に裂け、その衝撃波によってが現出する。


「行くよ」谷へと足を踏み入れる、「うん」

 足下には春雪に似た式神の残骸が散らばっている。踏み分けて進む。直後、莫が叫ぶように言った。


「是良、警戒して」


 咄嗟にランゲラウフを構えると、銃口を向けた暗闇から生々しい生体の気配を感じた。一寸先は闇。けれどそこに姿の見えないの存在が認められる。

 ――けれど、見えない。


「想像しろ」鋭い声音で言う。――想像する、闇の中の獣……!

 眉間に意識を集中させる。空間をスキャンするように夜目が効き、次にの正体を肉眼で捉えた。

 ――スライムじゃない……!?


 そこにいたのは、文字通りの猛獣だった。否、存在しない猛獣だ。

 黄金の獅子に似た頭部はそのまま胴体まで連続し四足の手足を成す。しかし背中には禍々しい山羊の姿を取る悪魔の頭部が生え、鞭らしくしなる黒々とした尻尾には鱗があり顔がある。

 

「なんだ、これ……?!」

 

 是良は狼狽えるように言った。

 ぐるるる、と熱い息を吐きながら、ボクサーが間合いを測るように着実に近づいてくる――その巨躯。

 黄金獅子の虚な目が名うての殺し屋のような鈍い光を放っている。


「式神――キマイラさ」


 キマイラ。

 後世には合成獣――キメラの語源となった事でも知られる西洋の怪物だ。

 ――それ、チグハグじゃないのか?

 

 うぉぉぉぉぉん。と、くぐもった叫び声を上げた。

 三位一体の怪物が高、中、低の音階を持った鈍いハーモニーを奏でた刹那、敵対者である是良と莫へと走り出す。

 莫は居合のように斬りかかる。しかしキマイラはその鋭利な刃を重厚な前足で受け止めると血の一滴さえも溢さなかった。それはまるでコンクリートを相手にしているかのような強靭さだ。

 ぎりぎり、と鍔迫り合いとなる。――動きが止まった、今じゃないか!?

 ランゲラウフの銃口が胴体の背に生える山羊の頭部へと向く。――バフォメットみたいだ。悪魔信仰の邪神とされた怪物の名を是良が口内に含む。

 しかし引き金に指を掛けようとした時、あの甲高い声が銃撃を中断させた。


「二対一とは卑怯じゃないかッ!」


 ――枕童子!

 優先順位が切り替わる。是良は声の方向へと視線を向けた。

 さながら、こちらに向かって急速落下するカラス。黒い半被を羽織った詰襟の学生服、その手には軍刀が握られている。陶器茶碗のように優雅にカーブするのはサーベルこしらえ

 是良はでんぐり返しのような格好で背後に退散し、入れ替わるように着地した枕が莫に背後から斬りかかる。


「莫!」


 けれど、その心配も杞憂に終わった。莫は瞬間的に出力を強めるとキマイラを弾き飛ばし、怪物を背後に見送りながら枕の斬撃を、くねり、と避けた。


「逆だと思うね。四対二じゃないかい? そうじゃないなら、キマイラも三分割すべきだね」

「なるほど、ならばトンカジョンも立派な参加者というわけだ、」


 にやり、と微笑みかけながら横顔は是良を覗き込んだ。瞬間に「キマイラッ!」と大きく名前を呼ぶと、怪物は躾の行き届いた警察犬のように枕の元へと駆けつけ、「御客人の相手をしてくれ。分かるね?」


 うぉぉぉぉぉん。

 まるで遊び相手を見つけた時の狂喜。是良は背筋にひどく冷えたものを感じ、枕と見合ったまま微動だにしない莫へと焦りを隠さずに叫んだ。


「ど、どうすればいいんだ?!」けれど、莫は冷たくあしらうように、

「戦え、是良。これはキミの夢で、キミの現実だ」


 その言葉で緞帳が上がる。「嘘だろ……!?」、瞬間にキマイラは獲物を見つけた警察犬のように是良へと走り出した。


「ち、ちくしょおー――」


 元気よく走り出した一人と三匹を見送り、莫と枕は見合っている。周囲に散った式札の残骸がはらはらと地面から剥がれ、空の暗闇に向かって竜巻のように吸い込まれていく。

 視界が晴れる。再び、夜桜の散る永遠の鳥居と赤灯籠の連続が姿を現した。


「若君、話し合いましょう。そんな刀は仕舞ってください」

「イヤだね」

「いやはや頑固者だ。この世に憂いているのは若君も同じことでしょう? 世界は〈暴戻ぼうれいなる落下〉へ向かっている。なら、止めるべきだ」


 ふうん。莫は反論する「両儀は平衡状態にある。望ましい形さ。世をマグラに返すことは時計の針を戻すだけで何も生みやしない。時間の流れに頑固にもしがみついているのはお前たちのほうさね」


 交渉は決裂。

 では、とサーベルこしらえから軍刀を引き抜くと、右手――つまりは片手で刀を構え、胸のあたりに、甲に五芒星の描かれた白い手袋の左手を置き、やはり手品師のように指先を俊敏に動かしている。


「これで心置きなく戦えるというもの。ならばこうしましょう、勝った者が正しいとね」


 いっひっひひひひ。


「つまらない試みだけれど――お前の死に際して、付き合ってやるのもやぶさかでないね」

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