第4話 計算通りの世界
ある日、抜き打ちの小テストがあった。
はっきり言って、難易度はめちゃくちゃ。普通なら解けるはずもない問題ばかりだったが、日頃から打倒透花を掲げ、予習復習を繰り返していた遥斗は、スラスラとそれを解いてみせた。
見たことがない問題とは言えど、そこはもちろん教師が作ったもの。既存の問題をしっかりと押さえておけば、しっかり解答出来るようになっている問題ばかりだった。
数学教師の江崎は少しだけバツの悪そうな顔で教壇に立つと、
「少々趣味に走った問題ばかり作ってしまったが……このクラスに満点が二人も居た……!」
クラス中の視線が、特定の男女二名へと向けられる。
「高瀬遥斗、桜庭透花。いや、俺は感動したよ! 高等部に進学したら、是非とも理系に進んで欲しい……!」
江崎は高等部の数学教師も兼任しており、昨今の理系進学者減少に危機感を抱いているとのことだった。
「か、考えておきます……」
「ありがとうございます、先生」
江崎の強い圧に遥斗が押される一方で、透花はにこやかに返事をする。
だが、その表情がどこか心あらずのように、遥斗には思えた。
「……透花?」
普段の桜庭透花という女は、テストが終わると真っ先に遥斗の席へと近づくや否や勝利宣言をしてくる、格ゲーなら屈伸煽りを生業とするゲーミングお嬢様になっていそうなタイプなのだが、今日は全く様子が異なった。
互いに満点だったから、煽るのも難しいということだろうか。
しかし、せっかく透花に肉薄しつつあるのも事実だ。
遥斗は、後で透花に対し、今回の戦果を意気揚々と語ってやろうと思った。
*
昼休み。誰も居ない廊下で、少女はスマホに耳を当てる。
『回帰分析の結果が算出されました。人類文明戦略計画遂行のための変数は〈3.2〉。これを過去の座標と比較し、政治的文脈で出力すると――』
ひととおり、〈プレディクタ〉による、これからの外交指針が語られた。
その意味するところはすなわち、金地金をあの大統領にくれてやることだった。
それこそが、計画の最終座標に最も適した検討結果。
そして過去の経験上、この試みは百パーセント、上手く行くに違いなかった。
「……分かった。お疲れさま、〈プレディクタ〉」
そう、機械仕掛けの神様を労って、透花はスマホを切った。
〝彼女〟の予言に従えば、世界は必ず、予定表のとおりに進行する。
この世界は、〝彼女〟が絵具を載せるキャンバスのようなもの。
――わたしは絵筆として、神の意思に違わずそれを出力するだけ。
――全部ぜんぶが、予言どおりだ。
……………………………………………………………………………………もう、飽き飽きだ。
*
夕方になった。授業はとっくに終了し、既に放課後。同級生達は既に帰宅か部活へ繰り出し、あかね色の教室に佇むのは、ぼんやりと外を眺めている透花と、自分しか居なかった。
「よお」
だが、透花は心ここにあらずといった様子で、ぼんやりと遠くを眺めていた。
「……透花?」
「…………? ――うわっ⁉ ……な、なんだ、遥斗くんかー。驚かせないでよ」
正直、こっちの方がびっくりした。
「大丈夫か? 具合が悪いなら、保健室にでも……」
遥斗は気遣うが、透花は首を横に振る。
「なんでもないよ。……それよりも、小テストの満点、おめでとう。ま、遥斗くんにしては、少しは頑張ったんじゃないかな?」
透花が「7月の定期テストが、本当の決着の場だね」と喋り掛けてくるのをよそに、遥斗はハッキリと問いただす。
「どうして、俺の席に来なかったんだ?」
「――――は?」
それは、氷点下よりも冷たい声。今まで聞いたことのない、透花の声だった。
透花は薄ら笑いを浮かべながら、逆にこちらを詰問する。
「……何それ? いちいち、遥斗くんのところに行って、『よくできまちたねー』って褒めて欲しかったってこと?」
ゾっとするような声音だった。胃の中にドライアイスを突っ込まれたかのような感覚に遥斗は襲われた。
「違う……! 俺は、ただ……!」
だが、彼女の話は、堰を切ったように止まらない。
「いちいちさあ! 遥斗くんを褒めるために生きてるわけじゃないんだよね、わたしはさ!」
そして、
「何でも予定通りのモノを見せられる人間の気持ちが! 遥斗くん如きに理解出来るわけないんだよ‼」
そこまで言うと、透花はぜえぜえと息を切らしながら、深呼吸をしている。
ただ事ではなかった。
「と、透花……?」
おずおずと、遥斗が話しかけると、透花はハッとした様子で顔を見上げ、まるで、いま初めて目の前に遥斗が居たことを認識したかのように取り乱し、
「ち、違うの……。ご、ごめんね、遥斗くん……! 本当に、ごめんなさい……!」
そして、無理やり笑顔をつくると、
「……は、遥斗くんも、小テスト満点だったんだねー! ……ふふふ。でも、来月の定期考査ではどうかな? わたしに勝てるかなー?」
そう、たどたどしい口調で、彼女はこちらをバカにしてきた。
「――――な、なんてね……」
「透花」
巨大企業のお嬢様が何を考えているのかなんて、中学生の自分には分からない。でも、何か、自分が想像のつかないぐらいの何かを抱えていることだけは、何となく分かった。
「……教えてくれよ。何か、悩みがあるなら、相談に、乗るよ……。俺なんかじゃ、何も役に立たないかもしれないけど」
だが、その申し出に、透花は寂しそうな表情を浮かべる。
「……じきに分かるよ。だって、わたしに勝ったら、この学校に来た理由を教えるって、約束だったからね」
なんだか変だ。彼女が言っていることはすなわち――
「それじゃまるで、次の定期考査で俺が透花に勝つことが、決まっているみたいじゃないか?」
「……そうだね。そう、決まっていることだから」
そして透花は、ゆっくりと窓へ近づき、外の風景を見渡す。
「春が来て、夏が来て。秋が来て冬が来る。でもね、もうすぐ春と秋は来なくなるんだ。そう、運命で決まっていることだからね」
何だろう。地球温暖化の話だろうか。
「そんなの、分からないじゃないか。みんなが頑張れば、こう、異常気象だって……」
「あはは。……どうにもならないよ。元々、人間は頑張れない生き物なんだから」
そう、暗い瞳で彼女は夕焼けを見ている。
「デコボコの人類を舗装ならしめ平準化する。わたしとキミでは、それだけで精一杯なの。とてもとても気候変動に対処する暇なんて無いんだ」
「わたしと、キミ……?」
それは、透花と自分のことを言っているのか?
「じきに分かるよ」
そして彼女は、こちらへ振り向き、夕焼けの太陽を背に両手を掲げた。
「定期考査の結果、楽しみにしているからね? …………高瀬、遥斗くん?」
そう、精一杯の作り笑顔で、彼女は遥斗を鼓舞して見せた。
*
世界のリセット。途方もない計画に選ばれたのは、一人の少女と一基の人工知能だった。
暫定政府史実領導委員会が下した結論は一つ。
アイリスが襲来するよりも前に、人類種を一つの総体的な文明へ集約させることだった。
二百以上のバラバラな国家だったから、人類は破れてしまったのだと。
だから、世界中の人間が、人類文明という一つの価値観を自覚する体制が整えば、次のループでは必ず、人類はアイリスに勝つことが出来る、と。
本当かどうかなんて、彼女には分からなかった。
ただ、桜庭透花という名前を与えられた少女は、老化抑制ナノマシンに最も適した遺伝子を持っているという、ただそれだけの理由で、この一大計画に抜擢された。
彼女は人類に残された最後の科学技術を結集し、老いることのない身体を与えられ、
『保全された独裁官(preserved dictator)』の名を持つ人工知能と、歴史をやり直すことを命じられた。
目的は一つ。人類統一国家・世界連邦政府の樹立。
そして、人類史を演算した結果、それを成し遂げられる人物として、政府が提示した人間は、ただ一人。
それは、高瀬遥斗という、二十一世紀に生きた一人の少年だった。
そして、彼女と〝彼女〟は旅立つ。
時間遡行に用いる零座標エネルギーを最大限に使えば、19世紀までは遡れた。
〝一巡目の世界〟で培った科学技術、もはや使う当ても無かったありったけの金融資産、そして、西暦三千年までの歴史書と、人知を超えた人工知能をタイムマシンに積み込めば、この国の支配者になるのは簡単なことだった。
生まれた頃にはとっくに消えていた島国だが、高瀬遥斗が生まれる国である以上、計画遂行の拠点はこの国である必要があった。
明治維新に介入し、戦略局という特異な位置づけの機関を作り上げた。
行き詰っていた商家の佐倉家に接近し、財閥をも形勢する力を与えた。
この時代に存在しない筈の、規格外のテクノロジーを浸透させ、徐々に歴史の方向を変えていった。
〈プレディクタ〉。それは、あらゆる情報を収集し、あるべき歴史の方向性を導出するための変数を算出する「人類史上、初めて観測されし神」とも形容される人工知能。
だが、神の使用には、人類を代表する責任者が必要だった。
人工知能そのものに世界を託すことだけは、暫定政府も認めることが出来なかったからだ。
だから、桜庭透花という少女は、滅亡の縁に立たされた世界における最後の人類として、神に情報を捧げるための供物となった。
生贄に課せられた責め苦はただ一つ。
人工知能が決めた歴史の道筋を、ただただ辿っていくこと。
どんな大戦争が起ころうと、どんな災害が起きようと。
〈プレディクタ〉の言う通りにしていれば、必ず歴史は進み出す。
高瀬遥斗の勉学を推し進めるのも、その一環。
計画上、彼に学年一位如きで満足するような人生を、歩ませるわけにはいかないのだ。
――だから、頭の悪いわたしには、この赤いヘアピンがいる。
〈プレディクタ〉お手製の外部端末さえあれば、中等教育の試験如きで落点する方が難しい。
高瀬遥斗は、次のテストで満点を取る。
そしたらわたしは、予言通り彼に告げなければならない。
――キミはね、この星の王様になるんだよ。
――世界連邦準備評議会 初代総裁閣下殿?
*
黒板に「7月定期考査」と書かれている。
遂にこの試験の日がやって来た。遥斗は、目に隈が浮かぶほどの勉強をこなしてき
た一方で、このところ情緒不安定の透花の事が、どうしても気になって仕方なかっ
た。
だが、教室に彼女の姿はない。雪人に訊いてみると、
「えっ! 透花が休み?」
「さっき女子が話してたんだけど、一族の急な集まりで試験期間は欠席らしい。お嬢様も大変だな」
「そ、そうか……」
正直なところ残念だ。欠席者は点数が九割掛けされる。つまり、透花がいくら頑張っても、五教科の満点は450点。遥斗がよっぽどのミスをしない限り、一位の座を取り返すのは確実だった。
中学生の女の子を借り出すほど、重要な会議でもあるのだろうか。上流階級のやることなど、遥斗には及びもつかない
だが、雪人は透花よりも、自分のことを心配しているようだった。
「遥斗、お前目の隈が凄いぞ? 昨日はちゃんと寝たのか?」
寝てない。徹夜で勉強してきたからだ。必ずや全科目で満点を取る意気込みで、今日までやって来たのだ。
自信はあった。この勢いなら、絶対に満点を狙える。
だが、本当にそれが、正しい道なのだろうか。
――こんな程度の成績じゃさー、わたしの予定が随分狂っちゃうんだよね。悪いけど、見込み違いでしたーっていうのは、勘弁してほしいかな――
――何でも予定通りのモノを見せられる人間の気持ちが! 遥斗くん如きに理解出来るわけないんだよ‼――
――定期考査の結果、楽しみにしているからね? …………高瀬、遥斗くん?――
桜庭透花が何に苦しんでいるか、そんなのは知らない。でも。
彼女には心の底から笑って、心の底から驚くような人間であって欲しいな、とそう思った。
――だから、この世界に決まっている事なんて一つも無いという事を、俺は彼女に示さなければならないのだ。
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