枕マグラ

第11話 薬医門

「あちら側」の世界。


 霊性の支配する世界。

 人は眠りにつく時、「あちら側」へと入り込んでしまう。もしもそこで無防備でいれば、たちまち悪しき者どもの餌食となってしまうだろう。


 だから「飴屋一家」が生まれた。

 バクとなり、悪夢とその霊性に根を下ろす悪しき者どもから人を守る為に――


「――ケイ!」


 が、


「……君――静かにしたまえ。お茶が濁る」

 

 是良は目の前にあった光景に一瞬頭を捻った。

 枕童子は一人、日本庭園の見える巨大な和室に正座して、湯呑みでお茶を飲んでいた。

 ――淡い桜色。

 その光源なのか、庭園には自ら発光する枝垂れ桜が二つの列を作っていた。

 真っ直ぐに伸びた先には面構えのいい朱色の門――薬医門があり、無言のまま行手を塞いでいる。幻想さと物々しさ共存した異様な佇まいが是良の視界に展開されていた。


「君だね、トンカジョン」言ってもう一度飲み、再び口を開く。

「先ほどはどうも。君の撃った弾丸は僕の核を正確に撃ち抜いていた。危うかったよ。トンカジョンである君の想像力を見くびっていた僕の失態だ」そして再び啜る。

 是良は言葉を選んでいた。――この拳銃、しまった方がいいやつか?


 ふむ、という具合に是良に目をやり、


「どうしたね。ああ、靴は脱がなくて結構。こちらへ。お茶をご馳走しよう」


 穏やかな顔で、くいくい、と左側の人差し指を振る。手には依然、黒い五芒星の描かれた白い手袋をはめている。

 少し考えてから、是良は拳銃をホルスターに仕舞って座敷に上り、枕の正面に座った。


「ど、どうも……」


 言ってる隙に湯呑みが手渡された。


「さあ、飲むといい」にこりと柔らかく笑っている。

「……あざっす」これ、毒とか入ってないよな?

 これと言って異変はない。例えば湯呑みが曜変天目茶碗らしき事とか、そんな事くらいは是良にも理解できた。

 ――騙されてないよな?

 反射的にチラ見する。枕は美しい顔で笑みを返すだけだった。

 どきっ。

 不意に脈を打ってしまい、追って筆舌に尽くしがたい感情に背中をどつかれた。

 ――男なのか? それとも女なのか? どっちだ、見つめられると心がざわざわしてくる……!


「残念ながら、僕はどちらでもないよ」

「え?」心が、読まれている?

「どちらにでもなれる、と答えようか。それは飴屋一家の若君も同じ事だけれどね」


 

 ――二人はどういう関係なんだ? 眷属ってどういう意味なんだ?

 思いつつお茶を啜る。


「う、うまい」


 そしてやはり枕はにこりと笑みを返した。


「思うに君は、僕らの事情を知らされていなさすぎる。違うかね?」

「まぁ、そうっすね」是良は少し考えてから「……じゃあ聞いてもいいですか?」

「いいとも」

 湯呑みを畳の上に置いてから言った。「あのスライムみたいな化け物は何なんすか? あと、この世界も…… 俺、めっちゃ殺されかけてるんすよ? なのにどうして俺は今、こうしてその張本人とお茶なんかしてるのか……。何か納得のいく説明をして欲しい、っす。じゃあなきゃ、」ホルスターに手を掛けて「今ここで、撃ちます」


 銃の腕には自信があった。いや、。そしてさっきの言葉が本当なら、莫が来なくとも枕を倒せるかもしれない。

 ――慢心だろうか?


「まぁ、そう焦る事はないよ」宥めるように「確かに、僕ら加拉太ガラチアの若い衆は君の持つ力に惹かれて襲い掛かったらしい。まずはその非礼を詫びるよ。君が若い衆のいくらかを抹殺した事にも目を瞑ろう」

「……じゃあ、下のあれは? 槍で串刺しなんて、そんなのを非礼を詫びたい相手にするのは正気じゃないぞ。……あ、じゃないっすか?」


 枕は真剣な眼差しで是良を見つめ返している。

 心がざわつく。あの狂気が巻き戻る。ヤバい、こいつは、

 けれど手のひらを返すように、首を斜めに傾げて、


「そうっすね」


 ――き、綺麗だ。

 赤珊瑚のような、毒々しくも気高い瞳が是良の思考を染め上げていく。

 ――やばい、俺は今、飲まれてるっ……?!


「おや。その唇は、」


 枕は何かに気づき、ずりずり、と正座のまま身体を滑らせて是良に近づいた。

 どき、と、是良の心臓が妙な脈を打つ。

 動揺している間に白い指が是良の唇に触れた。

 し、と口封じするように。

 接近した二人、そして甘い匂いは枕童子が纏っていたものだと理解する。


「なんだい。もう若君が貰っていたみたいだね。口の割に破廉恥なことをするものだ」

「あ、あの……」


 ――なんだ? 何すかこの状況は……!?

 尚も右手の人差し指と中指を当てたまま、枕童子はゆっくりと顔を寄せていく。

 うっすらと吐息が掛かり、是良は興奮気味に身震いした。


「君は、少し勘違いをしているよ」

「え? な、何を?」

はね、相手を自分の支配下に置くためにするのさ」

「え、えええ?」

「つまり、若君は僕に君を取られまいと、君を独り占めして屠るために、先手を打ったというわけさ」

「それって、まさか、」

「うん。僕を倒した暁には、君は若君に喰われるんだ」


 ――そんな、嘘だ、


「悪人はどちらだろうね? そもそも、君が若君を信用できる所以はどこにあると言うのだね? はっきりと言おう。君は若君に騙されている、」


 そして唇から指を離すと、今度は両手で是良の頬を捕らえた。手袋の先から優しい温度に包まれて心地よい。

 あのざわつく瞳も、真っ直ぐに覗き込むこれも、心地よい。

 ぷくり、とした唇がゆっくりと上下した。


「ならば、僕の下へ来ればいい。僕は君を食べたりはしない。僕はね、力が欲しいだけなんだ」


 ――力?


「世界を元の形に戻すために、君の力を貸して欲しい。トンカジョンである君の力を、」


 唇と唇が触れようとしている。


「ま、待て、ケイは……っ!? ケイはどこなんだ? あ、あいつを返してくれ!」


 ふふ。と笑い、けれど何も答えずに唇を重ねた。――や、柔らかい。


「――これは、とんだ尻軽だったね、是良」


 ――っひ?!

 いつかのアラームのように咄嗟に背後へと飛び出す。尻を畳に擦ったまま声の方向に体勢を向けた。


 いっひっひっひ。

 右手に刀を持ち、不敵な笑みを広げる莫は座敷へと足を踏み入れていく。


「是良、騙されてはいけないよ。奴はデタラメを言ってキミを手中に収めたいのさ」


 枕は「やれやれ、折角いいところだったのに」と呟きながら立ち上がった。次に、ぱちん、と指を弾く。同時に身体が煙のように離散し、庭園の先で待ち構える朱色の薬医門が、きい、と観音開きした。


「「では、続けようか。若君」」

 

 是良は門の向こう側を見た。回廊と同じように、枝垂れ桜の作り出すその連続は普遍性を帯びた一点透視を描いている。

 いや、それこそが本当の回廊だ。


「お楽しみだったようだね」

「……いいえ、流されていただけです」


 ふん。


「少しでも、ボクのことを疑ったりしたのかい?」

「え?」

「……いや、何でもない。行くよ、是良」


 莫は是良の横を抜け、座敷を抜けて庭園へと進んでいく。

 ――遊ばれてるな、俺。やるぞ、ケイを助けるんだ。

 決意を確かめるようにホルスターからランゲラウフを抜き、莫の後に続いた。

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