最終話 90%の決着
プレディクタの演算どおり、インゴットの供出は世界大戦の針を押し戻した。
『戦略官殿のおかげで、何とか我が国の生命線も繋がりましたよ……。まさか、大統領が金塊で満足するとは思ってもいませんでしたが』
外務大臣がふーっと一息つきはじめる。一週間も掛けた秘密裡の交渉に出ずっぱりだったのだ。流石に骨が折れたことだろう。
「いいえ。ただ、〈プレディクタ〉の演算では、大統領は三日で折れるとの予測だった。ここまで時間が掛かったのは、わたしの不徳の致すところ。大臣に迷惑を掛けたのは事実よ」
別に大きくしくじったわけでもないが、プレディクタの回帰分析と現実に齟齬が生じるのは、とても珍しい事態だった。
透花が頭を下げると、大臣はとんでもない、といった様子で慌て始める。
『滅相もない……! 私の交渉能力不足ですよ……。いやはや、貴方様にはどんどん日本の国力が落ちていることが目に見えて、呆れていることでしょう?』
「そんなことは……」
こんな小娘に気を遣う必要なんて、とも思ったが。
――わたしは、この大臣よりも、ずっとずっと長く生きていることを思い出した。
――19世紀からずっと、この老いない身体で生きてきたわたしにとって、
――日本政府も佐倉財閥も、幼子のような存在だ。
――わたしが歩くレールとは、神たる〈プレディクタ〉の敷いた軌道であるものの、
――神はわたしの入力情報にのみ、動く機械。
――ならば、わたしは、この世界は、一体、誰の手によって動いているのだろうか?
『――殿? 首席戦略官殿?』
野崎大臣の呼びかけによって、透花は思索の世界から引きずり戻された。
「あ、ごめんなさい……。えーと、なんの話をしてたんだっけ?」
バツが悪そうに頭をかくと、流石の大臣も苦笑し、
「今後の在日米軍再編の動きを相談しようと思いましたが、戦略官殿もお疲れのようですな。今日はこれまでとしましょう」
そうして、外務大臣との会談は終了した。
『トーカ。今回は申し訳ありませんでした』
リビングに機械音声が響く。〈プレディクタ〉自身も責任を感じているようだった。
「ううん。わたしこそ、ごめんなさい。もっと確度の高い情報を精査できるようになればいいんだけど……」
『いいえ。特異点を選別出来なったのは、私の性能によるものです』
「でも、情報の選別が出来ないのは、暫定政府が定めた機能だもの……」
人工知能が恣意的に情報を選別し、人間(桜庭透花)を逆操作出来ないよう、〝彼女〟には幾重にもプロテクトが掛けられている。
だからミスが生じれば、それは運用する者が悪いのだ。
『それと……。7月の定期考査ですが、全日欠席となってしまいましたね』
「あ、そうだったね……」
すっかり忘れていた。学校には親戚の集まりと適当に誤魔化していたが、事案に張り付いている内に、テスト自体を失念していた。
もしも今回の事態が世界大戦の引き金になった場合、透花はすぐさまマンションを離れ、〈プレディクタ〉のメインフレームが鎮座する核シェルター――皇居近く深くを繰り抜いて造り上げた、この国で最も安全な施設だ――へ避難する必要があったからだ。
『高瀬遥斗は、予定通り五百点を取ったのでしょうか?』
「…………取ったんじゃない? 全部、貴方の予定通りに、ね……」
人工知能は押し黙る。こんなところだけは、いやに人間的だ。
「……ごめん。嫌味な言い方だった」
『いいえ。今日もお疲れさまでした、トーカ』
――わたしも〈プレディクタ〉も、運命に囚われているという意味では変わらない。
――世界連邦創設のため、わたしも〝彼女〟も国家も企業も世界も、
――そして彼だって、舗装された道筋を、ただただ歩いていくだけに過ぎないのだから。
*
数週間後。
「でさ、中の人が変わったVを同一人物と見なせるかどうか。これが最近の俺にとっての人生哲学ってワケ。深いだろ?」
「フジツボ生息地並みに深いなあ」
遥斗と雪人が自席で談笑していると、ツカツカと聞き慣れない足音が近づいてくる。
「遥斗くん‼」
足音の主は透花だったらしい。いつもより、随分乱暴な足取りだったようだ。
「この間の試験、何で手を抜いたの⁉」
――きたか。遥斗はとぼけた顔をして振り向く。
「なんの話だよ?」
「順位の話!」
そう言って透花は、有無を言わさず、遥斗の腕を掴んで廊下へと連行していった。
廊下の壁に掲載されているのは、「7月定期考査順位」。
そこには、「一〇位・桜庭透花・450点」。「一〇位・高瀬遥斗・450点」と書かれている。
「いやー、今回はしくじったよ。まさか一〇位以内がやっとだったなんて……」
ヘラヘラと遥斗が釈明すると、
「とぼけないでっ‼」
バン、と壁を叩き、透花は怒鳴り散らす。学年でも羨望を集める令嬢の荒ぶる姿に、他教室の生徒も驚きの様相で眺めていた。
「私が当日休んだから、わざと追試の満点分になるように調整したんでしょう⁉」
ついてきた雪人が横で驚く。
「え⁉ それって満点より難しくないか?」
「はー。何を言っているのか、全然分からないな」
遥斗はやれやれ、と両掌を上に向ける。
「何それあり得ないでしょ⁉ …………ま、まあわたしは、遥斗くんと違って、順位なんて全っ然……気にしてないんだけどっ!」
「転校してきた理由もお預けか」
「わたし、負けてないもん!」
そう怒りながら負け惜しみを捲し立てる透花に対し、遥斗は不敵に笑って宣告した。
「俺も負けてない。……でも、本当の勝者が誰かは、お前が一番分かっているはずだ」
*
そう、彼は自信満々に告げた。
この少年に、何が分かるというのだろう。
いや、違う。
――何も分かっていないのに、わたしが何に苦しんでいるのか、彼には分かったのだ。
「……な、なにを言っているか分からないけど……つ、次の定期考査が楽しみだね、遥斗くん!」
そう言って、彼女は踵を返して歩き始める。
「ど、どーしたんだ、透花ちゃん……?」
全くついていけないといった風に、雪人が狼狽する声が聞こえる。
「さあな」
『……さすがと言うべきか。あれこそが、高瀬遥斗が、世界の王の器たる所以でしょうか』
外部端末のヘアピンから〈プレディクタ〉の、珍しく驚くような声が脳波として届いた。
「知らない! 偶然でしょ、こんなの!」
誰も居ないのにキレだすわたしに、すれ違った生徒が驚く。構うものか。
偶然なわけが無い。そんなこと、自分が一番分かっていた。
満点でも落点でもない、特異点。
それを彼は、わたしも〝彼女〟も予想だにしない形で、眼前に突き付けてきたのだ。
――でも、本当の勝者が誰かは、お前が一番分かっているはずだ――
――わたしは、不敵に笑う彼の瞳を見たその時、
――自分の運命に、出会ったような気がした。
「――次は負けないからね……高瀬、遥斗くん……」
そう呟く彼女の顔は、晴れ晴れとした笑みに満ちていた。
回帰分析の彼女と、特異点の彼 神山良輔 @sphere009
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