EP-37 想いの樹

 オリヴィエがまたしても俯く。


 アインヘリアルに来てからケイルはオリヴィエの悲しそうな、そしてどこか痛みを堪えるような姿をよく目にしていた。力を貸すと決めてから、まだ何もオリヴィエの力になれていないことも身に沁みていた。


 フォティアやシルビアの態度や反応から昔何かがあったことは間違いない。だがケイルはオリヴィエの過去を知らない。だから当然、掛けてやるべき言葉も見当たらなかった。


 それでも、ケイルはオリヴィエを助けたいと、助けると決めた。弱い自分を信じてくれる仲間の力になりたいと思ったからここに来たのだ。だからこそ迷い藻掻き苦しむ彼女をそのままにしておける訳もなかった。その背を押して、押した責任を取ることだけがケイルの唯一できること。


「行こう。」


 その目にオリヴィエの姿を映し、ケイルが小さな声の中に強い意思を込めて呟く。


「で、でもお母さんにはここで待ってろって……」


 顔を上げたオリヴィエの瞳が揺れる。


「それに、みんなは私のことを歓迎してない…。ここに来るまでの道中だって敵意を向けられた。関わらないでくれっていう無機質な目を向けられた!…助けを求める連絡が来たときにひょっとしたら私もみんなの役に立てるんじゃないかって思った!でも!私は、やっぱり・・・・ここで求められてた訳じゃなかった!」


 震える声は彼女の心の内を表しているかのように、寄る辺を探してさまよっているようにも見えた。だからケイルは彼女の本心を、そしてそこに隠れた想いを、そっと横で支える。


「行こう、オリヴィエ。」


「でも…」


「大丈夫。例え大多数に歓迎されてなかったとしても、お前と会えて嬉しそうな人がいた。お前が笑い合う顔を見て安心してた人もいた。お前の想いに応えたいと思ってる奴もここにいる。」


「……」


「行こう。お前は何があっても俺が護るし、お前の想いは俺が支える。」


 オリヴィエは涙で滲んだ視界でケイルを見る。心の中で燻っていた不安や恐怖は気づかぬうちに消えていた。


 そこに残るのは小さく、だがそれでも確かな熱を持つ種火。どんなときでも味方で、心が壊れないようにいつも護ってくれた家族に、立場や言いつけを無視してでも側にいてくれた友に、ただ恩を返したいという小さな願いだった。


「…うん。私は弱いままだけど、この村は、お母さんやティアたちと過ごしたこの村は、わた………ううん、ボクが絶対に守るんだ。ケイル、ティア力を貸して。」


 擦り、赤くなった目元に強い意志を浮かばせてオリヴィエは二人の仲間に自分の決意を伝える。


 ケイルは小さく返事をして立ち上がり、フォティアはオリヴィエに手を差し伸べた。その手を掴んで仲間の背中を見つめるオリヴィエは、雨上がりの空のように曇りのない眼をしていた。



 ♢♢♢




 家を出たケイルたちは何をするにしても状況を知ることが必要だと、村で唯一の教会に足を運ぶことにした。


 教会は非常時の避難先になることが多く、敷地も広い。シルビアも教会に来るよう言われていた。


 それにアインヘリアルの外縁部に【偏在】が現れたということは、既に怪我人も多く出ていることだろう。家に来た伝令の言葉から見ても間違いない。

 怪我人が複数いる場合、まとめて治療した方が手間や魔力の消費が少ないため、怪我人が同じ場所に収容されているとすると教会以外に向かう選択肢は考えにくかった。


 そうして着いた教会は戦場の如き有様だった。


 自然と調和することを好み、できるだけ自然そのままを活かそうとするエルフには珍しく、加工木材のみで造られた教会はまるで人の町にある建物のよう。

 広さはかなり広く、王都の冒険者ギルドくらいに見えるが、その半分を埋めるように寝かされているエルフたちは皆血だらけで、四肢が欠損している者もいた。その中にはピクリとも動かない者もいる。


 反対側には子供や老エルフが隠れるように固まっており、その顔には一様に不安を浮かべている。教会の中央には人間で言う神像が置かれている場所に鎮座する、大きな苗木に必死に祈りを捧げている者もいた。


 だが死と不安が渦巻く惨状の中でも、怪我人の治療を行っている白エルフや道具の運搬や怪我人の移動を行っている黒エルフは鬼気迫る表情で必死に自分の仕事をしている。絶対にこれ以上死なせないという意思を感じさせた。そんな彼らの中で最も目立つのはやはりというべきか、シルビアであった。


 複数人のエルフに対してオリヴィエの使っていたような持続回復魔法をかけ、その合間にポーションや傷口からの感染症を防ぐための軟膏などを作り、周囲のエルフに指示を飛ばす。そしてその後また別の怪我人に回復魔法をかけるために動き出す。


 白エルフの長というのも納得の八面六臂の働き。何人が彼女のお陰で命を取り留めただろう。状況を知らないケイルでも畏怖を抱くほどの活躍ぶりだった。


 だがその分シルビアの体力は著しく奪われていく。


 新しい怪我人の下へ向かおうとしたシルビアの足がガクリと崩れ落ちた。


「お母さん!」


 駆け寄ったオリヴィエがシルビアを支える。


「リヴィ?!何でここに!家で待ってなさいって言ったでしょ!」


 シルビアの顔に浮かぶのは驚きと怒りだったが、本心はオリヴィエへの心配だというのは傍からでも見て取れた。だからこそオリヴィエもその瞳に強い意志を込めてシルビアを見返す。


「ボクだってこの村を助けるために来たんだ。ただ待ってるだけなんて、そんなのは望んでなんかない。…………お母さん、あとは任せてゆっくり休んで。」


「リヴィ、待ちなさ───ッ?!」


 立ち上がったオリヴィエが怪我人の方に手のひらを向ける。

 放たれるは淡い光。途中で枝分かれした光はまるで樹が成長していくように枝を伸ばし、その先端を怪我人たちの体に触れさせた。


 オリヴィエが使う複数同時回復の魔法。ケイルも闘技大会の練習の際によく見ていたが、そこに篭もる魔力の量は普段の比ではなかった。


「ケイル、ティア。あとは任せるよ。」


 オリヴィエが呟く。ケイルたちが聞き返す間もなく光の枝は葉を繁らせるように魔力を拡散し、一帯を淡い光で埋め尽くす。




 突然だが、武技というのは基本的に変化することはない。目覚めるのは自分の戦い方に一番適しているもの。そこに未知、既知は存在すれど武技は一定のルールを保つ。


 しかし、稀に発現した後に変化する武技がある。


 自分を定義する想い、心を埋め尽くすような大きな感情、足掻き苦しんだ末その目に捉えた結末。それを受け入れ、変えるために立ち上がった者の中でも、天賦の才を持ち努力を怠らなかった者のみ拓ける新しい道。


 運命を変える想いの結晶────────





 ────それこそが【決意武技】。


 神の意図をも覆す、想いの力である。


範囲攻撃マルチプリスヴェール────【想いの樹オモイノキ】」


 紡ぐ言葉とともに光の枝はグングンと太く明るくなり、そこに一本の大樹が現れた。


 樹から溢れ出す魔力は生命力へとその姿を変え、養分のように一つ一つの枝を巡り、怪我人を中心に葉を煌々と茂らせる。その葉が体に染み込むと徐々に体が光りだし、逆再生かのように傷が、欠損した四肢が再生していく。


 光の大樹はそれだけに留まらず、不安そうな表情を浮かべていたエルフたちの顔をも安らがせていく。


 オリヴィエの“みんなを助ける”という想いがそのまま効果に顕れたようだった。


「すげぇ……。」


「リヴィ…。」


 やがてエルフたちの体を覆う光の葉は、風に吹かれて飛ぶように立ち昇っていく。中央の苗木の葉もその魔力に反応して薄く光っているようだった。


 まるで神の御業のような光景に怪我人たちも言葉が発することができない。

 静寂が支配する神秘的な空間。葉が無くなった大樹もその姿を消した。


 誰もがまるで今の光景が夢だったかのように呆けていると、彼らを現実へと引き戻すような音が鳴る。誰かが倒れるような音。オリヴィエが倒れる音だった。


「オリヴィエ!」


 ケイルが走り寄ってその小さな体を抱えると薄っすらと目を開けたオリヴィエが笑みを見せる。


「この村を、みんなを、頼む、ね。」


 汗を流し、呼吸も荒い。だが苦しい中でも輝きの衰えないその笑顔は、ケイルが今まで見た彼女の笑顔の中でも一番綺麗なものだった。

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