04.中心静脈カテーテル
処置室に入ると、主治医の小林先生が「お、来ましたねー」とニヤッと笑った。
この先生、ちょっとSっ気があると思うのは、俺だけだろうか。
俺はベッドの上に寝かせられて、母さんは処置室の外で待つことになった。
ああ、やだな。でも母さんが近くに待機してるんだと思うと、心強いって言うか、頑張れる気がする。
冷たい消毒を何度も何度も塗り塗りされて、胸になにかの印をつけるとシートのような物をバサリと被された。なんかこれ、医療ドラマで見たことある。患部だけ穴空いてるやつだよな。ドレープっていうんだっけ。
俺の顔もドレープで隠されてしまい、先生たちがなにをしているのかわからなくなった。
見えたら見えたで嫌だけど、見えないってのもやっぱ怖い。
「じゃあ麻酔しますよ。リラックスリラーックス」
いや、緊張するだろ?! うわあ、なんか右の胸の上の方にやられたっ! やめてぇぇええっ!
気を失いたい衝動に駆られたけど、そう上手くは行かないらしい。意識はある。しっかりある。だからこそ嫌だ。
「じゃ、始めます。颯斗君、動かないでね」
どうやら今から処置が始まるみたいだ。
いや、もう怖くて動けないから。やるならさっさとやっちゃってくれ!!
と思ったら、なんか嫌な音が……え、まさか皮膚を切る音? ああ、想像するだけで倒れそうだ。もう倒れてるんだけど。
痛くはない。痛くはないんだけど、なんかやられてるのはわかる。とにかく気持ち悪い。っていうか精神的に気分が悪くなってきた。
先生達の声や、処置をしてる音が怖過ぎる。視界を閉ざすだけじゃ無く、ヘッドホン付けさせてくれないかな。好きな音楽に集中してればこんなに怖くないと思うんだけど……。
頼む、早く終わってぇぇえっ。
「颯斗くーん、大丈夫かなぁー?」
大丈夫じゃねーわ!! という心の声とは裏腹に、「大丈夫です」と見栄っ張りな俺の口が答える。自分の性格が恨めしい。
まぁどうせ、『大丈夫じゃない』って言ったところで『もうちょっとだから我慢』とか言われるのがオチなんじゃないの? 本当に体調がおかしくなってるならなんらかの対処だってしてもらえるだろうけど、そうじゃないなら泣き言言わずに耐えるしかない。
「よしよし、上手く入ってるから心配ないですよー」
いや、実況中継要らないからっ!!
小林先生を恨みながら、俺は思考を閉ざすことにした。無だ。無、無、無……。
むむむむむむむむむむむむむむむむむむむむ
むむむむむむむむむむむむむむむむむむむむ
むむむむむむむむむむむむむむむむむむむむ
頭の中で何度も無を唱えていて、ちっとも無の精神じゃなかったけど。まぁどうにか中心静脈カテーテルとやらが入れ終わったらしい。
「お疲れさま! バッチリ入りました」
そう言ってドレープを剥ぎ取られ、視界が解放される。俺の胸からカテーテルが出ていて、点滴と繋がっていた。
うわー、なにこれ。自分の体の中から線が出てるって、気持ち悪っ! 怖っ!! 泣きそうっ!!
「最初は違和感あるかもしれないけどね、すぐ慣れるから大丈夫。 麻酔切れるまで部屋のベッドでちゃんと寝てるようにね」
そう言われると、担架で移動させられて処置室を出た。外にいた母さんが心配そうに駆け寄ってくる。
「大丈夫? 颯斗……」
「上手くいきましたんで、大丈夫ですよお母さん」
「先生、ありがとうございます……っ」
母さんの問いに、俺が答えるよりも早く小林先生が答えた。母さんはほっとしたように胸を撫で下ろしている。
「颯斗君、本当によく頑張ってくれたんですよ! 怖いとか嫌だとか、一言も言わずに!」
看護師の園田さんが母さんにそう言いながら担架を押して俺の部屋まで連れていってくれている。
いや、本当はめっちゃ怖かったしめっちゃ嫌だったんだけどな。これは内緒。
はっきり言ってしまうとただの強がりだったんだけど、母さんを見るとちょっと誇らしそうな顔をしてたからこれでいいや。
「じゃあ、気分が悪くなったりなにかあったら、すぐナースコール押してくださいね」
園田さんは俺をベッドに移すと、そう言って部屋を出ていった。母さんは園田さんに礼を言ってから、病室に備え付けてあるソファーに腰をおろした。
「お疲れ様。頑張ったね、颯斗」
「うん、まぁね。ねぇ、母さんは今日何時に帰るの?」
「そうだなぁ、四時くらいまでいようかな」
「え?! いいよ、そんなにいなくても。香苗はどうするんだよ」
「おじいちゃんとおばあちゃんに頼んでるから」
「俺はガキじゃないんだから大丈夫だって。でも香苗はまだ小一だろっ」
「そうだけど、今日は四時までいさせて。多分明日からは、毎日来るのは無理だと思うから」
母さんの言葉に少しショックを受けながらも、俺は頷いた。
当然だ。ここに来るのに三時間かかる。帰りも三時間、それだけで六時間だ。ガソリン代だって高速代だってかかる。
母さんは短い時間だけど仕事をしているし、毎日来るのは無理だってわかってたはずだ。それでなくともここのところずっと休んでたし、働かなくちゃいけないだろう。俺の病気でお金がかかっちゃうんだろうし。
それでもやっぱり、あんまり会えなくなるんだと思うと寂しかった。
けど俺は香苗の兄貴だ。俺が家にいなくなって一番悲しい思いをしているのは多分、妹の香苗だろう。妹のためにも、俺がわがままを言っちゃいけない。
「わかってるよ、大丈夫。母さんがいなくても俺はやっていけるから、気にしなくていいよ」
俺がそう言うと、母さんは複雑そうに顔を歪めて。
「そう……頼もしいよ、もう中学二年生だもんね。でも、ごめんね」
そんな風に謝っていた。謝ることなんてこれっぽっちもないのに。目の端に涙を溜めている母さんを見て、俺は無意識に話題を変える。
「ねぇ、学校には俺が白血病でしばらく休むって言ったの?」
「ええ、先生には伝えたけど、生徒には伝えるのは待ってもらってるの。颯斗がどうしたいか、先に確認しておこうと思って」
俺の意向を探るように母さんが瞳を覗いてくる。
んー、でも言わなかったら逆に心配されないか? なんで八ヶ月も休むんだって。部活の皆にも迷惑かけるし、それにきっと真奈美だって心配してる。
はぁ、携帯電話さえあればなぁ。周りは持ってる奴が多いけど、うちは『高校生になってから』って言われて絶対買ってもらえなかった。今となっては余計に言えないよな。お金、かかるんだろうし。
まぁ真奈美も数少ない携帯持ってない派だったから、俺だけ持ってても意味はないんだけど。
「どうする? 颯斗」
「うーん、言ってもらった方がいいかな。直接俺が伝えたいとこだけど、遠いから見舞いにも来れないだろうし。どっちにしろ心配かけさせちゃうだろうけど、ちゃんと本当のことを言った方がいいと思うんだ」
「……そっか、わかった。先生に伝えてもらうようにするね」
みんな驚くかな。……驚くだろうな。
俺は母さんに気付かれないようにそっと息を吐く。
県大会に出たかった。八ヶ月後はまた、レギュラーを取るところから始めなきゃいけないんだろう。
そんなことを考えるとじわっと涙が浮かんできて、俺は寝転んだまま明後日の方を向いた。
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