第49話 洗衣院は本当にあったの? の話②

 前回(https://kakuyomu.jp/works/16817330651319871394/episodes/16818093081875619730)、靖康の変に関連してまことしやかに語られる「洗衣院」はソース的にはかなり怪しいらしい、という話をしました。

 twiter(現X)にて「どうしてあんまり突っ込まれてないの? 情報求む!」と呟いたところ、なんと本当に情報をいただけました。しかも情報をくださったのは漫画家の青木朋先生でした……えっちょうど「天空の玉座」読み始めたところ……「天上恋歌」も気になっていて……。読んでいる作品の作者様にお声がけいただくという嬉しく恥ずかしく感激のエピソードができました。SNSすごい!




 というわけで、ご紹介いただいた論文がこちら。


『東洋史研究』 第83巻 第1号(東洋史研究会、2024年)所収の

「『靖康稗史』存疑」(毛利英介)です。


 前回紹介した「『靖康稗史』の「出現」について『謝家福書信集』所収史料の紹介」の著者の先生による、続報的な発表ということでした。「~出現」は「靖康稗史」の来歴に焦点を当てていたところ、今回は内容面から疑義を呈する研究でした。

 要点をいくつか掻い摘んでみると、例えば下記の通り。


・「靖康稗史」に含まれる文書群中、唯一ほかの文献にも収録されている「行程録」について。「靖康稗史」所収のものにもっとも近いヴァージョンは光緒年間刊行であり、したがって清末に写されたものと疑われる。


・清代乾隆年間の「四書全庫」の編纂に伴って非漢語の語彙の音訳も改訂されたが、「靖康稗史」の文献群全体に渡って、称号・人名・地名の表記に改訂前後のものが含まれる。すなわち、改訂前後の既存の文献を参考にしつつ、清代に作成されたものと疑われる。(もしもすべてが改訂後の表記であれば、「四書全庫」の編纂に際して表記を改めたことも考えられたけど……)


 結論としては、すでに流布している書籍を偽書と断言することは難しいものの、「靖康稗史」は出典として信頼できる文献ではのではないか、とのことです。ここは「~出現」と変わらず、ですね。


 奇しくも拙作のヒロインの(これさあ、もう偽物で決まり、で良いんじゃないの……?)とのモノローグを思い出したりしました(https://kakuyomu.jp/works/16817330647645850625/episodes/16817330649922569332)。心証的には真っ黒なんだけど、物的証拠はないんだよな~というシチュエーションが見事に合致して面白いです。




 また、ほかにもいくつか興味深かったり、疑問への回答になったりする部分もありました。


 まずは、前回Wikipediaの下記の記述に、「南宋の人がどうして金の状況を知ることができたの?」と疑義を呈したのですが。


 >その屈辱のためか、正史には記載は少ないが、それをはかなんだ南宋の確庵が『靖康稗史箋証』を編纂し、その後の彼女らの辿った運命と末路について詳細な記録を残している。


 どうも、「靖康稗史」の1988年の刊行版である「靖康稗史箋証」の前文に、作者の多くは靖康の変の体験者や目撃者であり云々の記述があるようで、これを真に受けてのことなのかな、と思いました。(つまり、「~箋証」は刊行された書籍のタイトルであって日本語Wikipediaの「南宋の確庵が『靖康稗史』を編纂し」(傍点筆者)という記述は誤りではないかという気がします)

 また、北方の金からの目線で、靖康の変以前でも宋を「南(方の)宋」と呼ぶことがあったそうなので、この辺りでも混乱が発生しているような気がします。


 また、中文Wikipediaの「(「靖康稗史」を寄贈された丁丙は)著者の「耐庵」は「水滸伝」の著者の「施耐庵」かもしれないと思って蔵書に収めた」との記述はソースどこだよ、とも述べていたのですが、「『靖康稗史』存疑」の註によると「耐庵」と「水滸伝」の著者の「施耐庵」の関連の有無について論じた研究が複数存在するとのこと、Wiki記述者はそれらを参考にしたようです。


 あとは、「洗衣院」については「~存疑」でも言及されていたことにも触れておきましょう。「~出現」と同様反清プロパガンダのための記述ではないのか、に加えて、ならば性暴力という題材は民族的敵愾心を煽るのに最適のものであり、「靖康稗史」を根拠に性暴力を論じるのは術中に嵌っていることにならないか、という指摘がされていました。本当にその通りだと思います。

 (反清プロパガンダのため、という推測には非常に説得力を感じているのですが、それなりに心の汚れた私は単なるリョナ同人誌の可能性も疑っていて、ならばなおのこと乗っかるべきではないと思うのです……)


 また、ちょっと長いのですが「~存疑」の註から引用させていただきます。


 >(16)本稿では『靖康稗史』の真偽に疑義を呈することから、『靖康稗史』に基づいて「性暴力」について論じることには否定的である。ただし当然ながら、混乱下での宋人から宋人に対するものも含めて、現在の観点から見て「性暴力」と見做される事象が当時存在しなかったと主張するものではない。

(一部表記を旧字体から改めました)


 この項、前回私が述べたこととおおむね一致していたので「ですよね~~」と深く頷くものでした。




 最後にちょっと恨み言です。

 「『靖康稗史』の「出現」について」でも既に言及されていたのですが、「洗衣院」という単語は「靖康稗史」以外の文献での出現は確認されていない、という点について。私、「宋史には載ってなくても金史ならもしかして!?」と思ってちょっとだけ調べたんですよね。白文はさすがに読めないので、それっぽい字で検索をかける、ていどの緩い調べ方なんですが。案の定見つからなかったんですが。

 研究者の方が調べて上でないと言ってるなら素人が見つけられるはずないよな……ということであの時間返して欲しいですね!



追記:『靖康稗史』についてさらに情報提供していただいたので、③にも続いております。よろしければ併せてお読みください。


第53話 洗衣院は本当にあったの? の話③

https://kakuyomu.jp/works/16817330651319871394/episodes/16818093087972041358

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