終 いつかまた

「本当にいいのかよ」

「いいの。それに別にあなたがついてこなくてもいいんだけど」


 隣を歩く背の高い男に、シェンはため息混じりにそう呟く。セラノは相変わらず雑にくくった鉄紺てつこんの髪を揺らし、無精な髭まで生えた顔に癖のある笑みを浮かべて肩を竦める。

「あんたみたいな世間知らずを一人で放り出すわけにもいかねえだろうが」

「別に何かあれば飛んで逃げればいいだけだし」

「知らねえのか、魔術師や研究者にとっちゃ竜は研究対象だ。あんたみたいな世間知らずの雛はすぐに捕まっちまうぞ」

「なんて罰当たりな……」

「散々見ただろうが」

 それもそうか、と納得した彼女に、セラノは深いため息をつく。自分が仕えていた神官長がイカれた研究者であった事実は今だに彼に暗い影を落としているのだろう。だからこそ、旅立つ彼女の護衛を買って出た。

「でも、空の神殿って本当にあるの?」

「あるさ。俺は訪れたことはないが、今も神の声を聴く神官たちがいるはずだ」


 翼を取り戻した彼女に、ネルクは空の神殿を訪れるようにと言った。狭間の神殿で白竜と黒竜が害されて以来、他の白竜と黒竜の姿を見たものはいない。緋竜はハルが生み出した、人を害し竜の居場所を探る使い魔のようなものであったが、その彼らをもってしてさえ、いっかな見つからなかった。


 少ないとはいえ、それなりの数の竜が残っていたはずだ、とネルクは語った。


「すべての竜が滅んだとは思えません。神がお隠しになっているのか、あるいは封じたもうたのなら、いずれにしても神殿を訪ね、神のご意向を伺う必要があるでしょう」

 竜を付け狙っていたハルと緋竜が滅ぼされてもなお、竜が姿を見せないのには何か理由があるのか。神気の乱れによって曇った空は、一時的に浄化し青空を見せたものの、まだ全てが払いきれるほどではない。


「大仕事だな」

 ニッと笑った顔にもう一度ため息をつく。大空を飛ぶことを知った。もし、他にも仲間がいるのなら、会ってみたい。そして何よりも。

「青空を、見てみたい」

「ああ、そうだな。海も見にいこうぜ。あんたのその瞳みたいに綺麗な場所がある」

 じっと見つめる瞳に何か不思議な光を感じ取って、心臓がおかしな音を立てた。

「……あれ?」

「ふうん、まあいい傾向か」

 ニヤニヤ笑う顔になんだか意味深さを感じ取って、その腕を掴もうとしたけれど、するりとかわされ。そのまますたすたと先を歩き出してしまう。

「な、何なの?」

「別に」

 セラノはくつくつと笑うばかりで振り返りもしない。ひらひらと手を振る後ろ姿にもう一つため息をついてから、空を見上げる。


 ほんの一面とはいえ、靄を払われた空は透き通るように美しかった。見渡す限り広がる空の全てがあの青さを取り戻したら。


「おい、置いてくぞ」

「別にいいけど」

「可愛くねえなあ」

 呆れたように言いながらも、足を止めたその背の高い姿に追いつきながら、一度だけ振り返る。いつか本当に、澄み渡る空を取り戻すことができたのなら。


 一緒には行けない、と静かに首を振った彼と共に、また笑えるだろうか。

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天縛の輝石 橘 紀里 @kiri_tachibana

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