また逢える日を楽しみに

チョンマー

本編

 まだ夏の暑さが残る九月終わり。

 今年も、この時期がやってきた。


 彼岸。かつては仏教用語で、極楽浄土――つまり、楽園だとか、あの世に向けて思いを馳せる日のことらしい。今では、後者の意味で取られることが多いだろう。

 そして、そんな時期に彼はやってくる。


 私は、お母さんと一緒に駅前広場であの人を待っていた。

 あの人の姿が見えて、私は手を振った。あの人も気づいたみたいだった。


「お久しぶりです。わざわざ、出迎えてくださってありがとうございます」

 そう言ってあの人――孝也は頭を下げた。

 いつもなら、彼の親御さんが迎えに来るはずだったのだが、今日は外せない用事ができたらしく、代わりを引き受けたのが私のお母さんだった。

 孝也は電話先で何度も断っていたようだが、帰省するとき、いつも私の家までやって来て挨拶してくれるから、これぐらいはさせてほしいと、お母さんが譲らないものだから、孝也も断り切れなかったみたい。


「いいえ。こちらこそ、いつも忙しいところを来てくれて、本当にありがとうね、孝也くん」

「したいから、しているだけだよ。気にしないでよ孝也」

「本当にすみません。出来ることなら、ちゃんと約束の日にこっちに来たいところなんですけど、仕事の都合で……」

「社会人なんだもの。そちらの事情優先でいいのよ」

「社会人って、やっぱり大変なんだね」


 約束の日というのは二日前のことだ。

大人になって、都会の方に行った後も毎年欠かさずこうしてやって来てくれるのだが、ここ数年、仕事が忙しいらしく、こうして数日遅れてやってくることが多かった。

 私としては、こうして来てくれるだけで嬉しいのだけど。


「それじゃあ、どうぞ車に。家まで乗せていくわ」

「本当にすみません」

 彼はそう言って、後部座席に乗り込んだ。その後に続いて、私も助手席に座る。


「孝也くんはいつもそこね。助手席の後ろ」

 私と孝也とは家族ぐるみの付き合いだったから、お互いの家族と一緒にどこかへ出かけることも多かった。その時の彼の定位置はそこだった。

「ええ、美紀はいつも助手席に座ってたから、話がしやすいここが、僕の定位置だったんですけど、いつしか癖になっちゃって」

「ここは、私の特等席だからね」

 そうね、とお母さんは微笑みながら頷いて、車を発進させた。


 畑や田んぼばっかりの田舎道を、車は進んでいく。

「都会の暮らしには、もう慣れたのかしら?」

 お母さんが彼にそう尋ねた。

「最近、ようやく慣れたって感じです。都会はたくさんの人がいるのに、そこらの人とはまるで会話が無いんです。近所付き合いすらも怪しくて」

「へえ、こっちとは大違いだね」

「こっちでは、道行く人に声をかけてもらってたものだから、何だか変な感じです。でも、こっちは人が少ないから出来たことで、都会でそんなことしていたら日が暮れるんでしょうけど」

「孝也くんが、家の前を通る時、花の水やりをしていた私にいつも挨拶してくれてたの、今でも覚えているわ」

「通学路でしたし。それに、いつも美紀と登校してましたから」

「そして、いつも私が慌てて支度をするのを、孝也は待っててくれてたっけ」


 あの頃は、何をするにも二人一緒だった。学校に行くのも、野原で遊ぶのも、一緒に遠出するのも。

 今となっては、そんなことはもう、叶うはずもないけど。


 次第に話は、孝也の仕事の内容に変わっていく。

「孝也くんはゲームを作る仕事をしているのよね? 仕事の方はどんな感じ?」

「最近、初めてプロジェクトを一つ任されることになりました。とはいえ、僕が担当するのは、ゲームの一部分でしかないですけど、夢が一つ叶った感じです」

「ほんと! すごいね!」

「それで、仕事が忙しくなって、来るのが遅れてしまったんですが」

「孝也くんも頑張っているのね」

「遅れてきたことなんか、私は気にしてないし、そんな理由なら、むしろ喜ばしいよ」


 ゲームが好きで、小学生の頃はよく二人で遊んでいた孝也は、大きくなったらゲームを作る仕事に就くのだと、この時からずっと言っていた。都会に行って、ゲームプログラマーとして仕事に就いた時も、今はまだ大きな仕事を任されていないけれど、いつの日か絶対、なんてことを初めてここに帰ってきたときに言ってくれたのを思い出した。


 他にも、孝也は、都会でのたくさんの出来事を話してくれた。

 私は都会に出たことがないから、都会については、孝也が私に聞かせてくれる話がすべてだった。

 孝也がしてくれる都会の話は、大抵が田舎とは違って大変だという愚痴ばかりだけれど、それをいつも楽しそうに私に語ってくれるから、私は心配していなかった。大変だなんて口にしながらも、孝也はきっと充実した日々を過ごしているのだろう。


 そうして話が弾んでいるうちに、外の景色が見慣れたものに変わっていく。私や孝也の家が近づいてきたのだ。


「ところで孝也くん、今お付き合いしている人はいるのかしら?」

「それ、私も気になるなー」

「いや、それがいないんです。何せ仕事が忙しくて」

「そうなの……きっと、ご両親うるさいでしょ? 早く孫の顔を見せろって」

「そうですね。帰るたびにしょっちゅう言われます」

「急かすつもりはないのだけど、もしも、お相手ができて、子どもが生まれたなら、私の家にも連れてきて欲しいの。家族も同然の孝也くんの子ども、私も見てみたいわ」

「ええ、約束します」

「孝也の子どもかー、どんな子になるんだろ」


 私が孝也の子どもを想像上で描いていくうちに、私たちの車は、孝也の家に着いてしまった。

「ここまで運転していただきありがとうございました」

「いいのよ、孝也くんはいつ頃にこっちへ来る予定?」

「荷物をある程度片付けた後で向かいます。一時間ほどしたらそちらに着くかと」

「分かったわ。いったんお別れね」

「ええ、ではまた」

「孝也、ばいばーい」

 孝也はお辞儀をして、自分の家の中に入っていった。それを見届けてから、ゆっくりと車が動き始める。


 途端に会話がなくなり、静かになる車内。そんな沈黙が耐え切れなくなったぐらいに、お母さんは口を開いた。

「もしかしたら、美紀が孝也くんのお相手になってた未来も、あったのかしらね……」

「お母さん……」

 そんなことを言っても、仕方がない。

 だって、現実は。そうならなかったのだから。


 それからお母さんは、家に帰りつくまで何もしゃべることはなかった。



 家に着いてからしばらくして、扉をたたく音が聞こえた。この時間からして孝也だろう。

 お母さんと一緒に玄関まで行って、お母さんが扉を開けると、やっぱり孝也だった。

「どうぞ、上がってって」

「お邪魔します」

「あれ? その手に持ってる花は何?」

 お母さんも同じことを思ったらしく、孝也の持っている花束に視線をやっていた。

「美紀に渡そうと思って、途中の花屋で買ってきました」

 孝也はそう言って、花が見えるように、花束の先をこちらの方に向けてくれた。


「わあ……」

そこにあったのは、真っ赤な花。放射状に花弁が広がる、特徴的なその花は――

「ヒガンバナだ!」

「美紀が好きだった花なんです。きっと気に入ると思って」

「ありがとう、孝也くん。花瓶を用意するわ。先に部屋に入ってちょうだい」

「ほら、私の部屋においでよ」

 はいと返事をして、孝也は私の部屋へと歩き出した。私もその後を追いかける。

 昔よく遊んだものだから、お互いの部屋は熟知していた。


 孝也は私の部屋までたどり着き、その戸を開ける。私の机や、ベッドを通り過ぎて、部屋の隅に置いてあるものの前に座り込んだ。


「美紀、ただいま」


 孝也の目の前にあるのは、小さな仏壇。そこには、昔から変わることのない私の写真が飾られていた。

「今日は、これを持ってきたんだ。お前、好きだっただろ。ヒガンバナ」

「うん、嬉しいよ」

 これまでで、一番のプレゼントかもしれない。


「お前がさ、このヒガンバナがどうして好きなのか、語ってくれた時のこと、覚えているか?」

「なんて言ったっけ?」

「あれは、小学三年生の時だったっけな。ヒガンバナを見つけて、すごくきれいだと周りの大人に話したら、有毒であることだったり、ヒガンバナの別名だったり、彼岸という言葉の意味だったりを教えられてさ、この花が途端に恐ろしいものに変わってしまって、距離を取ろうとした時、お前言ってたよな」


「「私は、花火みたいに見えて綺麗だから、好きだけどなー」って」


二人の声が重なる。嬉しくておかしくて、私は小さく笑った。

この笑い声が、孝也に聞こえることは、無いのだけど。

「それ以来、花火を見るたびにこの花を思い出してさ、俺も好きになった」

「そっか……なんか嬉しいな」

「都会の方でもさ、毎年夏には花火が上がるんだよ。めっちゃ大規模で、綺麗なやつが何発も。その中に、この花みたいに赤く広がるやつもあるんだよ。お前とも、一緒に見られたらいいんだけどな……」

「……ごめんね」


しばらく二人とも、花火のように綺麗なのに、死人花なんて不吉な別名を持ったそれをただ眺めていた。

「なんか、湿っぽい雰囲気になっちゃったな。こんなつもりじゃなかったのに」

 そうさせているのは、私だった。けれど、何も言うことは出来なかった。口にしたところで、伝わるはずはないのだから。

「止めだ、やめ! 楽しい話をしよう。まずは――」

 そうして、仏壇に向かって、都会での出来事を語ってくれた。そのほとんどが、車の中で語ってくれたもの、私はそれを、苦笑しながら聞いていた。孝也のしてくれる話は好きなのだが、さすがにもう一度聞くとなると、少しうんざりだ。

 こんなことになるのなら、今度からは、お母さんが迎えに行くことがあっても、一緒に車に乗るのは止めておこう。


 彼の話が一段落着いたぐらいに、お母さんが花瓶を持ってきてくれて、ヒガンバナを花瓶に差した。作業が終わると、ごゆっくりどうぞと言い残して、お母さんは部屋を出ていった。孝也がやってくるときは、積もる話があるだろうからと言って、いつも二人だけにしてくれるのだ。


「今日さ、美紀のお母さんに言われたよ。お相手はいないのかって。仕事ばっかりの人間に、そんなのできるわけないじゃんかさ」

「お仕事、大変そうだもんね」

「でも、そうだよな。そろそろ相手を見つけないとだよな」

「孝也なら、きっといい相手が見つかると思う」

「もし、相手が見つかったならさ、お前にも報告するよ。そんなの連れてくるなって、お前は怒るかもしれないけどさ」

「怒らないよ! 確かに、お相手が美人さんだったら、少し嫉妬するかもしれないけどさ」


 確かに、孝也と一緒にいられなかったことの未練が無いと言ったらウソになる。けれど、それ以上に、大切な人である孝也の幸せを、私は願わずにはいられないのだ。


「何よりも、まずは。お相手を見つけないとだな」

「頑張ってね」

 孝也はゆっくりと立ち上がり、花瓶のヒガンバナを一目見た後、また視線を仏壇に戻した。


「来年こそ、ちゃんとあの日に戻ってくるから。お前の誕生日に……お前が、死んだ日に」

「うん、待ってるからね」

「美紀、誕生日、おめでとう」

 そう言い残して、孝也は部屋を出ていった。


 それを聞くのは、もう何度目だろう。

 同い年だったはずの彼は、いつしか私の二倍以上の年を取って、大人になった。

 子どもの時のように、ずっと一緒にいることはできないけれど、こうして毎年会いに来て、話をしてくれるだけで、私は十分だった。


「また、来年も。逢える日を楽しみにしているからね」


 私は愛おしげに、仏壇のヒガンバナに触れた。


 部屋のヒガンバナが、風もないのに揺れた……気がした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

また逢える日を楽しみに チョンマー @takumimakoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ