第10話 なんだかわからないもの

 回廊。

 永遠に続く、淡い廊下。一歩踏み出す。木の床が軋む音がして咄嗟に靴を脱ぎそうになった。

 莫は刀を握ったまま回廊を歩いていく。

 すた、すた。

 けれど終着点の見えない一点透視。――俺たちはどこに向かっている?


「是良、」

「え?」

「――来るよ」


 何が来るのか?

 そう考えた刹那、左側の障子から、その升目から、しゅん、と槍が飛び出してきた。


「うあ?!」


 リンボーダンス。

 なんて思う。

 間一髪のところで失格を回避すると槍は無機質に升へと巻き戻っていった。


「何すか、これっ?」

「ここは――回廊は奴の体内みたいなものさ。免疫が異物は分解するみたく、ボクらを葬ろうしてくる。自分で引き込んだ癖にね――」


 瞬間、莫を目掛けて刃が降りかかる。全てが刀だ。太刀、脇差、打刀、短刀。まるでマジックの剣刺し箱の内側だ。

 莫は素早く身を躱して全てを回避した。その猫のようなしなやかさには掠りもしない。


「洒落臭い。考え足らずめ」

『順調そうですね、若君』


 回廊そのものが声帯だったかのように揺れ、あの声が響いている。


「枕、正々堂々と戦ったらどうかね? 惨めなものだよ。引き篭もりなど」嘲笑うように挑発する。

『いいや。これは超弩級の敬意と汲んで欲しいものです。貴方相手には横綱相撲とは行きませんのでね、若君』

「ふうん」興味なさそうに応えた。

「莫、どうやって戦えばいいんだ? この回廊はどこまで続いてるの?」

「さあね。けれど、出口はある筈だよ」

 是良は前方を見た。蜃気楼のような消失点だけがあった。ならば後ろは。けれど同じく消失点だけがあった。

「迷路だ、ここは……」「違うね」


 え? そう言いかけた時、莫はそれを証明するために刀で障子を切り裂いた。

 ハリボテのように、べろん、と空間が切れた。

 その樹皮を力任せに引き剥がすと、向こう側には座敷があった。やはり四方を淡い桜色の障子で囲まれている。


「風情のない家だ」


 その時、座敷の向かい側にある障子に不気味な影が映った。異様に手足の長い、カマキリのような、けれど人間らしきシルエットだった。


「何すか、あ――」莫は是良の口に手を当てて制した。どきっ。

 そのままそっと耳元に口を寄せてヒソヒソ話する。

「喋ってはいけない。あれは回廊に住み着いただよ。奴に気付かれ、もしも直視してしまったらのなら、」


 しまったのなら?


「ボクらでなければ、たちまち発狂してしまう」


 ――発狂。さっきみたくなるって事か?


「いいかい是良。ボクらがしなければいけない事は二つ。障子からの攻撃を避けること、そしてに見つからないようにすること。そうやって慎重に進んでいけば、いずれお上りさんにたどり着く。いいね?」

「……い、いいっす」このシチュエーションが。

 よし。程なくして障子に浮かんだ影は通り過ぎていった。

 ぱっと離れた莫は、足早に向かい側の障子まで歩き、同じように刀で切り裂いた。

 まるで金太郎飴のように座敷がまた姿を現した。


「根気がいっるすね」


 回廊、いいや、屋敷だ。巨大な日本屋敷の中を、の目から隠れながら二人は階段を探していた。


「――っち。また廊下だ」


 淡い桜色の回廊、「待って莫、階段があるよ」

 おや、と莫は指を刺した方向――前なのか後ろなのかは分からない――に目を向けた。一点透視の消失点に何やらスペースが見えた。

 登り階段だ。


「あれだよね? 行こ――」


 是良が言葉を発するのと同じタイミングで、どたどた、という騒々しい音が背後から鳴り出した。


「なんだ?」

「バカっ」


 反射的に振り向いてしまった是良の顔に、が見えてしまわないよう両手で目隠した。


「……もしかして?」どたどたという足音は確実に手の向こう側から迫って来ていた。

「言い訳してももう遅い。いい? ボクに合わせてゆっくりと正面に向くよ。そうしたら、」

「そう、したら?」

「――全力ダッシュっ」

「……うっす」


 うぉおおおおおおおおおッ!!

 背後から迫る足音に捲し立てられた二頭立てが廊下(走ってはいけません!)を全力疾走する。昔テレビで見た「千と千尋の神隠し」みたいだなと是良は頭の隅っこで追憶する。


「来るよっ!」莫の声にワンテンポ遅れて障子からの槍攻撃が襲いかかる。

「うわっ?!」一撃目は足下、ジャンプして回避、バランスを崩しながらも着地。直後、頭の位置を狙った二撃目が襲う。――リンボーダンスっ。その言葉がバランサーになったのか状態を仰け反らせて奇跡的に避けてみせた。

「――ッ!?」けれど、これは最初から三段構えだった。腹部を狙った槍が、勢いの無くなった是良へと直進する。最初からこれが狙いだった。

 三撃目で確実に仕留めるための誘導。計算された攻撃。故に、回避できない、


「そら」


 しかし槍が是良に到達する事はなかった。莫は槍をスライスし、間一髪の所で直撃を免れた。


「ば、莫ッ?!」


 刀だ。障子から飛び出した無数の刀が莫の身体を四方八方から貫いていた。数にして五本、まるで肢体を封じるように、昆虫標本のように。

 しかしは流れていない。枕童子と同じように、身体の構造が人ではないのだ。


「っ……! 小癪な」


 莫は身体を蛸のようにくねらせて刀の呪縛から脱出した。人ならば致命傷、けれど無傷という訳ではなく、膝を突いて顔を僅かに歪めた。


「大丈夫なのかっ?!」

 うん、「このくらいは平気だ。ただ、少し時間が掛かる。是良、先に行ってくれ。ボクは大丈夫だから」


 その間にもは迫って来ている。

 ――莫の言葉を…… 信じよう。


「待ってるから、必ず来いよ!」


 いっひっひ。


「待たせたりしないよ」


 是良は回廊を走りきり、突き当たりで階段を駆け上がる。登り切ると、観音開きの襖があり、絵の描かれていない真っ白なそこに威圧感を覚えた。

 ――この先に、ケイがいる。

 是良はランゲラウフを、ちゃきり、と立てて、襖を蹴破った。

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