FKAX

飯野っち

第1話 クリスマスイブ

17時、都内の某一流企業のオフィス。

終業のチャイムが鳴ると男はすぐさま、鞄を手にして立ち上がる。


「お疲れ様でした」


と滑舌の良い低めの声を響かせつつ、男は颯爽と退席し、早足で出口へと向かう。

オフィス内には多くの人がいるのにも関わらず、誰も彼に声を掛けない。

それぞれが仕事に没頭している風でもないのだが、誰もこの男に一瞥すら送らない。

そんな周囲の冷たい反応に男は何処吹く風だ。


廊下を早足で歩く男の後を1人の女子社員が小走りで追う。

男がエレベーターホールで立ち止まったところで女子社員は追いつき、男へ声を掛ける。


「先輩、笛吹先輩」


呼び止められた男が振り返る。

男の名は笛吹 快斗。

身長は186センチ、痩身で手足の長いモデルのような体型をしており、顔は目鼻立ちがはっきりしたクールな二枚目系。

と言えば簡単ではあるが、どこかぞっとさせる艶かしさを秘めている。

凄艶、そう形容するのが相応しい。

しかし、一見、涼しげな瞳の奥はどこか暗い。

一方の女は小柄ながらもミスコンで準優勝してそうな雰囲気だ。


「笛吹先輩、クリスマスに何か予定はありますか?」


「悪いね、予定が入ってるんだよ」


取りつく島もないぐらいの即答だ。


「それなら今日」


と女子社員が言いかけたのを遮るように、


「悪いね、今日はクリスマスの準備があるんだ」


と返答した時、快斗は瞳を輝かせた。

とくにクリスマスの部分での輝きを女子社員は見逃さなかった。

その悪意無く爽やかな反応に女子社員は言葉を失う。

そんな女子社員の反応に構わず、快斗はエレベーターに乗り込み、これまた爽やかに、


「お疲れ様でした」


と言い残すとエレベーターの扉は無情にも閉まる。



時刻はちょうど18時。

12月中旬にもなると、この時間には既に日は沈み暗闇に包まれる。

そんな中、住宅が密集し入り組んだ路地を快斗は早足で歩いている。

住宅地の中でも一際古い、築50年以上は経過していると思われる木造のアパートの敷地へ吸い込まれるように入っていった。

周囲は現代的な住居が並んでいるのに、ここだけ昭和の残滓のようだ。

その昭和の残滓に快斗は1人で住んでいる。


都内の一流企業に勤め、収入もそれなりに有り、洗練された雰囲気を放つ快斗には似つかわしくない住居だ。

しかも彼の部屋以外、全て空室。

後は朽ち果てるのを待つのみ、のようなアパートに彼は何故住んでいるのか。

それは快斗にとって、ここが実家だからである。

彼はこのアパートの一室、四畳半の和室で生まれた。

快斗は父の顔を知らない。

彼の母は快斗の父が誰であるかもわからない。

そのような環境下で彼の母は女手一つで快斗を育て、国立の一流大学にまで進学させた。

しかしその母も二年前に他界した。

親類縁者もいなく、天涯孤独の身だ。


そんな身の上で今にも朽ち果てそうな古いアパート住まい、気が滅入ってきそうな状況だが、快斗の足取りは軽く鼻歌交じりに鞄から部屋の鍵を取り出す。


部屋の扉を開け灯りを付けると、そこは別世界のようだった。

部屋にはクリスマスのリースやツリー等、各種飾り付けが壁や天井の隙間が無いぐらいに埋められ、このアパートの外見である昭和の残滓とは真逆の世界になっている。

しかし今日は12月15日だ。

本番のクリスマスにはあと10日もあるのに、この飾り付けは早過ぎる。

しかし、快斗にしてみたらこれでもまだ、“クリスマスの準備”は終わっていないのだ。

彼は手早く普段着に着替え、部屋を後にした。


髪はしっとりと濡れ、頬をほんのりと赤く上気させている。

部屋に風呂が無いことから快斗は銭湯通いをしていて、今はそれの帰りだ。


身長は186センチ、八頭身はある痩身のモデル体型、さらに顔は涼しげな眼差しの二枚目だ。

快斗はどこへ行っても女子の注目を集める。

銭湯帰りに歩いていても、すれ違う女子のほとんどが振り返り、買い物でスーパーに寄ればレジのバイトの女学生風から、籠に連絡先を書いた紙を入れられる。

しかし快斗はその類を全く相手にしなかった。

なぜなら彼には意中の人がいるからだ。


帰宅し、部屋の装飾に不釣り合いな円形のちゃぶ台の上に、スーパーの買い物袋を置く。

中にはその日に食べる夕飯と翌朝の朝食が入っていた。


夕飯を早々に済ませると、近くに置いてあった大きな紙袋を手に取り、その中から円錐状の何かを取り出した。

その円錐は紫色のメタリック調の紙が貼り付けられている。

これはパーティクラッカーだ。

快斗はクリスマスのパーティクラッカーを自作しているのだ。

パーティクラッカーだけではない。

この部屋のクリスマス装飾を全て自作していたのだ。


パーティクラッカー用の円錐を手でもて遊びながら、快斗は物思いにふける。



12月24日、17時。

いつものように終業のチャイムが鳴ると、快斗は


「お疲れ様でした」


と言うと颯爽と退席する。

周囲の社員達が無反応なこともいつもと同じだ。

しかし、彼は早足ではなく小走りだった。



「先輩、笛吹先輩」


先日、快斗をエレベーターホールで呼び止めた女子社員とは別の女子だ。

小走りだった彼を追う為、彼女は走って追ってきて息を切らせながら、


「先輩、お正月」


と言いかけたところを快斗は女子社員へ一瞥をくれず、遮るかのように、


「悪いね、わからないんだ」


「え?何がですか?」


快斗は無言だ。


エレベーターが到着し、乗り込むと振り返り


「さようなら、ご機嫌よう」


快斗はいつになく明るく、口元には微笑みをたたえている。

その今まで見せたことのない様子に女子社員は戸惑い、背中に冷たいものを感じた。


「笛吹先輩…」


まるで何か恐ろしいものでも見たかのような表情を浮かべる女子社員に向かって、快斗は閉まりゆく扉越しに右目でウインクをした。



時刻は今、23時59分。

快斗は待ち人が来るのを心待ちにしていた。

部屋の真ん中にはクリスマスの飾り付けとは全く違う世界観の円形のちゃぶ台があり、その上にはシャンパンのボトルとグラス、七面鳥などの料理、クリスマス仕様のホールケーキもあり、それらは全て彼の手作りなのだ。

七面鳥のローストは焼きたて、日付けが25日に変わる時間に向けて作ったのである。


「まだかなぁ…」


と両手を頭の下にして仰向けになる。

快斗はぼんやりと天井の板の木目を眺めた。

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