第3話 プレディクタ

 学業を終え、帰路につく。そして、都内にある最高セキュリティのタワーマンションに入ると、そのままエレベーターに乗り込み、最上階を目指す。


 60階。日本の集合住宅の中でも、最高階層に位置するこのフロアは、そのすべてが彼女の保有資産として登録されていた。


 いや、そもそもこのマンション自体、佐倉商事と日本政府が共同で管理する、彼女だけが住む家である。都心に構えるこのビルは、あらゆる勢力からその身を守る砦であり、


 ――世界のあらゆる勢力の支配を試みる、君主の城でもあった。


「ただいま」


 住居用スペースの一室に入ると、ひとりでに明かりが灯る。


 インテリア雑誌で紹介されそうな洒脱なリビングが目の前に現れ、透花はいそいそとソファに座り、頭のヘアピンを撫でた。


「……進捗はどう? 〈プレディクタ〉?」


 誰も居ない筈の空間に声をかけると、すぐに反応が返ってくる。


『おかえりなさい、トーカ。今日も楽しそうな学校生活でしたね』


 透き通るような女性の声が、室内に設置したスピーカーから発せられる。


「べ、別にいつもと変わらないでしょ……! それより、わたしは貴方の進捗状況を聞いているんだけど?」


 むくれて問い返すと、『それは失礼しました』とあまり反省していなさそうな謝罪の後、


『佐倉マテリアルの御堂(みどう)社長から一件。金地金市場の高騰に関する件のようです。それと、佐倉重工の須郷(すごう)専務からも連絡が二件。――新型戦闘機選定の件ですね』

「ほかには?」

『――鮎川(あゆかわ)大臣から三件。それと、野崎(のざき)外務大臣からは、五件』

「……野崎大臣に繋いで。それから、佐倉マテリアルと話すから」

『かしこまりました。――それでは、どうぞ』


 パっと目の前の大型テレビが勝手に点灯する。


 そこには、ほとほと困った様子の壮年の男性が映っていた。


『――お忙しいところ、恐れ入ります。首席戦略官殿』


 年端もいかぬ少女に対し、野崎外務大臣は、画面越しからでも分かるぐらい脂汗を垂れ流しながら、恭しく頭を下げる。


「構わないわ。要件を教えて」

『は、はい……。実は、先般実行に移されたウクライナ侵攻が未だ尾を引いておりまして……。北海道沖でロシア海軍の艦隊が終結しつつあるとの情報が入りました』


 透花はすぐに姿勢を正し、深刻な面持ちで大臣を見つめる。


「日米同盟に揺さぶりをかけるつもりね。在日米軍の動きは?」

『北米局長によれば、委員会は未だ動かず、と』


 委員会。日米合同委員会とは、日本国政府と在日米軍による日米地位協定の実施機関であり、ある意味日本国憲法適用外の、政治的上層に位置する組織である。


 その組織が動かないとなると、それはペンタゴンやホワイトハウスの領域ということだ。


「下手に動いたら世界大戦だものね……。ま、何のためにお友達予算を払っているのかって話にもなってくるんだけど」

『せ、戦略官殿。思いやり予算です……。あ、違った。政府としては、今後は同盟強靭化予算と呼ぶことにしておりまして……』


 ――見てくれだけ変えても中身は変わらないでしょ。


 一瞬、そう言ってやりたくなったが、大人の世界では中身よりもオブラートの方が重要なのは、往々にしてあることだ。


「分かった。すぐに《プレディクタ》に方向性の演算をさせるわ。――ただ、演算の結果は人類文明戦略計画に即した変数の試算であって、必ずしも日本国のためにならないことは、承知おき願いたいのだけど。寄生虫の身分で、申し訳ないわね?」


 これは、どの省庁にも申し含めていることだ。自分達は、日本国政府にあって、日本国のために動くことを確約できない立場にある。


 国家行政内証機関第零部局・戦略局。


 この時間軸を「あるべき未来」へ到達させるために存在する極秘機関。


 内閣の埒外に置かれたこの組織を知る者は、政府でも数えるほどしか居ない。


 そして、この〝組織〟は実質、たった一人の少女と、たった一基の人工知能を指すものであることを知る者は、もっともっと少ないのだ。


『重々承知しております……。それこそ、この国そのものが、あなた方に寄生しているといっても、過言ではありませんから……』


 そこまで遜るのも問題だと思うが。


 日本人はすぐ謝る民族だとよく言われるが、もしそれが、自分の敷いた組織体制によるものだとしたら、ちょっと考えものだな、と透花は思った。


「演算の結果が分かったら、また知らせるわ」


 頭を下げる外務大臣の画面が切り替わり、禿頭の目立つ佐倉マテリアルの御堂社長が映る。


『これはこれは、お嬢様。今日もご機嫌麗しゅう……』

「挨拶はいい。預けてあるわたしのインゴット、五千キロ供出の用意をして頂戴」


 さすがの御堂も驚愕したようで目を見開いた。


「え、S資金を投入するのですか? いくら我が社から切り離された資産だとしても、その量の放出は金融市場に影響が……」

「売り払いの制限はする。あの大統領なら、持たせるだけで少しは黙るはずだから」

「しかも相手はあのマフィア国家ですと? ……会長から、貴方の行動については一切関知しないよう言い含められておりますが、あの男が金でなびくとはとても思えず……」

「余計な配慮は無用。マンカインド文書のスクリプトは〈プレディクタ〉に書かせるから問題なんて起きない。サクラグループにも、迷惑は掛けないから」


 ハゲ頭の社長はしきりに腕を組みながら「うーん」と唸るも、


「……分かりました。ただ、外務省から政治的解決を依頼されているのでしょう? この実弾を使う前に、穏便な解決が図られることを祈っておりますよ」

「耳が早いわね。でも、〈プレディクタ〉の出す演算は結局、実弾の使用を提案してくると思うけど」

『正確に演算しないことには分かりませんが……。まあ、これまでの経緯から言っても、その可能性は高いかと』


 〈プレディクタ〉のお墨付きを得た。今回も想像通りに事が動くのだろう。


「やれやれ……。くれぐれも、連邦保安庁(FSB)には気を付けて下さいよ」


 社長がそう言い残すと、画面がブラックアウトする。


 さすがに野崎外務大臣も、御堂社長も、今回の件は久々の危機に認定したようだった。


「〈プレディクタ〉。人類文明戦略計画専任執行官として命じます。〝本事態解決のための回帰分析を速やかに実施せよ〟」

『承知しました、トーカ』


 そして透花は、以前ロシア大使館から取り寄せた各種資料を検討し、演算に必要な情報を探しては読み上げ、〈プレディクタ〉に入力していく。


 そう言えば。今頃、遥斗は勉強でもしているのだろうか。


 あの真摯な少年もきっと、自分達の想像通りに動くのだろう。


 これから算出される、回帰分析による外交指針のように。


 数十ページに及ぶ事象の入力を終えた透花は、そのままぐったりとソファに倒れ込む。


「よーやく終わった……」

『しばらく、休まれたらどうですか? 夜になったら起こしますから』

「うん。そーする……」


 戦闘機の件は夜にしよう。どうせ今回の事態の収拾がつかなければ、戦闘機建造の前にこの国は沈む。


 ボフっ、とクッションに顔を埋め込む。


「……でも、今までそんなことは、あり得なかった」


 そして、先ほどの大臣や社長の態度を思い出し、小さく嘆息した。


 彼らは自分のことを、まるで皇族か元老かのように丁重に扱う。確かに、自分がこれまで行ってきたことを思えば当然の道理でもあるのだが、それらは全て、〈プレディクタ〉あってのことだった。


 ――本当のわたしは、お金持ちのお嬢様でもなければ、学も無く親も国籍も分からない、ただの難民の少女に過ぎないのに。


 日本列島なんて、元居た時間軸では第十六次環太平洋戦役時、反応弾をあちこちに撃たれた結果、一千年の封地に指定されていたと聞く。足を踏み入れたことさえなかった。


 そうひとりごちて、そっと赤いヘアピンを外して眠る。


 純粋な少年を騙す、歪な装飾品から解き放たれた時、わたしはわたしになるのだ。


『――透花。どうして、泣いているのですか?』


 眠りに落ちる直前、人工知能の心配するような声が聞こえた気がした。


 夢を見た。オチが分かっている小説ばかりをひたすら読まされる、最低の悪夢だった。

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