第37話 北魏・子貴母死についての話

《宣伝》

 第9回カクヨムコンテストに中華もの2作品で参加中です。本稿で紹介して来た書籍由来の情報・知見等を活かして書いております。よろしければお読みいただけますように!


 「花旦綺羅演戯 ~娘役者は後宮に舞う~」(https://kakuyomu.jp/works/16817330647645850625

 女が舞台に立てない時代と国で、後宮で「国一番の娘役」を目指すヒロインの活躍を描いたエンタメ活劇です。京劇モチーフの演劇を描いています。


 「魁国史后妃伝 ~その女、天地に仇を為す~」(https://kakuyomu.jp/works/16817330666693315522

 「皇太子の生母は死を賜る」という祖法によって姉を殺されたヒロインが、すべてに復讐することを誓う悪女成り上がりもの。直近数話で語っている北魏の風習を参考にしています。


      * * *


 というわけで、「魁国史后妃伝」にてすべての切っ掛けとなっている、史実の南北朝は北魏における「子貴母死しきぼし」(皇太子の生母殺し)制度および、前回紹介した中華ドラマ「北魏馮太后」におけるその扱いについて語っていきます。


 北魏に関する本を読むと、子貴母死制度については毎回のように記述があるものの、「~~というしきたりがあって」という感じで割とさらっと「そういうもの」として流されることが多いので腑に落ちない感じはありました。だって、皇太子の母は普通は偉いはずなのですから。また、一般に「外戚の禍を避けるため」と説明されますが、生母を殺したところでその実家が健在なら結局権勢をふるうのではー? と疑問だったのですよね。


 その疑問にあるていど答えてくれたのが、前々回紹介した「中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史」でした。こちらの本では


・遊牧民族においては、妻はほかの部族から娶るもの。それを殺すのは本来は完全な敵対意志の表明になるので避けるはずであったが、北魏建国後・子貴母死が導入されたころは各部族が平定されていたので強行できた

・皇太子の生母を殺す、という「儀式」によって皇太子選定を神聖化し、皇帝の生前に・かつ皇帝の独断で後継者を定められるようにした。


 という指摘がされていました。


 前者については、有力部族の娘を殺しても反逆されないくらいの盤石な権力を手中にしている、というアピールになるのでしょうか。

 後者についても、たとえばげん朝について調べていると出てくるクリルタイ(有力者が集って後継者等を決定する最高意思決定の場)のように、遊牧民族は諸部族の代表者の合議制で重要事項が決まるのがほんらいの在り方、なのでしょう。それを皇帝の意志によって決定することで国家運営を皇帝・皇室が主導できるようにした、ということのようです。

 これならまあ理解できなくもないかもしれません。理屈は分かると言うだけで感情的にはやっぱり眉を顰めますけれども。




 現代に生きる人間から見ると、皇太子を産んだから殺される、という理屈は呑み込みがたいものがあります。だからこそ題材にしようと思うわけですが、登場人物はその時代・その国で生きているので現代人と同じ考え方をさせるわけには行きません。

 私が「北魏馮太后」を視聴した理由のひとつが、ヒロインである馮太后淑儀シューイーが子貴母死にどのように携わったか、物語上どのように処理されているか観て参考にしたい、というものでした。


 完走した結果の所感ですが。「ヒロインを善人として描くためにすごく気を遣っている」「それはそれとして限界がある」というものでした。メイン登場人物、すなわち歴史に名が残っている人たちの生死のタイミングは動かせないのであるていど仕方がないのでしょうが、「もう少しうまくやれなかったのか?」「いや、中国の人はこういうヒロインを良しとするのか……?」と首を捻る面もありました。


 具体的に、淑儀シューイーの人生で子貴母死が問題になった場面は下記の三回です。以下、長くなるので興味がなければ末尾の結論まで飛ばしていただいてもOKです。


      * * *


 一回目。死を賜ったのは淑儀シューイーの夫である文成ぶんせい帝の寵姫貴人。


 この人は、理知的でともすれば口煩いヒロインに対して、可愛らしく甘え上手の、Web小説的に言うなら「悪役令嬢に対する正ヒロインちゃん」な造形でした。淑儀シューイーの政敵である乙渾イー・フンの養女という設定にもなっていて、政治的にも寵愛的にもバチバチ争うライバルポジションで色々嫌がらせもしてきたので(李貴人が出てくるパートは「これぞ後宮もの!」という女の戦いを観る楽しさがありました)、その死はあるていど「ざまあ」というか溜飲が下がるようになることを狙っていたと思われます。


 いっぽうで、皇帝に対して必死に「殺さないで」と懇願していた人がそれでも死を賜るのは可哀想で、完全にスッキリ! という感想になるのは難しいですよね……。しかもヒロインの淑儀シューイーも同時期に懐妊していたにも関わらず、危険を避けて堕胎を選んでいたのでものすごくモヤモヤが残るという。

 北魏の後宮において、子貴母死によって殺されることを恐れた女性が堕胎を試みた、という記述は確かに見るのですが(それ良いんだ? と思いますよね。バレないようにできるんですかね……)、同時期に懐妊していて、先に男の子を生んだほうが死ぬ、という状況で自分だけ一抜けするのは慈悲深いヒロインのすることか? となります。李貴人をもっと徹底的に嫌な女に描くとか、淑儀シューイーは懐妊していないことにするとか(史実でも子がいなかったことになってる訳で)、もっとやりようがあったのでは……と切に思いました。



 二回目は、献文帝の思皇后李氏です。ドラマを視聴している範囲では名前が入って来なかったくらいにさらっと流されたので、魏書から拾ってきました。生前は夫人どまりで、皇后位は追贈されたもののようです。


 皇后列伝の記述だと~生高祖。皇興三年薨~(高祖(文成帝)を産んだ。皇興三年に亡くなった)とあります。つまりは皇太子を産んだので子貴母死の制度に従って殺された、ということです。拙作「魁国史~」でもヒロインがブチ切れてましたが、魏書(作中の史書も)、どうして死んだかを記述せずに済ませるところに欺瞞を感じます。当時の人は書くまでもなく分かることと認識していたのかもしれないのですが……。


 この李氏については、そもそもドラマ中でもほとんど出番がなく(そもそも献文帝の描写がとてもあっさり)、陣痛に苦しむ李氏→皇子出産の報を聞いて険しい面持ちの淑儀シューイー、という描写で終わっています。

 この時点で皇太后になっていた淑儀シューイーは、当然、この後李氏の死を命じさせたであろうと考えられるのですが、その場面は描かれません。お茶を濁したズルさは否めないものの、綺麗なヒロインの描写としてギリギリのラインだったのだろうなあ、と思います。



 三回目は、義理の孫の孝文帝の妃、淑儀シューイーにとっては兄の娘・姪にあたるフォン妙媛ミャオユアン

 双子の妹の妙蓮ミャオリェンと同時に入宮。我が儘で高慢な妹と違って心優しく慈悲深く、孝文帝に愛されて皇子を儲ける。妙媛ミャオユアンを愛する孝文帝はもちろん、淑儀シューイーも姪を死なせたくなかったけれど、権勢を振るう馮家と前例を覆すことへの反発で反乱寸前の事態に至ったため、妙媛ミャオユアンは従容と死を受け入れる。彼女の死が、孝文帝に旧弊を廃することを強く決意させる。


 ──と、苦悩と悲劇を未来に繋げる流れになっているのですが。

 「過去、ふたりの女性を子貴母死で殺させておいて、血の繋がった姪だと惜しむんだ……へえ……」と「子貴母死制度があるのを分かっていて、どうして姪を入宮させた?」という思いがあるので、その辺りもう少しフォローというか描写が欲しかったと思います。


 また、後で調べてちょっと目を剥いたのですが、孝文帝の後宮についてはドラマは史実から大幅に離れています。物語上の都合を強く感じるので、ちょっと掘ってみましょう。


 史実だと孝文帝の皇后は以下の四人。


・貞皇后林氏→皇子恂の生母。孝文帝の寵愛が深かったが、文明太后(淑儀シューイー)の意向および子貴母死により死を賜り、皇后位を追贈される。皇子恂の廃位に伴い位を剥奪される。

・廃皇后馮氏/幽皇后馮氏→文明太后(淑儀シューイー)の姪、姉妹で入宮するが、互いに讒言し合って争う。廃后は敗れて出家。幽后は孝文帝の死に伴って殉死させられる。

・昭皇后高氏→宣武帝の生母。幽皇后の意により暗殺された可能性がある。(生母の死後、宣武帝は幽皇后に養育された)


 ドラマでは慈悲深く描かれて、殺される女性に心を痛めていた文明太后(淑儀シューイー)、史実だと命令するほうだったじゃん!!


 つまり、ドラマでの美しく優しく愛された、けれど死ななければならなかった妙媛ミャオユアンは、林氏のエピソードを廃皇后に合成したもののようです。

 仮にもヒロインが生母殺しを命じたことにする訳にはいかないので、その要素を排除したのは理解できます。姪の話ということにすることで、葛藤や悲劇性を高める狙いもあったのでしょう。それにより、上記の「子貴母死制度があるのを分かっていて、どうして姪を入宮させた?」という疑問が発生するのですが。


 ドラマでは「もう子貴母死制度は廃する(キリッ)」と述べていた孝文帝、後継者の生母である昭皇后高氏については暗殺(疑惑)なので、確かに嘘ではない……ないんですが。幽皇后を殉死させているのは現代人目線だと「同じことだよ!」と叫びたくなりますね。

 なお、皇帝の死に際しての后妃の殉死は、遥かな後代のみんの英宗(以前に紹介した土木の変で虜囚の憂き目を見た人です)が廃止したのが功績に数えられていたりするので、千年近く遡った北魏でその風習があるのもそこまで残酷な話ではないかもしれないのですが。


 また、幽皇后が高氏を暗殺したのが皇太子の養育権を得るためだとしたら、子貴母死によって生母を死なせるつもりはなかった、と取れなくもないのでしょうか。うーん。ドラマは淑儀シューイーの死で終わるので、そこまで触れずに済んで良かったですね……。


 ちなみにドラマにおいて幽皇后に相当するはずの妙蓮ミャオリェンは「姉上が死んだのにどうして私が愛されないの!」と不満を募らせた挙句に不貞を犯して死を賜る、という展開になっています。清々しいヒドインちゃんぶりは、これはこれで愛しかったですが。これによって後の殉死はナシになったことにしたかったのかどうなのか。


 いや別に史実を改変してはいけないことはないんですが、改変する作劇上の都合が見え見えだったり、改変によって新たな疑問やキャラぶれが発生するのは視聴者としては楽しくないので……なので、上述した通り「もう少しうまくやれなかったのか?」というコメントになります。


 なお、妙媛ミャオユアン妙蓮ミャオリェンは双子という設定なので一人二役でした。清楚な妙媛ミャオユアンと我が儘な妙蓮ミャオリェン、喋っている時はもちろん、表情や雰囲気だけでもどちらがどちらかはっきり分かるように演じ分けていた女優さんはお見事でした。ふたりで対話する場面もあったので、別々に撮ったものを切り貼りして──な苦労・工夫もあったと思われます。


      * * *


 結論として。


 慈悲深い・善性のヒロイン、という設定と、子貴母死のような残酷・理不尽な制度の喰い合わせはとても悪いんじゃないかな、というのが所感です。これが、文明太后は冷徹な女傑だったんだよ! という造形であれば、ライバルの寵姫は蹴落とすし、血を分けた姪でも実家の繁栄のために斬り捨てるし、という展開も呑み込めたと思うのですが。優しい設定だと史実の所業とのギャップで違和感や、ともすると無能感(どうしてみすみす姪を死なせた? など)が出てしまうので難しいですね。


 私も、魁国史~を構想するにあたって、悪女ヒロインにするのは最初から決まっていましたしね……。残酷な掟がある世界観で、それを利用しなければならない展開(復讐ものなので)なら、悪辣な・強かなキャラクターにするほうが諸々スムーズ・スマートにいくのではないかと。

 この点は、史実ではなく架空の国史ですよ、という体裁にしたからこその自由度でもあるのですが。陰惨な復讐に手を染めつつ苦悩するヒロインも、それはそれで美味しいのですが。


 その時代・その世界における常識に照らした描写と、現代人である読者の感性ベースの面白さや好感度の両立は難しいんだなあ、という確認でした。


 語っているうちにとても長くなってしまったので、もうひとつの北魏の特徴的な風習である金人鋳造きんじんちゅうぞうについてはまた次回に語ります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る