一年を振り返って

snowdrop

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 時に、西暦二〇二二年。

 世界は感染症拡大の危機に陥っていた。人々は大国の仕業と噂し、列強各国は化学兵器による攻撃だと互いに避難仕合い、軍事的にも緊張が高まりつつあった。

 二十一世紀前半。文明が反映する一方で人々は、行き過ぎた環境破壊による自然災害と迫りくる世界大戦の恐怖の影に怯えていたのである。


 同年一月。

「カクヨム甲子園2021」の作品を読んでは感想を書くことで活字が読めるようになった私は、二つの理由から心身ともに疲弊しきっていた。

 一つは、短期間で応募総数の一割強の二百三十三作品を読んだこと。

 もう一つは、感想を書くために一作一作深読みしたことが仇となり、半数近くが死別の作品だったために、内なる悲しみを呼び覚まされて痛みをおぼえる結果に陥っていた。

 泣きながら年末年始を迎え、痛みが収まりかける前に親類縁者の訃報が届き、海の向こうで戦争がはじまった。


 時に、西暦二〇二二年。

 世界は西欧諸国と東側をはじめとする諸外国に二分される形を取りながら、戦争が長期化を見せはじめていた。人々は物価高騰に怯え、列強各国は彼の地の争いは米国と露国の代理戦争だと知りながら、軍事支援を続けて緊迫し続けていた。

 二〇二二年前半。戦争以前から高騰していた物価が、感染症拡大による借金による給付金バラマキと米国のインフレ対策による利上げ開始によってドルの価値を高めた結果、アメリカのインフレが世界規模に広がり、物価高騰と世界大戦の恐怖の影に怯えていたのである。


 同年四月。

 先の見えない不安と混乱の春が到来するも、ようやく落ち着きを取り戻せた私は、これまであまりしてこなかった、一次、二次、三次選考を通過した他の賞に応募された作品や受賞作を読んでは感想を書くことをはじめた。

 活字が読めなかったため、積極的に創作意欲も沸かず、なにをどうしていいのか自分でもわからずにいた。なので、最近の各賞にみられる傾向と対策を学ぶのも兼ねて、高みを目指す才能の原石が紡ぐ作品を読んでいくことを決めたのである。


 同年七月。

 夏を迎える頃、ようやく自分も作品を作ろうと意欲が湧いてくる。同時にまた、高校生のみの参加が許されている「カクヨム甲子園」が開催された。

 昨年は活字を読むための荒療治として、数々の作品を読んでは感想を書いてきた。だが、読むのも書くのにも、創作するのに匹敵するだけの時間と体力がいる。

 幸い、創作を始めていたこともあり、もう読まなくてもいいだろうと考えに至る。

 だが、気が変わる。

 今年の傾向を見るのも悪くはない。

 考えた末、創作の妨げにならない程度ならばと、ショートストーリー部門の人気順の上位作品を読みはじめる。

 今年はショートストーリーだけを少し読み、残りは最終選考作品が発表されたときに感想を書けばいいだろうと決めた。

 決めたのだけれども、ショートを読んだら、ロングも読まないのですかとツッコミが来そうな気がして、結局はロングストーリー部門も人気順に読み始めていく。


 これまでの経験から、どんな作品が選考を通るのか、薄々ながらも傾向がみえていた。なので、面白い作品であっても通過は難しいんだろうなと思いつつ、読んでは感想を書いていく。

 たしかに通過は難しいかもしれない。

 でも、彼女彼らが、創作しようと思った作品の数々の発想には大いに目を見張るものがある。個人の趣味嗜好が反映されているのはもちろんだろうが、奥行きと幅広さには感服し、敬意さえ感じられる。

 はたして自分なら思いつくだろうか、と。

 少なくとも書こうとは思わない。

 だが、高校生たちは自らが書きたいものを書いて応募している姿は評価に値するし、多くの人々が見習うべきと感じた。

 そんなのは当たり前だと笑うかもしれない。が、当たり前こそが尊いことを、感染症拡大で中止や自粛を余儀なくされ、苦汁をなめる体験をしてきた人たちならわかるのではないだろうか。

 昨年にカクヨム甲子園に応募された数々の作品も、たしかに素晴らしいものがあった。今年は、さらに良い作品が応募されている予感めいたものを、人気順に並んだ応募作品から感じたので、今年もまた読んで感想を書いてみようと考えを改めた。

 ただ、創作と感想では頭の使う部分が違うのか、常に脳がフル回転している気がして発狂しそうになる。なので、七月で読むのを一旦やめて創作を優先し、息抜きに少しずつ読んでは感想を書き、カクヨム甲子園の応募締め切り日がきたら、読むのをやめようと決めた。

 にもかかわらず、キリのいい数で終えようとしていたら調子に乗って読み続けて、ショートとロング、それぞれ中途半端な数の七十二作品で終えたのが九月末。

 八十作で終えるために、読むだけなら十数作読み終えていた。

 だったらなぜ、感想を書かなかったのか。

 書けなかったのである。

 体が疲れ切ってしまい、吐きそうになっていた。

 昨年は年末まで続けて読んでいたので、一年前の自分はいかに化け物だったのかと思い知る。

 十一月になれば、カクヨム甲子園の最終選考作品が発表される。

 備えるためにも十月は体を休めよう、と読むのをやめた。

 読んだのに書かなかったことを、私は後で後悔する。

 

 同年十一月十八日。

 メガネを外し、画面を食い入るように二度見した。

「中間選考作品」の文字がある。

 確か昨年の同じ時期に、最終選考作品が発表されたと記憶している。今年の応募総数は二千四十七作品。昨年の1.25倍と増えたため、中間選考作品が発表されたのかもしれない。

 どんな賞も受賞作を決めるために一次、二次、三次選考とふるいにかけられ、一定基準に満たないものは足切り、つまり落とされていく。

 中間選考がどの位置づけにあるのだろう。

 あえて発表されたのには意味があるはず。

 どんな基準かは知らないが、おそらく今年の一定基準に満たした作品と推測した。

 問題は、数。

 百二十七作品とある。

 最終選考ではなく中間なのだから、数が多いのは理解できる。

 とはいえ、あまりに多い。

 受賞作の結果発表まで四十二日のタイミングで、最終選考作品まで絞り切れなかったのだろうか。

 応募数が想定以上に多く、下読みの数が足らなかったのか。

 作品の出来も良いものが多かったのではと、考えられた。

 納得はできる。

 かといって、百二十七作品は少なくない。

 幸い、これまで読んで感想を書いた作品の中から三十作品が選考されていた。のこり九十七作品を、一カ月あまりで読んで感想を書けるだろうか。

 昨年は、最終選考作品に四十五作品が選ばれ、心身ともに疲弊しながら読んで感想を書いたことを思い出す。倍以上の作品数の感想を書くなんて無理、と弱音を吐く。

 考えてみればわかる。

 一日二作ずつ読んだら、四十九日かかる。

 二十三日の結果発表には間に合うわけがない。

 しかも十二月、年の瀬である。

 感染症は第八波に入ったとはいえ、移動制限が行われているわけではない。年越しのためにやることが増えていく。年内に終わるのかさえ怪しかった。

 計算上、一日三作ずつ書けば間に合う。

 ショートストーリーはロングストーリーに比べて、明らかに文字数は少ない。早く読める分、書く時間も短く済む。

 一日三作ずつ、書けるかもしれない。

 だが、人間は機械ではない。

 頭で考えたとおりに行くわけがない。

 人間の脳とは、できない理由を探したがる性質をもっている。

 そんなときこそ、「やるだけやって、駄目だったときに『駄目だ』といおう」を口にすることにしている。

 それに、締切があったほうが俄然、やる気が出る。

 十一月中には、ショートストーリー作品を読んで書き終えてやるぞと高らかに宣言したのである。

 

 結果、無理だった。

 無理だよ、無理。

 読みはじめたとき、作品を読んだのに感想を書かなかった作品が、次々と中間選考を突破していた事実に直面し、なぜあのとき感想を書かなかったのかと、過去の自分を殴りに行きたくなった。十作近くあったと記憶している。

 感想を書かなくてゴメン、と気持ちを込めて書いては読み、書いては読んでいく。

 途中、右肩と腰痛が悪化して右手に力が入らなくなり、書き続けていくのが困難になった。

「面白いです」「良かったです」と、適当な感想で終わらせていいのなら簡単なのだけれど、そんな感想を書きたくて書いているわけではない。

 やる気に満ちた高校生の作品に対して、同じくらいの熱量で作品を読み、持ち合わせる敬意を払って感想を書かなくては失礼に当たると、私は考えている。

 なので、とにかく必死に、いろんなものを削っては書き続けた。

 ショートストーリーを読みながら、ロングストーリーも少しずつ読んで感想を書いていたのが、遅延の原因の一つかもしれない。

 

 十二月三日には、選考されたショートストーリー作品の感想を書き終えたとき、希望が見えた気がした。

 ロングストーリー作品を三十作品読んで感想を書けば終わる。

 計算では、一日二作ずつ読めば二週間で終わるところまできていた。

 一作読みはじめて即、挫折した。

 ショートストーリーは文字数が少なかったので、リズムよく読んでは書けたのだけれども、ロングストーリーは長い。

 しかも読みはじめた作品は、関連しているものの短編を集めたオムニバス形式。

 実質、数作の短編を読むのと同じ。

 しかも似た作品が続く。

 本気で泣きそうになる。

 時間と手間をかけて、それぞれの梗概をまとめては感想をかき、最終的にトータルの感想を書く。

 読み応えがあって面白い反面、頑張って書いたのに一作しか感想ができない現実に、「なんでこんなことをやってるのかしらん」と現実逃避な考えが何度も去来した。

 同じ感覚はショートストーリー作品の感想を書いていたときにも起きており、悩んでは「終わってから考えよう」と疑問を先送りして来たことを思い出す。

 そんなとき、ショートストーリー作品『時をかけるトロ』を読み忘れていたことに気づく。面白そうだったので最後に取っておいたことを思い出し、慌てて読んで感想を書いた。

 人外が人生のヒントを教えてくれるお話であり、個人的に好きな作品である。似た傾向として昨年、『かえるもってかえる』が奨励賞を取っていた。


 泣きそうになったのをきっかけに、これからのロングストーリー作品の感想の書き方を変更した。

 いままでは、作品を読んでは梗概をまとめて感想を書く、一連の流れで行ってきた。

 でも、ロングストーリーは長く、時間がかかる。一作ずつ書き終えていくやり方では、結果発表日までには書き終わらない。

 そこで、作品を読んで梗概をまとめたら寝かす手法に切り替えた。

 一晩、あれやこれやと考えながら感想を下書きし、書いたものを元にしながら追加補足しつつ感想を仕上げていくやり方に切り替えたのである。

 この方法なら、複数の作品を読んでは書き進めていける。

 複数同時進行の感想書きをはじめると、一日に何作感想を書いているのかさえ、わからなくなっていった。

 とにかく前に進んでいるはずだと、読んでは書き、書いては考え、考えては書き、書いては読み、をただひたすらにくり返していく。


 何の苦行かしらん。

 そんな考えはどうでもいい。

 終わらなくてもいい。

 間に合わなくてもいい。

 とにかく読んで感想を書いていこう。

 続けられたのは、とにかく作品の出来が良かったから。

 これに尽きる。

 昨年の作品もすごかった。

 感嘆と嘆息をくり返しながら、今年はもっとすごい作品が多く、選考側も唸ったに違いないと思った。

 とはいえ、読み終える前に心身ともに疲弊しすぎて壊れては申し訳ないと思い、後半は文字数が少ないロングストーリー作品から読み進めていくことに切り替えた。

 なので、最後に読んだ作品は『クレーのいた冬』だった。

 当初は、もっと早く読む予定だった。

 一瞥したとき、サブタイトルがクレーの作品から付けられており、少し知識を入れたほうが良いと感じ、読み込むのに時間がかかると判断した。

 クレーの描いた天使のような人と一緒に過ごした冬の話なのだろうと、タイトルから想像して。

 同様に『双紫相愛』も一瞥したとき時間がかかると思い、後回しにした。昨年奨励賞を取った作品と関連があると思い、自分が書いた過去の感想を読んでからにしようと判断したから。

 作者さんが結果発表が出る前に選考作品を非公開にしたことには、少々驚きをおぼえた。


 残り二作品にたどり着いたとき、ようやく結果発表までに間に合うと気づいたくらいで、年内には終わらないのではと思いながら書いていた気がする。

 結果発表前に書き終わったのには、自分でもびっくりした。

 とはいえ、おかしな所はないのか、訂正箇所を直したり補足説明を付け加えたりしていたので、実質書き終わったのは結果発表前夜だった。


 反省すべきは、もっと一作一作踏み込んで感想を書くべきだった点である。

 中間選考作品が発表されたとき、あまりの多さに戸惑い、感想を書くことを主としたため、読みが浅くなった気がする。

 基本、作品のいいところを見つけては取り上げ、今以上にどうしたら良いのかなと触れる程度。時間をかけたら、もっと良いアドバイスや改善点を書けたかもしれない。

 とはいえ、私の感想を作者さんが見に来るとは限らないので、だったらコメントに書けと言われてしまうかもしれない。

 だから補足するために、昨年はやりたくてもできなかったレビュー書きを今年は感想を書きながら行えたのは良かった。

 昨年は受賞された作品には書きに回ったが、受賞していない作品にも良い作品はある。

 カクヨム甲子園がすべてはないので、これからも励んでいかれるようエールを送りたい。そんな思いがあって、今年は感想を書きながら、レビューも書きまわれたのは良かったと思う。

 ただ、感想の抜粋みたいな内容だったので、レビューの書き方としてはいかがなものかしらんと自信のないところもある。

 他の人が書かれているレビューを見ながら、今後改善していきたい。


 反省点のもう一つは、受賞作と選考作品との違いを、感想に盛り込めなかったこと。

 当たり前だけど、結果発表は後なので盛り込むことはできない。

 だけれども、感想を書く際に他作品との比較をしないので、どうして選考されたのに自分の作品は賞が取れなかったのだろう、と思い悩んだ作者さんが、私の感想を読んでも助けにならないのではと思えてならない。

 私はカクヨムのまわし者ではない。

 下読みをしたわけでもないし、選考委員に関わってもいない。

 どうしたら受賞するのかなんて、そんなのは運営にきいてくださいとしか言えない。

 言えないのだけれども、受賞作とそうでない作品を比較すると、何となくわかるように、常に新しい作品が求められている。

 どんな賞でも、昨年の受賞作と似た傾向のものは選ばれない、隔年の法則がある。

 少なくとも、来年のカクヨム甲子園は、今年受賞した作品に似たものは選ばないと思われる。

 だが、歴代の受賞作をみれば、男女の恋愛要素を含んでいたほうが大賞が取れるのかと思えてくる。読売新聞社賞は恋愛要素もそうだけど、もっと広くて友情だったり愛情だったりしたものが好まれている気もする。協賛企業さんは各年で変わり、テーマも与えられる。なので、準じたものが選ばれるので狙いやすい。概ね、今を生きる高校生の青春めいたもの。

 共通するのは、応募作品内で秀でていて、尖った作品が選ばれるのだろう。

 そこが一番難しいに違いない。

 なにもカクヨム甲子園に限ったことではない。

 どんな賞にも、似たことはいえる。

 今年の作品を読めてよかったと、素直に思えた。


 さあ、私もお話を書かなくては。

 なにを書いたらいいかしらん。


 時に、西暦二〇二二年。

 世界は感染症蔓延と戦争と経済危機が続いていた。人々は政府の失策と揶揄し、列強各国は互いに避難仕合い、軍事的にも緊張が高まりつつあった。

 二十一世紀前半。文明が反映する一方で人々は、行き過ぎた環境破壊による自然災害と迫りくる世界大戦の恐怖の影に怯えているのだった。


 

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