02.まさかの病気
「では腰に局所麻酔をして
大学病院に行くと、小児科の医師にそう言われた。マルクってなんだよ。わかるように言ってくれ。
「マルクというのは腸骨に注射針を刺して骨髄を採取することです。検査結果が出るまで時間が掛かるので、本日颯斗君は入院してもらうことになります」
後ろで聞いていた父さんと母さんが顔を見合わせているのがわかる。
腸骨ってどこだよ。ってか骨に注射針さすの?? 骨髄って、なんか嫌な響きのやつじゃなかったっけ……
「い、痛いんですか?」
俺が恐る恐る聞くと、父さんや母さんより若そうな男の先生はこくりと頷いた。ネームプレートを見るに、小林先生というらしい。
「はっきり言って局部麻酔をしていても痛いものは痛いです。でも動くと危険なので我慢してくださいね」
なんだよそれ怖ぇえ!! 骨に注射ってだけでも怖いのに、痛いのなんか嫌に決まってんだろっ!!
「颯斗……頑張ってきて」
「先生、よろしくお願いします」
父さんと母さんが俺の気持ちも知らずにさらっと言ってくる。ここで泣き叫ぶほど子供じゃないけど、本当は嫌だと言って逃げ出したい気分だ。
うう、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
そう思っても準備は着々となされてしまい、無情にもその時がやってきてしまった。ベッドに横にされ、俺はギュウッと目を瞑る。腰に打つ麻酔だけで、もう泣きそうに痛い。
「じゃあ次、骨髄液取るからね、動かないでくださいね」
なんかグイイッと背中を押される感覚。痛い。麻酔効いてるからこの程度で済むんだろうけど、それでもなんか痛くて気持ち悪い。
「もうちょっと、我慢我慢〜」
小林先生、この検査で原因が特定できなかってみろ。ぶん殴ってやる。
「はい終わりましたよ。お疲れ様!」
「颯斗君、よく頑張ったね!」
「偉かったね、もうおしまいだからね」
周りの看護師さんが天使に見える。俺、半分涙目。白衣の天使って本当にいるんだな。褒められると悪い気はしないけど、どっと疲れた。
その後俺は十階にある小児病棟へと移動させられた。母さんは入院の手続きやらなんやらで出ていき、今病室に一緒にいてくれているのは父さんだ。
「検査結果出るの夜になるって言ってたし、もう帰ったら?」
俺は父さんにそう提案した。うちは四人家族だ。父さんと母さん、それに俺と妹の
「結果聞いてから帰るよ。治療方針もあるから、今日中に決めておかなきゃいけないこともあるみたいだしな」
「でも香苗は……」
「お義母さんに頼んでるから大丈夫だって」
鈴木のばあちゃんとこか。明日は小学校に車で送ってもらわなきゃいけない距離だ。
ばあちゃんとこにいるなら大丈夫だろうけど、寂しがってないかな。この一週間、俺がいないとやっぱり寂しそうだったっていうし。
俺は丸顔で愛らしい香苗の顔を思い浮かべた。見舞いに来てくれてたので会ってないのは二日程度だが、やっぱりなんとなく寂しい。
「父さん。俺、すぐ帰れるよな?」
「ん? そうだな、治療が済めば帰れるだろ」
父さんはそう言ったが、顔には『不安だ』と大きな字で書いてあった。
それから何時間も過ぎて、俺は病院食を食べ、父さんと母さんも売店で買った弁当を食べ終わった頃のことだ。ようやく看護師さんが部屋に入ってきて、小林先生からの話があると父さんと母さんを呼び出した。
「ちょっと待って、俺は?」
そう言うと、若くて可愛いクリクリ目玉の看護師さんが振り返り「先にご両親だけ。すぐに颯斗君にも来てもらうから、ちょっと待っててね」と優しく笑った。
俺は不安を抱きながらベッドの上に転がっていると、本当にすぐに同じ看護師さんが来てくれた。
「行こうか、颯斗君」
怖い。この看護師さんの少し歪んだ笑顔が俺を不安にさせる。
『家族説明室』と書かれた狭い部屋に入ると、小林先生、後ろにもう一人知らない先生、角の方に貫禄のある看護師さんが立っていて、真ん中には父さんと母さんが椅子に座っている。
俺は空いた椅子に促され、小林先生の目の前に座った。
これからなにを言われてしまうのかと、心臓が破れそうなほど打ち鳴らされる。
「島田颯斗君」
小林先生に名前を呼ばれるも、怖くて『はい』と返事ができなかった。
「検査結果が出ました。颯斗君の病名は、急性骨髄性白血病というものです」
「きゅう……? はっ、けつ、びょう?」
頭が真っ白になった。
なんだそれ。なんか聞いたことあるけど、多分……やばい、病気、だよ……な?
母さんが後ろで「うっ」と声を上げて、鼻をすすり始めた。
なに、俺……死ぬの?
「今後の治療を理解してもらうために、颯斗君にもちゃんと聞いてもらいたかった。小学校低学年以下なら聞いても理解できないことが多いだろうけど、中学生の颯斗君ならわかる。だから今から僕の説明することをちゃんと聞いてください」
先生の真剣な表情に、俺はコクコクと頷いた。
なにも知らずに勝手に治療されるなんて嫌だ。ちゃんと俺だって理解しておきたい。先に両親を呼んだのは、俺への告知を説得させるためだったんだろう。
俺は覚悟を決めて先生の目を見た。
「白血病というと、イコール死だというものと考えられがちですが、現代の医学ではそんなことはありません。発症時期の幼い頃の方が生存率は高く、四、五歳の発症だと生存率は八割。十代での生存率はそれより下がりますが、約七割の人は長期生存を望めます」
七……割?
七割しか生きられないのか? じゃあ、残りの三割は……?
その質問は怖くてできなかった。ただ、後ろで父さんまでも低く声を上げているのわかる。
それから小林先生は細かく説明してくれた。
治療にはステロイドや抗ガン剤を使用するらしい。白血病っていうのは血液の癌だからだ。
ステロイドの長期使用は白内障や緑内障などのリスクがある、抗がん剤の副作用は吐き気や倦怠感、脱毛、口内炎や下痢、造血障害が出る。
造血障害というのは、化学療法により、造血……つまり赤血球や血小板、白血球に影響が出ることで、これにより輸血が必要になってくると説明を受けた。
輸血のリスクとしては、HIVやB型肝炎など、かなりの精度で弾いてはいるものの、ごく稀に検査をすり抜けて入ってくるものもある、とのことだ。
その他にも様々なリスクを並べ立てられ、副作用により死亡する可能性は、五パーセントと告げられた。
なんなんだ、その数字。
二十人に一人が死んでるって? そんな訳ないよな?
その他にも放射線治療や骨髄移植もやらなきゃいけないと言われたけど、まだ先の話なので詳しくはもっと近付いてから説明をすると言われた。
治療期間はおよそ八ヶ月。これでも順調だったら、の話だ。
「とりあえず明日、この中心静脈カテーテルを入れますね」
そう言って小林先生は赤と青の管を見せて来た。俺の顔は、その管の青い部分より青ざめていただろう。
「入れるって、ど、どこに……」
「点滴は普通、手から入れるでしょう。けど今回は長期入院ということもあって、このカテーテルを使って鎖骨下静脈から上大静脈に挿入するんです。心臓近くの中心静脈を利用してね」
ど、どういうこと??
い、挿れる?? 鎖骨?? どうやって??
「腕の血管から注入すると、漏れやすかったり漏れた時に抗がん剤の影響で皮膚が壊死するので、確実に安全に投与するために、中心静脈カテーテルを挿れるんですよ」
今めっちゃ怖いこと言った!!
皮膚が、壊死?? 抗がん剤って触るとやべぇの?!
「痛くないんですか……っ」
「今日みたいに局所麻酔して、すぐに終わるよ。まぁその後ちょっと違和感あったりするかもしれないけど、大丈夫大丈夫。小さい子どもたちもみーんなやってることだから」
なんかサラッと言ってくれるよなぁ。俺は無茶苦茶不安だってのに。
「それと、抗がん剤を使う前に精子の凍結保存を行うかの希望を聞かせてください」
俺はその言葉に少なからずショックを覚える。や、だからなにをサラッと言ってくれちゃってるんだよ。精子って……アレだよな? 子ども作る時のアレ。
混乱する俺を前に、小林先生は淡々と説明を続ける。
「抗がん剤や放射線治療の影響で、精巣機能障害、射精障害、精路が閉塞することがあります。白血病はアルキル化剤っていう抗がん剤を使わなきゃいけないんだけど、これを投与した男性の九〇から一〇〇パーセントの人が急性の無精子症になってしまうんです」
九〇から一〇〇パーセント? それってほぼ全員じゃないか。
つまり俺は……自分の子どもを持てないってこと?
俺の顔からサーッと血の気が引いた。子どもが絶対欲しいとか思ってたわけじゃない。いや、今までそんな事を真剣に考えたことはなかった。
けど子どもができないと言われると……なにか絶望のようなものが押し寄せてくる。
「そ、それ、治らないんですか……」
「治療が終了して、時間の経過と共に戻る人もいれば、戻らない人もいる。颯斗くんがどっちになるかは、その時になってみなければわからないんだ。だから精子の凍結保存をするかどうかを決めてもらいたい」
精子の凍結保存をするか否か。そんなの、答えは決まってる。
「お願いします!」
俺の言葉を聞いて、小林先生は俺の後ろの両親に視線を向ける。
「精子の凍結保存は、うちの病院では初年度に三万円、後は毎年一万円の凍結管理料金が掛かりますが、宜しいですか?」
「はい!」
「もちろんです!」
父さんと母さんが賛同してくれてホッとした。
俺の体はいつの間にか強張っていたらしく、手がガチガチに握られている。俺はその手をゆっくり緩めた。
小林先生からすべての説明が終わると、後ろにいる先生を紹介してくれた。
すべての説明が終わって、俺たちは病室に戻る。今日からここが俺の住処だ。頑張らなきゃと思った瞬間、母さんがいきなり俺を抱きしめてきた。親に抱き締められるのなんて、久しぶりだ。
「頑張ろうね、颯斗……っ」
母さんは今にも泣きそうな声で。喉を涙で詰まらせながら。
「大丈夫。長い人生の中の、たった八ヶ月間なんだからなっ。家族みんなで、頑張って行こうな!」
今度は父さんが俺と母さんを同時に包み込む。
「…………うん……っ」
俺の目から、涙が数滴溢れた。先生の前では気を張ってた線が、緩んでしまったんだ。
しばらくの間、俺は動けない。
自分が大病に侵されていたころが信じられなくて。
ふわふわした足元が覚束なくて、頼りなくて。
父さんと母さんに縋り付くように、助けを求めるように、手に力を込めていた。
だけど、時刻はもう夜の八時を過ぎている。父さんと母さんが家に帰る頃には十一時を過ぎていることだろう。
俺は「ありがとう」と一言言うと、そっと二人から距離を取った。
「じゃあ、また明日来るからね。お父さんは仕事だから来れないかもしれないけど」
「母さん、明日一人で運転大丈夫?」
「ナビもあるし、大丈夫よ」
そういう意味で言ったんじゃなかったけど、俺はコクリと頷いた。
「気をつけて帰ってね」
「うん。颯斗も一人で寂しいだろうけど……」
「俺は大丈夫だから、早く香苗の所に行ってやって」
そう言うとやっぱり母さんは泣きそうな顔をしてコクリと頷くと、父さんと一緒に帰っていった。
ここからが、俺の長い長い闘病生活の始まりだった。
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