ハート泥棒

黒川亜美奈

第1話

ある日の朝、鼻ずまりの息苦しさに目を覚ました。


最初に目に入ったのはいつもと同じ天井。


今日は土曜日、親は朝から夜まで仕事の日だ。


昨日からの熱で体が重たい。


寝返りをうった瞬間家中に響きわたるような叫び声をあげてしまった。


さっきまで感じていた息苦しさすら吹き飛ぶくらいの衝撃。


目の前にはマスクをした知らない男が人差し指をマスクの前で立てて(静かにしろ)のポーズをしている。


私はマスクを外した男の顔を見て、再び叫んだ。

つられて彼も叫び出した。


「俺だって、俺」


さっきから彼はそればかり必死に言っている。


「俺だって」


「知ってます」


なぜか目の前にいる男、佐久間悠人

彼は私がよく通っている図書館の職員さん。

恥ずかしいが私の好きな人だ。


叫んだせいで止まらなくなった咳を必死に抑えながら言う。


「なんでこんなところにいるんですか?」


聞いても彼はオドオドするばかりで答えようとしない。


「今何か後ろに隠しましたよね」


彼はさらに挙動不審になった。


私は彼の後ろに回ると、それを見てすぐにそばにあったスマホを掴んだ。


彼は私がしようとしてることを察したのか、泣きそうな顔をした。


「わかりました、警察に電話しないからその刃物渡して下さい」


彼は躊躇いながらも包丁を畳に置いた。


私はそっと包丁を掴んで自分の斜め後ろに置く。


「それでなんでここにいるんですか?」


私は鼻をかみながら言った。


彼は口をパクパクと動かすばかりで言葉を発さない。


「聞こえないです」


「だって、言ったら絶対怒られるもん」


彼は声をあげて泣き出してしまった。


「あの、涙で畳汚したら弁償してもらいますよ」


それでも彼は泣き止まないので、私は彼が好きな歌をスマホで流した。


すると彼はピタリと泣き止んだ。


「まったく、赤ちゃんじゃないんだから」


彼は涙をすすりながら言った。


「泥棒しようとした」


彼は再び泣き出した。


私はため息をつくと彼に聞いた。


「仕事は今日は無いんですか?」


彼は何度も頷いた。私は深く咳き込む。


いい考えが思いついた。


「警察には内緒にします」


彼は顔をあげると驚きながらも目を輝かせた。


「でも、約束してください」


彼は震え声で呟いた。


「何を?」


「二度と泥棒なんてしないこと」


彼はしばらく黙っていたが、重たい口を開いてくれた。


「わかった」


「あと、今日一日私を看病して下さい」


「え?」


欲が出てしまった。


彼は再び沈黙した。


私は焦りがバレないようにほかの話をした。


「あと、私の家貧乏なんで盗んで得する物なんてありませんよ」


彼は涙を拭うと真っ直ぐな瞳で私を見つめた。


「いいよ、今日一日看病する」


私は思わず微笑んだ。


「でも、家族は?」


「今日一日中仕事でいないです」


「そっか」




「そういやどうやって家の中に入って来たんですか?」


今度はすぐに答えてくれた。


「窓、開いてた」


「あ」


うっかりしていた、換気のために窓を全開にしていたのだった。



突然激しい目眩に襲われた。


「大丈夫?」


私は布団に倒れ込む。彼は目の前にあった体温計をパジャマの隙間からそっと入れた。


それだけで体が火照ってしまう。


体温計が鳴って、彼が取り出し数字を見る。


「やばい、さっき熱何度だった?」


私は荒い息で何とか答えた。


「37.5度」


「やばいよ、今38度で上がってる」


「誰のせいだと」


私は意識が遠のくのを感じた。




それから目を覚ましたのはどれくらいだろう。


横には変わらず彼の姿があった。


「熱下がったみたいだよ」


彼の声でぼんやりとしていた意識がクリアになる。


額の違和感と横に置かれている洗面器を見て思わず涙が溢れた。


「こんなにしてくれなくてよかったのに」


「ごめん、ある物勝手に使わせていただいたけど」


「私の命令なんて無視して、帰ってくれてよかったのに」


彼は困った顔をした。


「嫌だった?」


私は起き上がると、首を横に振った。


口から言葉が出てこない、ただひたすらに涙が溢れた。


「一応風邪でも食べれそうな果物とか買ってきたんだけど」


目の前に出されたみかんの缶詰とおかゆに


更に涙は溢れた。


「食べれる?」


私は深く頷いた。そしてあっという間に平らげた。




「元気になったみたいでよかった」


食器を洗い終えた彼がこちらに歩きながら言う。


「家から知らない男が出入りするの、近所の人が見たら怪しむじゃないですか」


「ごめん」


彼は悲しい顔をした。


私は素直になれない自分が悔しかった。


「違うんです」


再び涙が頬を伝った。


「泣いたらまた熱上がっちゃうよ」


「本当は嬉しかったんです」


彼は不思議そうに私を見ている。


「私が寝ている間そばにいてくれたのも、わざわざご飯まで作ってくれたのも、今もそばにいてくれてるのも」


思わず口が滑ってしまった。


重たい空気が部屋に漂う。


真剣な眼差しで見つめてきたかと思うと、突然彼は顔を近づけてきた。


私は避けようとしたけど、彼の力には適わず少し強引に口付けられた。


「ごめん、嫌だったなら帰るから」


立ち上がろうとする彼を私は抱きしめた。


「本当に馬鹿だよ、今キスなんてしたら風邪移っちゃうじゃない」


彼は抱きしめ返したかと思うと、今度は溶けそうなほど優しい口付けを落とした。


何度も何度も降ってくるキスに私の体は脱力していた。


視界が反転して優しく布団に押し倒される。


「俺が盗みに来たのは君の心だったのかもしれない」


私は苦笑いしてしまった。


「もう、らしくないな」


彼が笑った。


「仕方ないから風邪だけもらってくわ」


そして再びキスが降ってきた。


私は彼の耳元で囁いた。


「私の心はもうずっと前に奪われてたよ」


彼は一瞬驚くと、満面の笑みを浮かべた。


「そっか」


私達は見つめ合うと、再び甘い口付けを交わした。




【END】


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