第2話 メリークリスマス

するとその木目がヌルヌルと模様を変化させた。

その変化した木目の一つが紫に近い青に染まると、模様が花のように変化し、天井から浮き出てくる。

それは見る見るうちに天井から垂れ下がり、釣鐘のような形の花へと変わった。


「やっと来た!」


快斗はまるで無邪気な子供のような表情を浮かべ起き上がる。

天井から釣鐘のような青紫の花が咲く。

快斗は夢見心地でうっとりとした表情を浮かべていると、釣鐘のような花の花弁と花弁の間から光の粒子が溢れ出し、それはちゃぶ台越しの彼の向かいに降ってきた。

その粒子は集合し、蠢き、様々な色の光を放つ。

粒子はやがて女の姿を形作っていく。


長い黒髪の女だ。

神々しいまでの美貌と切長の眼の碧眼は優しげな雰囲気だ。

さらに女の背後に後光が差した。

その後光は羽へと姿を変える。美しい蝶の様な羽だ。

その羽を軽く揺らすと、えも言われぬ芳香が漂い、快斗は多幸感に包まれ頬を緩める。


「天使さん、来てくれたんだね!」


「快斗君、お久しぶり。

快斗君の誕生日以来だから半年ぶりかしら?

今夜で最後だし、思い切り楽しみましょう」


今夜が最後、の言葉に快斗は一瞬、息を飲んだが気を取り直し、


「うん 天使さんの為に作ったんだよ!

冷めないうちに食べようよ」


快斗はナイフとフォークを手に取り、七面鳥を切り分け始めた。

そんな彼の脳裏を天使との思い出が蘇る。



2人の出会いは快斗が7才の誕生日の夜のことだ。

快斗の母はシングルマザーで、誕生日も働きに出ていた。

彼が小学校から帰ると既に母は仕事に行っていて、ちゃぶ台の上に夕飯とイチゴのショートケーキが1ピースと置き手紙が置かれていた。

その手紙には[遅くなるかもしれないから、先に食べててね。誕生日おめでとう]とだけ記されていた。

いつもなら母は22時には家へ帰っていたのだが、その日はその時間になっても帰ってこない。

快斗は夕飯を先に食べ待っていたのだが、待てど暮らせど母は帰らず、その寂しさから彼はついに大粒の涙をこぼしてしまう。

母が仕事で忙しいのはわかっていたのだが、7歳の快斗にはそんな現実よりも特別な日に母がいないという寂しさが勝ってしまったのだ。

快斗が嗚咽を漏らす。

その涙はケーキの上に落ち、生クリームを溶かす。

そんな中、快斗は涙のカーテン越しに何かの気配を感じた。

ちゃぶ台の向こうに人…、じゃない何かがいる。

背中に羽のある美しい女性、天使が今と全く同じ姿でそこに座っていたのだ。


「君は誰?」


軽くえずきながらも快斗は声を絞り出す。


「私?私は…、何かしらね」


天使は微笑んだ。


快斗は首を傾げる。


「よくわからないけど、君は羽があるから天使さんだね」


快斗が彼女に名付けた瞬間だ。

彼女はクスっと笑い、


「そうね、私は天使。

快斗君、もう泣かないで」


天使はハンカチで快斗の涙を拭う。

その感触は温かく柔らかで、快斗は未だにその感触を覚えている。


天使はその日から20年間、快斗の誕生日とクリスマスに遊びに来ると約束した。

内向的で小学校では周囲と馴染めず、家に帰っても孤独であった快斗にとって初めての友達であり、それはかなり喜ばしいことであった。

快斗は一年に二回だけの友達の訪問を心待ちにするようになる。

子供の頃の快斗にしてみたら20年という月日は遠い未来のように感じていたが、年月を重ね成長するにしたがってそれはとても短い期間だと感じ始めていた。

それは彼女へ恋心を抱き始めたから、余計に短く感じたのである。


そして今日が20年目のクリスマス。

そう、彼女と過ごす最後の日なのだ。


快斗は約半年間にあったことを楽しそうに語る。

その様子は会社での姿、クールで颯爽とした二枚目ではなく無邪気な子供、そのものであった。

その様子を天使は微笑みながら聞いている。

快斗はこの時間が永遠に続いて欲しいと思う。

しかし半年間の報告が終わりに近づくにつれて、快斗の表情は陰鬱な色を帯びてくる。

そして快斗は、


「やっぱり、これで最後なんて嫌だよ」


快斗は約束だからと心に言い聞かせてようとすればするほど感情を抑えきれなくなった。

思わず涙が溢れてくる。


「私もとても残念よ。

でもごめんなさい、私は故郷へ帰らないといけないの」


「僕もそこへ行ってもいい?」


「君は入れない場所なの。だからごめんなさい」


長い沈黙の後、快斗は俯き加減に口を開く。


「天使さんには好きな人とかいるの?」


「快斗君以外にはいないわ」


「じゃあ、なんでなの?

僕と結婚してくれるって言ったじゃないか…」


天使は深い溜息をついた後、目を細めた。


「それはあんたが9歳の時だったねぇ。

子供の頃のあんたは天使のように可愛いかったさ。子供の頃のあんたの涙を見たらアタシだってウルッときたよ。

でも今じゃなんだい、まるで大人が子役の演技してるみたいで正直言って気持ち悪いんだよ」


天使の口調がそれまでの優しげで穏やかな口調から一転、まるで恨み節を吐き捨てるかのようだ。


「あんたがあまりにも惨めなガキだったから同情してやったのさ。

それを未だに覚えてるだなんて、寒気がしてくるよ、全く」


天使の変わりように彼は大きく目を見開いて呆然とした。


「そんなにびっくりした顔しなさるなって、これが本当のアタシさ」


「天使さん…」


「それとアタシは天使じゃないの。

妖精さ。

アタシはヘマをしでかして天界から追い出されたんだけど、神の野郎から天界へ戻る条件として、あんたみたいな惨めなガキ共のクリスマスと誕生日を20年間、祝いに行くという罰ゲームをやらされてた、ってのが事の真相さ」


快斗はうなだれた。


「あとちょっとで罰ゲームが終わりかと思うと、なかなか感慨深いものがあるねぇ。

これでアタシはやっと故郷に帰れるんだよ。

あんたは故郷に居られるだけ、アタシよりはマシじゃないのかい?」


快斗は何もうなだれたまま、何も言わない。

そんな快斗に妖精は苛立ち、


「あんたの後にこれから六件も回らなくちゃいけないんだよ。知らなかったでしょ?

もう行ってもいいかい?ちょっと先を急ぎたいんだよ。

奴らがあんたみたいに粘らないといいんだけどねぇ」


うなだれた快斗は頭を起こし、


「それなら…、最後にメリークリスマスだけ言わせて」


「それでいいのかい?

それぐらいお安い御用さ」


快斗は頬の涙をシャツの袖で拭い、立ち上がってパーティクラッカーを手に取った。


「妖精さんも一緒に言って」


「わかったよ」


妖精が頷くと、快斗は笑みを取り戻し、


「せーの、でいくよ。

せーの」


妖精もタイミングを合わせ、


「メリークリスマス!」


軽い破裂音と共に、細かく刻んだ無数の銀紙が舞い散った。

それが部屋の灯りに反射して光の粒、季節外れだが夏の夜空に咲いた打ち上げ花火の様だ。


「綺麗…」


妖精が呟いたのを聞いた快斗はもう一つのパーティクラッカーを取り出す。


「もう一つあるんだ」


快斗の瞳は陰鬱でありながらもどこか熱狂的なな雰囲気をまとう。

彼はもう一つのパーティクラッカーを斜め上に向け、糸を引く。


次のクラッカーは軽い破裂音と何か飛び散るような音がしただけだった。


「え?」


と妖精が驚いたのも束の間、頭上から自分の身体に何か粘度のあるものが降り注ぎ、それが身体に纏わりついていることに気づいた。


「あんた!何をした⁉︎」


快斗はクラッカーの中に大量の粘度の高い接着剤を仕込み、それを炸裂させていたのであった。


「君が僕の願いを聞いてくれなかった時の為にこれを作っていたんだ」


「このド変態が⁉︎

アタシをどうするつもりだい!」


「君を殺して僕も死ぬ」


「ふざけるなっ!このカスが!」


快斗は三個目のパーティクラッカーを取り出し、今度は妖精に向けて発射する。

破裂音と共に発射されたものは半透明の細い糸状のもので作られた投網のような物であった。

その細かい網が接着剤によって、妖精の羽や身体に貼り付く。


「畜生めっ!」


快斗はちゃぶ台の裏に貼り付けてあった物を取り出すと、すぐさま振り上げ、それを疾風の如く袈裟懸けに振り下ろした。

白刃一閃、血しぶきがあがる。

快斗は刃渡り30センチはある刃物をちゃぶ台の裏に隠していのだ。

妖精はその白刃によって、肩を斬られた。

妖精は悲鳴を上げ、快斗は顔に鮮血を浴びる。

鮮血を浴びた快斗はまさに凄艶、先程までの幼児っぽさが嘘だったかのようだ。


すぐさま快斗は妖精の胸元へ向かって刃物で突いた。

しかし快斗が突くよりも早く、妖精は快斗の腹を蹴飛ばしていた。

その蹴りで快斗は部屋の隅に吹き飛ばされる。


「アタシは妖精なんだよ!

あんたみたいな下等種に殺されてたまるかっ!」


妖精は踵を返し羽を広げて飛び立つ。

しかし先ほど快斗の放っていた接着剤と投網によって羽の動きが悪い。


「逃がさない!」


快斗はちゃぶ台を踏み台にして飛びかかり、左手で妖精の羽の端を掴み白刃を羽の根元に突き刺した。

快斗は刃が深く深く刺さっていく感触を感じながら、刃物を逆手に持ち替える。

妖精は再び悲鳴を上げ、


「何をしやがるっ!

あんた、こんなことをしてただで済むと思ってるのかい⁉︎

神に弓を引こうってのかい!」


快斗は何も言わず、まるで羽根から解体するかのように白刃を引き下げる。

目を見開き、さらに渾身の力を込めて引き下げ、ついには妖精の羽をもぎ取った。

その瞬間、妖精は鼓膜に突き刺さるような怪鳥音を発し、背中から大量の血しぶきを噴きなから畳に叩きつけられるようにして倒れた。


全身、鮮血に塗れた快斗は一歩二歩、後ずさりしながら崩れるように座り込む。

妖精は怪鳥音を発しながら、畳の上で狂喜乱舞しているかの様に激しくのたうち回る。

その様を快斗が呆然と眺めている中、妖精の足がクリスマスキャンドルを蹴り飛ばした。

倒れたクリスマスキャンドルの火が部屋のカーテンに燃え移り、クリスマスの飾り付けにも燃え広がった。

古い木造アパートだ。

あっという間に様々なものに燃え移り炎上していく。

しかし快斗は微動だにせず、冷静に炎上するのを眺めるのみだ。

既に怪鳥音は鳴り止み、妖精は僅かに動くだけとなっていた。

快斗はそれを見届けるかの様にして、手にしていた刃物を首の頸動脈辺りに押し当てる。

力を入れ、白刃を引こうとした時だ。


妖精の姿は消えていた。

もぎ取った羽も無い。

燃え尽きた跡も無く、最初から何も無かったように見える。

全身に浴びた返り血も綺麗に消えていた。



遠くから消防車か救急車のサイレンの音が聞こえてくる。

今や快斗の故郷は激しく燃え盛る炎の中だ。


燃え盛る炎に人影が浮かぶ。

そこには凄艶だか寂しげな翳りをまとう快斗の姿があった。

快斗は燃える炎に一瞥をくれると背を向けてゆっくりと歩き始める。   完

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FKAX 飯野っち @enone

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