輪廻は巡り、路地の中
爽やかな風が頬を撫でる。煌々と光る太陽に少しだけ笑みをこぼして、歩を進め始めた。
「良い日だ」
体を軽く伸ばし、摩天楼の立ち並ぶ街を進んでいく。結論から言えば、俺は勇者として死んで、この日本と言う国で生まれた。それも、十年程前の話ではあるが。
生まれなおしたと言っても、魔力量も使える魔法も変わらず、容姿は髪と瞳が漆黒に染まったことを除けば元の世界と変わっていないといっても過言ではない。なので、この世界で自分の体に違和感を感じたことはあまりない。
唐突に、冷水のような冷たい感触が首筋に走る。この感覚は覚えがある。元の世界で、魔物が放っていた魔力の感覚と同じだ。人混みの間を縫いながら、嫌な予感を感じる方に走っていく。
「……面倒」
この国は平和だと言って、差支えはないだろう。しかし、俺が生まれてしまったからか魔族がこちらの世界に現れてしまっていた。原因が俺であるかどうかは確かなものでは無いが、俺が始末しなければいけない事象である。
日差しの差し込まない摩天楼の隙間に、それは佇んでいた。人間の三歳児ほどの背丈で、緑の肌の目立つ醜悪な存在。
「グギャ!グギャガヤ!!」
けれど、魔族語の簡単な言葉なら小鬼でも話せるはずだ。思考の何処かに引っかかった違和感を、一度保留してそれと相対する。それが何であろうと、殺すしか俺はできない。
「創造:短剣」
俺の言葉に呼応して、半透明の短剣が手の中に生成される。さほど魔力を注ぎ込んでいないので殺傷力も強度も頼りないが、これで十分だ。
「かかってこい」
「グギャアァ!!」
小鬼はたどたどしい足取りで走り始める。それが強く一歩踏み込むと同時に、風が引き裂かれる鋭い音が響く。普通の小鬼よりかは多少早いようだが、誤差だ。肩の辺りに腕を構え、前傾姿勢に成る。爪先に力と魔力を籠め、深く、息を吐き出した。
小鬼が眼を見開き、拳を振り上げる。小さなその腕だが、魔力を込めたその一撃は人間程度ならば容易に破壊する。俺が魔力を使わないと仮定するなら、の場合ではあるが。
「グ……ギャ」
轟、と風が耳元で叫ぶ。小鬼とすれ違う際に腕を地面と水平に振りぬいた。たったそれだけのことだが、勢いを付ければ十分な威力である。臓器を斬り潰す感覚が、右の掌を走り抜けた。
路地裏に、小鬼の死体が転がる。
「やっちまった……」
昔の癖で普通に斬ってしまったが、俺個人での死体の処理はこの世界では非常に困難であった。
処理自体は炎魔法でも使えば出来はするが、匂いがきついのであまり街中ではしたくない。悩みながらも服に着いた返り血を拭い、小さく息を吐き出す。
「どうしたもんかな」
燃やすか……何処かに流しでもするか……?いや……
「手伝おうか?勇者よ」
「……は?」
聞きなれた、いや、其れとは少し違う声が背後から響く。忘れるはずも、間違えるはずもない。これは、死に際を共にした女の声だ。
「魔王……?」
体が硬直し、首だけで振り向く。視線の先に立った女は、非常に見覚えのある、獰猛な笑みを浮かべていた。白銀の髪が、吹き付ける風に揺られている。
「ここでは
「
俺の言葉を聞くと、彼女は満足そうな笑みを浮かべる。
「なるほど、良い名前だな」
「そちらこそ、で良いのか?」
会話に一区切りをつけ、彼女の全身を軽く眺める。白銀の髪に蒼い瞳、ここまでは前世の魔王と変わらない特徴だが、年齢の都合か全体的にあの時より幼い印象を受ける。彼女も俺と同じように生まれなおしたようだ、という推測を弾き出し、一度深い思考から意識を引きずり出す。
「経緯は同じみたいだな?」
「そのようだね。君は容姿が変わってしまったようだけれど」
「まぁ、純日本人だからな」
元の彼女のイメージからか西洋風な見た目の彼女に違和感を持たなかったが、十分日本人らしくはないと言えるだろう。
「いや、私のこの世界での親も日本人だよ。染めているわけでもない」
「……事情が込み合ったな」
「てっきり、君も前の姿のままだと思ったんだけどね」
情報を整理すれば、ほとんど同じ条件で生まれ変わった彼女と俺だが、彼女だけ容姿の特徴が受け継がれている……と。
「ん?というか、俺がこの世界に居ることは知ってたのか?」
てっきり君も、という口ぶりから偶々今出会ったわけではなさそうだと思う。
「気づいたのは最近だけどね。こんな強大な魔力を放つのは、ここでは君ぐらいの物だ」
「ま、確かにそれもそうか……」
この世界の人間は魔力を感知できないようなので、多少派手に魔力を使っていたからと言うのも感知された方理由の一つだろう。今回は、いい方向に働いたと言えるだろうが。
「んで、手伝うってのは?」
「君も知ってるだろう?それは私の部下だ」
コンクリートの床に伏した小鬼の死体を指さしながら、彼女はそう言う。魔族と言うのは基本的に彼女の配下である為、予想外という訳では無いが。
「……あぁ、成程。あれが使えるのか」
「その通り。この力は、まだ消え去ってはいないようでね」
小鬼の死骸にゆっくりと近づき、彼女は姿勢を屈める。そして、それに触れた。
「その力、貰い受ける」
臓物が潰れ、骨が砕かれ、肉体が凝縮される。飛び散った血液は、逆再生のように不自然な軌道で彼女の手元へと集まっていく。その工程が一気に行われることで、ぐぎゃりとでも表すべき音が鳴り響く。
魔王軍の死体は、残ることがない。いくら死屍累々の戦場であったとして、次の朝には人間の死体しか転がることはない。それは、魔王固有のこの力があるが故だった。力をその手に、権威をその手に、生命をその手に。人間から「
「有難う。無駄にはしないよ」
しかし、この能力のせいで彼女は最強と呼ばれていた。
「助かった」
「こちらじゃ死体の処理は簡単じゃないからね。君との邂逅のお代ならこれくらい安い……と言いたいところだが」
彼女は悪戯っぽく口角を吊り上げ、さぞ楽しそうに目を歪ませている。何故か、手元が震え出している。嫌な予感がする、それは魔物とか、そういう恐怖じゃない。何か、ヤバいことが起きる。
「理由はわからないが、最近こちらの世界で発生する同胞たちの量が増えている。今までのやり方では、いつか私たちの手に負えなくなるだろう」
彼女の触れば溶けてしまいそうなほど白い指先が、俺の頬に触れる。
「それ故、君とは協力関係を結びたい。けれど地球で交際関係にない男女が共に行動し、連絡を取り合っているのは他人から見れば不自然だとは思わないかい?」
「……そんなことはないんじゃないか」
冷や汗が背中を静かに伝っていく。久しぶりに味わう感触だ。これは死地に赴く……あの瞬間に似ている。
「いいやぁ?きっと不自然さ。それに私……いや、白金零としては、こうしなければいけないんだ」
指をすーっと首元までなぞらせ、首に軽く爪を突き立てる。
「私と付き合ってくれ。勇者よ」
当たって欲しくない勘ほど冴えるというのは、戦場で何度も経験してきた。人間関係にも使えるとは意外だったが。
正直、断る理由はない。彼女と行動を共にする大義名分ができるというのは歓迎すべきことでもあるし、きっと交際するといっても形式上の……
「あぁ、逃げ道を潰すのを忘れていた」
「え゛っ」
「形式上でも仮でもなく、本当に、だ。勇者……いや、空君?」
彼女の考えていることは、塵一つ程でさえ読めていない気がする。そんな俺でもわかるのは、面倒なことが起こり始めてる、ということだった。
エンドロールの少し後 獣乃ユル @kemono_souma
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