『ブルーバード』

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ブルーバード

 ブルーバードが僕らのもとから去っていったのは、夏休みが終わる二週間前のことだった。



 ブルーバードは僕らのリーダーだった。僕らがまだ小学校に通っていた頃、ブルーバードは近所の公園で遊んでいた僕らを誘って秘密基地を作った。


『おれたちはきょうから仲間だ! いっしょに楽しんで行こうぜ!』


 僕らにとってブルーバードは友達であり、兄のような存在だった。僕らはみんな同い年だったけれど、多くのことをブルーバードに学び、その影響を受けた。


 ブルーバードがよく本を読んだから、僕らもおなじように本を読んだ。


 『スタンド・バイ・ミー』を読み廃線をたどり、『ソード・アート・オンライン』を読みMMORPGに挑んで、『午後の曳航』を読み猫と戯れた。


 ブルーバードがバットとボールを持ってくれば野球をやったし、望遠鏡を持ってくれば天体観測をした。ブルーバードは何でも知っていて、僕らを様々な場所に連れていってくれた。


 ブルーバードは僕らを本当の楽園に導いてくれたんだと思う。退屈な世界から僕らを開放するために、ブルーバードは僕らを引っ張り上げてくれた。


 しかしブルーバードは僕らのもとを去った。理想の世界を築き上げたあとに、ヒトだけを残して去っていった神様みたいに。



◯——◯



「――きみはどうなんだ、プリンス。きみならブルーバードの行方について何か知っているんじゃないのか?」


 夏休みが明けた最初の登校日にウェルテルが僕にむかって言った。ウェルテルはその小さな身体を自信なさげに縮こませて、不安そうに眼鏡の奥の瞳を曇らせていた。


「知るわけないだろ。僕はあいつが嫌いなんだから」


 僕がブルーバードを嫌っているという設定もブルーバードが決めたことだった。組織には対立が必要だというブルーバードの考えによって僕らは互いをいがみ合う役を演じた。


 もちろんそれはポーズに過ぎず、僕はブルーバードを盲信していたし、ブルーバードは僕を仲間として信頼してくれていた。そこに認識の違いはない。


 ベルゼブブやウェルテェルに嘘をつくのは心苦しかったけれど、嘘をつくのは昔から嫌いではなかった。ひょっとしたらプリンスという名前をつけられたからかもしれない。


 プリンスという名は『星の王子さま』から取られたモノだった。星の王子さまは嘘つきではないけれど、もしも嘘を知っていたとしたら、彼はきっと嘘を愛していたのではないだろうかと僕は思っていた。


「くそっ、いったいブルーバードはどこにいったんだよ! なんで僕たちに何も言わずにいなくなったんだ!」

「まあまあ落ち着けよ、ウェルテル。奴のことだ。いずれひょっこり戻ってくるさ」


 緊張しかけた場をとりなすようにベルゼブブは豪快に笑った。百八十を超す身長を持つベルゼブブの心は泰然として動かない。僕らの行き過ぎた感情を諫めるのがベルゼブブの役目だった。


 二人を見て僕は言った。


「——戻ってくるのを待とう。結局、僕らにはそれしかできないんだ」

「……そうだな。いずれひょっこり戻ってくるかもしれないからな」

「おうよ。きっと戻ってくるさ」


 しかしブルーバードは戻ってこない。戻るつもりもないことを僕だけが知っていた。



◯——◯



「――それで、話ってなんなの」


 お盆に入り、ウェルテルやベルゼブブが帰省しているあいだ、ブルーバードは僕を呼び出した。今後の僕らのことについて内密の話があるから来てくれ。そんな趣旨のメールを読んだとき、僕の背中を悪い予感の虫が這い上がっていくのを感じた。


 待ち合わせ場所に着くとブルーバードは既に僕を待っていた。僕らの通う中学の制服に身を包み、まとった雰囲気が周囲に影を与えていた。


 僕に気がついたブルーバードは片手を上げた。


「よお。悪いな潮崎しおざき、急に呼び出したりして」


 そして僕は悪い予感が的中したことを知った。


 ブルーバードが僕のことを潮崎と呼んだ。それはありえないことだった。ブルーバードが僕のことを最後に潮崎と呼んだのはいつのことだっただろうか、と僕は考えた。そしてそれが遥か悠久の彼方のことだったような気がして僕はめまいを覚えた。


「……悪い冗談はよしてよ、ブルーバード。僕の名前はプリンスだ、潮崎じゃない」


 きみが付けたんじゃないか、と呟く僕に、ブルーバードは笑った。寂しそうに、どこか痛ましいモノを見るような目で。


 僕は苛立つ心を抑えねばならなかった。ブルーバードはそんな顔をしてはいけない。ブルーバードは僕らのリーダーなんだ。僕らを導くリーダーが、そんな顔をしてはいけないんだ。


 しかしブルーバードは寂しげな微笑をたたえたまま僕に告げた。


「……ダメなんだよ、潮崎。俺はもうダメなんだ。もうお前らのようにはできない」

「だから僕は潮崎じゃない、プリンスなんだ!」


 訳の分からない弱音を吐くブルーバードに、僕は声を荒らげて応えた。通行人が僕らに振り返るが気にしてはいられない。


 夏の日差しは強く、僕らの影をアスファルトの上へくっきりと映し出していた。


 その時すでに僕らは互いに交わることのない線の上に立っていた。すぐ近くにいるはずなのに、手を伸ばしても、きっと届くことのない線の上に。


「俺はもう戻りたいんだ、潮崎。お前ならわかってくれるよな?」

「……」


 そうして僕は悟った。悟ってしまった。ブルーバードがもういないことに。


 いま僕の目の前にいるのは有馬一重ありまかずしげという人間だった。ブルーバードは僕らの知らないうちに去っていったのだ。


「もういい」


 と僕は言った。


「もういいよ、有馬。どっかいけよ、お前」

「……ああ、そうさせて貰うぜ。俺はもうお前らとつるまない。……それなりに楽しかったぜ」


 こうして中学三年の夏、ブルーバードは僕らのもとから去っていった。僕らを裏切り、僕らだけを残して、僕らのよく知る、けれど僕らの知らない世界へと飛び立っていった。



◯——◯



「――これからどうするんだよ、潮崎。本当にブルーバードが戻ってくるまで待つつもりなのか?」


 放課後の帰り道、ベルゼブブは僕にむかって呟いた。茜色に染まる空の下でベルゼブブはつまらなそうに表情を歪めていた。


「間違えるなよ。僕の名前はプリンスだ。潮崎じゃない」


 苛立ちをあらわにした僕に、けれどベルゼブブは肩をすくめるだけだった。


 沈みゆく夕日が僕らの影を細長く伸ばしていた。その影がひとつ足りないことに気がついて、僕は問いかけた。


「ウェルテルは?」

「ああ、塾だってよ。あいつ堀山の特進受けるらしいからな」

「……なんだよ、それ」


 苛立ちのままに石ころを蹴りつける。


 仲間のことなら全てを知っている気でいた。だけど本当は何も知らないことを僕は知った。


 僕らの心はじきバラバラになる。あるいは最初から繋がってなどいなかったのだ。ブルバードという名の接着剤によって繋がれただけの、いずれ粘度をなくしてしまう脆い関係に過ぎなかったのだ。


「すまん潮崎。俺もこれから家の手伝いがあるんだわ。先に帰るな」

「……だから僕は」

「じゃ悪い。また明日な潮崎!」

「潮崎じゃ……」


 ひとり残された僕はメーテルリンクの描いた青い鳥の姿を思い浮かべた。ブルーバードの由来となった物語。


 物語の中の青い鳥はずっと近くにいた。


 ならば僕らのブルーバードはどこに行ってしまったんだろうか。


 いったい何に気づけば、僕らは……僕はもう一度ブルーバードを見つけることができるのだろうか。


 いくら考えても、僕にはわからなかった。



(了)

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