第3話 リーフレッド司教とシャルロッテ

 冷たく硬い艶やかな純白の床、窓もない大理石の壁に囲まれた円形の部屋、吹き抜けの天井からガラス越しに光が差し込み、灯火のない白い部屋は異様なほど明るく神秘的な光で満たされていた。

 心が研ぎ澄まされる凛とした空気に包まれた静寂な空間に、儀式を終えた老いた司教の安堵する吐息が漏れ、神聖な水たまりに波紋が広がるかのように平常の時が動き出した。

 司教の目前には跪いて両手を胸の前で組み、瞳を閉じでじっと動かない白銀の髪をした女騎士がいた。

 彼女は部屋の中央で時が止まっているかのように、儀式が終わってもなお微動だにしなかった。


 祝福の儀式の対象であった自分の部下が瞳を閉じ未だに祈りの姿勢を崩さず動かない様子を見て、儀式を執り行った老司教――リーフレッド司教は、やれやれ、と声を漏らしすっかり困ってしまった。


「シャルロッテ・アンバー」


 司教は部下の名を呼ぶが、返事はなかった。


「シャルロッテ・アンバー」


 少し声を強めて再び名を呼ぶが、祈りの姿勢を崩さず彼女は瞳を閉じたまま動かなかった。

 リーフレッド司教は少しだけ苛ついた気持ちをのせて、今度は大きく手を広げてからその手を閉じて一つ大きな拍手を鳴らした。

 パーン、っという激しい破裂音が皮膚を痺れさせる振動と共に神聖な空間に響き渡った。


 白銀のサラサラとした長髪がはらりと揺れ、祈りの姿勢を保ったままの女騎士――シャルロッテ・アンバーの瞳がゆっくりと開いた。

 彼女は祈りのため組んだ手をゆっくりとほどき、うつむいたまま曲げていた片膝を戻して恐ろしく静かに立ち上がる。


「シャルロッテ・アンバー」


 再度、司教は立ち上がる彼女の名を呼んだ。

 うつむいて青ざめたシャルロッテの顔を見つめるリーフレッド司教は、大体予測しうる突拍子もない事態を頭に思い浮かべ、心を引き締めて軽く身構えた。


 大聖堂でシャルロッテの到着を待ち、そして姿を表した彼女はとても静かで、リーフレッド司教はそのまま大聖堂から儀式を執り行うこの儀式の間へと彼女を導いた。

 彼女は驚くほど静かで聞き分けがよく指示通りに行動し、祝福の儀式はすんなりと執り行われ、無事終えたのだった。


 立ち上がった白銀の髪のシャルロッテが、ゆっくりと顔を上げる。

 彼女は青ざめた顔と凍りつくような暗く冷たい死人のような視線を、彼女の顔を見つめるリーフレッド司教に向けた。

 本当に凍っているかのようなゆっくりとした動作で、体を抑えるように腕を組む。

 足がだんだんと内股になっていき、ガクガクと膝が揺れていた。

 その膝の揺れがしだいに全身に渡っていき、彼女は凍えるように体を震わせた。

 ガチガチと震えるシャルロッテの歯を鳴らす音が響く。

 緊張感の欠片もない彼女の拍子抜けた声を、リーフレッド司教は眉間にシワを寄せて目をつむり聞いた。


「き、きき、緊張しましたぁ~」


 眉間にシワを寄せたまま、リーフレッド司教はシャルロッテのか弱い女の子らしい可愛い声に耳を傾け続ける。


「アレクサンダー法王怖すぎますよ~」


 瞳を瞑るまぶたによりいっそうの力を込めて眉間にシワを寄せたリーフレッド司教が天を軽く仰いだ。


「怖すぎてわたし、謁見の途中から気絶しちゃってて今までの記憶が無いですもん……、ところでここはどこですか?」


「ガッテム……」


 小さくリーフレッド司教は天に向かって言葉を吐き捨てた。

 腕を組んで寒そうに体を震わせたまま、ここはどこ、とキョロキョロと周囲を見渡すシャルロッテ。

 おおよそ予想通りのふざけた展開に、リーフレッド司教は一旦大きく呼吸をし、長く息を吐きだしてから心を落ち着かせ、閉じていた目を開けた。


「王との謁見は終わったし祝福の儀式も今終わったところだよシャルロッテ・アンバー。後マドリネットたちが君に会いに来たが……、まぁこれはいいだろう」


「あ、そうですか。なんか前日から憂鬱で眠れもしなかった嫌なことがすっ飛ばされた気がして、記憶がないって結構お得な感じですねリーフレッド司教」


「その失った記憶は国家の存亡に関わるほど超がつくほど大事なことなんだが……、まぁ、説明は事前にさているので今回は特別に良しとしよう……」


「なんだかよくわかりませんがありがとうございます。また叱られるかと思ってました」


「怒りを通り越して呆れているのだ」


 面倒な事を面倒だと言うことは簡単だったが、身分と立場上、説明を省くことを良しとせず、真面目な老司教は目の前の出来の悪い部下に事を告げる。


「法王からの勅命を賜った君は始まりの勇者としての役割を与えられ、これから始まりの地に向かい、そこで神の復活のための活動を行ってもらう」


 髪の復活……、シャルロッテは髪のないリーフレッド司教の頭をちらっと見て口に出そうと思ったが、すんでのところで思いとどまり、事なきを得た。

 聞いているふりだと失礼になるので、シャルロッテは真剣な顔をしてリーフレッド司教の頭には決して視線を向けず、司教の目を純粋な瞳で見つめた。


「厳冬の西の国、聖国より白銀の髪を靡かせ光の勇者来たりて、川辺に住まう緑色の神の使いに導かれし始まりの地にて、天を貫く巨大な光の柱と聖なる鐘の音を神に示し、天界へと轟かせんと……」


「あれ、なんだが知っている予言と違いませんか?」


「そうだ、これは経典の原本に記されたもので、君たちが習う経典の予言とは違っている」


 シャルロッテが首を傾げ、思い出すかのように口を開く。


「厳冬の教国、白銀の勇者始まりの勇者となり始まりの地に赴き、水辺に住まう蛙に化けし緑の妖精の導きにより、聖なる鐘の音を天に響かせ、始まりの勇者の犠牲により光の柱を渡りて神は復活せん……、だったような気がします」


 よく覚えていたな、と驚きを隠せず少しの時間だけ目を見開いた後、リーフレッド司教が口を開く。


「そうだ、それで合っている」


「やっぱりそうですよね。じゃあなんで違うんですか?」


「教団はたまに都合のいいように教えや古代の宝具や残された経典を解釈し、利用する側面がある。始まりの勇者としての役割も、ただ君の髪の色がそれと似通っているだけにすぎない」


 シャルロッテが右手で自分の白銀の髪の先をつまみ、目の前に持って見つめた。


「気になるのは犠牲になるという文言だが、私はこれが一番引っ掛かりを感じるのだ」


「死ぬってことですか?」


「直接的に解釈すればそうだが、重要なのは原本の経典には犠牲のことは記されてはいないということだ。これは教団によって書き足されたものだ」


 リーフレッド司教が手で顎を抑えて考え込む。


「教団の中枢で円卓えんたくの一人である私は、ある程度の機密扱いの情報は手に入る立場にある。経典の原本についてもそうだ。しかし、原本の記述と今の経典の改変の意図についてまでは真相は測りかねる」


 司教にはある一つの推測が合った。

 それは原本の経典に記されている『法王が始まりの勇者によって葬られる』という記述。

 もしかするとそれを阻止するため経典が書き換えられ、始まりの勇者を始末しようとしているのでは、という、あまり考えたくない推測だった。

 リーフレッド司教はそのことをシャルロッテに伝えようとしたが、彼女にいらぬ重圧をかける訳にはいかないと心に留めておいた。


「ただ、気をつけたまえ。君は私が思っている以上に厄介なことに巻き込まれるかもしれないのだから」


「はい、よくわかりませんが気をつけます」


 素直に聞く本当によくわかっていないようなシャルロッテに、リーフレッド司教はこれからのことを話す。


「君には役目を終えた後、やってもらいたいことがある」


「どんなことですか?」


「君が今から向かうのはエルステ王国のロードネス領にある都市ロードネスだ。君がもし神の復活を成し得たのなら、帰ってこなくて良い」


 少し驚いた様子で顔を上げたシャルロッテが聞き返した。


「帰ってこなくていいとは、わたしはもう用済みってことですか?」


「そういうことだ。勇者としての君の役目はそれで終わりだ。教団もそれ以上のことは君には求めていないだろう。後はそのままロードネスで暮らすなり、冒険者でもやってエルステ王国で気ままに生活を満喫してほしい。冒険者としてなら高望みしなければ実力も申し分ないだろう」


 シャルロッテの顔が焦りで青ざめる。


「ちょっとまってください。用済みってそれじゃあ、わたしの役目は……」


 シャルロッテが声を強めて続けた。


「わたしはかけっこのよーいどんとか、学校のチャイムとか、鶏のコケコッコーとか、そんな役割なんですか」


「言い得て妙だな。君は賢いな」


 優しい顔の老司教がそう言い放ち、シャルロッテは床に手をついて四つん這いになり自分の価値の無さを再認識し、落ち込んだ。


「うすうす気づいてはいました……、なんでわたしは周りの勇者たちに比べて弱くてどんくさいのに勇者として面倒見てもらえているのかって……、たいして力なんて必要のない役割だったのですね……」


「だれでもいいわけではないのが難しいところだな。勇者の力を使えて尚且つその髪の色が必要だったわけだ」


「とんだラッキー少女だよッ」


 ドン、と涙を流し悔しがって床を殴るシャルロッテを微笑ましく見守りつつ、リーフレッド司教が口を開く。


「実はロードネスでの君の世話について、ロイド司祭とマリアーナに頼もうと思っている」


 その懐かしい名を聞いて、シャルロッテが顔をはっと上げた。


「ロイド司祭とマリアーナがどうして?」


「実は別の用事で私がロードネスに派遣していてね。君も彼らとは同郷で、昔から見知った顔だから丁度いい」


 そう言うと、リーフレッド司教が法衣内の胸ポケットから一通の封筒を取り出して、シャルロッテにそれを差し出した。

 シャルロッテは右手でその差し出された封筒を受け取り、立ち上がった。


「前もって連絡したかったのだが、なぜか二人と連絡がつかなくなってしまっていてな。どうやらロードネスではいささかテロによる派手な混乱が起きていたらしいから、そのせいだろう。その封筒は私からの紹介状だ」


 リーフレッド司教が続けた。


「それに、神の復活がうまくいくとはかぎらん。アレクサンダー法王には神の声を聞く能力がある。今回はその神の声に従い事が運んでいるのだが、復活までの時間も詳しくはわからんわけだからな」


「始まりの地で蛙の妖精さんを捕まえて、鐘を鳴らすだけですよね?」


「経典に従えば、まぁ、そうだろうな……。それしか方法はないだろう」


 話を改めて、老司教が経典の予言に関する記述の解釈を告げる。


「神が復活するとき、また世界を脅かす魔王も復活する……、君はその歯車を回すことになる」


 曇りのない純粋な瞳を向けた少女の顔を、老司教は信頼を向けて見つめる。


「世界が動き出すのだ。君の手によって」


 最後に大切な自身の子供に向けるかのように、リーフレッド司教はシャルロッテに強く言い聞かせている約束事について念を押す。


「シャルロッテ・アンバーよ。よいか、君の勇者としての真の力はこのようなくだらないもののために使うべきものではない。君の力は、君の命は、君が進むべき道のために使うのだ」


 その言葉を掴んで離さないように、シャルロッテは自分の右手を強く握って、その拳を胸に当てた。


「アルター教国円卓幹部が一人、リーフレッド司教殿。不肖ながらこのシャルロッテ・アンバー、法王からの勅命、果たさせていただきます」


 老司教は強く頷き、両手を組み瞳を閉じ、自身の娘のように長年可愛がってきた女騎士のこれからの旅に幸あらんように、心から祝福を祈ったのであった。

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貧乏貴族3 はんどれーる @nonamehandrail

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