未来予測センターの誤算

雨柳ヰヲ

未来予測センターの誤算

 <未来予測センター>の中枢システムは、東京ドーム三つ分の巨大な半円形のガラスドームの中に五次元量子コンピュータの回路をぎっしり詰めた、巨人の脳みそのような形をしている。それぞれの部位が稼働すると、特有の色で発光する。半円ドームの中では常に全ての部位が稼働している。その様子はまるで七色に輝く神々しい脳みそだ。

 この五次元量子コンピュータシステムは”Five Quantum Futuer Brain”と名付けられ、通称<φ-FB>と呼ばれている。<φ-FB>の周囲を一万台のコンピュータが囲い、それぞれのモニターの前には灰色の制服を着たオペレーターが座っている。一万人のオペレーターがいるにもかかわらず、施設内にはキーを叩く音と、パイロットランプの信号音しか聞こえてこない。

 <未来予測センター>は今や世界になくてはならない、とても重要な施設だ。

 五次元量子コンピュータが完成し、世界中の人間や、生物、地球内部の活動データから未来を正確にシミュレーションできるようになった。10日後までなら99%の精度で未来予想ができる。大規模な災害はもちろん、家庭用プリンターのインクが切れるタイミングまでわかる。

 <φ-FB>の未来予測によって犯罪や事故を未然に防ぐことができるようになり、人々の生活も変わった。犯罪についての考え方も変わった。今までは暴力や殺人などが犯罪だったが、人の心に苦痛や屈辱を与え、相手に憎悪感情を抱かせることの方が罪が重くなった。他人の心を傷つけることはやめ、自分のやるべきことのために努力をする人が増え、地球の未来は明るいものとなった。

 <φ-FB>は、これからも多くの人々を助けることだろう。施設で働くオペレーターたちはその役割の重要性を認識し、みんな誇りを持って真剣に業務に取り組んでいる。そのため、業務中に私語をする者などだれもおらず、モニターに表示されるデータを食い入るように見つめ、解析を続ける。

 そんな静けさを、一人のオペレーターの声が打ち破った。

非常警告エマージェンシーアラート! 最悪の未来予測発生!」

 一万人のオペレーターが一斉に声の方を振り向いた。同時に「エマージェンシー」の赤い画面が、ウィルスの侵食のように一気に全モニターディスプレイに広がる。<未来予測センター>の施設に警告音が鳴り響いた。

 <未来予測センター>の責任者や、関係する科学者たちが呼ばれ、エマージェンシーを勧告したオペレーターの周りに集まった。

「最悪の未来予測とは何だね、核戦争でも始まるのかね?」責任者がオペレーターに問いただした。

「いいえ、違います。」

「では、パンデミックかね?」一人の科学者が尋ねた。

「いいえ、違います。」

「隕石の衝突?」

「大洪水?」

「地球の自転が止まる?」

「太陽が爆発する?」

「宇宙人が襲来する?」

 科学者達はめいめい思いつく「最悪の未来予測」を口にするが、そのどれもが違った。

「では何だね。」責任者が再度尋ねた。

 オペレーターははっきり言った。

「この宇宙が消えます。」

 科学者達は腕組みし、それは確かに最悪の事態だと誰もが納得した。

「原因は何かな?」責任者が尋ねた。

「宇宙情報の過剰による情報収集システムの崩壊です。」

「どういうことかね?」再び責任者が尋ねた。

 オペレーターは説明を始めた。

「五次元量子コンピュータの集合型超高密度重複演算システムを利用した<φ-FB>は、宇宙全域の情報を集めて計測する仕組み上、毎0.000001秒ごとに宇宙のコピーを生成しています。宇宙のコピーを生成すると、その宇宙の地球ではやはり<φ-FB>が毎0.000001秒ごとに宇宙のコピーを生成し、それが無限に続きます。この宇宙は五次元時空へ向けて全ての宇宙情報が重力穴より情報蓄積ホログラムに集まります。その際、宇宙情報が無限数を超えたために五次元時空と四次元時空の正常な時空間制御が働かなくなり、宇宙空間全体が不安定になって、最終的にビッグバンの逆流が発生します。」

 科学者達は腕組みをして思案する。

「つまり、この<φ-FB>が原因で宇宙が消えるということかな?」責任者が言った。

「はい、その通りです。」

 科学者達はさらに深刻な顔で思案する。

「宇宙が消えるのはいつかな?」責任者が尋ねた。

「これから九日ここのかと15時間後です。」

「<φ-FB>を止めなければならないということか。」科学者の一人が言った。

「せっかく世界が平和になったのに。」他の科学者が言った。

「他に回避する方法はないでしょうか。」他の科学者が言った。

 科学者達は再び腕組みをして思案する。

「宇宙が消えるまでまだ数日ある。それまでに解決策を見つけようじゃないか。」責任者が言った。

「まだ本当にこの未来予測が正しいとは限りませんしね。」科学者の一人が言ったが、誰も賛同しなかった。未来予測システムの正確さは、だれよりもここにいる科学者達が一番よく知っているのだ。

 その翌日から、さまざまな異変が起き始めた。月が地球から離れたり近付いたりする。月が近付くと海も雲も渦巻き状になって月に吸い寄せられ、月が遠ざかると落ちてくる。みんな空を見上げて、今にも月が落ちてくるのではと心配し始める。時空も乱れ始め、さっきまで朝だったのに突然夜になったりする。時空や重力の乱れは瞬く間に太陽系を飲み込み、三日目には太陽系の惑星の位置が大幅に変わってしまった。五日目には遥か遠くの銀河にまで影響が出はじめたようだ。宇宙空間全体に膨張と収縮が起き、見たことのない銀河が太陽系のすぐそばにやってきた。(もしかしたら私たちのいる天の川銀河がその銀河のそばへ移動したのかもしれない)

 <未来予測センター>の責任者は、やむなく<φ-FB>の全システムを停止することにした。大統領へ連絡し、九日目に<φ-FB>を停止する許可を得た。

 遂に九日目。その日、太陽が白色矮星になった。地球は暗闇に包まれ、急激に気温が下がっていく。

 科学者たちは五次元量子コンピュータの中へ入り、回路の分岐ごとにスイッチを切っていった。その度にその部位を担当していたオペレーター達はモニターをオフにして席を立ち、施設から退出する。美しく輝いていた巨大な脳が次第に灰色と黒の無機質なものに変わっていく。

 数時間後、半円ドームの中で光っている部位は、中心にあるメインコントロールシステムのみとなった。

 科学者はみなメインコントロールシステムの周囲に集まり、煌々と輝く球体を眺める。

「<φ-FB>を停止したら、宇宙は元に戻るのでしょうか?」科学者の一人が尋ねた。

「それは、やってみないとわからないな。」責任者が言った。

「大統領から、すぐに停止するようにと連絡がきました。」エマージェンシーアラートを勧告したオペレーターが言った。

 責任者は咳払いをした。

「えー、では、みなさん。今日をもってこの<未来予測センター>は閉鎖します。これまでのみなさんの献身的な働きに感謝いたします。非常に残念な結果になりはしましたが、しかし、今回のことで未来を諦めたりすることなく、私たちはまた新たに世界を平和に導く科学を生み出していこうじゃありませんか。」

 みな責任者に拍手をおくった。

「では、<φ-FB>を停止します。」一人の科学者が言い、メインコントロールスイッチをオフにした。

 同時に宇宙は消失した。

 もう一つ上の世界では、公園でノートパソコンを広げた若い青年が、五次元量子コンピュータの活用案「複製世界タイプの未来シミュレーションシステム」をシミュレーションをしていた。

 毎回、宇宙情報記憶スペースメモリーの負荷によって時空間が乱れてしまい、結局最後はシミュレーションシステムを終了させることになる。青年はその度に修正しやり直しているが、なかなかうまくいかない。教授に提出する課題は難航していた。やはり未来を正確に予想するのは難しいのだろうか。

 青年は晴れ渡った空を見上げて、ノートパソコンを閉じた。そろそろ大学の講義が始まる時間だ。

 青年は子供たちがはしゃぎ回る公園の中をゆっくりと歩いていく。

 もしかしたら、この宇宙の外側にもこの世界のスイッチをもつ別の世界があるのかもしれないな、などと思いながら。


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