第9話 小田原城攻め

 二人はそれから十数分ほど走った。不思議と息は切れず、体力が有り余っている。

 夢の世界。現実のことわりがここではままならない。故に、足が走る。――この世界でなら俺はケイにだって勝てるかも知れない。



「――是良、枕の場所が掴めたよ」

「――うん、どこにいる?」

「――小田原城の天守閣、その足下にある本丸広場だ」


 二人は小田原城を左手にしてお堀端通りを北に進み、正面玄関と言うべき馬出門へと伸びる――めがね橋の前にいた。


「令和の小田原城攻めか」と是良が言う。


 戦国時代、関東の覇者として武勇を極めた戦国武将・後北条氏の総本山――小田原城。

「難攻不落の要塞」とは、この城の為にあると言っても過言ではない。総構えと呼ばれる、大規模な堀と土嚢によって構築された総距離約九キロメートルに及ぶ鉄壁の守り。豊臣秀吉の天下統一を最後まで阻んだ名城だ。


「秀吉は嫌いだよ」莫がぽつりと言った。

「どうして?」

 背中から刀を引き抜きながら、「あいつは自分を過信し過ぎた。ボクの親切な忠告を無視した挙句、身を滅ぼしたのさ。ああいう馬鹿は嫌いなんだ」

「……え、会ったことあるの?」


 やはり莫はこう言った質問には答えない。二人は馬出門を潜り、城内に侵入する。正規登城ルートと呼ばれる進路を進む。枡形門の構造はいつ見ても関心する――などと物思いに耽っている是良を他所に、莫は眉間に皺を寄せた。


「下賤の無象が湧いているね。是良、全部倒して行くよ。覚悟はいい?」


 ああ。肩のホルスターからランゲラウフを引き抜き、銃口を立ててカッコつけてみる。

「任せなベイビー」

 いっひっひ。

「なにそれ? 鬼ダサ」

 

 二人は天守閣を見上げた。枕童子はこの城を登った先で待っている。

 ――ケイ、待ってろ。今からお兄ちゃんが助けるからな。

 そしたら。俺のこと、少しは褒めてもいいんだぜ。


 莫が先陣を切り、住吉橋を駆け抜けた。枡形門の中には成人男性ほどのスライムが二体いる。


「ボクが手前、是良は奥――っ」


 走り抜けながら刀でスライムを切り裂く。核を引き摺り出して潰す。

 核を破壊しなければそこからスライムは再生する。巨大な眼球が涙を流すようにしてブヨブヨの外殻を分泌し、ヘドロの身体を構築する。核――つまり眼球が大きければ大きいほど巨大なスライムとなる。

 けれどこの手間がだ。だから二人いれば――早い。是良はランゲラウフを撃った。三発。最初の二発で外殻のゼリーが捲れ、最後の一発が核に命中する。二人は手際良く処理し、坂を上り、立派な面構えの銅門を潜った。


「めっちゃいるな、こいつら……っ!」是良が言葉を漏らす。

 開けた広場にはスライムが数多くいた。うめきを上げてずるずると迫ってくる。

「まさか、怖気付いたかい?」

「まさか?」

 

 銃声と風切り音。それらがジャムセッションをするように交互に重なりハーモニーを作る。

 まるで、月下の舞踏会。

 スライムの発するうめきはオーディエンスの声援のようで、莫と是良はそこに戦いのリズムを掴み、やがて障害物を平らげた。

 最後の坂を登り切り、常盤木門を抜けた。


「――本丸、広場だ」


 そこに、あの人影があった。

 聳え立つ天守閣を見上げる一人の少年。こちらに背を向け、手を後ろで組み、ほうほうと愛でている。

 ――枕童子。だっけ?


「正解だよ」


 そう言ってくるりと振り返った。


「飴屋一家の若君。そろそろ分かって頂きたい。我ら眷属はもはや寄生虫ではないのです。裏返る時が来た、――本当は分かっておられるのでしょう?」


 ふん。「考え過ぎだね。枕、お前みたいな考え足らずは過去に何人もいたよ。そして全てが滅びた。ボクらが滅した。加拉太ガラチア党、詰まらない悪巧みに時間を費やすのは寿命だけを縮めるよ。つまり、」


 莫は右手で持ったオルマド・キル・マの刃を、まるで握手を求めるように枕童子へそっと向けた。


「――ここで死ね」


 あは、あははは。


「じゃあ、直接対決だ」


 詰襟の学生服のポケットに両手を突っ込むと、マジシャンがカードを切るように素早く抜く。手の甲を見せ、細長く繊細な指に白い手袋をはめた。


 黒い五芒星。

 白い手袋から模様が浮き上がって見えた。


「ふうん」


 直後、枕童子は、ぱん、と合掌のような形で手を叩いた。

 一瞬、音が鳴り響いた時、是良は意識が飛んでいた。過ぎ去ってからその事実に気づいた。

 ――あれ、ここはどこだ?

 目の前には幻想的な廊下が広がっていた。淡い桜色で、心地が良い。甘い良い匂いがする、


「おやおや。こんな場所まで拵えていたのか。ご苦労だね」

「莫、ここは?」


 珍しく深呼吸をしてから言った。


さ」

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