見つけたら、教えてね

赤宮 里緒

第1話

「ひとり三作品以上って多くない?」


 手書きの「文集作成のお願い」の文字を蛍光ペンで縁取る。見覚えのある文字はおそらく部長である3年生のものだ。紙の左上に、私の名前である「神城 綾さん」と書かれているのは配る相手を決めるためか。わざわざ書く必要ないのに書きたがるのは、部長の性格なのだろう。


「数で誤魔化しても面白くなる訳じゃないのにね」


 部員が聞いたら顔を真っ赤にするだろう。この教室にいるのが自分だけで良かった。

 開けたままの窓から男子生徒の応援が聞こえる。サッカー部は全国大会に向けて練習を始めたと聞いてもいないのにクラスの男子が教えてくれた。出場予定の選手より、応援団として同行する部員の方が気合いが入っているらしい。頑張るねえと呟く声は彼らに届かない。

 ころころと机に転がしたシャーペンが紙の上で止まる。私は、深い呼吸をひとつする。

 今年の文化祭は10月22日の土曜日、23日の日曜日に行われる。文芸部は毎年、文化祭に合わせて文集を作るのだが、その際大まかにテーマを決めて一貫性のある作品に仕上げるのがこの学校の定番になっている。今年は10月22日の平安京遷都の日にちなんで「平安時代」が主題になった。やけに気合いの入った説明をする部長を白い目で見ながら聞いたのは1時間前のこと。

 平安といえば何か。思いつくことはある。美しい都、妖怪、陰陽師、紫式部、百人一首。言い出したら切りが無いほどある。貴族の禁断の恋を書きたいと部長は言っていた気がする。部員の一人は、12単衣を書きたいと言っていたか。


「……」


 テーマを出されてすぐに様々なアイデアを出す人を見て、同じように熱を上げる人は一定数いる。だが、私は例外だった。和気藹々と話す皆をよそに、胸の内がどんどん熱を失っていった。理由は分かっている。

 私は今、深刻なスランプに陥っている。


「失礼します」


 部室を離れ、清廉な空気で満ちたそこへ入る。図書室と名を打たれている部屋は、少し古びた紙の匂いで満ちていた。

 筆が乗らず、アイデアが浮かばず題材が決まらないなら、目で見て直感で決める。自分の中で決めている方法だった。それも、携帯で調べるのではない。蔵書や小説など本の背表紙を見てぴんと来る文字列から選ぶ。


「平安、歴史……」


 きっちり整列された背表紙を撫でながら平安時代を描いているだろう本のタイトルをひとつずつ眺める。日本語が作られた時代だからか歌集が多い。合わせておかれているのが貴族の暮らしや実態と題された分厚い本。更に隣には古事記、日本神話、陰陽師など神道にまつわる作品が並んでいた。

 それらを端から端まで見て、じわりと心が熱を思い出したのは昔追いかけた言葉だった。


「陰陽師、ねえ」


 本に人差し指をかけ、本棚から本を少し引き出したところで眉間を寄せる。


「……」


 ぐるぐると思考が巡って、そのまま本を元に戻す。タイトルを見ずに取りだした平安時代の和歌が載った本をカウンターへと持って行く。無表情で貸し出しの手続きを済ませてくれた名前の知らない生徒に小さく頭を下げて、図書室を後にした。

 心は、再び冷えていた。



 橙色に染まり始めた空をぼんやり見上げながら信号を待つ。鞄に入っている和歌の本は、借りた日から一度も開いていない。読む気になれなかった。

 文集に収録する作品の提出期限までにはまだ時間がある。だが、何も思い浮かばないまま一週間が過ぎた。行動が早いイラスト担当の部員は既に3枚の下書きを終えたと言っていた。少しだけ覗き見たが、本当に学生なのかと疑いたくなるクオリティだったため元々ない自信が更に萎んだ。この大作と一緒に自分の稚拙な文章が並べられると思うとぞっとした。

 

 私の筆が描くのは、イラストではなく文章。要は小説だった。

 小説は昔から好きで、見よう見まねで書き始めたのがきっかけだった。国語のテストや宿題で物語の創作があると必ず満点をとった。そのくらい、他の生徒より少しだけ文章に長けていた。だからといって作家を目指しているわけではない。趣味で書いた作品を、誰かに好きと言ってもらえたら嬉しいという軽い気持ちで続けている。webで公開しているが、評価は芳しくない。良くて高評価30人いくかいかないか。作者である自分よりも作品を好いている人に出会えたから続けていたが、正直面白くなかった。出版社から声がかかったという羨ましい報告を見ては嫉妬した。嫉妬を繰り返しているうちに、自分の持ち味も、今までどうやって書いていたのかも分からなくなっていき気付いたらスランプになっていた。どん底で這いつくばったまま2ヶ月以上経ったが、出口は見えていない。


「絵が上手い人にスランプってあるのかなぁ……」


 答えのいらない呟きは夕方の空に消えた。代わりに、誰かのすすり泣きが聞こえた。はっとして声のした方を振り返る。ビルの横、ほとんど使っている人を見かけない自動販売機の横に、人が蹲っていた。それを認めたと同時に待っていた信号が青になる。私を置いて横断歩道を渡る周囲の人に少し引け目を感じながら、彼らを避けて泣いているその人の元へ向かった。面倒なことになりそうな予感はあったが、誰にも声を掛けられない人を放っておきたくはなかった。


「あの、大丈夫ですか」


 隣に跪いて背中に手を当てる。長く白い髪に、雪のように白い肌の女性は顔を上げた。私を見て、ぽろりと一筋涙を流した。


「私が見えるのね」


「え?」


 凜とした、頭に直接響いてくるみたいな声で問われて一瞬たじろぐ。女性は、泣き顔から一転して余裕のある笑みを作った。


「え、何、なに」


 私は彼女から一歩でも離れようと後退る。背後を見ていなかったから通行人にぶつかり睨まれてしまった。


「落ち着きなさい。私も驚いているのよ」


 ぶつかったことを謝って女性の方に向き直る。しかしそこに女性はいなかった。代わりに居たのは、真っ白な毛並みを持つ狐だった。前足を揃えて座っているからか、私の腰の辺りに顔がある。狐にしては大きすぎるサイズに開いた口が塞がらない。

 女性、もとい狐はくすくすと笑う。


「ゆっくり話したいのだけど、どこかに休める場所はないかしら」


 ふと、何かに呼ばれたように辺りを見渡した私は、目の前の光景に目を疑った。

 先程まで見えていなかった、とても人間とは似ていない異質な生物が、そこら中を歩き回っていた。


「私は妖狐。妖怪の一種よ」


 状況が飲み込めない。平然と喋り続ける狐に、こうしている間にも私をちらちらと見る人外たち。近年流行している、異世界転生した主人公はきっとこんな気分なのだろう。

 狐は私を見て、首を小さく傾ける。


「さっきから何を驚いているのかしら」


「全部よ、全部。喋る狐、その辺にいるなんか、きもい奴……! 何なのあれ、ここ本当に地球?」


「当たり前じゃない。というか……あなた、今まで見えていなかったの?」


 先程から狐が何を言っているのか全く分からない。見えていないとか見えるとか、何のことだ。少なくとも、生まれてこの方喋る狐を見たことがないのは確かだった。狐にそう告げると、狐はふぅん、と返事した。


「そういう子も中にはいるのかしらね」


 内容を掴めない彼女の言葉にいらいらしながらどういうことかと問う。狐は耳をぴくぴくと振るわせて答える。


「私たち妖怪は、信じる者には見える存在。と、人の間で言い伝えられているわ」


「はあ」


「少し前までいた、陰陽師と名乗る人間には見える人が多かったわ。おかげで何度追い払われたこと

か。私の完璧な変化も見抜くから厄介だったわ」


「……陰陽師って、何年前の話ですか」


「1200年かしら」


 思い出したくない単語に思わず反応したことを後悔する。私の微妙な表情の変化を察したのか、狐は目を細める。


「あなた、陰陽師や妖怪に心当たりあるのね」


 沈黙して目を逸らす。狐がなるほどねと言った。


「見えていた陰陽師たちは皆、よく過去の文献を読み込んでいた。そして信じていたわ。人成らざる者の存在を」


「……私も信じていたわ、数年前まで」


 いとも容易く見破られてしまい自棄になって白状する。狐は頷いていた。

 中学生になったばかりの頃、図書室で見つけた陰陽師の世界という本を読んだ。何となく読んだら、想像以上に面白い世界が広がっていて私は夢中になった。時に占い、星の動きを読み、妖怪や物の怪をはじめとするあらゆる害を人間から取り除いた人々が平安時代にいた。彼らは人を支え、国を支えていたという。私が興味を引かれたのは、陰陽師と妖怪の関係だ。日本で最も有名な陰陽師、安倍晴明が実は狐の子どもだったとか、祓った妖怪の概要など熱心に読んでいた。空想に憧れる思春期がのめり込むのは無理ないだろう。今では、安倍晴明といえばゲームでも登場するのだから。


「けど、今は違う。悪いけどあなたと話す暇はないの」


「何が忙しい」


「何って、文集書かなきゃなの」


 勢いに任せて白状するが、妖怪は文集とは何か分かるのだろうか。狐はふぅん、と小さく言った。


「あなたの事情に興味無いけど、昔のことならいくらでも話せるわ」


 意図が分からずどういうことと言うと、狐は口角を上げる。


「生きている歴史書から、面白い話を探してみたら?それを元に書けば良い」


 その後、家に帰ってから狐に名前を付けた。白い狐だから、シラコ。


 シラコは毎日私と登校した。

 授業中は私の足元で寝たり、校内を歩き回ったりと自由に過ごす。世界は変わったと感情のない声で言うのが口癖になっていた。

 放課後、2週間前に借りた和歌集を返すために図書室へ行く。シラコは初めて新鮮な反応を示した。


「素敵な部屋ね」


「図書室よ。本が沢山あって、昔の資料もあるの」


 聞くやいなや、シラコは室内を散策した。本をカウンターで返却してからシラコの側に向かう。


「都の本もあるの?」


「都?……あぁ、平安京ね。あるわよ、これ」


 京都市にある高校だからか、平安京に関する書籍は多いらしい。図書委員が自慢気に話していた。

 取り出した本を見せると、シラコは平安京のイラストが載ったページを食い入るように見た。


「見た目が全然違う」


「まあ、あくまでイメージ画だから」


「そもそもこれ、本なの?本にしては紙の質感が違うわ。これ、手書き?」


 シラコは目を大きくして本を見ている。ひとつずつ質問に答えながら意外と無邪気なのかと内心で驚く。


「陰陽師……」


 シラコの言葉に、私は一瞬固まる。口の中に苦いものが広がり顔を顰める。


「陰陽師に、知り合いがいたの」


 過去の記憶に蓋をしながらシラコに問う。


「知り合い?誰?」


「私を助けてくれたの。人の世界は危ないから山から降りないほうが良いって。その子どもも、優しかった」


 親切な陰陽師もいたものだ。陰陽師は妖怪を調伏しようと躍起になる気もするが、わざわざ妖狐であるシラコを助けるとは。


「優しい人ね」


「えぇ」


 愛していたわ。


「……え?」


 シラコが何かを言った気がして聞き返すが、シラコは何も言わず本を閉じた。そして、早く帰ろうと私を急かした。

 いつもと変わらぬ様子のシラコから平安時代の怪異を聞きながら、私はひとり悶々としていた。


 シラコから聞いた話のおかげでいくつかアイデアが浮かび、どうにか3作分の下書きが出来た。あとは校正して完成だ。

 人……妖怪から聞いた話を自分のアイデアとして出すのは気が引けたが、シラコは採用しろと言った。名前の残っていない誰かの話を伝えるのにうってつけだからと推されて、シラコの話に少しオリジナルを混ぜながら書き上げた。

 相変わらず、私には妖怪が見える。見えるようになった直後からするりと文章が書けるようになった。長かったスランプは、シラコとの出会いで克服したようだ。


「私、何で書けなかったんだろう」


 課題を終えてベッドに寝転んだ私の顔をシラコが覗きに来た。


「妖怪が見えるようになったのもよくわかんないし」


「見ようとしなければ見えないものがあるのよ」


 ふいとシラコが視界から消える。私は起き上がってシラコの顔を見た。


「陰陽師に妖怪が見えるのは存在を信じていたから。神の存在も」


 中学生の時に読んだ本で、安倍晴明が神の力を借りていたという話を読んだ。当時は信じたが、私は妖怪も神も信じるのを辞めた。だから、見えるはずないのだが。

 シラコに言うと、シラコはじっと私を見た。


「どうして信じるのを辞めたの」


「くだらない理由よ。馬鹿にされたから。それだけ」


 来る日も来る日も、宿題を終えたら陰陽師の本を読んだ。陰陽師が活躍する小説を書いたこともある。だが、空想に浸る人間を嫌煙する人は当然いる。


「ずっと本読んでるのダサいねって言われたの」


 恋に恋する乙女たちにとって、色恋沙汰に見向きもしない私はダサかったらしい。今ならその気持ちが少しだけ分かる。それ以来、人前では本を読まなくなり、空想するのもやめた。小説も恋愛や青春ストーリーしか書かなくなった。


「今のあなたはどうなのかしら」


 シラコの問いに、私は戸惑う。何故、シラコが、妖怪が見えるのか。そう聞かれている。


「あの日から、私たちの存在を再び信じるようになった。そういうことでしょう」


 沈黙を貫くしかなかった。肯定と捉えたのか、シラコは目を細めた。


「あなたが書けるようになった理由も、それがきっかけかもね」


 私にとって、本は、陰陽師や妖怪は、日々にわくわくを与えるスパイスだった。私の住む町で昔、陰陽師が戦ったとか、通学路を妖怪が走り回っているとか。そんな想像をするのが好きだった。周りの目を気にして自分の気持ちを無視した私が小説を書けなくなるのは当然かもしれない。


「ありがとう、シラコ」


 シラコは、クンと鼻を鳴らした。


 朝起きると、シラコの姿はなかった。他の妖怪は見えるから、シラコが私の元を去ったことを意味している。勉強机の上に、和歌の書かれた一枚の紙と見たことない植物の葉っぱが置かれていた。

 SNSでは、あるニュースが話題になっていた。

『1ヶ月前に紛失した御霊石、見つかる。――大阪府信太森神社』





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